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責任果たす真のリーダーが日本にいない! 黒川さんが新著で「国民に不幸」と警鐘

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「福島第1原発事故は、日本の最も弱い部分、『日本のエスタブリッシュメントの甘さ』を世界中に露呈した。日本の信用が一気に低下した。今もその動きは止まっていない」

「志が低く責任感がない。自分たちの問題であるにもかかわらず、他人事のようなことばかり言う。普段は威張っているのに、困難に遭うと、わが身かわいさから、すぐ逃げる。これが日本の中枢にいる『リーダーたち』だ。政治、行政、銀行、大企業、大学、どこにいる『リーダー』も同じである。日本人は、全体としては優れているが、大局観をもって『身を賭しても』という、真のリーダーがいない。国民にとって、なんと不幸なことか。福島第1原発事故から5年過ぎた今、私は、改めてこの思いを強くする」

「東電原発事故から5年たっても誰も責任とらず、事故教訓も生かされていない」

これらの言葉は、東電の福島第1原発事故の原因究明にあたって、政府や東電から独立して調査に臨んだ国会事故調査委員会の黒川清委員長(当時)が、最近出版の「規制の虜(とりこ)」(講談社刊)の中で言及したものだ。日本社会に対する警鐘だ。

黒川さんにすれば、世界中を震撼させた大事故にもかかわらず、事故後5年がたっても誰も責任をとっていないこと、事故の教訓が生かされないまま原発再稼働ばかりが先行する現実、原発事故というシビア・アクシデントに対する広域住民避難計画など防災体制づくりが先送りになっていること、世界の国々が日本の原発事故から何を学ぶべきかを知りたいのに、日本政府は再発事故防止策に対する日本の教訓について、未だに世界に対し明確に発信していないことなどへの強い憤りが、これらの警鐘になった、と言っていい。

私自身も、黒川さんと一緒に国会事故調にかかわり、事務局で現場調査を見てきた関係から、冒頭の警鐘部分に関しては実感する。しかも日本の組織社会、とくに日本株式会社の中枢にいるエリートといわれる人たちの本質を鋭く突いており、100%同感だ。

 

米MIT教授も政治リーダーに不満、FTジャーナリストは組織の罠リスクを問題視

そこで今回は、黒川さんが警鐘を鳴らした日本の組織社会をマネージするリーダーたちの問題、とくに与えられた責務や責任を果たすアカウンタビリティ欠如の問題、それが社会に影響を及ぼす重大さ、日本のシステム危機に及びかねない問題を取り上げてみたい。

そんな矢先、米マサチューセッツ工科大学のリチャード・J・サミュエルズ教授の著書「3.11 震災は日本を変えたのか」(英治出版刊)を読んだ。教授は「日本は3.11をきっかけに新たな日本づくりをめざし大きく変化するチャンスだったが、政治リーダーは現状維持を優先した」と不満げだ。今の日本にとってヒントになるので、取り上げよう。

また英フィナンシャル・タイムズ紙の米国版編集長のジュリアン・テッドさんが著書「サイロ・エフェクト――高度専門化社会の罠」(文芸春秋社刊)で、組織の細分化、専門化、複雑化が進んだことで陥りやすい組織リスクの問題を家畜飼料や牧草の貯蔵棟のサイロ、日本流にはタコつぼにからめて、タテ割り組織にヨコ串を刺さず連携を怠ることで起きる弊害を問題視した。ソニーなど巨大組織にそれら事例があった、という。これも日本のリーダーが考えるべきポイントで、システム警鐘になると思うので、ご紹介しよう。

「規制当局の官僚が原発の安全確保めぐり規制対象の事業者利益のために動く」

まずは、黒川さんの「規制の虜」の本だ。書名の由来は、原発の安全管理の面から厳しい規制チェックを加える側の規制当局、とくに最終責任を負うべきエリート官僚が規制対象の東京電力など電力事業者の虜になってしまっている、という観点からだ。

黒川さんは、本の中で、国会事故調時代の調査統括役を担った宇田左近さんの「我々は(事故の真相解明調査のために)日本株式会社のガバナンスを全身スキャンしたようなものですね」という言葉を活用して、「スキャンしてみた結果、政府や官僚、規制当局者らが国民のためにするべき管理・監視、規制といった役割を果たしてこなかった。相互のチェック・アンド・バランスが働かない社会になっていた」と断じている。

そして、今回の原発の安全確保をめぐり規制する立場と規制される立場の逆転現象が起き、当時の原子力安全・保安院は、国民の安全や利益のためではなく、事業者(東電)の利益のために機能するようになり、規制の虜になってしまった、と黒川さんは言う。

 

専門情報の優位性が常に事業者側にあり、規制当局者は後追いなどのハンデ響く

逆転現象が起きる理由はいくつかある。専門情報の優位性が事業者側にあったこと、具体的には当時の規制当局は、原発の専門的な情報や知識に関して後追いだったうえ、規制当局トップらが人事ローテーションにより2年程度で異動するため、専門的な判断をする余裕がないハンデを常に持っていたこと。日本のエネルギー政策が当時、原子力推進をベースにしており、原発安全管理に関しては「推進の中での安全」を前提にしていたこと、しかも規制する旧原子力安全・保安院が原子力推進の立場にある経済産業省の一機関だったため、厳しく規制すると圧力がかかる可能性があったことだ、という。

事実、国会事故調の調査では、東電が規制の緩和に関して直接に、あるいは業界団体の電気事業連合会を通じて間接に、規制当局に要望を出すと、最終的に出てくる規制は要望どおりになっていた。そこで黒川さんは規制当局者を「規制の虜」と位置付けたのだ。

国会事故調の公開の参考人聴取で、歴代の旧原子力安全・保安院長数人が、在任中の規制対策に関して「責任を問われる問題ではないか」という追及に対し、責任逃れの答えを繰り返し、私は「えっ、よくそんな答弁ができるな」と思わず憤りを感じたほどだ。

「日本のリーダーは『なりたいポジション』に就いた時から責任を果たす行動したのか」

しかしここで重要なことは、黒川さんが、5年たった今も原発事故の教訓が生かされない現実について、「国家の危機が目前に迫っていても対応できない『日本のリーダーたち』への歯がゆさ、日本を支える産官学のコアの部分がメルトダウンしていることへの危機感だ」と述べている点だろう。

黒川さんは、その問題に関連して「役所の事務次官になりたい、政治家になりたい、企業トップの社長になりたい、という人はたくさんいる。しかし、そのために何をしてきたのか。『なりたいポジション』に就いた時、与えられた責務・責任をきちんと果たしているのか?急速に変化するグローバル世界での『日本国の責任ある地位(ポジション)』にある『個人』として、自分はどうなのか?ということを考え、行動することだ。それがアカウンタビリティの本来の意味だ」と、本の中で述べている。確かに、そのとおりだ。

さらに黒川さんは「問題が起きた時に、責任者らしき数人が『申し訳ございませんでした』とそろって頭を下げ、それで何となく事態は収束していく。これでは外国との関係で事故が生じた時などに責任の所在をめぐり紛争のもとになりかねない」とも述べている。

 

「震災は日本を変えたか」著者、日本政治リーダーの変革よりも現状維持姿勢に不満

日本のエスタブリッシュメントと目される人たちの決断を問題視した米MITサミュエルズ教授の話を紹介しよう。教授は安全保障、エネルギー、地方自治の3領域に焦点をしぼり3.11から2年間の日本の政治リーダーの動きにどんな変化があったか分析した。

結論から先に申し上げれば、教授は「3.11は形勢を一変させる『ゲーム・チェンジャー』にならず、日本の政体を構造的に変えることもなかった。前向きに『変化を加速』するよりも『現状維持』が優先されたようだ」「力の均衡を揺るがし、突如として組織の正当性が否定されるようなビッグバンではなかった」と述べ、日本の政治リーダーたちが当時、安定を優先した現状維持に終始したことに不満でいる。

ただ、教授は「変化の兆しが見られ、日本の政治の刷新を心待ちにする人々に希望を与えたが、日本の政治に長期的な変化をもたらすのだろうか?」と結び、政治リーダーたちが変革を待望する国民の期待に応えられるかどうかがカギだという見方でいる。

 

組織の大胆なフラット化で「サイロ」破壊の米病院成功事例は日本にも参考になる!

最後の話は、少しアングルが異なるが、ジャーナリストのテッドさんが指摘する「サイロ・エフェクト」の問題だ。ソニーの出井伸之さんが1994年のCEO当時、巨大組織化したソニーを8つの専門家集団の集まりであるカンパニー制に分け、独立採算でカンパニー経営を行う「サイロ」経営にした。しかも新製品発表のデモンストレーション時、3つのカンパニーが出した新製品の間には全く互換性がなかった。

このソニーとは対照的に、ライバルのアップルは単一の組織でヨコ連携を図り、結果的にソニーのウォークマンを凌駕するヒット商品のiPodをつくり、インターネットの時代につなげて行った。結果は明白で、iPodが爆発的な人気を呼んだ。テッドさんはこの象徴的な事例をもとに、「サイロ」経営に陥ったソニー・トップの経営の失敗だ、と断じた。

「サイロ」破壊という点で、米病院の成功事例は日本に極めて参考になる。米クリーブランド・クリニックで内科医と外科医などの専門医のカベを取り外して組織を一気にフラット化、患者の立場に立ち効率的で治療費コストも安く済む医療体制を確立し巨大組織化した病院経営の枠組みをガラッと変えた事例だ。IT(情報通信)などデジタル化も大胆に進め、誰もが電子カルテで情報共有しチェックできるシステム導入も行った。現場専門医の反発や抵抗を押し切った結果、全米病院評価では常にトップ10にランクされるほどで、患者人気も上がり経営的に伸びた。タテ割り組織の弊害をなくすためヨコ連携した結果だが、優れたリーダーの心臓外科医、トビー・コスグローブさんの指導力が大きかった。

 

日本のメディアに変革立ち遅れ事例も、黒川さんは「グループシンク」打破を主張

この話で思い出したのは朝日新聞の事例だ。政治部と地方総局間の連携の悪さをきっかけに大誤報を生んだ事件の再発防止対策として、2005年に東京本社政治部や経済部などの編集局組織のカベを取り外し、組織間の縄張り争いによるマイナス打破のため、マクロ政策取材グループなど組織横断的な取材チームをつくり組織のフラット化を試みた。

私が在籍した毎日新聞でもできなかった編集局の「サイロ」破壊へのチャレンジで、当時、これは先見性があるなと期待した。ところが結果は失敗で、数年後、朝日新聞は現場の声を踏まえ、元の取材体制に戻してしまった。原因は、現場記者らが居心地のよかった古い編集局の枠組みにこだわったためだ。時代の先をしっかり読み大胆に組織改革を貫く経営リーダーがいれば新聞社経営の先端を走れたはずだ。メディアは紙面上で世の中の組織改革キャンペーンをするのに、自身の足元で古い組織体質にこだわるのは奇妙な話だ。

黒川さんが国会事故調問題をきっかけに日本社会に巣くう「規制の虜」など社会システムにメスを入れ、リスクをとって責任を果たす真のリーダー輩出を促したのは実に素晴らしい。中でも、本の中で「グループシンク(集団浅慮)が国を滅ぼす」問題を取り上げ、同質性の高い人たちばかりが集まって行動する結果、異論や異質の考えを受け入れず間違った判断を下すリスクが高い、と指摘したのは重要だ。今こそ、日本のリーダーたちは大局観をもってダイナミックに組織変革、システム改革に取り組み、日本を変えてほしい。

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