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米大統領の広島訪問と原爆投下正当論

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1 オバマ大統領の広島訪問決定

オバマ大統領は、伊勢志摩サミットに引き続き、5月27日午後安倍首相と同行し、

広島の平和祈念公園を訪れ、核廃絶に向けたメッセージを発する予定とされる。尚、本稿執筆時点で、被爆者と面会するか否かは未定である。

日本では挙って歓迎し、歴史的であると評されている。一方、米国では、行くのは構わないが謝罪は駄目だとの論が強いようだ。

 

2 原爆投下問題に関する経緯

  • 原爆投下時(1945年)の戦時国際戦争法規について

大東亜戦争時に成文化されていた戦時国際法は、「陸戦の法規慣例に関する条約(ハーグ陸戦条約)」と、「ジュネーブ傷病者条約(ジュネーブ条約)」の2つである。

これらの法では、非戦闘員の殺傷、非軍事目標・無防備都市への攻撃、不必要に残虐な兵器の使用、捕虜の虐待等が禁止されていた。

ハーグ陸戦条約では、23条1項では「毒、または毒を施した兵器の使用」を禁じている。また、同条5項では「不必要な苦痛を与える兵器、投射物、その他の物質を使用すること」を禁じている。しかし「不必要な苦痛」の明確な定義がないため、曖昧なものとなっている。

留意すべきは、『原子爆弾の使用を禁止する』との明文規定がないことであり、それが後々の原爆投下正当論の重要な根拠となっていると推定される。

米国は、ジュネーブ四条約を1955年に批准しているが、追加議定書については批准、加入、継承のいずれもしていない。

 

  • 日本政府の抗議

日本政府は、1945(昭和20)年8月10日、広島、長崎への原爆投下に関して『米機の新型爆弾に依る攻撃に対する抗議文』と題して、「米国政府は今次世界の戦乱勃発以来再三に亘り毒瓦斯乃至其の他の非人道的戦争方法の使用は文明社会の輿論に依り不法とせられ居れりとし対手国側に於て先づ之を使用せざる限り之を使用することなかるべき旨声明したるが米国が今回使用したる本件爆弾は其の性能の無差別且残虐性に於て従来斯る性能を有するが故に使用を禁止せられ居る毒瓦斯其の他の兵器を遥に凌駕し居れり。米国は国際法及人道の根本原則を無視して既に広範囲に亘り帝国の諸都市に対して無差別爆撃を実施し来り多数の老幼婦女子を殺傷し神社、仏閣、学校、病院、一般民家等を倒壊又は焼失せしめたり。・・・・(中略)・・

帝国政府は茲に自らの名に於て且又全人類及文明の名に於て米国政府を糾弾すると共に即時斯る非人道的兵器の使用を放棄すべきことを厳重に要求す。』とスイスを通じて米国政府に通知した。

 

  • 東京原爆裁判(所謂下田事件)

1955(昭和30)年4月、広島の下田隆一氏等が、国を相手に東京地裁に損害賠償とアメリカの原爆投下を国際法違反とすることを求めて訴訟を提起した。(この時期は、被爆者に対して国が何らの援護も行っていなかった時期である。)
東京地方裁判所は、1963(昭和38)年12月7日、「広島、長崎両市に対する原子爆弾による爆撃は、無防守都市に対する無差別爆撃として、当時の国際法から見て、違法な戦闘行為であると解するのが相当である。」また「原子爆弾のもたらす苦痛は、毒、毒ガス以上のものといっても過言ではなく、このような残虐な爆弾を投下した行為は、不必要な苦痛を与えてはならないという戦争法の基本原則に違反しているということができよう。」と断じた判決を下した。

首肯できる人も多かろう。

 

  • 原爆投下正当化論等

米国は、敗北が決定的な日本に対して、何故、広島に引き続き長崎にと2発も原爆を投下したのかについて、色々な論がある。米国の原爆投下の理由及びその正当性については、

①「日本を早期に降伏させ、早く戦争を終わらせ人命を救うためだった。」とする原爆正当化論

②「ソ連に対する警告だった。」とする論の2つが代表的であり、他には新兵器の人種的偏見に因る人体実験であったとする説や真珠湾攻撃に対する報復であったとする説或いは開発に要した巨額の経費を正当化するためにも投下が必要であった等の説がある。

原爆正当化論とは、米国世論の主流であり、米軍の日本本土上陸作戦による100万人もの米兵の命を救うためであったとして原爆投下を正当化するものである。

原爆投下に対する米国の世論の投下直後の支持率は85%であり、正当化論の神話が引き継がれ、今なお高い支持を得ている。

トルーマン大統領も原爆投下の正当性を言明しており、米高校の教科書にも明記されている。最近でも、原爆記念切手の発行が計画され(最も後に図柄が変更されたが、)、また米上院でもその正当性を議決している等、正当化論には根強いものがある。

この説に対しては、その必要性はなかったとする意見があり、説得力を持っていると思える。ましてや、2発目の長崎への投下は全くその必要性は微塵もない。

ソ連に対する警告論は、「米国は原爆で戦争を終結させることが出来れば、戦後の国際社会でソ連より優位に立つことが出来る。」という大量殺人兵器を誇示して、ソ連に対する恫喝・牽制を行った政治目的であったとするものである。米国の冷戦政策の生け贄となったと云われる所以である。今日、この論は余り支持されていないようではあるが、・・

 

3 米大統領の広島訪問に関する論考

  • 大統領決断の背景等

オバマ大統領が広島訪問を決断したのは幾つかの背景的要因があろう。

  • 日本側が、米国に対して、謝罪を求めないとの感触を得ていた。
  • 大統領や国務長官の訪問実現にはケネディ大使の尽力があったとされる。

2013年11月に着任したケネディ大使は、2014年、2015年と、広島、長崎の式典に参列した。ケネディ氏の前任のルース氏は、2010年に駐日米大使として初めて広島の式典に出席。その後、氏は12年、13年と広島、長崎の双方の式典に参列している。

一方、ガテマラー国務次官(軍備管理・国際安全保障担当)が広島と長崎の式典に出席もしており、このような地均しがあった。

  • オバマ大統領の個人的な思い

任期が切れる大統領のレガシー作りではないかとも、或いはノーベル平和賞受賞につながったプラハ演説(「米国の道義的責任」について述べたのは特筆すべき。)の思いの実現を期したのだろうとの見方もある。

 

何れにしても、周到な根回し、地均しと根強い反対論を押し切っての今回の訪問

の実現であろう。

 

(2)意義

現職大統領が直接原爆の惨状を認識することは、核廃絶への第一歩となり得る。そういう意味において、今般の広島訪問は歴史的なターニングポイントである。核保有数でロシアと並ぶ世界で最も影響力が大きい米国の大統領が、爆心地を訪れ、原爆による死者を追悼することは意義深い。

 

  • 日本の対応について

ア 日米の原爆に対する意識の差異

日本人には、米国に対して謝罪や賠償を求めようとの動きは殆どない。一方、米国は謝罪を求められるのではないかとの強い懸念を持っている。多分、忸怩たる思いを秘めているのだろう。

原爆投下に関する日米の受け止め方の差があるのかも知れぬ。原爆死没者慰霊碑の前面に刻まれた「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」との文言に自ら納得しているから、謝罪など求めるべきではないと考えているのだろうか?自業自得だから仕方なかったと考えているのか?

小生、個人としては、一言言いたいところではあるが…

恩讐を超えての日米の絆の重要性を深く認識しているからなのか?日本人は忘れっぽいのか?

 

イ 未来志向による原爆投下正当論の棚上げ

原爆投下正当論は、明らかに可笑しいと云える。昭和38年の東京地裁の判決に拠るまでもなく、明白な戦時国際法違反であると断じうる。然し乍ら、今、それを言い募ったとしても、双方が感情的になり、結果的に日米の亀裂が深まるだけであり、建設的ではない。日米の亀裂の深まりは、何処かの国を利するだけである。それを狙ってか、執拗に追求せんとする輩も居る。単に理想論の立場からであったとしても、結果的に同じ結果になる場合もあることを認識すべきだ。

何れ、蟠りなく、原爆投下について話し合える時代が来るだろう。勿論、世代を超えた相当な年数を要するだろうが・・。それまでは未来志向で対応するのが賢明である。これらの課題を乗り越えた時に、真の日米友好が生まれる筈だ。

 

ウ 核廃絶の理想と核抑止に依存する現実の葛藤

日本は36年振りの党大会で党委員長に推戴された金正恩氏率いる核保有国宣言をした北朝鮮、中国或いはロシアの核の脅威に直面し、それに対処するために米国の核の傘に入っている。核廃絶に向けた努力は重要ではあるが、日本が直面している現実から目を背けてはならない。理想を述べたところで、現実は変わらない。

正当化論への過激な批判は、日米の亀裂を深くし、我が国の安全保障を危うくしかねない。理想を追求しつつも、現実的なアプローチをとらざるを得ない。

米国の次期大統領が、若しトランプ氏となった場合をも念頭に日本の戦略を練っておかねばなるまい。

(了)

 

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