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植治の庭園  ~7代小川治兵衞の託した思い~

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250余年前(江戸期宝暦年間)、武士から作庭の道へと転身した初代は、帯刀を許される極めて稀な作庭家であったという。以後代々は「植治(うえじ)」の屋号の基、「小川治兵衞」の名を受け継いで行く。
また明治、大正、昭和期においては7代が山縣有朋邸(無鄰菴)・平安神宮・円山公園・西園寺公望邸(清風荘)・市田弥一郎邸(對流山荘)・浅見又蔵邸(慶雲館)・古河虎之助邸(現・東京都旧古河庭園)といった国指定名勝庭園等を手掛ける。時代を経た現在も11代小川治兵衞と次期12代小川勝章が庭園に向き合い続けている。
代々が継承すべきは庭園であり、名前でもあるが、決してそれらが全てではない。最も大切に継承されて来たもの、それは庭園に込められ託された思いにある。信頼、葛藤、期待、伝授、等々。それらは一見するだけでは読み取れず、時間を掛け、体そして心で受け止め、沁み渡り行くものである。

先ずもって庭園と人間の時間軸には、大きな相違がある。庭園を人になぞらえるならば、作庭後間もない庭園は、いわば赤子であり、5年、10年、20年と時を重ねるにつれ、幼少期から青年期へと成長を遂げて行く。50年、100年、150年、庭園は成熟期を迎え、労わりを要する時期へと向かって行く。
「何年後を見据えて作庭するのか。そして何を持って完成とするのか。」と、しばしば問われる。庭園の生涯を人生に重ねてみるならば、人生の中に完成期があるのであろうか。成長と共に進化もすれば、衰えもする。その中で、子供は子供なりに、大人は大人なりに役目を担い、年齢の差異を越え、日々を懸命に生き抜いて行く。常に未完であり、完成を目指し続けるのが人生であるのかもしれない。人よりも長い時間軸に生きる庭園もまた、完成を目指し其々の人生を歩んで行く。

樹木に数百年、石に数十万年、地面に数十億年の命が宿るとするならば、各々の時間を生きる其々が、庭園という空間で出会う事となる。そして私達人間も、その空間の中に存在する。
自然の産物を基として生み出される庭園であるが、そもそもは人の手を介した不自然の産物である。山を削り、土を運ぶ。山や川を掘り、石を取り出す。山から掘り、或は畑で育て、樹木を植える。ある側面からすると、作庭は自然の有り様に抗う不自然な行為とも捉えられる。そこまでして何故作庭を続けるのであろうか。
その答えは、やはり自然そのものに有ると考えられる。とりわけ“自然への憧れ”にあるのではなかろうか。人間の力をはるかに越える自然は、時に美しく、有り難く、そして恐ろしい。人間にとって崇敬すべき憧れの対象である自然を身近に感じていたい。その一途な願いを源に、純粋な庭園は生み出されて行く。

7代小川治兵衞は自然との対話を尊び、作庭を行った。中には100年を越えて育まれるものも多く、庭園という不自然の中において独自の自然がゆっくりと循環を続けている。
7代は陰と陽、強さと弱さ、喜びと悲しみといった、相対するものでもあり、表裏一体でもあるそれら摂理を庭園の中で大切に表現して行った。骨格を成す樹木は威風堂々と構え、風情を醸し出す樹木は風にそよぐ。自然の群生での表情が其々である様に、庭園の樹木を型にはめ過ぎず、各々の個性を尊んだ。
まるで地面から生えて来たかに思える石、掘ると地上の3倍程が地中に埋められている事もある。地面のラインには緩急の傾斜があり、その姿は山々の稜線とも重なる。滝では険しく、池ではゆったりと、川筋では戯れる様に流れ行く、水の表情もとりどりである。
ともすれば庭園は年中不変のものであり、いつも同じ表情に出会えるかの錯覚を覚える。実際は季節により、成長により、また管理により移ろうものであり、出会う表情は一期一会のものである。7代が生み出した庭園では、安心感を得る事もあれば、刺激を与えられる事もある。喜びに満たされる時もあれば、刹那な思いに包まれる時もある。まるで庭園は大自然の様でもあり、また人の様な存在でもある。

無鄰菴全景

7代小川治兵衞が手掛けた無鄰菴を通して、庭園に託された思いを察してみる。かつての山縣有朋邸である無鄰菴、山縣公と7代の心のやり取りについて、母屋におけるビューポイントを手掛かりとして紐解いて行く。
界隈の邸宅とは対照的に、無鄰菴の門構えは決して目立つものではない。玄関庭には立派な燈籠が据えられているが、存在感をあえて消しているかの様である。まるで守衛の如く、家を守りつつ、玄関への案内役に徹している姿に映る。
玄関に歩みを進めると何か囁きが耳に届く。竹の葉の声である。目線を上げると、そこには坪庭(壺庭)があり、透き通る程に竹の葉が太陽に輝き、風に身を任せている。玄関庭、玄関、中庭、奥の間、その向こうに広がる庭園。屋内と屋外は交互に展開する。家屋は庭園に包まれ、庭園は家屋に包まれる。

奥の間から庭園を望む。部屋に入った時には見えていたはずの池は、座した途端、その姿を消す。往々にして、庭園の最良のビューポイントはかつて床の間付近にあった。そこは主が最も大切にしている場所であり、客人をもてなす場所でもあった。多くの庭園において、池を設えるのであれば、ビューポイントから雄大に見せる事は定石であった。それを覆した無鄰菴では、立ち上がった状態でも池は遠くに確認出来る程度である。そして座った状態では、芝生の起伏に覆われ、とうとう池は見えなくなる。だが不思議に存在感は残っている。それどころか徐々に気配を増しているのは何故であろうか。
おそらく意識の中に、池が広がっているからではなかろうか。池への思いは見えなくなる程に深まり、キラキラと輝く水面の気配をより強く感じる。たおやかな水の揺らぎまで脳裏に描かれる。また部屋のすぐ手前に流れる川筋は水音が強調されている。川筋や滝と比較して、そもそも池では水音は乏しいものであるが、あえてそれを耳に届ける事で、姿を消した池への連想を更に強固なものとさせている。
“見せず”して“感じさせる”庭園、7代は無鄰菴において日本庭園の新たな境地を開拓しようとしていた。またこの無鄰菴、池の更なる奥には滝が組まれている。しかし屋内からは、やはり見えない。僅かにその姿を現すのは、冬。モミジを含む落葉樹が葉を落とし、視界が通った折のみである。滝組を主張させたいところをあえて見せず、気配のみを伝える事で、見る者にとって五感が呼び覚まされる。太陽、闇、空、雨、風、香、等々。無鄰菴では自然本来の有り様をより豊かに体感出来る。

無鄰菴母屋には3つの床の間が有る。1階にあるもう一つの床の間付近も絶好のビューポイントである。奥行きを持って庭園を望むことが出来、こじんまりとした部屋故、私的な時間を長く過ごすには格好の場所である。
ここで再び庭園を人間になぞらえてみる。庭園には正面の顔が存在する。仮に庭園のパスポートを作成するのであればどの角度から写真を撮るべきであろうか。日本家屋であれば、間違えなく床の間からであろう。主や客人が床の間付近に座した折、その要人と目線が交わる様に庭園は設えられている。人と人とが目を通じて心を伝える如く、庭園に向き合う折も目と心を交わらせたいものである。
無鄰菴には更にもう一つ、2階にも床の間が有る。こちらは庭園を鳥瞰する角度でありながら、遠景の東山を取り込む景色が望める。床の間が一つしか無ければ、庭園との対話もスムースであったであろうが、三つの床の間がある事は即ち、一人が三人を相手に丁寧な対話を交わす事に等しい。
其々の床の間は、其々の部屋に呼応したビューポイントであるが、パスポートを3冊用意せねばならい程、不思議にどれもが正面の顔に思える。きっとそれは無鄰菴が「モナリザ」だからである。例えは大胆であるが、庭園は正面性を保つ範囲が極めて広い。回遊式の無鄰菴はその横顔も後姿も魅力的であるが、庭園に見守られている安心感を何処に居ても得られるのはモナリザ故の事であろう。

無鄰菴床の間から

門から玄関そして奥の間へ、そして床の間近くに座す。時に庭園を回遊し、お茶を嗜まれる。無鄰菴で過ごす山縣公の姿、そして心の内。それらを察し、心を通わせ、7代は作庭に向き合った。山縣公との信頼を築き、葛藤を乗り越え、期待を受け止めつつ、それを上回る驚きや喜びを伝える作庭。
当時時代背景からして、山縣公は庭園によって心身を休める時もあれば、庭園に国の行く末を重ねていた事もあったであろう。庭園で過ごす時々によって、何より山縣公の心持によって、庭園の姿は移ろう。

今再び、無鄰菴床の間に座してみる。まるで自然に包まれているが如く川筋の奏でが耳に優しく、芝生の起伏によって見えないはずの池は、心に広がる。この構図、実はどこかで覚えのあるものである。疎水の流れを感じながら、東山で覆われたその先の琵琶湖の存在に安心感を覚えるそれと重なって来る。更に言えば、日本の山河のみならず、大海やその先にまで思いを馳せていたのではなかろうか。
7代目は言葉にしきれない思いを庭園に託した。目の前に見える物事は勿論、見えないその先を豊かに感じさせた。その作庭こそは山縣公へのメッセージそのものであった。そして時代を経て尚、私たちへのメッセージとして生き続けている。

無鄰菴池から

目に見える姿のみならず、目に見えない思いを託す作庭。不自然から始まった庭園には、自然が宿る。庭園は時間を超越して、人と人を繋げ、自然と人を繋げて行く。

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