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財政投融資と国家の機能を考える~経済対策には財政負担にならない国債の活用を~

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笛吹けど踊らず、これが日本経済の現状だろう。
今回の参院選でもアベノミクスの是非が争点になったが、「3本の矢」、すなわち、異次元の金融緩和、機動的な財政政策、民間投資を促進する成長戦略は、それ自体、成長の「必要条件」であって、本来、その「是非」が問われるような争点にはならない性格のものである。消費税率2%引上げの再延期に追い込まれるほど日本経済の現状は個人消費を中心に停滞を続けているが、これは、政策当局がいくら政策面で環境を整えても、肝心の民間がリスクテイク、挑戦に踏み出せないでいることがもたらしている事態である。

安倍政権は民間のチャレンジを促そうとする「一億総活躍社会」と「新3本の矢」を掲げているが、アベノミクスを土台として、経済政策を成長の「必要十分条件」へとさらに近づけるためには何を組み合わせていくべきかを考えることこそが、経済政策の真の論点であろう。

  • 日本は世界一おカネの余力がある国

ただ、これまでアベノミクスそのものが十分に発動されていたかといえば、そうとは言い切れない面がある。確かに、第1の矢、異次元の金融緩和は、相当の役割を果たしてきたが、日銀がどれだけ国債を爆買いしてベースマネーを増やし、マイナス金利まで導入しても、肝心の民間銀行がリスクを取って融資を増やさねば市中のマネーは増えず、2%の物価目標も達成できない。金融面で整えた環境条件に、他の2つの矢、すなわち、実体経済に直接働きかける政策を適切に組み合わせてこそ、経済は本格的に動き出す。

ここはやはり、第2の矢の機動的な財政政策で総需要を増やして市中マネーを回転させるしかない。この変化の激しい時代、専ら民間投資が経済を牽引するにはあまりに先行きの不確実性が大きい。第3の矢の成長戦略こそが大事だとされるが、その効果の発現には時間がかかる。民間が委縮しているときに必要なのは、国がもっと前面に出てリスクをカバーすることであろう。

だが、財政政策には先進国最悪の財政状態という壁がある。長年、消費税率引上げを先送りした結果、高齢化で膨らみ続ける社会保障給付に財源を取られ、それ以外の財政支出の対GDP比はOECD加盟30数カ国の中で日本はビリになっている。日本の政府は先進国で最もおカネのない政府なのである。第2の矢も、安倍政権のもとでの補正予算は、いずれも国債の追加発行を伴わない範囲で、既定予算の節約や税収の自然増などの範囲内で財源が賄われてきた。それでは、マクロ経済的な効果はどうしても、乗数が1以下にとどまってしまう。

ただ、日本は一国全体ではおカネがあり余っている。課題は、それを国民の希望を創ることに有効に回すことにある。金融資産ストックを活かす知恵でおカネを回し、フローの成長を生み出して潜在的な国力を顕在化させる余地が日本には十分にある。

日本には1,700兆円にのぼる個人金融資産があると言われるが、それだけでなく、非金融法人部門等も併せれば3,400兆円余りの金融資産が日本には存在することを、日銀の資金循環統計の2015年末の数字が明らかにしている。これが金融部門を通じてどこに運用されているかをみると、その最も太いルートは、国債など全体で1,200兆円余りにのぼる政府の借金である。多くの論者は、1,700兆円との対比で、公的債務の限界論を主張するが、日本の金融資産ストックが全体で3,400兆円であると捉えなおせば、必ずしもそうとは言い切れない。

現に、政府部門に巨額の運用がなされてもなお、余りあるおカネが海外に運用され、日本は対外純資産残高が2015年末で339兆円と、世界ダントツ一位の債権大国となっている。しかも、この第一位の地位は25年も続いているものだ。

この状態は、国全体でみれば日本国家の財政的破綻が計算上は起こらないことを示す。ギリシャのような対外純債務国なら財政悪化はデフォルトにつながるが、日本の場合、海外に潤沢な財布があるようなものである。国内で資金ニーズが高まっても、最終的に対外純資産という調整弁、バッファーが世界最大規模で存在する。

東日本大震災に際して、復旧復興の資金ニーズが国内で高まり、それが対外金融資産の取崩しにつながることから、一部に円高を予想する見方もあったが、実際にはそれは起こらなかった。あれだけ悲惨な大災害であっても、実際の資産毀損の規模は、日本が有する金融資産ストックからみれば大勢に影響を与えるものではなかった。問題は、首都直下型地震や東南海大地震といったように、数百兆円規模での国内資産の毀損が生じるような事態である。そのとき初めて、日本の財政破綻の問題が視野に入ってくることになる。

  • 国債累増の問題とは赤字国債の問題

 世界ダントツ一位の対外純資産保有国であるということは、日本がこれまで蓄積してきた潜在的国力を象徴するものであり、財政を支える経済基盤の面で、日本にはまだ潜在力な余力が十分に残っていることを示すものである。このもとで、2016年度末で883兆円に達する普通国債(将来の税負担で償還される長期国債)の累増の問題とは、量的限界の問題ではないだろう。国債残高がさらに増えても、日本国全体の運用資産ストックの中身の調整で飲み込める余地が大きい。

問題は、その中身の質的問題にある。つまり、日本の運用資産の大半を、同じ国債でも「赤字国債」が占めるという金融資産のポートフォリオの問題である。この問題をクリアーしなければ、上記の潜在的国力自体が衰弱していくであろう。

すなわち、通常、資産運用とは、それが富を生み、その果実で利回りを得るためになされる。国債のうち、公共事業などの財源として財政法第4条で許されている「建設国債」であれば、その使途は将来世代に対して資産を残すことに回る。しかし、高齢化に伴って増大している社会保障費を主因に累増してきた赤字国債は、将来に何ら資産を残さないまま、60年償還ルールのもとで、三世代にわたって将来の国民の税負担でツケを返していくことになる。

2016年度末で赤字国債の残高は555兆円にのぼり、日本の金融資産運用の中で、富の増大どころか毀損につながる部分が大きくなっている。これはいずれ、日本の国力や成長力を損うことになる。赤字国債は将来世代に、彼らの受益につながらない税負担を強いるから、納得感なき税負担にもなる。これは「代表なきところに課税なし」の民主主義の基本原則にも反する。建設国債なら、インフラなどの資産によって将来世代も便益を得るから、まだ納得できる税負担といえる。ただ、それが将来世代にはありがた迷惑な資産となってはならない。

  • 将来の税負担に結びつかない国債がある

ここにもう一つ、税金で返済しなくてよい国債がある。財政投融資の融資財源となる国債である財投債だ。国債は運用サイドからみると、赤字国債が「将来の富を削減する資産」、建設国債が「富は生んでも赤字国債同様、将来世代に選択の余地のない税金で返済される資産」とすれば、財投債は「それを財源に生み出される富からリターンを得る資産運用」といえる。つまり、財投債とは、通常の資産運用と同じ原理に即して運用される金融資産である。

国の予算が税金や普通国債を原資として無償資金(やりっ放しのおカネ)を配分するのに対し、国の予算と一体となって編成される財政投融資は有償資金(返済が必要なおカネ)を扱う第二の予算である。ここでは国が財投債で調達したおカネを、公共目的に沿って融資し、民間への貸付金やインフラなどの形で資産となり、財投債の償還財源は税金ではなく、融資の返済金が財源になる。

財政投融資の貸付先である政策金融機関(日本政策金融公庫など)の場合は、中小企業など貸出先の経済活動を促進し、その果実でおカネが返済される。事業実施機関(鉄道や有料道路など)の場合、それで整備されるインフラの使用料金収入が返済財源になる。これはインフラの利用者が得る便益に見合って利用者が負担するものであり、一般国民が選択の余地なく強制的に負担させられることになる税金とは性格が異なるものである。

財投債なる国債は、他の国債とは区別なく、国債という一本の金融商品として金融市場で発行されている。かつて財政投融資は官を肥大化させる元凶として批判されたが、それは郵貯や年金などの強制預託制度の時代の現象であった。国の信用を通じて受動的に集まってくる資金をどう運用するかが財政投融資に問われた役目であり、それは集まった資金を財投機関にはめ込むという仕組みであった。

2001年の財投改革で、この仕組みは180度ともいえるほど抜本的に変化した。現在の財政投融資は、まず必要な有償資金のニーズを見極め、その範囲で能動的に国債を通じて資金調達するという仕組みになっている。かつての郵貯は「ゆうちょ銀行」として、年金はGPIFとして、簡保は「かんぽ生命」として、一運用機関として市場に参加し、国はその市場で発行する国債全体の中から財政投融資の融資に必要な財源を調達する。運用側と調達側(財政投融資)の間には金融市場が介在し、市場の規律が働くようになっている。

現に、往時に比べ財政投融資全体の規模も3分の1にまで縮小した。

長期金融市場で最も低利な国債が財源だから、国は公共目的のもと、民間では提供できない長期・固定・低利の資金を供給できる。

  • いまこそ政府の出番

現在、政府は大型の経済対策を策定しており、この秋にも補正予算措置が予定されているが、それに向けて「ゼロ金利を活用した超低金利活用型財政投融資」や、リニア新幹線の大阪への延伸時期の前倒しなども提案されている。異次元緩和の今、現在の超低金利を活用すれば、公的分野にも償還確実性の問題がクリアーされる資金配分先が多数、出てくるはずだ。将来に向けた成長の基盤づくりへの投資に、国が財政投融資で役割を発揮すべきチャンスであろう。

日本ではこれまで、新自由主義の影響が強く、政府の機能は民間企業的な規律付けで制約されてきた。確かに行革は必要だが、そもそも政府は民間には担えない、政府にしかできない仕事をするために存在する。例えば国際協力銀行にも民間銀行と同じ規律を求めていては、アジアのインフラ整備で中国に対抗できない。AIIBに対抗して日本は「質の高いインフラパートナーシップ」を打ち出したが、今般、財政投融資からの出資で同行のリスクテイク機能が強化された。

巷の行革論に不足しているのは、機能する政府を構築するという視点ではないか。金融政策だけでは民間が踊らないなら、政府の出番だ。税負担につながらない財投債で日本の金融ストック力を顕在化させ、将来の国民に必要なインフラなどの資産を生んだり、資金さえあれば成長する事業に金融をつけて富を生むチャンスを実現できるようにする。

国家の将来に向けた方向づけに財政投融資が機能を発揮することで、民間が納得してチャレンジできる環境が強化されることを期待したい。

 

 

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