マハンの理論から見た現在の中国とマハン当時の米国の戦略環境比較
本稿以降、中国に目を転じ、同国がマハンの理論に基づく海洋戦略を採用し、巨大な海軍の建設を行っていることを中心に順次説明してみたい。最初に、現在の中国とマハン当時の米国の戦略環境の類似点と相違点について分析したい。まずは類似点から。
急速な経済の発展
マハンの「海上権力史論」(1990年)が世に出る少し前の米国では、石油や電力を中心とした第二次産業革命(1865年から1900年)が起こり、工業力は英国を追い抜いて世界一となった。また、肥沃で広大な土地に恵まれた農業は、機械化が進み、大規模農業が発展した。
「世界の工場」と呼ばれる中国で、改革開放により経済が急速に発展していることは、当時の米国と同じだ。
二つの大洋をカバーしなければならないこと
マハン時代の米国は、大西洋と太平洋をカバーしなければならなかった。中国も、マクロに見れば太平洋とインド洋をカバーする必要がある。マハン時代の米国は、欧州列強との力関係から、大西洋を全てカバーすることなどはできなかった。中国も当面は太平洋に打って出る前に、黄海、東シナ海、南シナ海を中国の内海化する必要がある。また、インド洋においても世界の海を支配する米国のみならず、インドとも鎬を削ることになる。
東方からの脅威
マハン当時の米国は、東方の欧州列強から脅威を受けた。同様に中国も、東方の米国から脅威を受ける形だ。もちろん、米国は中国の全正面に戦力を展開できるので、洋正面以外でも米国の脅威が無いわけではない。しかし、主たる脅威は、米本土のある東方向から加えられる形だ。
次に、相違点について述べる。
軍事科学技術
マハンの時代と今日では、軍事科学技術レベルに隔世の感がある。マハンの時代はようやく「帆船から蒸気船へ」変わる時期だった。当然、潜水艦、航空機や核・ミサイルもない。宇宙技術、C4Iシステムやサイバー戦能力など論外だ。
因みに、C4IシステムとはCommand(指揮)・ Control(統制)・ Communication(通信)・ Computer(コンピューター)・ Intelligence(情報)システムのこと。動物における脳・神経系に相当するものであり、軍部隊の運用や火力の効率的な発揮に必要不可欠だ。
マハン時代の通信に関して言えば、マルコーニが無線電信の実験に成功したのはマハンの「海上権力史論」が世に出た1890年から5年後の1895年だった。
国境を接する外国の数
米国の国境はカナダとメキシコの間しかない。しかも、カナダもメキシコも米国の国力に比べれば問題にならない。一方中国は、国境線の長さが2万2800キロに及び、接する国は14カ国にのぼる。これらの国々のうち、ロシアは米国と核戦力を競うほどの強大国だ。また、インドも中国に拮抗できる戦力を持っている。1960 年代末の中ソ対立の頃、両国は、国境線に、658,000人のソ連軍部隊と814,000人の中国人民解放軍部隊を展開した事実を勘案すれば、将来、ロシア・インド両国との緊張状態が生起した場合、中国は150万人以上の陸軍兵力が必要になろう。また、これに加え、緊張が高まる朝鮮半島や新疆やチベットを含む民族問題、さらには国内の暴動・騒乱への対処などを考えれば、陸軍兵力のニーズは膨大な数にのぼろう。
このような状況を考えれば、マハンの予言――「歴史を見るに、例え一箇所でも大陸と国境を有する国(A)は、仮に人口も資源も少ない島国(B)が競争相手国であれば、海軍の建設競争ではAはBに勝てない、という決定的事実を歴史は示している」――は意味深長だ。Aを「中国」Bを「米国」と読み替えれば分かりやすい。
マハンに従えば、ロシアやインドなど大陸正面で14カ国と国境を接する中国は米国との海軍建設競争において米海軍を凌ぐことはできないことになる。中国が海軍建設競争で米国に勝つためには、陸軍に対する投資を最小限にし、海・空軍に最大限の投資を行うほかない。
植民地
マハンの時代、アジアには多数の植民地が存在した。「眠れる獅子」と言われた「清」も、半植民地状態だった。しかし、これらの植民地は第二次世界大戦後独立し、今日ではほとんど存在しない。マハン時代には、植民地をマーケットとして、あるいは資源獲得の場として活用した。イギリス、フランス、オランダなどの宗主国と植民地の関係は、「支配と被支配」の関係で、一般的には、強力な軍事力を背景に独立運動や市民的自由の抑圧、資源の収奪等、今日の感覚から見れば“非人道的、非民主的”で、苛烈・悲惨な殖民地経営が行われた。皮肉なことに、今日中国がチベット自治区や新疆ウイグル自治区で行っていることは、正しく“植民地経営”そのものだ。
今日、中国の工場で作った製品を売り込んだり、石油や鉄鉱石などの資源を獲得する国々は、中国の植民地ではない。自由な経済競争の中で、中国が勝ち抜くために軍事力を背景にした砲艦外交を展開することは時代錯誤だろう。しかし、人道支援や国際貢献などの名目で軍事力を最大限に活用し、間接的に影響力を行使するやり方は、本質的に今もマハン時代も変わらない。
マハンのシーパワー理論は色褪せず
このように、軍事科学技術に関しては、マハン当時と今日では比較のしようもない。だから、マハンの理論は陳腐だ、と言うわけではない。マハンが歴史の研究から抽出したシーパワーの理論は、今日の中国・中国海軍にとっても、いささかも色褪せることのない「重要な原理」なのだ。
(おやばと連載記事)