丸山眞男先生が亡くなられて20年 ―激変する世界政治に思うことー
戦後日本を代表する政治思想の第一人者とされる丸山眞男先生が亡くなられて20年、近く先生のゼミ生だった30余人が集まって先生を偲ぶ会が開催されことになり、この機会に各自が先生の思い出を記した文集を活字にするとのことで、筆者も以下のような一文を草することになった。
法学部のTwin Peaks
筆者は、1950年から58年まで(法律学科学生、特別研究生として)法学部に在籍したが、当時は戦後日本の復興が漸く緒について、憲法の宮沢俊義、法哲の尾高朝雄、民法の我妻栄、川島武宣といった先生方が、論壇にも登場して脚光を浴びるような時代であった。この中でも、我が丸山先生こそ、文句なくトップスター的存在であった。
筆者がこの丸山先生に憧れて、丸ゼミに参加したのは、法学部一年の時に法律相談所で知遇を得た、後に裁判官として家族法の権威となられた高野耕一さんの示唆によるものである。高野さんは政治学科修了後、改めて法律学科に入り直されて司法試験の準備をしておられたが、大の丸山ファンで、屡々先生の自宅を訪問されていたが、筆者も誘われて在学中から卒業後も度々二人連れ立って吉祥寺の先生のお宅にお邪魔したものである。
当時はまだ、我々学生は旧制高校時代の名残リのように先生の自宅に平気で押しかけたものであるが、丸山先生はゼミの場合と同様、煙草を咥えたままあたりに灰屑をまき散らしながら滔々と話し続けられ、何時の間にか奥様が準備された夕食をご馳走になることがしばしばというようなお付き合いをさせて頂いた。高野さんが新婚ほやほやの時に、二人で丸山邸に長居をして高野さんは松戸の裁判官宿舎に帰れなくなり、都内の拙宅で夜を明かしたため新婚初の外泊となったりしたこともある。
このような貴重な先生とのお付き合いを通じ、筆者が教えられた最大の教訓は、西欧文明と如何に対峙するかという課題である。先生が逝去された翌年のある雑誌の巻頭言に「時代の変遷と座標軸—丸山先生の思い出—」と題する短文を執筆したことがある(中央労働時報916号)。この中で筆者は、戦後日本の社会科学は「専ら西欧の基準に依拠して日本の後進性を批判することで成り立ってきた。もっとも、日本の後進性と西欧の先進性という思い込みは、なにも戦後社会科学に限らず、いわんや丸山理論にかぎらず、実は明治以来の日本の思想を支配してきたものといえよう。ただ、敗戦後の日本社会の中では過去の過ちの反省と今後の方向づけは、専ら西欧の基準に則って行われ、明治以来のこの思い込みが拡大再生産されたのであるが、この再生産の担い手は戦後論壇のリーダーたちであり、丸山先生はその中でも圧倒的に重厚な存在であった」と述べた上で、「70年代になってから次第に近代化、工業化のパターンは西洋的なものに限らず、それぞれの国の歴史、文化、伝統に基づく多様な道筋があるという認識が一般化し」、「所謂収斂仮設(convergence hypothesis)に代わり、工業化には多様な道筋があるという拡散理論(divergence theory)が台頭してきた」と記述しておいた。
この「丸山先生の思い出」を書いてから20年を経た今日、世界情勢は目まぐるしい変化を示しており、とても西欧のパターンへの収斂どころではなく、西欧対非西欧の分裂という単純な図式を飛び越えて、文字通り驚天動地の多極化に向って突進していると言っても過言ではない。
こうした状況に直面してみて、学生時代の法学部に思いを致すと、浮かび上がってくるのは、巨星丸山先生とは全く対照的、文字通り「月とスッポン」と言わざるを得ない対極にある来栖三郎先生の姿である。来栖先生について大方の丸ゼミOBは、さしたる記憶がないだろうと想像するが、筆者には今日に至るまで当時研究室の入口のわきに置かれた一部破れ畳敷きのある小部屋で、何時も小使さんと渋茶を啜り、時としてこれも小使さんと背を丸めて将棋を指しておられる姿が、60年余が経過した今日迄彷彿として瞼に浮かんでくるほど印象的な情景である。来栖先生のもう一つの印象的な姿は新学年の開講日の情景である。当時先生の講義は毎年のように4月中は休講、5月の連休明けにやっと始まると言われていた。筆者の時も連休明けの最初の講義に、何時もの如くよれよれの背広でトレドマークの風呂敷包みを教壇におかれると先生の姿は教壇から消えており、先生の鼻をかむ音が聞こえた後、数分に亘りその日まで開講が遅れたのは、講義の内容に自信が持てずつい今日までになったと言った言い訳が延々と続くことになった。
だが、その後比較研究に深入りするに及び、前記の如く西欧発の法規範の普遍性に疑問を抱くに至り、改めて来栖先生が法学協会雑誌などにぽつぽつと掲載されていた先生の「法はフィクションに過ぎない」とするコペルニクス的問題提起に強く親近感を覚えることになった(先生のこの業績は、先生の思いを承継された村上淳一先生が残された一連の論稿を一冊の大著にまとめ『法とフィクション』(東大出版会、―1999年)と題して出版されている)。
既に述べた様に、近年の世界の動きはイスラムの台頭という西欧対非西欧の対局を超えた全く新しい地政学的要因の登場、BrexitによるEUの弱体化に象徴されるグローバリズムの混迷、驚天動地の多極化の様相を呈している。中でもイスラムの台頭という新しい現象、アメリカにおける大統領選挙に象徴される社会的混迷、相次ぐ人種抗争とこれと絡み合った暴力抗争の日常化にみられる西欧覇権国の凋落、などなどのトータルな状況を目の当たりにしながら、近代社会を支配してきた西欧の基本思想(法の支配、民主主義,自由平等、基本的人権の尊重etc, etc…..)といった西欧の価値基準そのものが、西欧諸国に都合のいい限りにおいて他の国々に押し付け乍ら、自己の行動基準としては平然と潜り抜けるばかりでなく、屡々平然と踏みにじられるのを目の当たりに見てくると、究極においてこの西欧の価値基準なるものは「たてまえ」、「フィクション」に過ぎないという来栖先生の洞察が改めて想起され、その説得力が今までにない迫力を持って迫ってくるように思える。
以上、あの時代に我々が学んだ東大法学部のTwin Peaksは依然として高く聳えており、世界情勢の動きとこれに対する我々の対応を導いて頂けるものと期待したい。思想・勉学の分野においても、昨今はAIとドローンの世界であり、今こそ我々は高く仰ぎ見てきたこの2大思想の間を自在に往復しつつ、思索にふけることが出来るのではなかろうか?