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「我が国の歴史を振り返る」(63) 「日本国憲法」の寿命

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▼はじめに

近頃、一昔前まで「55年体制」と称して自民党と政界を2分した日本社会党(現在、社会民主党)が福島瑞穂党首一人になったことがニュースになりました。

このようなニュースに接すると、かつては土井たか子、村山富市、それに「国家の爆弾男」との異名があった楢崎弥之助議員などそうそうたる顔ぶれが国家の議論などで(良し悪しは別にして)いつも躍動していたことが思い出され、“時の流れ”を感じざるを得ません。

社会党は、護憲・平和主義、そして非武装中立を党是にして活動していましたが、その勢力が国会を2分していたということは、冷戦時代真っただ中の当時であっても相当数の国民もそのような精神(思想)を保持していたということなのだろうと思います。

我が国を取り巻く環境は、当時とは様変わりしました。さすがに最近は非武装中立を唱える人はほぼ皆無になったようですが、社会党から巧妙に名前を代えつつ、依然、護憲を唱える政党もありますし、多くの憲法学者などの有識者もその考えを変える兆しはなさそうです。私などは、つい“不思議な国”と思ってしまいます。

▼憲法が定着した背景

さて前回の続きですが、憲法第9条については、「日本の再軍備の可能性は皆無だ」と「極東委員会」に印象づけたいマッカーサーの意向を代弁するように、吉田首相が(こともあろうか)共産党の野坂議員の質問に答え、「自衛戦争(正当防衛)そのものを否定する」と発言したこともあって、第9条改正の敷居が一挙に高くなってしまいました。

この後、有名な「芦田修正」によって、我が国は再軍備の可能性を残したような格好になっていますが、(前回取り上げたように)「マッカーサー3原則」示達時に、GHQ首脳部には自衛権容認のコンセンサスはすでに出来上がっており、吉田首相はこのことを知らずに突っ走っていたともいわれます。

「芦田修正」を受けた「極東委員会」が「閣僚は非軍人に限る」を要求し、第66条第2項に「文民条項」が挿入されたことで、この問題は一応の決着をみます。

このあたりの経緯については、「“マッカーサーよりマッカーサー的だったとされる”吉田首相の軽率でかたくなな姿勢が将来の我が国の政策を縛ってしまったことは否めない」との岡崎久彦氏の解説が的を射ていると言えるでしょう。

その後、占領政策は、東西冷戦の激化など国際情勢の急激な変化、中でも「朝鮮戦争」によってその方針の大幅変更を余儀なくされます。それでもマッカーサーは、「朝鮮戦争」勃発までは、我が国の再軍備反対の論陣を張ります。

そして「朝鮮戦争」勃発によって、自衛権などの基本的な問題を棚上げしたまま、憲法では全く謳われてない「警察予備隊」を発足させ、「保安隊」を経て今日の「自衛隊」が創設されます。

さて、占領下という、類似の環境で制定された「ドイツ基本法」と「日本国憲法」はよく比較されます。ドイツにおいては、条文そのものはドイツ人の政治家や法律家からなる議会評議会が起案しますが、連合軍の認可を受ける必要がありました。

一方、東ドイツが分離したこともあって、名称を憲法ではなく「基本法」として、最後の146条に「ドイツが国民による自主憲法を制定した時(ドイツが統一した時)、“この基本法は失効する”」と明文化しました。

しかし、60回以上も改正を重ねた「基本法」自体が国民から広く支持を得るに至ったことから、統一後も事実上の憲法としての地位を確固たるものにしています。

それに対して、同じ占領下で、押し付けられた憲法にも関わらず、我が国では、「日本が独立した暁には、この憲法の効力を失効する」との付則をつけるような知恵は働かなかったのでしょうか。

実は、憲法が公布される直前の昭和21年10月17日、「極東委員会」は新憲法の再検討の規定を定め、これに従って、マッカーサーは吉田首相宛に「憲法施行後1、2年のうちに、憲法は公式に再検討されるべきと合衆国は決定した。その際に連合国が必要と考えるならば、国民投票の手続きを要求するかも知れない」旨の書簡をもって通告します。

その通告の真の意図については種々の解釈があるようです。実際に、日本が統治権を回復しない段階において、前述のように再軍備をめぐる議論はありましたが、GHQが憲法を再検討したという記録はありません。しかし、少なくとも吉田首相は、この通告によって“憲法の寿命”を知っていたはずです。

そして、新憲法公布から6年後、「サンフランシスコ講和条約」が発効した昭和27年4月28日、我が国は主権を回復して独立します。

独立時に、依然として首相の座にあった吉田は、改憲の発議さえしておりません。それどころか、その政策、つまり軽武装・高度成長路線が「吉田ドクトリン」としてなぜか保守の論客から高い評価を得ています。

吉田自身も「奇跡の経済発展だった」とその政策を自画自賛しておりますが、「歴史的評価を加えるなら、これこそ犯罪的である」(宮崎正弘氏)のような酷評もあることを付記しておきましょう。

以来、“吉田学校”の生徒らは憲法改正に手をつけないまま70年あまりの歳月が過ぎ、憲法は1字1句も改正されないまま現在に至り、188ヶ国中14番目に古い憲法(改正なしという点では現存する世界最古の憲法)という位置づけで君臨し続けております。

▼「憲法学の病」

その根本的な要因は、我が国には戦前の「枢密院」やドイツの「連邦憲法裁判所」のような“憲法の番人”がいないことにあるとの指摘もあります。官僚からなる「内閣法制局」のような“法の番人”がいないわけでありませんが、“憲法の番人”としてはあまりに非力なのは明白です。

その役割を担っているのが憲法学会なのかもしれません。その憲法学会のヒエラルキーのトップに立つのは、“秀才ぞろい”の東京大学法学部なのでしょう。

しかし、素人の素朴な疑問を加えさせていただければ、憲法制定時の調査委員でもあり、(毎日新聞に暴露されたように)GHQ案とは全く違う考えを持っていた宮沢俊義氏の流れをくむ東大法学部にもかかわらず、なぜそろいもそろって護憲派しか輩出しないのか、不思議でなりません。

しかし、この宮沢は、(個人的に理解できないので省略しますが)「8月革命説」を唱えるなど、戦後GHQにすり寄って偏向した人の筆頭に掲げられていることを知り、そして最近、「問題は憲法じゃない。憲法学者だ!」(篠田英明著『憲法学の病』)との指摘を知り、「これこそがマッカーサーの狙いだった」と不可解ながらも自らを納得させております。

▼憲法改正について

これぐらいにしておきますが、「第9条は昭和憲法の礎石である。第9条の上に戦後日本が作られた」として「敗北直後の虚脱状態にあった日本国民から、『平和』という甘い言葉を使い、『愛国心』と『誇り』を誘い出し、マッカーサーは素手で扼殺(やくさつ)した。その死体が第9条である」と西悦夫氏は「戦争放棄」についてその本質を語っています。

最近、ようやく「自衛隊という言葉を憲法に明記する」(だけ)の憲法改正が取りざたされていますが、上記のような憲法第9条に潜む本質に加え、元自衛官としては、「自衛隊」(Self Defense Force)という言葉自体が今後、見直されることなく半ば永久に残ってしまうことへの違和感もあって、安易な改正には賛成しかねるというのは本心です。

それに、自衛隊においても「宇宙作戦隊」の創設やサイバー戦が現実のものになった今、憲法上の制約から来る「専守防衛」の領域に宇宙やサイバーが入るとは到底思えないことから(なぜかだれも議論しませんが)、“詭弁を弄するのももはや限界”なのではないかと考えてしまいます。

この度の新型コロナでその必要性を知ることになった「緊急事態条項」や「環境条項」を含めて、そもそも「憲法とは何なのか」や「国の“形”はどうあるべきか」などについて抜本的な議論をしてほしいと願うものです。現下そして予想される我が国を取り巻く厳しい環境を熟慮して“手遅れになる”前に。

そのためにも、憲法学者などGHQの呪縛(マインド・コントロール)から抜けきれない人達の“病”に効く特効薬かワクチンの早期出現を切に願うものであります。

▼日本改造の真意

 GHQは、憲法の制定以外にもあらゆる分野にわたり日本改造を断行したことはすでに取り上げました。

多くの日本人は、スポーツ、そして音楽や映画鑑賞などが大好きです。この度の新型コロナによる制約を経験して、改めてスポーツや映画や音楽が持つ“特別なパワー”を感じてしまいます。

しかし、これらが自由になった背景に、「国民を娯楽に目を向けさせることで、社会生活上の様々な不安や政治への関心を逸らす」とのGHQの意図、つまり、あまりに厳しい占領政策に対する暴動を恐れた“ガス抜き”の下心を有する「愚民化政策」の一環であったとの事実を知れば、私達は、立ち止まって考え直す時期に来ているのではないでしょうか。

「3R・5D・3S政策」

もう少し詳しく触れてみましょう。「敗戦国が勝利した側に徹底的に国家改造された例は、紀元前2世紀の古代ローマに敗れたカルタゴしかない」と言われるほど、日本とドイツに対する国家改造は徹底したものでした。

すでに説明した政策も含まれていますが、その基本原則は「3R・5D・3S政策」といわれるものです。思想家・哲学者の安岡正篤氏は、この政策の本質についてGHQのガーディナー参事官から直接聞いたと証言し、細部を紹介しています。

まず、改造の「基本原則」である「3R」政策とは、①Revenge(日本に対する復讐)、②Reform(改組:日本の仕組みを作りかえる)、③Revive(復活:日本の独立を許す)です。

「3R」について、安岡氏は「生々しい戦場から日本に乗り込んだ占領軍が復讐心に燃えていたのは無理もなく、その第1は復讐だった。第2の改組は、従来のあらゆる組織を抜本的に組み替える。そしてそれができたら、抹殺してしまうのは非人道的だから第3の独立を許す、というものだった」と占領軍の意図を分析した上で、「この点では、アメリカが占領軍でよかった。共産国だとどうなったか予測つかなかった」と安堵の気持ちを紹介しています。

確かにこの点は全く同感です。共産国が占領すれば、現在の北朝鮮やあり日の東欧諸国などの“現実”を見るまでもなく、「改組」も「復活」も全く違ったものになったことは容易に想像がつきます。

次の「5D」は「重点的施策」で、次の5つの政策です。①Disarmament(武装解除)、②Demilitarization(軍国主義の排除)、③Disindustrialization(工業生産力の破壊)、④Decentralization(中心勢力である行政組織や財閥等の解体)、⑤Democratization(米国型民主化)です。

少し補足しますと、①「武装解除」と②「軍国主義の排除」の背景には、「米国が日本を守ってくれる」ことが担保されていたため、結果として、日本人に「日本の軍事については米国に依存すればいい」という傍観者意識を植え付けることになりました。

③は、軍国主義を支えた産業力を打ち壊すというものであり、④の「中心勢力の解体」には、内務省を解体し、警察を国家警察と地方警察に分解することや財閥解体も含まれています。

⑤「米国型民主化」には、当然ながら、新憲法による天皇の象徴化、神道の国家からの切り離しや国旗掲揚の禁止、教育勅語の廃止なども含まれます。

そして、これらの政策や施策を円滑かつ活発に行なわしめる潤滑油的な補助政策が最後の「3S」政策でした。「愚民化政策」といわれるもので、①Sports(スポーツの推奨)①Screen(映画)、③Sex(性の解放)です。

 総じて言えば、「3R・5D・3S政策」とは、日本に対する復讐(R)をなすため、戦前の日本の仕組みを破壊(D)し、それに伴う不満のはけ口(S)を用意するという“極めて巧妙な占領政策”だったと言って過言でなさそうです。

この政策は、茫然自失に陥っていた日本人に対する宣伝工作(心理戦)として絶大なる効果を奏しました。「これに乗じた野心家が輩出された。日教組がその代表であり、悪質な労働組合言論機関の頽廃(たいはい)、こういったものは皆、この政策から生まれた」(安岡氏)との評価もあるように、実際に、日本国民の多くは、自分達の私益追求を最優先し、それ以外は何も考えないようになるなど“骨抜き”にされたのでした。

そして、それまで「鬼畜米英」と叫び続けていた日本人は、すぐに「進駐軍様様」となり、日本人が持ち続けてきた強烈な国家意識は“雲散霧消”してしまいます。それらを象徴するのが、占領下の日本人がマッカーサー元帥宛に直訴した投書「拝啓マッカーサー元帥様」であり、推定で約50万通あったといわれます。

これらの手紙を取りまとめて書籍にしている戦後史研究家の袖井林二郎氏は、「もともと人間は権威に寄りかかりたがる動物だが、日本人にはその傾向が“民族性”といっていいほど強い」と総括しています(続く)。

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