Home»オピニオン»「消費税増収分を活用した新たな基金」の問題2

「消費税増収分を活用した新たな基金」の問題2

0
Shares
Pinterest Google+

●控除対象外消費税を支配の原資に使うことが許されるのか
税は公平でなければならない。特に、消費税のような一般性の高いものでは、公平性が強く求められる。消費税を最終消費者に転嫁できない業種で、既に支払っ た消費税の扱いが不公平になっている。例えば、輸出した自動車については既に支払った消費税は還付されている。しかし、公的保険診療では、医療機関が支 払った消費税は、診療報酬に上乗せされているという理由で還付されていない。診療報酬に正しく反映されているかどうか、議論の基礎となる客観的数字は存在 しない。財政赤字が続く中で、あいまいさを残しておくと、裁量による診療報酬抑制幅が大きくなる。今後、消費税率が段階的に引き上げられると、医療機関の 経営が脅かされかねない。
加えて、厚労省は、医療関連法の改正により、医療機関に支払うべき消費税を利用して基金を作り、医療機関への財政支援の制度を創設しようとしている (1)。再投資の経営判断の一部を医療機関の経営者から、都道府県が恒久的に奪うことになる。そもそも、埼玉、千葉、茨城などの極端な医療人材不足、公的 病院の膨大な赤字(税金の投入)は、国、都道府県の政策ミス、行政システムに内在する欠陥、行政官の能力不足に起因する。本来、民間に還付すべき金を行政 に委ねると、事態はさらに悪くなる。医療提供体制の適正化のためには、官の権限を明確にし、かつ、限定するべきである。基金は、医療機関から不当に搾取し た税を、国民のためではなく、官の権力強化のために使おうとするものであり、到底、容認できるものではない。
●「悪法も法」は正しいか
形式的法治主義とは、法の内容がどのようなものであれ、法制定の手続き、法の形式が整っていれば、それを尊重しなければならないという考え方である。
これに対し、実質的法治主義では、法の内容や運用に正義が要求される。英米法の基本原理である「法の支配」とほぼ同義である。「『法の支配』の下において は、たとえ『法律(立法)』の手続を経てなされるとしても、法律の内容は適正でなければならず、権利・自由の保障こそ本質的であるとする」(ウィキペディ ア「法の支配」より)。
「ドイツでは、市民階級の成熟が遅れ議会が力をもつに至らず、『法律に基づく行政』の原理が法律の内容・実質を問わないものと理解されるようになり、たと え権利を制約するような法律でも、行政がそれに従ってなされる限り、『法治国家』(Rechtsstaat)が存在するとされた」(高橋和之『立憲主義と 日本国憲法』東大出版会)。ヒトラーは、正規の法手続きを経て独裁権力を得た。法に基づいて、ユダヤ人や障害者を多数殺害した。ナチスドイツに対する反省 から、「現在では、ドイツでは、法律の内容の適正が要求される『実質的法治主義』の考え方が主流となっている」(ウィキペディア「法の支配」より)。

●福沢諭吉の私権論
日本人は権利意識が弱い。津田左右吉によると、江戸時代の270年間で、「社会的秩序に順応し社会的権威に服従することは道徳的に善である」(村上淳一 『法の歴史』東大出版会)という考え方が、日本人に刷り込まれた。個人的体験として常々実感するところであるが、今でも、権利を主張すると、しばしば、権 利を侵害した者より異議申し立てをした者が悪者にされる。以下、村上淳一の意見を紹介する(『法の歴史』東大出版会)。

「社会における対立・抗争がノーマルな事態と考えられ、これを法/不法のコードに乗せて処理してゆくことによってはじめて社会秩序が保たれる西洋(とくに その近代)においては、各自の規範的主張も、法/不法のコードに乗る限りでのみ、『権利』と考えられるのであり、逆に、その『権利』の主張によって法/不 法のコードの内容が満たされてゆくことになる」。「これに対して、対立・抗争がアブノーマルな事態とされた日本の伝統社会においては、法/不法のコードが 独立の枠組みとして成り立つに至らず、『世間と人間についての知識』に基づく漠然たる『理非』によって紛争の解決が図られる。各自の規範的主張の対立(ど ちらに『理』があるか)は、客観的なルールによって判定されるのではなく、人間と世間の機微に通じた『上位の第三者』の判断に委ねられる。その判断を予め 読むことが難しいとすれば(大岡裁きは意外性をもつ)、どんな主張でも、とにかく理屈をつけて訴え出ようということになり、自己の主張の実現によって社会 秩序を形成しようという責任感が醸成されない」。

村上は同書で、1887年の福沢諭吉の私権論を引用した。国会開設を3年後にひかえ、知識人、学者、政治家など多くが、政治への参加を求めて沸き立ってい た。彼らは、日常的に、自分の権利が侵害されていたにもかかわらず、異議申し立てをするどころか、自ら権利を放棄し、身を屈してこれを受け入れた。一方 で、政権参与にならないかと誘われると嬉々として応じた。福沢は、彼らの不甲斐ない態度を痛烈に批判した。今に通じる議論である。

「今の日本国人は政権の事を喋々して参政云々の論に熱するよりも、近く一身の私権を衛(まも)るの工夫こそ肝要なる可し。我輩固(もと)より参政の権を抹 殺する者にあらず。凡そ政府を立てゝ少数の人に全権を任ずるときは、必ず其権力を誤用して、知らず識らずの際に腐敗を催し、時として恐る可(べ)き形勢に 陥るの例は、古今人間世界に普通なることなれば、其誤用を止めて腐敗を防ぐの法は、之を代議政体に求(もとむ)るの外なかる可し。我輩も此説に賛成を表す と雖(いえ)ども、私権未だ固からずして之を犯す者も犯さるゝも平気なるが如き漠然たる社会に、唯(ただ)熱して政権のみの事を講ずるは、或は事の前後緩 急を倒(さかしま)にするの譏(そしり)を免れざる可し。私権は直に身に附し家に属して須臾(しゅゆ)も等閑にす可(べか)らざるものなり。政権は社会公 共の為めにして戸外の事に属するものなり。私権は内なり。政権は外なり。我輩は先ず内の自衛を堅固にして、然る後に外を勤めんと欲する者なり。—-西 洋諸国の人民は、既に已(すで)に自身の位の重きを知り、其身に属する私権の大切なるを悟り、其自衛の為に遂に政権の部内に入らんことを求めたるものなれ ども、我日本国に於いては未だ私権論の発達を見ずして、俄に政権論の盛なるを得たり。無数の小民は勿論(もちろん)、大人、君子、学者、政治家と称する輩 に至るまでも、日々夜々その私権を犯さるゝのみならず、自ら之を放棄して身を屈し志を枉(ま)げながら、政権参与など云えば騒々しく唱えて悦ばしく応ずる 者少なからず。之を文明の歴史に照らして例外の事相なりと云はざるを得ず。一見甚だ奇なるがごとし」。

●現代の専制
控除対象外消費税問題は、法の下の平等、財産権、租税の公正が問われており、憲法に関わる問題である。この問題で、ある憲法学者が病院の代理人となって、 損害賠償を求めて国を提訴したことがある。2012年、1審で病院側が敗訴したが、控訴しなかった。病院が厚労省と対峙するのは危険である。行政は、嫌が らせのためのさまざまなツールを持っている。それを行使するかどうかわからないが、医療行政の実態からみて、心配するのは当然である。
とはいえ、この問題は将来への影響が大きすぎる。医療界として、衆知を集めて抵抗しなければならない。力ではなく知恵が有効である。医療機関に還付すべき 資金を国が取り上げて、医療機関に対する財政支援の基金を作るのは卑劣である。厚労省医政局の民度が問われる。原徳壽医政局長は将来にわたって責任を負う ことになる。
近代憲法はアメリカ独立戦争、フランス革命の成果物である。アメリカ独立のさきがけとなったボストン茶会事件は、茶に課税するのと並行してイギリス東イン ド会社に茶の独占販売権を与えたことがきっかけだった。公正を欠くと見なされたことが、運動を大きくした。近代憲法は、不公正な課税に対する抵抗から生ま れたのである。「消費税増税分を活用した新たな基金」も、当時のイギリスの植民地政策に劣らぬ卑劣さを内包しており、大きな抵抗を生みだす力を持ってい る。
専制政治とは、身分的に統治者と非統治者が分けられている状況で、統治者が恣意的に統治権を行使することである。厚労省医政局は、現代日本で専制政治を推 し進めようとしている。専制のための常套手段、「分割して統治せよ」を実行しようとしている。医療機関を他の国民から分断して、不公正に扱おうとしてい る。
権力は自らの権力を拡大したがる性癖を持つ。これを防ぐために権力分立が必要なのである。下記、トマス・ジェファソンの警告は現代でも大きな意味を持つ。

「われわれの選良を信頼して、われわれの権利の安全に対する懸念を忘れるようなことがあれば、それは危険な考え違いである。信頼はいつも専制の親である。 自由な政府は、信頼ではなく、猜疑にもとづいて建設せられる。われわれが権力を信託するを要する人々を、制限政体によって拘束するのは、信頼ではなく猜疑 に由来するのである。わが連邦憲法は、したがって、われわれの信頼の限界を確定したものにすぎない。権力に関する場合は、それゆえ、人に対する信頼に耳を かさず、憲法の鎖によって、非行を行わぬように拘束する必要がある」(清宮四郎『憲法1』第3版、法律学全集 有斐閣)。

ジェファソンは、近代憲法の生みの親の一人である。アメリカ独立宣言を起草し、アメリカ合衆国の保守本流の考え方を形として示した。J.F.ケネディが最も尊敬した先輩大統領としても知られる。
ジェファソンが述べたように、近代憲法は、権力の暴走阻止のために、国家を縛るものとして成立した。このため、憲法尊重擁護義務を負うのは公務員であっ て、国民ではない。日本国憲法第99条は、「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」と規定 している。
主権者たる国民の負託を受けた政治が、厚労省医政局の行動を制禦すべきところだが、政権政党たる自由民主党は行政の言うままになって為すところがない。か つて盛んだった自由民主党内部の議論が見えない。所属議員が何かを恐れて口ごもっている。1955年の自由民主党の立党宣言では、立党の政治理念を「第一 に、ひたすら議会民主政治の大道を歩むにある」「第二に、個人の自由と人格の尊厳を社会秩序の基本的条件となす。故に、権力による専制と階級主義に反対す る」と表現している。自由民主党の国会議員には、あらためて立党の理念を思い出してほしい。

●集団訴訟
私は、控除対象外消費税問題を解決するために、複数の医療機関が集団で国を訴えることを提案したい。この訴訟を個人と様々な組織が支援する形が望ましい。 憲法問題である以上、大組織より多くの小さな組織、組織より多くの個人の支援がふさわしい。法廷だけでなく、法廷外でも大論争をして、国民に広くこの問題 を訴えていく必要がある。注目を集めることが、提訴した病院の安全を守ることにもなる。正しい社会秩序の形成のために、異議申し立てをするのは、市民とし ての義務である。たとえ認められなくても、行政が不正義を強引に押し付けていることを社会の記憶にとどめなければならない。歴史が終わるわけではない。主 張を続けて、行政との緊張関係を維持していれば、いずれ認められる日も来よう。

引用
1.「消費税増収分を活用した新たな基金」の問題1:民から奪い、支配に使う http://medg.jp/mt/2014/01/vol18-1-1.html#more

2014年2月1日 MRIC by 医療ガバナンス学会

Previous post

右脳インタビュー 大森義夫

Next post

習政権のスタート