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グレンコアショックとサイモン マレー氏

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年の初めでもあり今回は少し趣向を変えて中国発の素材デフレに揺れたスイスの世界最大の資源商社グレンコア社と、80代後半から90年代にかけて香港で活躍したSimon Murray氏について書いてみたい。グレンコアについてはすでに種々報道されているので詳細は省くが9月28日に同社の株価は30%も急落し、その影響は株式・金融市場にも波及し日本の金融機関も同社への貸付のある所は対策に追われている。いわゆる資源メジャーとは英豪系リオ・ティント、BHPピリトン、ブラジルのヴァーレなどの資源大手が思い浮かぶがgrain,非鉄金属、石油・石炭など各分野にこの種資源大手が存在する。グレンコアの場合は多額の借り入れで次々と権益を拡大してゆく戦略だが資源ブームの追い風に乗っている間はうまく回転するが、中国発の素材デフレに遭遇すると元も子もない。
元々これら商社は国際商品の商流に入り生産者と実需家をつなぐ仲介事業で大きくなった。一方グレンコアは鉱山会社のエクストラータを傘下に収め川上事業にも入り商品仲介業から資源開発というリスクの高い分野に手を伸ばした。13年ぶりの低水準にある国際商品相場だが商品発の負の連鎖が資源分野から世界経済のリスクとなるとか、資源安に潜む火種といった話題でマスコミを賑わしている。これも中国発のデフレなのか、グレンコアがどこまで耐えられるのか暫く見守りたい。
さて話を本題のSimon Murray氏に移したい。サイモン マレーの名前は1980年代から1990年代前半香港にいた人はご記憶のことと思う。李嘉誠の率いるHutchison Whampoaの代表として香港電力とかHusky Oilなどの買収を手掛けた人物だ。(超人的な同氏についてはすでに何度か書いているので一部重複することもあろうがお許し願いたい)
香港では毎日のようにあらゆる会社のpartyがあるが彼はこれらの会合にはほとんど顔を見せず、神秘的な存在でもあった。彼の前歴がフランスの外人部隊にいたということで、外人部隊に対する世間の目はむしろ怖れに似たものでこれがマイナスイメージに繋がったものと思われるが実際の人物像はあとで触れたい。ビジネスの成功もあり、94年Hutchisonを辞めるまで香港財界の代表の一人として君臨していたが、その後Vodafoneなど香港のみならず世界中の10指に余る会社の役員などをやっていたようだが70歳を過ぎ半ば引退しているのかと思っていたら突然彼の名がマスコミを賑わすようになった。確か2011年頃のことと思うが,スイスの巨大資源商社Glencore社がサイモン マレー氏をnon-executive Chairmanに任命したと発表があった。当時Glencoreが注目されたのはこの種巨大商社は上場しないのが普通であったが、同社はロンドンと香港市場に上場して120億米ドルを調達すると発表されたからだ。前述の通り原油がメジャーによって支配されているように穀物など国際商品は専門のディーラーが支配していた。但し石油のメジャー以外は上場しておらず中東のファンドとかそれぞれの資金調達先は持っていたのであろうが、各企業の中身は不明であった。一方金融機関などによるデリバティブがさかんとなり、これらのディーラーも他の商品分野に参入し強大な商品ディーラーが誕生した。Glencoreは資源投資からトレードまでを一貫して行う専門商社だが石油、ガス、石炭、金、非鉄金属、穀物、砂糖など商品分野と鉱山開発、製鉄、精油などにも手を広げ今や世界最大規模の商品ディーラーとなった。2010年の純益は5千億円強と当時の資源高の中でも突出していた。国際商品相場はこの時点で1~2割下落したが当時は調整局面とみられむしろ上場で資金調達が容易となり次の大型買収にという構想であったと思う。5名の社外役員も指名された。BPのメキシコ湾での原油流出事件で退任したBPのCEO, Tony Howard もその一人と、なんとも話題の多い上場であった。ところがSimonは更に絶好の話題を提供してしまった。マスコミの取り上げ方には色々ありロイターはAdventurer, Simon Murrayとした。Adventurerは文字通りなら冒険家だが記事の内容からは“山師”のように解釈されそうになる。(何世紀も前、貿易商人はmerchant adventurerと言われ一般には山師と解釈されていた。)
さてSunday Telegraphの取材で彼はいつものように率直な意見を述べたまではよかったが、女性の雇用問題で“女性は男性同様知性もあるが、男性に比べ一つのことに熱中しようとしない、またビジネスに必ずしも野心的ではない。女性の場合、子育てとか彼女らになすべき別のこともある。彼女らはいずれ結婚するであろう。そこで妊娠し更に9ケ月は仕事にならない、とやってしまった。これにThe GuardianとかDaily Telegraphがかみついた。信じがたい偏見とか、旧式で中世の人間のようだとか,さらにGlencoreの新会長には受け入れ難い。企業統治に問題あり。等々。
Simonは早速声明を出し女性の役割についてのコメントによって生じた無礼に陳謝する、私は役員会とか会社の構成上男女のequal opportunityを100%支持する。公的にも私的にも女性の支持のないビジネスは競争力がない。と白旗を掲げた。だが、一方でSimonの前に会長に擬されていたBPの会長John Brown 卿について「ロンドンの英領内の貴族より香港では誰がよく知られているかをGlencoreのCEO, Ivan Glasenbergが考えたのだろう。また彼はもっと荒々しい何かを願ったのかもしれない」と余計なことをしゃべってしまった。それにしてもSimonは相変わらず、ずけずけ言う。
上場はロンドンではまずまずの成功、香港では商品相場の下げもあって心配されたが順調に上場を果たした。他方、会社として穀類での裁判沙汰とか、欧州投資銀行が企業統治に問題ありとて新規融資凍結などの問題を抱えてはいるが何とか切り抜けるとの観測で上場が船出した。
最後にSimon Murray氏の実像について触れておこう。(一部は彼の自伝による)
彼は1940年に英国で生まれた。ある程度裕福な家庭であったらしいが、どのような事情からか彼は学校生活をdrop-outしフランス陸軍の外人部隊に入り、5年間アルジェリアのパラシュート部隊でゲリラと戦った。その後極東を目指し香港のJardineで14年間働いた。更にproject advisorとしてDevenham社を立ち上げ、84年に李嘉誠にその会社を売り、自らはその後Hutchisonのトップを10年務めた。94年にドイツ銀行グループ・アジアの会長とか、mobile phoneの会社、投資会社などを設立しいずれも成功した。ロスチャイルド家とか李嘉誠など巨大投資家に気に入られるといった彼には特殊な才能があったのだろう。
さて冒頭にadventurerのことを書いたが実際に彼は大冒険家でもあった。2004年64歳で他人の援助なしに2ヶ月をかけ1200キロを踏破し南極点に到達している。(ギネスブックにも世界最高齢での踏破として載っている)。その前に60歳でモロッコ砂漠242キロ完走とか、奥方とヘリコプター操縦とか、年齢を感じさせない体力の持ち主だ。(奥方はヘリで世界一周をした最初の女性)実業界でも大成功者だが凡人には及ばない気力と体力を併せ持った仁だ。英国女王からCommander of the British Empireの爵位を授けられている。
節制もしたのだろうが実に多才な人物だ。元々Glencoreの上場のために担ぎ上げられたので上場成功後に同社を退任しそろそろ引退するのかと思っていたらその後もいろいろな会社の役員をやっている。何れにしても実にタフな人物だ。

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