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生物剤がパンデミックとなる悪夢のシナリオ

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 世界を滅亡させうる12の大惨事

産経新聞が「核による大量虐殺か、小惑星の衝突か…世界を滅亡させうる12の大惨事」と題するショッキングな記事(2015年3月1日)を報じた。これは、人類を脅かす危険について問題意識を喚起することを目指した組織、Global Challenges Foundationが発表した「12 Risks That Threaten Human Civilization」と題するレポートを紹介したものだ。
このリポートではリスクを4つのカテゴリーに分け、「いまそこにあるリスク」として、①極端な気候変動、②核戦争、③環境大災害、④ 世界的なパンデミック、⑤グローバル経済システムの崩壊を、また、「外因性のリスク」として、⑥小惑星の衝突、⑦超巨大火山の噴火を、さらには「新たに出現しつつあるリスク」として、⑧人造生物、⑨ナノテクノロジー、⑩人工知能、⑪未知のリスクを、そして「グロ-バル・ガヴァナンスに関連するリスク」として、⑫ 将来人間の文明の壊滅を引き起こす可能性のある貧困や、飢餓や、戦争のような難題を解決する能力の欠如を――挙げている。
これらリスクのうち、「外因性のリスク」については、人類の能力では不可抗力であり、神の力に頼らざるを得ないのだ。しからば、「いまそこにあるリスク」と「グロ-バル・ガヴァナンスに関連するリスク」は、国際的に協力し、人間の力で解決できるのだろうか。これらのリスクに対処するためには、人類全体の“発想・パラダイム”を完全に変えなければならないだろう。これまでの、「国家対国家間の覇権・国益争い」という次元から、これからは「人類の存続・滅亡からの回避のための全人類による協力」という“発想・パラダイム”に転換しなければ、Global Challenges Foundationが提唱する12のリスクにより人類は滅亡するかもしれない。
「21世紀の黙示録」シリーズとして、これまでに「滅亡の序曲“人口爆発”」次いで「過激派組織ISが引き起こす悪夢のシナリオ」を連載したが、今回はGlobal Challenges Foundationもリスクとして挙げている「世界的なパンデミック」について考察してみたい。「パンデミック」については、後で説明する。

 生めよ、ふえよ、地に満ちよ

旧約聖書の「創世記」によれば、神が6日間に及ぶ天地創造の作業の最終日(6日目)に、「神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。神は彼らを祝福して『生めよ、ふえよ、地に満ちよ』と宣言された」と記されている。
人間のみならず生き物には神の宣言通り素晴らしい生殖能力がある。今日本では少子化現象が進んでいるが、このことは神が人間に与えた“人の本性”に違背している。キリストが誕生した「紀元0年からカウントする地球上の人口」をある仮定をもとに計算してみよう。
紀元0年に子供を儲けることができる一組の男女を想定する。そのペアは4人の子(男女二人ずつ)を儲けた。その子供達は、兄弟姉妹が近親結婚して二組のペアで4人ずつ合計8名の子供を儲けた。一組のペアで4人の子供を儲けるとうシナリオは戦前の日本で合計特殊出生率(一人の女性が一生に産む子供の平均数)が、1925年に5.11人、1947年には4.54人など、4人以上であった実績に基づくものである。
余談だが、「兄弟姉妹の近親結婚なんかありえない」と思う向きもあるだろう。これには、旧約聖書にでてくる父のロトと二人の愛娘が、なんとしても子孫を残すために、ロトをワインで泥酔させて「子孫作り」をした話を紹介したい(創世記11章後半から14章、および19章)。
話は飛んだが、2人のペアから4人の子供が生まれるということを前提とし、また親、子、孫・・・の世代間隔を30年と仮定し、人口増加をこのモデルで計算してみよう。2人のペアは「2の1乗(21)」、その子供4人は「2の2乗(22)」、その孫たち8人は「2の3乗(23)」と表される。紀元0年から1千年後には二人のペア(夫妻)の子孫は何人に増えているだろうか。1千年を30年(世代間隔)で割れば、約33となる。すなわち、1千年後の子孫は、紀元0年の夫妻から数えて33代にあたる。その人口は「2の33乗(233)」となり、驚く無かれ約86億人となる。たった一組の夫婦から、1千年後には約86億人に激増するのだ。また、西暦年2000の人口は「2の66乗(266)」となり、7380京(京は兆の一千倍)という天文学的な数字になる。「人口論の著者」のマルサスが「人口は幾何級数的に増加する」と指摘したのは、上記のことであろう。
更に言えば、学者達は、紀元0年の地球上の全人口は約2億人と推計している。従って、上記のモデルでは、「一組の夫婦」を前提としているが、実際にはもっともっと多くの人類が誕生・存在している計算になる。
ところが、実際には、今日の世界人口は高々約70億人だ。このようにモデルで推計した巨大な人口約7380京人と現実の70億人を比べてみれば、「何と多くの人々が、人口増加に寄与することなく死亡してしまったのか!」という事実に気が付くわけだ。

 抑制された人口爆発――膨大な人口淘汰

上述のように本来は、爆発的(幾何級数的)に増加するはずの世界の人口は、現実的には古代から中世にかけては「人口停滞」という見方では、研究者の意見は一致している。中世以降も世界人口は「単調増加」を示しているとの見方が一般的だ。世界人口の「減少」は、唯一1300年から1400年にかけての黒死病(ペスト)が発生した時代だけだと言われる。これについては後で改めて説明する。
前述の“人口爆発”と表現できる人口増加モデルを考えれば、本来爆発的に増加するはずの世界の人口が、古代から今日まで「人口停滞」乃至は「単調増加」という現象に留まったのは、実際にはそれぞれの世代で、膨大な人口(主として生殖能力のある世代)が“消滅(死亡)”したことを意味するものと思われる。
一体なぜ、膨大な人口が“消滅”したのだろうか。考えられる“消滅(死亡)”の原因・理由は、貧困、飢饉、感染症、自然災害、環境破壊、武力紛争、組織犯罪、薬物、人権侵害、産児制限・堕胎・嬰児殺しなどが考えられる。これらの原因・理由は例えば「貧困と飢饉」や「環境破壊と自然災害」のように密接にリンクしているものがある。
また、これらの原因・理由は単純なものではなく、その一つ一つが広範多岐にわたる内容を含んでいる。例えば、自然災害と一口に言っても、その内容は①火山の噴火、②地震、③土砂災害、④地盤沈下、⑤陥没・落盤、⑥雪害、⑦雹、⑧雷、⑨バッタやイナゴの異常発生、⑩隕石の落下・衝突など広範多岐にわたる。
産児制限・堕胎が人口爆発を抑制に寄与しているのは、昔だけではなく、今日現在も同じだ。厚生労働省の統計によれば日本では、妊婦の約10パーセントが人工妊娠中絶を行っていると言う。厚生労働省発表の人工妊娠中絶数は平成17年度の28.9万人から漸減しているものの、23年度は20.2万人となっている。また、世界的に見ると人工妊娠中絶数は年間4500万件を超えていているといわれる。
人工妊娠中絶数に次ぐ人口増加抑制作用は感染症であろう。下図は、戦争による死者とスペインかぜ(1918~19年)の死者数を比較したグラフである。グラフから明らかなように、スペインかぜは短期間(約1年間)に戦争の中で最大に死者を出した第二次世界大戦を上回る死者を出しているのが注目される。感染症の大流行――パンデミック――が人類にとって戦争よりもはるかに危険であることがお分かりいただけよう。

死亡者数のグラフ
ブログ「過去 1500 年間の感染症の流行とパンデミックの歴史(2)」より

 人口抑制(淘汰)は人類の悲劇を回避するための「安全装置(スタビライザー)」か

マルサスの人口原理の骨子は、(1)人間の生存には食料が必要であること、(2)人間の情欲は不変であること、しかし(3)食料は算術級数的にしか増加しないのに対し、人口は幾何級数的に増加すること、したがって(4)人口は絶えず食料増加の限界を超えて増加する傾向があること(このようにして増加した人口は「絶対的過剰人口」と呼ばれる)、(5)絶対的過剰人口はマルサスによって「積極的抑制positive check」と呼ばれた「貧困と悪徳」によって食料増加の限度内に抑制される。(出典:「コトバンク」)
筆者も、人口爆発が人類にもたらす悲劇については、「21世紀の黙示録」シリーズの第一回目で取り上げた。前項の「抑制された人口爆発――膨大な人口淘汰」で論じた、人口抑制原因・理由――「システム」と呼ぶべきかもしれない――は、ある意味で人口爆発による悲劇を回避する「安全装置」と看做すことも可能かもしれない。ただし、厳密に言えば、「人口爆発により引き起こされる人類の悲劇」と「人口抑制システムで引き起こされる人類の悲劇」に優劣があるのかどうかだが、それは分からない。多分同じではないだろうか。もし、人口抑制システムを「是」とするならば、その延長線上には「一体、この“宇宙船地球号”の“定員”は、一体何億人なのか」というテーマ(疑問)に逢着する。ちなみに、半世紀前のノーベル賞受賞者、セント・ジェルジはその著「狂ったサル」で、「35億人」――現在の人口の半分――を一案として提示している。
ちなみに、世界の人口は、2025年に約81億人、2050年に約96億人、2100年には約109億人に達するとの予測がされている一方で、世界人口は80億人で頭打ちになるという予測も存在する。後者(80億人で頭打ち)のシナリオを考えてみよう。この場合、粗く見積もっても、毎年、寿命で死ぬ人(約1億人)のほかに、更に1億人以上の人が“悲劇的・悲惨な死(人口淘汰)”を余儀なくされることになる。この中には、5千万件以上の堕胎が含まれるだろう。

 パンデミックとは

前述のスペインかぜのように、限られた期間に、ある感染症が世界的・同時に大流行する“現象”を「パンデミック」という。また、世界的に流行する感染症の“名称”を「パンデミック」と呼ぶこともある。
2014年現在までヒトの世界でパンデミックを起こした感染症には、天然痘[9]、インフルエンザ、AIDSなどのウイルス感染症、ペスト、梅毒、コレラ、結核、発疹チフスなどの細菌感染症、原虫感染症であるマラリアなど、さまざまな病原体によるものが存在する。AIDS、結核、マラリア、コレラなど複数の感染症については世界的な流行が見られるパンデミックの状態にあり、毎年見られる季節性インフルエンザ(A/ソ連、A/香港)の流行も、パンデミックの一種と言える。
感染症の中には、新たに現れ、その新奇性ゆえに、診断・治療などの対処が困難な「新興感染症」と、結核やマラリアなどのように過去に流行したもので最近になって再び流行がみられるようになった「再興感染症」がある。特に新興感染症あるいは再興感染症が集団発生するケースでは、しばしば流行規模が大きく重篤度(死亡率など)が高くなるものが見られるため、医学的に重要視されている。

 歴史的なパンデミックの例

前述のように、人類にとって戦争よりも脅威となるパンデミック被害の歴史について概観してみたい。

☆ スペインかぜ
スペインかぜは、1918年から19年にかけ全世界的に流行した、インフルエンザのパンデミックである。感染者は約5億人以上、死者は5,000万人から1億人に及び、当時の世界人口は約18億人~20億人であると推定されているため、全人類の約3割近くがスペインかぜに感染したことになる。発生源は1918年3月、米国のデトロイトやサウスカロライナ州付近で、発生源はカナダの鴨のウイルスがイリノイ州の豚に感染したとものと推定される。米国発であるにも関わらずスペインかぜと呼ぶのは、情報がスペイン発であったため。一説によると、この大流行により多くの死者が出たため、第一次世界大戦終結が早まったと言われている。

☆ 黒死病(ペスト)
それは1347年のことだった。クリミア半島にある,防備の施されたジェノバ人の交易所がモンゴル軍に包囲されていた。ところが,モンゴル軍は謎の疫病によって壊滅的な打撃を被り,攻撃を打ち切ることを余儀なくされた。撤退間際に、いわば最後の“悪魔の矢”を放った。巨大な投石機を使い、疫病の犠牲者のまだ生暖かい死体――まさに生物兵器――を市の城壁内に投射した。疫病は城内のみならず周辺にも蔓延し、後にガレー船でそこを脱出したわずかな数のジェノバ人兵士たちが、寄港する黒海・地中海の先々でその疫病を広めた。何か月もたたないうちに疫病は、北アフリカ,イタリア,スペイン,イングランド,フランス,オーストリア,ハンガリー,スイス,ドイツ,北欧諸国,そしてバルト海沿岸に急速に伝播し、ヨーロッパ全土は死人で溢れかえった。2年余の間に,ヨーロッパ全人口(約1億人弱と推計)の4分の1以上にあたる約2,500万人が、黒死病の犠牲になった。

☆ 天然痘
天然痘が特に猛威を揮ったのは、アメリカ・インディアンに対してであった。新大陸発見以降、白人の植民とともに天然痘も侵入し、先住民であるインディアンに激甚な被害をもたらした。旧大陸では久しく流行が続いており、白人にはある程度抵抗力ができていたが、インディアンは天然痘の免疫を持たなかったため、所によっては死亡率が9割にも及び、全滅した部族もあった。天然痘の侵入によりインディアンは50 年間のうちに8000 万人の人口が1000 万人に減ってしまったとも言われている。一説には、イギリス軍が、天然痘患者が使用し汚染された毛布等をインディアンに贈ったともいわれる。

☆ 結核
結核については、紀元前に生存していたエジプトのミイラから結核の痕跡が確認されている。WHOの統計(2007年)によれば、現在も世界では年間で約870万人が発病し、約140万人が死亡している。日本では、1935~1950年の間は、結核が死亡原因の首位で、年平均約15万人が死亡した。戦後、抗生物質により発生数は減少したが、現在でも年間約2.5万人が発病し、約2,100人死亡している。

☆ マラリア
マラリアは、ハマダラカによって媒介され、熱帯から亜熱帯に広く分布する原虫感染症。世界保健機関(WHO )の推計によると年間3 ~5 億人の罹患者と150 ~270 万人の死亡者があるとされる。この大部分はサハラ以南アフリカにおける5歳未満の小児である。

☆ コレラ
コレラは、コレラ菌を病原体とする経口感染症の一つで、感染力は非常に強く、これまでに7回の世界的流行(コレラ・パンデミック)が発生している。WHOによれば、毎年、300万人から500万人のコレラ患者が発生し、10万人から12万人が死亡していると推計されている。

上記のように、パンデミックによる人類の被害は、戦争よりもはるかに深刻であることが分かる。また、エボラ出血熱、インフルエンザ、結核、マラリア、エイズ、コレラなどは今も世界中で猛威を揮っており、人類に対しては、テロや紛争よりも実質的に甚大なダメージを与えていることが分かる。一例として、テロによる被害としてはアメリカ同時多発テロ事件で3,025人が犠牲となったが、2009年におけるエイズ死亡者数だけでも 180万人にのぼる。

 将来の新たなパンデミックの原因となる生物剤の隠れた脅威

生物剤とは、病原性を持つ微生物や細菌・カビなどの生産する毒素を生物兵器として使用しやすいように手を加えたものを指す。接触・摂取・吸引などにより生体内に入り、増殖あるいは作用し、発病・死亡させる。生物剤は生物兵器または細菌兵器とも呼ばれ、これらの用語は時に非常に曖昧に且つ区別なく使われている。
以下の内容は、主として四ノ宮成祥防衛医科大学校教授の論文「生物剤の隠れた脅威」を参考にしたものである。

☆ パンデミックについての新たな懸念
1975年の生物兵器禁止条約の発効以来、加盟国はその数を増し(2015年4月現在締約国・地域172カ国、署名国9カ国)、大半の国がこの枠組みの中に入っている。ただし、核・化学兵器の研究開発と同様に、同条約が厳密に遵守されているかどうかは疑わしい。
今日の世界では、テロリストが大量破壊兵器のなかでも“安上がり”の生物剤や化学兵器の獲得・使用する事態が懸念される。
地球・人類規模のセキュリティの面からは、当然、研究の安全性や既存の生物剤の管理は重要であるが、今日新たに懸念されるのは「科学技術の進歩によってもたらされる“不測の結果”」なのである。“不測の結果”をもたらすと懸念されるのが、今日飛躍的に進歩しつつある遺伝子組み換え技術や合成生物学などである。この技術により、微生物の性質が比較的容易に操作できるようになったことから、その悪用・誤用・エラーの問題が顕在化している。また、合成生物学などの新規技術により感染力を持つウイルスを人工的に作成することが可能となり、病原体管理の概念が変わりつつある。
以下、古典的な生物剤について振り返るとともに、先端科学技術を応用した先進的生物剤の可能性について紹介し、生物剤の隠れた脅威――パンデミック化――などについて紹介したい。

☆ 古典的な生物剤
生物兵器への利用が可能な病原体には、①.短期間で致命的な感染症を起こす、②ヒトからヒトに感染(伝染)しない、③有効な治療薬・ワクチンがある、④使った後での環境修復が容易、――という性質が特に重要視される。これは兵器としての有効性と、使用した場所に後で自軍の兵士が入ったときの安全性の確保につながるからである。
アメリカの疾病管理予防センターは、生物剤対処の優先順位を定めA,B,Cのカテゴリーに分類している。「A」は、①国の安全保障に影響を及ぼす、最高優先度対応病原体、②散布が容易若しくは容易にヒトからヒトへ伝播する③高い死亡率、④公衆衛生に重大な影響を及ぼし、社会不安と混乱を招来する、――とし、炭疽、ボツリヌス、ペスト、天然痘、野兎病、ウイルス性出血熱を挙げている。次に、「B」は②第二優先対策の病原体、②散布が比較的容易若しくは比較的容易にヒトからヒトへ伝播する③中度の発症率・致死率、④検査診断・サーベイランスの強化が必要、――とし、ブルセラ、鼻疽病、オウム、食中毒菌(サルモネラ、赤痢、病原大腸菌)水系感染菌(コレラ、クリプトスポリジウム)脳炎ウイルス、Q熱、チフス、リシン、ブドウ球菌エンテロトキシン、クロストリジウムパーフリンジェンスのイプシロン毒素を上げている。さらに、「C」は将来的に脅威となるような新興感染症で、ニパやハンタウイルスを挙げている。
これらリストアップされた生物剤の多くは、冷戦時代にソ連とアメリカの両国あるいは一方が開発・貯蔵していたという事情がある。

☆ 生物剤の事故と生物テロの事例――すぐそこにある脅威
実際にあった生物剤による事故や生物テロの事例は、人類にとって、世界の処々で「すぐそこにある脅威」が存在することを示唆している。
先ず、規模が大きく深刻な懸念・疑念を与えた事例として挙げられるのが、1979年春にソ連のスベルドロフスク州(モスクワの東1400km、人口120万人)で起きた人為的ミスによる炭疽菌の漏出事故であろう。事故発生当時のソビエトは、“秘密国家”だった。ソ連崩壊後の1991年になって、ハーバード大学の生物学者であるマシュー・メッセルソン博士は,スベルドロフスクで実地調査に踏み切った。同博士の調査により、細菌兵器を開発していた軍事施設から漏れ出た炭疽菌は、風で数キロ先の市街地へ扇形状に散布され、77人が吸入炭疽に罹患し,11人が生存,66人が死亡していたことが分かった。同市の住民は、政府が公表した「家畜由来の炭疽菌流行」を信じて疑わず、街の木々やビルを洗浄し,未舗装の道はアスファルトに変わり、野良犬は皆撃ち殺した。
ソ連当局は完全に事実を隠蔽し、「家畜が炭疽菌に感染し、汚染した肉を食べた住民に消化管炭疽が、接触者には皮膚炭疽が発症した」との虚偽の見解を崩さなかった。しかし、ソ連崩壊直後の1992年、ロシア連邦のエリツィン大統領は、原因を軍の炭疽菌によるバイオハザード(生物学的危害)であったことを公的に認めた。ちなみに、エリツィンは事故発生当時スベルドロフスク地区の共産党責任者だった。注目すべきは、生物兵器禁止条約の主要締約国であったはずのソ連が、秘密裏に大規模な攻撃的生物兵器開発計画を進めていた事実である。この事故の教訓としては、「軍事にかかわる条約などが律儀に守られているかどうか疑わしい」ということだろう。
日本でも、オウム真理教が1990年の石垣島セミナー開催時に、本土でボツリヌス菌を散布するテロ計画を立てたが、製造に失敗したため断念した。また、地下鉄サリン事件直前の3月15日にはボツリヌス菌を発生させるアタッシュケースを霞ヶ関駅に設置し、テロを狙ったがこれも失敗している。また、1992年頃より炭疽菌開発が始められ、翌年には亀戸の教団支部付近に炭疽菌を噴霧したが、幸いにもこのとき使われた炭疽菌がワクチン株(Stern株)であったため死傷者は出なかった。
アメリカのおいても、9.11同時多発テロ直後に2度に分けて、大手テレビ局や出版社、上院議員に対し、炭疽菌が封入された容器の入った封筒が送りつけられる事件が発生した。この炭疽菌を吸引・接触し22人が感染し、5名が肺炭疽を発症し死亡した。この強毒の炭疽菌は、米陸軍感染症学研究所が保有する菌株とDNAが一致することが突き止められた。これすなわち、テロに使われた炭疽菌のルーツが米陸軍感染症学研究所から盗まれたものであることを意味する。こうして同研究所のイビンズ研究員が被疑者として浮上したが、2008年7月に自殺したため、司法省はイビンズの単独犯行であると結論付けた調査報告書を作成し、公式にこの件の調査終了を宣言した。

☆ 組み換えDNA技術による新規生物剤の開発
組み換えDNA技術とは、遺伝子を人工的に操作する技術を指し、特に生物の自然な生育過程では起こらない人為的な型式で行うことを意味している。組み換えDNA技術による新規生物剤の開発の仕組みを理解するには、生物・医学的な知識が必要である。そこで、読者に分かりやすくするために、生物剤を対戦車砲やミサイルに例えて説明したい。
戦車の装甲を人体に、そして装甲を貫徹して戦車を撃破する徹甲弾(Armor-piercing shot and shell)――装甲に穴をあけるために設計された砲弾、弾体の硬度と質量を大きくして装甲を貫くタイプと、逆に弾体を軽くして速度を高めて運動エネルギーで貫くタイプが存在する――が開発された。また、もう一つの戦車装甲を貫徹する技術としては、成形炸薬弾がある。これは、命中した対戦車用砲弾および対戦車ミサイルが作り出す液体金属の超高速噴流(7-8km/秒)によって、敵戦車などの装甲を侵徹するものだ。
組み換えDNA技術による新規生物剤の開発とは、シンプルに説明すると、戦車の装甲に相当する人体の免疫機能(ワクチンを含む)を突破して、対戦車砲弾やミサイルに相当する生物剤のヒトに感染する能力・性能などを向上させることなのだ。組み換えDNA技術による新規生物剤の開発の懸念としては、①ウイルスの強毒化とワクチンの無効化、②強毒菌抗菌薬多剤耐性遺伝子の付与、③微生物の毒性増強、④病原体の伝染性増強、⑤遺伝子操作により既存の検知・診断法を無効化、病原体や毒素の兵器化などが挙げられる。

☆ 先進的生物剤
生物剤の脅威は、今新たな局面を迎えている。これまで述べたように①伝統的生物剤に加え、②遺伝子操作を加えた生物剤の作成が懸念されるほかに、③先進技術を利用した新たな概念の生物剤の登場も予想されている。
③は、上述②のような、単純な遺伝子組み換えではなく、コンピュータを用いて遺伝子設計を行いコンピュータシミュレーションによってネットワークの作動性などを確認後に遺伝子を人工合成し新しい生命機能あるいは生命システムをデザインして組み立てる“合成生物学(synthetic biology)”という生物学・化学・数学・物理学・情報学・工学分野にまたがる学問領域が急速に進展している。人間が天地・生物の創造主である神の領域に踏み込んだエポックメーキングな先進技術といえるだろう。
この技術の登場は、必然的に「人類の安全という観点からは、研究室における既存のウイルス株の保管を厳格に行うだけでは不十分で、遺伝子情報やウイルスの創作のノウハウを同管理するか」という問題も提起している。
もう一つの先進技術が注目されている。それは、逆遺伝学を用いて、様々なインフルエンザを製作する技術だ。これは、改変操作した遺伝子のパーツを組み合わせて感染性ウイルスを新たに作成する技術で、これまでの遺伝学(解析的手技)とは逆に創作的手技であることから、このように呼ばれている。
日本人ウイルス学者の河岡教授が逆遺伝学手法で、2009年に起きたパンデミックインフルエンザ(H1N1)のH1部分を哺乳類に感染しやすい形のH5に変え、新たなウイルスを創作した。同教授がこのような実験を行った背景には、中国や東南アジアなどで問題となっている高病原性鳥インフルエンザH5N1ウイルスに自然変異が起きて、ヒトからヒトに感染するパンデミック型のインフルエンザウイルスが出現する可能性の予測が、ここ数年来されているからだ。そこで河岡教授は、どのような状況になれば、現在の高病原性鳥インフルエンザH5N1がヒトからヒトに感染するようになるのかを証明しようとしたのだ。高病原性鳥インフルエンザであるH5N1ウイルスを直接的に組み換えて感染性の変化を見るのは危険度が高いので、季節性インフルエンザと同等の病原性である2009年パンデミック型H1N1インフルエンザウイルスを作り変えて、H(ヘムアグルチニン)部分の変異のみで感染性がどのように変わるかを見ている。同教授のこの業績は、外国からの評価も非常に高いといわれる。
この種の研究で重大な問題が二つある。第一は、新たに開発・生成したウイルスを、安全に管理すること――バイオセーフティ――だろう。二重ドアや空気が外部に漏れない仕組みを備えるなど「バイオセーフティレベル3(BSL-3)」の基準を満たしている上、経験豊富な科学者たちによる適切な管理下に置くことが必須だ。安全設備が不備な研究室で模倣的な類似の研究が行われ他場合は、ウイルスが漏れ出す心配が出てくる。第二は、インサイダー犯行をいかにして防止するかだろう。インサイダー犯行のリスクは米国炭疽菌郵送テロの教訓だ。

 むすび

科学技術は人類にとって“諸刃の剣”で、人命を救うことも、抹殺することもできる。核・化学・生物学は、人類に幸福をもたらすことも、大量破壊・殺戮をもたらすこともできる。要は、これらの科学技術を利用する「ヒトの意思」に懸かっている。
「21世紀の黙示録」シリーズで、繰り返し訴えていることは、「人類は恒久的に平和で繁栄できるという保証は無い」、「今後は、『国益』から『人類益』というパラダイムに変換すべきだ」、「今や『神と人間』という次元から人類や地球の行く末を論じる時期だ」――ということだ。

(雑誌「丸」掲載記事)

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