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「我が国の歴史を振り返る」(特別寄稿)『世界の動きとつなげて学ぶ 日本国防史』完成です。

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▼はじめに(書籍化奮戦記)

 「戦略検討フォーラム」の読者の皆様、ご無沙汰しておりました。『我が国の歴史を振り返る』を今年の夏まで83回にわたり連載していた宗像です。多くの皆様に本メルマガをお読み頂きましたことに改めまして心より御礼申し上げます。

メルマガ発信の途中から書籍化を決意し、悪戦苦闘しながら約1年あまりが経ちました。当初、「メルマガのような締め切りはないので楽だろう」と思ったのが素人の浅はかさでした。

あまりに長かったメルマガの原稿をほぼ半分に縮めるという作業は、正直申しますと、新たな原稿を書き出すと同じぐらい、いやそれ以上に大変な作業であることを体験しました。

引用した文章などをすべて原本から再チェックし、書き過ぎた所は削除し、逆に舌足らずだったところは付け加え、とりあえず体裁を整えましたが、それでも出版社の要望の約1.5倍のボリュームとなり、それから2度にわたり、さらなる要約のため原稿と向き合い、最終的には380ページまで落とし込みました。

しかし、本当にのたうち回ったのはこの後でした。難を極めたのは、誤字脱字のチェックを含めた推敲作業です。当初は、パソコン画面での推敲でしたが、それでも1回の推敲で1週間ほどの作業になりました。その後、実物のゲラに向き合っての推敲です。パソコン画面で完璧と思っていたものが、紙のゲラと向き合うと誤字脱字のなんと多いことに自分自身あきれ果てました。

こうして、出版社とゲラをやり取りすること3回、9月はじめ、ようやく最終ゲラを完成させました。ただ、最終ゲラに及んでも修正箇所を記す付箋紙が63枚もありました。歳のせいか、私のずぼらな性格のせいか、印刷された本書にもまだ誤字脱字のたぐいが残っているとことでしょう。

その上、見方によっては、「史実と違う」とのクレームもあるだろうと予測していますが、こちらは「100人おれば100人の歴史がある」との岡田英弘氏の言葉で反論しようと心に決めております(笑)。

さて、最終ゲラの完成に続き、次は、書籍のカバーの選択、表紙の裏の紹介文の作成、そして帯の表と裏の文言の作成と作業は続きます。そのなかで、“いかに読者の手に取らせるか”“いかに読者の興味をそそるか”などの「プロの技」にはまさに脱帽でした。改めて、出版業を生業としている人たちを恐れ入り、尊敬する瞬間でもありました。

これらの経験から、ベストセラーを一生の間に何冊も書きあげるような人たちは、毎回、心血を注ぎながら文章を書きあげ、その上、このような根気のいる、大変な作業を実施していることに初めて気づき、ただただ頭が下がる思いです。私は「一生に一冊」で十分と思った次第です。

しかし、思えば本当に長い道のりでした。「戦後の常識となっている日本の歴史は何かおかしい」と気づいて、「史実」を求めて歴史にのめり込んでから約20年が経ちました。本書の巻末にとりあえず、自分の部屋で見つけた参考文献をリスト化した所、280冊を越えました。図書館などから借りたり、電子図書などを含めるともう100冊ぐらいの関連文献を読み漁ったと思います。

そして、公益社団法人自衛隊家族会の「おやばと」紙上でシリーズ化して少しずつ書き始め、メルマガで発信開始してから書籍化まで、数えると約5年の歳月が流れました。

私自身は歴史全般を幅広く振り返っていましたが、書籍化に当たっては、おこがましいですが、軍事の専門家の視点を重視して、テーマを「国防史」に絞りました。サブタイトルとして、メルマガでは“横串”と表現していたものを「世界の動きとつなげて学ぶ」としました。こうしで完成したのが、

『世界の動きとつなげて学ぶ 日本国防史』です。

 本書は、これまでとは少し違った視点(切り口)で、我が国の歴史、特に国防史について、一石を投じることが出来たのではないかと自負しておりますが、どうように感ずるかは読者次第です。東京裁判史観、つまり自虐史観で凝り固まった人たちには良くて馬耳東風(つまり無視)、最悪、危険な修正主義との烙印を押されるかも知れません(笑)。

限界はありましたが、少なくとも、偏らず、史実をとことん突き詰めていくと、違った歴史がある、あるいは、違った見方ができるという点は表現できたのではないかと考えます。

▼新たな「ルーズベルトの陰謀」発見!

私の歴史探訪はまだ続いております。ほぼ20年にわたる習慣は簡単には直らないもので、週に1ないし2度は本屋に顔を出し、しかも自分の足は、勝手に歴史書などが並んでいるコーナーに向かい、いつの間にかおもしろそうな歴史書を漁っています(笑)

つい先日も、オランダ判事レーリンクの東京裁判日記『敗戦は罪なのか』(産経新聞パリ支局長三井美奈著、本年8月18日第1刷発行)を見つけてしまい、さっそく購入して急ぎ読破しました。

レーリンクものちに「東京裁判は間違いだった」と告白した一人なのですが、日記には、東京裁判の判決に至る様々な葛藤の様子が克明に描かれており、多くの「新たな事実」を知ることになりました。

その中で最も興味深かったのは、米太平洋艦隊司令官だったジェームズ・リチャードソン提督が、東京裁判において検察側証人として来日した際に、レーリンクに語ったといわれる証言です。

リチャードソン提督は、ハワイへの主力艦隊常駐に反対し、1940年、ルーズベルトに「日本攻撃を誘発する」と直接抗議し、翌年、司令官を解任されます。リチャードソンは、裁判ではルーズベルトの謀略論には与することはなかったと言われていますが、ルーズベルトの真意を疑っていました。

少し長くなりますが、レーリンクがリチャードソン提督から聞き、1946年11月時点で妻に書き送った書簡を紹介しましょう。

「1940年10月、彼(リチャードソン)は司令官として、ルーズベルト大統領に呼ばれた。彼は『大統領、太平洋で戦争をするのですか』と尋ねた。ルーズベルトは『ジャップがシンガポール、あるいは蘭領東インドを占領しても、そうはならない。(米領だった)フィリピンを占領したって、米国人は戦争をしたがるとは思えないね。しかし、彼らが過ちを犯せば、私は宣戦布告できるようになる』と言った。リチャードソンによれば、ルーズベルトは戦争をしたがっていた。真珠湾攻撃という過ちが起きなければ、米国民は戦争をしたがらなかっただろう。

奇妙なのは。ジャップが米国人の『無関心』をあてにしたことだ。米艦隊に触れなければ、ほかにできることがあると考えなかった。米国が、すぐに交渉したがると信じてしまった。リチャードソンによると、ジャップは、米国の独立戦争から勘違いをした。独立戦争で英国は、弱いから負けたのではない。関心が薄く、全力を尽くさなかったから負けた。日本は、米国民も同じように関心が薄いから、太平洋を明け渡すだろうと思った。しかし、真珠湾で米艦隊が大打撃を受け、一夜にして状況は変わった。米国民の95%が戦争反対だったのに、95%が戦争を支持するようになった」。

 メルマガ執筆時にはまだ世に出ていなかったですが、このような史料も明らかになったことから、本書執筆の最終段階で、一部を中略しつつ原文のまま引用しました。

要は、真珠湾攻撃の約1年以上も前、さらに言えば、山本五十六長官が及川海相に「開戦劈頭に敵主力艦隊を猛撃爆破し、米国海軍及び米国民をして救うべからざる程度にその志気を阻喪せしめる」と書簡を送った1941年1月の約3カ月前に、ルーズベルト大統領はそのような“過ち”を期待し、仕組んでいたことになります。山本長官はまんまとハマったのでした。

これは、日米交渉など最初から妥協する気が全くなかったことを示す証拠でもあるでしょう。しかも米国は、日本の暗号を解読し、日本の機密外交電は筒抜けとなっており、日本側の考えとか行動を手に取るようにわかっていたのです。

そして、当初の計画通り、「リメンバー・パールハーバー」と米国人を煽り立て、日米開戦に踏み切ると同時に、チャーチルとの約束どおり、欧州戦線にも参戦します。その延長の果てに、トルーマンは、真珠湾攻撃の復讐とばかり広島と長崎に原爆を落とし、東京裁判では。日本の行為を「有罪」として裁きます。

これが、戦後の日本人が習い、「日本が悪い」と信じ込まされてきた大東亜戦争の歴史の紛れもない真相です。チャーチルが語ったといわれる「歴史は勝者によってつくられる」は、逆な見方をすれば、“勝者によってつくられた歴史は必ずしも史実ではない“と言える典型と私は考えます。

▼「この国民にしてこの政府あり」

 本分にもイギリスの歴史家カーライルの「この国民にしてこの政府あり」を引用していますが、先般の総選挙の結果、岸田総理大臣が第101代目の総理大臣として選出されました。

 日本は、1885(明治18)年に内閣制度が制定され、伊藤博文が初代の内閣総理大臣になって以来、2021年までの136年の間に、101人の総理大臣が誕生しました。平均在任期間は1.35年です。

アメリカの大統領は4年で再選あり、韓国は5年で再選なし、中国の国家主席は、選挙を得ずして(つまり、国民の意思に関係なく)共産党から選ばれ、通常は2期10年ですが、その任期制限も撤廃されようとしています。

ロシアも最近、選挙を実施しましたが、野党候補がまともに立候補できない中でプーチン与党が多数を占め、プーチンの続投が決まったようです。北朝鮮に至っては、未だ世襲を維持し、建国して76年あまりの間に主席はわずかに3人目です。日本人が比較するのが大好きなドイツにおいても、今回引退するメルケル首相は16年間も首相の座にありました。

立憲君主制と言いながらも実際の政治を行うのは政府(内閣)なので、戦前も戦後も内閣の寿命が短いという点で、日本は他国に比して極めて異質です。 

それにしても、官僚組織にあっては、1つの職務を1年ほどで交代するという場合もありますが、民間会社の社長が1年少しで交代などというのは、不祥事以外考えられないでしょう。そのような短時間では中長期的な経営計画を全うできないのは明白だからです。国の政策も同じと考えます。だから「失われた30年」と揶揄されるような状態に陥ってもだれもその責任を追及されないのです。

東京裁判では「共同謀議」と裁断されました。その実態は、60年の間に42人の総理を輩出しましたので、同じ人が何度も再任されることはありましたが、平均在任は1.4年でした。憲法からくる制度上の欠陥もあり、ルーズベルトやチャーチルのように、大統領や首相のような立場にある者がリーダーシップを発揮できる状況になく、言葉を代えれば、長期的に一貫した「共同謀議」ができるような統治体制でなく、結果として軍人の暴走を止めることができず、ついには戦争に突入、敗戦しました。

戦後は、76年の間に59人、平均在任は1.3年で、戦前より短くなっています。最長記録を作った安倍元首相のような長期政権は異例中の異例で、菅総理になってまた短命政権に戻りました。総選挙中にも憲法改正を唱えている候補者もおりましたが、1年余りの短期間で実現するとはとても考えられません。

短命政権に問題があることを歴史から何も学んでおりません。いや、このような“歴史の繰り返し”にだれも疑問を持たず、異常とも思わないのです。理由は簡単でしょう。歴史を学ばないからです。

何を言いたいかといいますと、これはほんの一例にしか過ぎないのですが、日本には「この制度がおかしい」とだれかが勇気をもって声に出し、知恵を出す、そのような「風土」がないことが問題なのだと思います。政治家も学者も官僚も・・・だから、声高に、時に間違った持論を述べるマスコミ人のみが目立つのです。

その根本が、主権者たる国民の「精神」にあることは明白でしょう。今回、共産党と連係した立憲民主党が一部マスコミの前評判(期待?)とは逆に議席を落とす結果になるなど、国民の「精神」がまだ正常であることを示しましたが、マスコミに煽動された国民の精神は「世論」となって為政者達の判断を狂わす構図は戦前も戦後も変わりません。

まさに「この国民にしてこの政府あり」なのです。一部の国民は気づき始めたのかも知れませんが、多くの国民が、我が国を取り巻く、様々な厳しい環境を考えた時、バラマキ政策など目先の利益に振り回されるような「精神」であってはならないことにそろそろ気づかなければならないと私は思います。

▼歴史を取り戻そう!

私は、健全な国民精神を涵養する最適な手段は、歴史を学ぶこと、つまり「歴史を取り戻す」ことだと考えています。実はこれは意外にやっかいなのです。

メルマガでも紹介しましたが、本書の「おわりに」に、「歴史観はどのように身に着けるか」に触れました。偶然にインターネットから見つけたものですが、「日本の歴史をまともに教えられる人が限られているので、歴史の本を読むしかない、とにかく量を読みこなすうちに、自分の呼吸に見事に重なる歴史に出会う」とあり、私の歴史探求と全く同じ手法が書かれていました。

私の場合は約20年かかりました。個人的には楽しい歴史探訪ではありましたが、それにしても、この方法で「歴史」を探求するのでは時間ばかりかかって大変だろう。それならば、まず入門書のようなものを書こうと思い、メルマガをはじめ、その後、国防に絞って書籍化を目指しました。

私は霊感のようなものは全くありませんが、本書を執筆中に幾度も不思議な体験をしました。ある時は、夜中にふと目が覚め、パソコンに向かい、一挙に文章を書きあげる、つまり「文章が降りてくる」ということもありました。自分の意思や考えとは別物の、目に見えないパワーが働いていると感じたり、だれかが背中を押していると感じたりもしました。

そして、本書の最終ゲラを完成させた時、何か憑いていたものが離れていくような爽快な気分も味わいました。告白しないまでも、高名な作家や執筆家の先生方も同じような体験をしているのかも知れませんが、私にとっては、何もかも初体験でした。そして今、時々本書を読み返しますと、“自分で書いた文章であることを忘れるような錯覚”に陥ることがあります。本当に不思議な感覚です。

 私達は、約500年にわたる激動の国防史において、西欧列国の植民地化を回避するために、後世からみれば失敗も過ちもあったかも知れませんが、その時代時代のリーダーたちがありったけの知恵をしぼり、その上、名もなき多数の先人たちが国防のために身を捧げられ、その事実さえも歴史の彼方に消えてしまったことをもっとよく知る必要があります。

それら多数の先人たちに敬意を表し、感謝する気持ちになることが、「歴史を取り戻す」ことであり、先人たちの犠牲を無駄にしないで、歴史から多くの「知恵」を学び、未来に活かすことがせめてもの恩返しであると、本書を完成させた今、私はよけいに確信するようになりました。

本書が、国防史の「入門書」として、そしてまた、一人でも多くの皆様に歴史に関心を持ち、「歴史を取り戻す」きっかけになれば、望外の喜びです。皆様、もっと歴史を学び、歴史を味わって下さい。よろしくお願い致します。

お問い合わせは、並木書房(03-6903-4366)まで

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