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パンデミックについての危機管理の面からのコメント

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我が国の危機管理体制一般について言えることだが、憲法に緊急事態条項がないことに端的に象徴されているように、我が国には「危機を想定し、それに備える」ための危機管理体制が本質的に欠落していると言える。もちろん、防災・減災など、自然災害多発地帯の日本では、自然災害に対する対策は進んでいる。しかし、危機一般に対する備えは他の先進国と比べて遅れていると言わざるを得ない。

その根本原因として挙げられるのが、木村先生もご指摘されているように、一つは、省庁の縦割りと国と自治体の仕切り、自治体間の地理的管轄地域の分離といった、組織間の分断が危機時にも維持され、統一的な組織的危機対応ができにくい仕組みになっていることがある。

例えば、自然災害への被災者対応でも、救助は消防、搬送は自衛隊、検死は警察、埋葬や家族への通知は自治体と、本来の権限区分に応じて現場での対応行動も分断されることになる。それでも災害の現場ではお互いに協力し、相互に融通できることがあれば、平時の権限区分を超えて活動しているのが実態である。厳密にいえば越権行為かもしれないが、人命に関わる活動を寸秒刻みで全力で展開しなければならない被災現場では、そのようなことは言っていられない。とにかく、利用できるものはなんでも利用して、当面の危機、特に人命救助に全力を挙げなければならない。

しかし今の法制にはそのような危機時の現場感覚に根差したリアリティが欠けている。あくまでも平時の行政的対応や手続きが基準になっており、危機時を想定した、平時とは別の緊急時の法体系が十分に整備されていない。例えば、外国ではごく当たり前のことだが、緊急時には自己完結的な能力を持っている軍などに権限を集中し、その指揮のもとに各危機対処組織が連携して一体となって危機に対応するという態勢をとるための根拠規定は、日本の憲法以下の法体系には欠落している。

このようなことを主張すると戦後の日本では、「軍国主義」という非難が繰り返されてきたため、緊急時を想定した有事法制の整備なども遅れてきた。また、現在の有事法制についても、他国に比べ、危機対応という点では極めて不十分なものでしかない。国家、公益の立場に立ち、私権を制限してでも危機に備えるという前提での法制整備がなされてこなかったためである。

それでも、災害対策基本法など防災関連では、阪神淡路大震災で惨害をこうむった経験なども踏まえ、一般国民を対象にした罰則を伴った協力義務規定が明記されている。しかし、例えば防衛警備については、国民一般の私権制限や罰則を伴う協力義務規定については、極めて抑制的な規定になっている。そのため、例えば民間の物資を利用し、あるいは特定の民間人に業務従事を義務付ける条文は、自衛隊法では謳われていても、それを裏付ける下位の法令は十分整備されているとは言えない。徴用や徴発といった概念は、現在の日本では禁句になり封印されたままである。

しかしそれでは、国民の総力を結集しなければ対応できない重大な危機が発生した場合に対応できないことは明らかである。その一例が、福島第一原発の事故であった。全電源喪失の事態に至った時、例えば自衛隊の大型ヘリで非常用発電機やバッテリーを空輸していれば、メルトダウンに至らなかったかもしれない。しかし計画もなく訓練もしていなければ、危機時の時間的に追い詰められ情報が錯綜する中では、そのような発想すら出てこない。そのために、回避できたはずの重大危機を招いてしまったことになる。

第一次大戦中のスペイン風邪並みのパンデミックが発生すれば、世界で4千万人以上の死亡患者が出るとも言われている。オウム真理教の地下鉄サリン事件では、世界で初めてテロで大量破壊兵器(核・生物・化学兵器、放射性物質などを用いた大量殺戮が可能な兵器)が使用された。特に生物・化学兵器は、核兵器のような高度の技術も多額の予算も特殊な投射手段も必要ではなく、極めて安価に、大した技術も必要がなく製造でき、日常的な方法で持ち込みも使用も可能である。それでいて、被害の規模は核兵器よりも重大かつ深刻である。

化学兵器は農薬製造の技術を転用すれば比較的容易に製造できる。原料物質も大量に備蓄され流通しており、入手も容易である。生物兵器も天然痘など世界的に撲滅されたはずのウイルスや細菌を密かに培養し、それを不特定多数者に何らかの方法で感染させることに成功すれば、航空機その他の交通手段が世界的に発達した現在では、数週間から数か月のうちに世界的に感染を拡大することもできるであろう。また、遺伝子操作などの技術を使い、新種の生物兵器を製造することも可能になっている。

北朝鮮は、核兵器だけではなく、世界最大規模の化学兵器や生物兵器の備蓄を持ち、ISなどのテロ組織が化学兵器を保有していることも知られている。さらに国際的に孤立している北朝鮮が国際テロ組織と協力関係を結び、生物・化学兵器を密売しとしているのではないかとの懸念も高まっている。サミットや東京オリンピックのような国際的イベントは、国際テロ組織にとり名をあげ存在感を誇示するための格好の場でもある。日本も万全の備えが必要である。

生物兵器テロを想定した場合、木村先生が指摘されているように、日本の水際での検疫と自治体を中心とした国内での対応という二本立て体制では、国を挙げた組織的統一的な対応が効果的に実施できないことは明らかである。さらに自治体間の連携も容易ではない。各省庁、自治体を束ねた、米国のFEMAのような国レベルの危機管理組織を設立する必要がある。

また、国レベルの危機管理組織を中心に、平常時から各省庁、自治体の実務担当者が一堂に会して緊密な情報交換を行い、それぞれの権限や能力、連絡調整先などを周知しておかねばならない。危機管理組織は統一的な危機対処計画を策定し、それに基づき関係危機管理組織の訓練を行い、その成果を評価し不備な点を改めさせる権限をもたねばならない。それらの活動に必要な独自の予算と人員も必要である。

このような国レベルの省庁横断的な相応の権限と資源を持った組織の創設がなされない限り、国全体としての効果的な危機対処態勢は取れない。しかし、現状では、省庁の既得権、縄張り争いが先に立ち、結局、面倒な権限争いの再燃を避けて、現状の組織の延長で危機時にも何とか対処するという結論になりがちである。その結果、現状の本質的な問題は未解決のまま先送りになる。これが、これまでの姿であった。

しかし、これほど世界的にさまざまの危機が深まり、グローバル化が進んで日本も世界に蔓延している危機にいつ巻き込まれるかわからない情勢のもとでは、日本も他の先進国が採っているような、国家レベルの省庁横断的な危機管理専従組織を、早急に創る必要がある。それが遅れれば、また出さなくていい犠牲を出し、国家的な重大危機を招き寄せることになるであろう。その被害を被るのは国民自らである。このことに思いを致せば、官庁や政治家任せにせず、国民自らが危機管理組織創設の声を上げなければならないことは明白である。それ以外に、現状を打開する道はないように思われる。

 

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