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「我が国の歴史を振り返る」(82) あとがき(その2)

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▼はじめに

 本歴史シリーズもいよいよ今回が“ラス前”になります。前回から「あとがき」として「歴史に学ぶ4つの知恵」をまとめていますが、今回は、自らの経験も踏まえ、国防の中核たる「軍事力」、および「国の制度」について取り上げます。

▼「相応の力をもつこと」

前回に続く「歴史に学ぶ4つの知恵」の第2は、「相応の力をもつこと」です。人類の歴史は、力の空白、あるいは極端な彼我の力(特に軍事力)の較差が植民地支配や戦争を引き起こす要因となったことを何度も教えてくれています。

この歴史に学び、活かすために、私は、日本人の多くがマイナスのイメージを持つ「軍事力」とか「軍隊」に対するイメージを払しょくする必要があると考えます。

最近まで国家安全保障局次長を務められた兼原信克氏は、近著『歴史の教訓』のまえがきに、(戦前の我が国の戦いを軍の暴走を決めつけつつ)、なぜ日本が「人類社会の倫理的成熟を待てなかったのか」と外務官僚的な視点で問題提起しています。

異論を唱える気はありませんが、兼原氏は「人類社会の倫理的成熟」を“合意に基づく自由主義的な国際秩序”と定義しています。では、現在、国際社会がその域に到来し、「成熟」しているかと問えば、私は依然として「No」と考えますし、仮に「成熟」しているとしても、その「成熟」が未来永劫に維持されるかと問えば、それも「No」と考えるべきと思います。

国際秩序の合意には、独立国たる各国の利害が必ずぶつかりますし、合意の決め手は、人口とか経済力とか環境のような場合もありますが、国と国のバイタルな問題の場合、実際の戦争が生起するか否かは別にして、その合意に軍事力(特に核戦力)が“モノを言う”のは歴史が証明したとおりであり、将来、この構図が簡単に変わるとはとても思えません。

軍事力の撤廃(さすがに最近は、“非武装中立”を唱える人を見かけなくなりました)、その延長で、“核兵器の廃棄”なども理想としては正しく、それを唱えることに価値を見出す人々の主張を否定するものではありません。

今年1月にも「核兵器禁止条約」が発効されましたが、当然、我が国政府は批准しませんでした。広島や長崎の悲惨な体験を2度と繰り返さないためにこそ、感情論に左右されず、「抑止力」としての核兵器の存在を肯定する政治判断がゆらぐことはないと確信します。

残念ながら、「核兵器禁止条約」が非保有国などの間で発効されても、現実の問題としてこの世から核兵器がなくなることはないでしょう。まして、通常兵器がなくなることは絶対ないと断言できます。

そのような前提において、私達は、「軍事力」あるいは「軍隊」を「戦争の道具」あるいは「殺人集団」として“刷り込まれた誤解”を払しょくし、再定義するする必要があると考えます。

元陸上幕僚長の冨沢暉氏は、自書『逆説の軍事論』の中で、「軍隊」を「武力の行使と準備により、任務を達成する国家の組織である」と再定義することを提唱しています。

氏は、「軍隊」というと、戦闘機、軍艦、戦車などを使用して敵を攻撃する「武力行使」の手段のイメージが強いが、「準備」の方が大切な意味を持っていると解説します。

そして、戦場で実際に武力を行使するのではなく、ある地域に武力を持った部隊が存在することが戦争を抑止し、平和にとって重要な役割を果たすことが多々あるとし、我を攻撃すれば、相手がそれ以上の損害を受けるリスクがあると考えて動けない。つまり、軍隊の存在は、こうした「抑止力」としての意味が大きいと結論づけます。

私達は、人類社会の現実として「軍事力が不要な世界にはなっていない」と認識のもと、現下の情勢下にあっては、“軍事力は「抑止力」こそが最大の使命”と位置づけ、まさに我が国ように「防衛力」として必要最小限な機能と量、つまり「抑止力」として有効なレベルを維持する必要があるのです。

そして、日進月歩する情勢下、様々な角度から「抑止力」としての有効性を常にチェックし、その価値が減じないようにしなければなりません。中でも、核抑止力については、日米同盟に100%依存している現状を見直し、周辺情勢の変化を踏まえ、そろそろ核アレルギーから脱却してより有効な抑止戦略を議論する時期に来ているのではないでしょうか。

「防衛力の強化は軍拡競争になる」と反対する人達がおります。軍事を知らない人達の理論と考えますが、「軍拡競争」とはおおむね対象国と量質ともにパリテイ、つまり同等の力を持つ国同士の競争を言います。

周辺国、特に、共産党率いる中国にあっては、「軍拡競争」などと国内からブレーキがかかる心配も批判もありません。その結果、長い間、共産党政権の思うままに、質量ともに軍事力を拡張し続けていることは防衛白書などで指摘のとおりです。

日本は、一部、質的優位にある機能もないことはないですが、全般的にはすでに大きく水をあけられました。特に核兵器の有無は決定的です。つまり、ちょっとやそっと我が国が通常兵器の防衛力を増強したからとしても、追いつけるようなレベルではありません。

中国の場合、注目すべきはその「能力」だけでありません。昨年10月14日、広東州の海軍陸戦隊(中国版の海兵隊)を視察した習近平は「全身全霊で戦争に備えよ」と訓示したことが話題になりました。

また、10月25日の朝鮮戦争参戦70周年式典においては、当時のスローガン「抗米援朝」を使って政治宣伝を展開し、当日、習近平は、「脅かしや封鎖、極端な圧力は行き詰まりに陥るだけだ」などと述べ、米国を強く牽制しました。

その後、香港問題や新彊ウイグル問題もあって、米中対立が益々深まっていますが、軍事的な意味で米国に対する“敵意むき出し”のスローガンを使い始めたことで、昨年後半以来、両国の対立はワンステージ上がったと判断すべきでしょう。

共産党政権の常套手段である“国民への鼓舞”が主目的とはいえ、「能力」のみならず「意図」もヒートアップしてきたことは要注意です。しかも、米中対立の“戦場”が、南シナ海や台湾の解放を含む東シナ海にあることも明らかです。我が国にとって、決して“対岸の火事”では済まされないのです。

本来、軍事力の増強にひた走る中国などに向かって「核兵器撤廃!」とか「軍事力削減!」を声高に叫ぶべきなのですが、国内の活動家達やそれに同調する人達はその“そぶり”すら見せません。不可解ですし、何か“別な意図”があると考えざるを得ないのです。

いずれにしても、放置すれば、益々較差が開き、「軍事的空白」になる可能性さえありますので、節度ある防衛力の整備は、国家防衛のみならず、「日米同盟」の強化、その延長で「自由で開かれたインド太平洋」構想実現などのために必要不可欠と考えます。

併せて、歴史の中の「統帥権の独立」、つまり「軍隊」の暴走の歯止めとしての「シビリアンコントロール」の強化が重要なのは言うまでもありません。それについても少し触れておきましょう。

現状のシビリアンコントロールの最大の問題は、コントロールする側の為政者、つまり我が国のリーダーをはじめ、それを選ぶ主権者たる国民、そして大部分の官僚達の軍事的知識が乏しいことにあると考えます。

将来、自衛隊が昭和初期のように暴走する可能性は万が一にもないと断言できます。逆に、実際に起こる可能性が高いのは、軍事的知識の乏しい為政者が、感情のなすがままのポピュリズムに煽られて誤った命令・指示を出すことだろうと考えます。

民主党政権の時、尖閣諸島の国営化に抗議する反日デモの嵐が中国で吹き荒れていました。そして抗議の意思を持つ中国の艦艇が尖閣諸島までどんどん接近してきて、約30キロまで近づいてきたようです。

ちなみに、主権が及ぶ範囲である「領海」は基線から最大12海里(約22.2㎞)、「排他的経済水域」は基線から200海里(約370.4㎞)です。当時、異常な事態を目の当たりにした関係者は「戦争が起きるかもしれないと覚悟した」と告白しています。

その時、政府は、防衛省に対して、こともあろうか、「中国軍艦艇が目視できるであろう海域に自衛隊艦艇を展開させるな」との指示を出しました。指示を受けた自衛隊幹部は「開いた口が塞がらず、そのまま顎が外れそうになった」ことを告白しています(詳しくは「産経新聞」昨年10月14日朝刊、1面記事をご参照ください)。

まさに「寸土を失うものは全土を失う」の格言のとおり、この“防衛放棄”ともとれる指示が、現在、中国艦艇の領海侵犯がほぼ日常化している原因を作ったのです。このまま放置すれば、事態は益々深刻化することでしょう。

確かに当時の指示も一つの政治判断かも知れませんが、このような場合、政府(のだれかか)が独断で判断するのではなく、外務、防衛省など関係省庁とよく議論し、国家戦略と言わないまでも対処戦略を確立した上で、必要な命令指示を出すべきなのです。その意味では、安倍内閣の時代に「国家安全保障局」を整備したのは慧眼だったと考えます。

第2次世界大戦中、英国陸軍参謀総長のアラン・ブルックは、いつもチャーチルに臆することなく直言したことで有名ですが、「チャーチルの考えを忖度して、迎合するなら私の価値はない」旨の言葉を残し、かつそのようなアラン・ブルックを重宝したチャーチルの懐の深さを知るエピソードが残っています。

このように、コントロールする側とされる側が癒着するのではなく、緊張感を保持しつつも深い信頼関係を構築するのが理想です。そして、コントロール側の誤った命令・指示に対して、“軍事のプロ”として軍人的合理性に基づく判断を実施し、「No」あるいは「Yes」と言える自衛隊(官)でなければならないのです。当然、その上で、コントロールする側の「決心」に従うのはコントロールされる側の道理です。

また、いかなる任務遂行(戦い)においても、現場(戦場)での判断は自衛官達に託されます。「適切なシビリアンコントロール」のもとで、自衛官達が的確な状況判断をし、必要な行動ができるような「枠組み」をしっかり整備してほしいと願っています。

▼「時代の変化に応じ、国の諸制度を変えること」

さて、歴史に学ぶ知恵の第3番目は、「時代の変化に応じ、国の諸制度を変えること」です。これについては、何度も繰り返し述べてきました。

「国の制度」を変えることは膨大なエネルギーを要します。よって、戦争や天変地異などを経験し、それまでの体制の欠陥が露呈した時にはじめて、エネルギーが集約され、制度の改革に踏み出すことができたことを歴史は教えてくれます。

我が国の場合は、一度創り上げた制度をなかなか変えないという“国柄”があることも紹介しましたが、その結果がいかなる事態を招いたかについても、より深く、歴史に学ぶ必要があると考えます。

「治に居て乱を忘れず」「とか「備えあれば憂いなし」など先人達は様々な故事を残していますが、逆を言えば、ルトワックの分析のように、多くの場合、“治にあって乱を忘れ”、その結果、事前の予想以上の「乱」を繰り返し体験してきたのが人類の歴史なのです。

我が国の場合、どうしても国の制度の骨幹である“「日本国憲法」がこのままでいいのか”を議論することが最大の課題と考えます。

私個人も元自衛官の立場から「憲法はこうあってほしい」との考えを持たないわけではないですが、少なくとも「憲法に自衛隊を明記する」とか「憲法第9条第2項の取り扱いをどうするか」などの議論にとどまらず、我が国の国柄(国体というべきでしょうが)や歴史や国民性などを考察し、「そもそも憲法をいかに制定すればいいのか」について、時間をかけて根本から議論していただきたいと願っています。

その際に、議論を牽引していただきたい憲法学者と言われる人達の多くが「護憲」の立場を保持しているのが最大のネックと考えます。

そもそも、憲法などの法理論をツユほども知らない若き米軍人達が1週間あまりで創り上げた現憲法のどこに法理論上の適合性があるのか、素人の私にはどうしても理解できないのですが、秀才ぞろいの憲法学者がなぜ「護憲」の立場に留まるのか、その真の理由をぜひ聞いてみたいものです。

そのような中で、心ある「憲法学」の先生方には、我が国の行く末を真剣に考え、学者としての良心に基づき、“蛮勇”をふるっていただきたいと切に願っております。

最近ようやく、「国民投票法」が改正され、外国資本による安全保障上重要な土地の買収に関し、土地購入者に国籍などの事前届けを義務付ける「土地規制法」が整備されました。

憲法を中心に、“周辺国に隙を見せない”国家の諸制度を構築することによって、いささかなりとも“よこしまな行動”を誘発しないようにすることが国防上も極めて重要です。

そのことが即、米国など同盟国と相互の信頼関係を構築し、将来の安寧や平和を担保する、すなわち現在の「静」を一日でも長く持続させる手段であると断言します。

「歴史に学ぶ4つの知恵」の最後は、次回にしましょう。いよいよ最後です。(次号に続く)

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