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マハンとルーズベルト大統領の「黄禍論」

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 黄禍論とは何か
黄禍論とは、マハンとルーズベルトが活動した19世紀半ばから20世紀前半にかけてアメリカや欧州などの白人国家において現れた、「黄色人種脅威論、人種差別の一種」である。黄禍論の根底には、「白人に比べ黄色人種は劣等人種」という思いがある。白人と黄色人種の関係を見れば、大航海時代以降第二次世界大戦までは、アジアの黄色人種の国々(非キリスト教)は、ヨーロッパの白人国家群(キリスト教)の植民地となっていた。すなわち、日本を除けば、ほとんどの黄色人種の国は欧米の白人国家の支配下にあり、白人が黄色人種を支配する構造が確立されていた。
黄禍論は、その白人の優位性が黄色人種に脅かされるのではないかという恐怖感に根ざすもので、それゆえ、特にアメリカにおいては、白人の優位性を維持確保するため、移民を制限・排除・差別する様々な政策・制度などが作られた。
オーストラリアにおける白豪主義――白人最優先主義とそれにもとづく非白人への排除政策――も根底には、黄禍論の影響があることは否めない。
 なぜマハンとルーズベルトの時代に黄禍論が米国で燃え上ったのか
アメリカは大陸横断鉄道建設を始めたが、労働力不足だった。19世紀半ば、清朝が衰退し、イギリスをなどによって半植民地の状態におかれた中国では、安定した生活を求め海外に移住する者が出始めた。ちょうどその頃、アメリカでは西部開拓が推し進められ、大陸横断鉄道の敷設が進められ、カリフォルニア州で発見され金鉱によりゴールドラッシュに沸きかえっていた。人口希薄な西部で、金鉱の鉱夫や鉄道工事の工夫として多くの中国人労働者が受け入れられた。また、日本人も少し遅れてハワイやカリフォルニアの農場労働者として移民が本格化した。
アメリカでは先に来た移民が優位に立つ。日本人、中国人に先んじた移民はアイルランド人だった。アメリカの最下層として「3K」部門を生業としていたところ、低賃金を厭わず、勤勉で忍耐強い日本人や中国人から仕事を奪われ始めた。アイルランド人の強みは「白人」であること。それを生かし、売り上げを伸ばそうとするメディアや投票が欲しい政治家に、日本人、中国人の移民阻止・制限を訴えた。
時恰も、日清戦争と日露戦争に日本が勝利し、日本人は「油断ならない黄色人種」として、白人の警戒心を呼び起こした。
 マハンの黄禍論(日本人観)
マハンは、日本人について「その剛健な資質は、将来も同化を拒み、日本人だけの地域を作り、アメリカの国益に関係なく行動し、絶えず他のアメリカ人との間で摩擦を起こす危険な存在」と捕らえていた。マハンはこのような考えから、日本人移民反対の急先鋒となってペンを取った。「日本人移民の流入を、このまま放っておくと、10年も経たないうちに、ロッキー山脈以西の人口の大半が日本人によって占められ、日本化されてしまう。その権利を日本に認めるくらいなら、私は明日にでも戦争をするほうを選ぶ」とイギリスの知人に手紙で本音を吐露している。
 ルーズベルトの黄禍論(日本人観)
ルーズベルトは、日露戦争の結果を見て「日本は東洋で恐るべき勢力となり、将来アメリカと戦争をすることになるかもしれない」、と不安を漏らしていた。日本はフィリピンやハワイを直ちに奪取するのみならず、大規模な遠征隊をカリフォルニアに上陸させ、ロッキー山脈以西のアメリカ全土を征服しうる、という評価までしていた。
このような日本評価・対日観を持っていたルーズベルトは、以下のような対日戦略を実行した。第一は、日露戦争の講和の斡旋。ルーズベルトはアメリカの国益第一に考え、日露の一方に大勝させず「痛み分け」させ、これを梃子に自ら中国利権に食い込もうという算段があったと思われる。これすなわち、日本の影響力拡大を抑えることが眼目。アメリカは日露戦争の講和斡旋を買って出ることにより、日露両国に恩を売り、血を流さずしてアジアにおける自らの地歩を一定確保することを目論んだのだ。
第二は「オレンジ戦争計画」の策定。ルーズベルトは、日露戦争直後、台頭する日本を念頭に、対日戦争を想定した「オレンジ戦争計画」を初めて策定した。後に、太平洋戦争においては、この計画のシナリオどおり推移した。
第三は、米海軍の白色艦隊――全艦を白色に塗装――による世界一周航海。艦隊は米大西洋艦隊配備の新造戦艦16隻を基幹に編成された。航海の主目的は米海軍の戦力を世界中、特に日露戦争に勝ったばかりの日本に誇示することだったといわれる。文字通りの「砲艦外交」であった。
 今日、黄禍論は消えたのか
アメリカの歴史学者ジョン・ダワーは、「容赦なき戦争」という著書で、太平洋戦争における日米の人種観に焦点を当て、戦争が苛烈になった一因を日米両国の有していた相手国への選民意識・蔑視意識に認める解釈を示した。マハンとルーズベルトの時代に激しく燃え上がった黄禍論はやがて日米が全面衝突する太平洋戦争に発展し、双方が厳しく憎しみ合う熾烈な戦いを繰り広げた。アメリカはドイツとも戦ったが、日系アメリカ人のみを強制収用・隔離し、広島と長崎に対する原子爆弾投下を決定するに至らしめた淵源には黄禍論が存在していたからではないか。
1990年、在沖縄米海兵隊司令官スタックポール少将は 「米軍が日本から撤退すれば、 すでに強力な軍事力を日本はさらに増強するだろう。 我々は 『瓶のふた』 のようなものだ」 とホンネを漏らした。日米安保は日本を自立させない『瓶のふた』という発想の根底には黄禍論があるのではないだろうか。私たち日本人はワスプが支配するアメリカの深層心理の中にいまだ黄禍論が息づいていることを認識する必要があろう。
今日アメリカが直面している、中国との覇権争いやテロとの戦争の底流にも黄禍論と一脈通じるものがあるものと思う。

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