Home»連 載»やたがらすの眼»マハン海軍戦略(その2)――アメリカの地政学

マハン海軍戦略(その2)――アメリカの地政学

4
Shares
Pinterest Google+

 

古来より、事を成すには、「天の時(時代的背景)」「地の利(立地条件)」「人の和(人的要素)」という3つの条件が必要だといわれる。前回、「天の時」に着目して、マハンの「海上戦略史論」が世に出た(1890年)した時代的背景についてのべた。

今回は、マハンの「海上戦略史論」が依拠した米国の地政学(立地条件)について説明したい。

  • 1890年当時の米国の国土――「世界の超大国」となり得るポテンシャルを保有

マハンの「海上戦略史論」が登場する頃(1890年)には、米国土の総面積は約962万㎢に達し、ロシア(約1,710万㎢)、カナダ(約998万㎢)に次ぐものであった。これすなわち、米国は「世界の超大国」となり得るポテンシャルを有していたことを意味する。

  • 米国の国土の姿(地勢・地貌)――「十字架」の中心に位置する国

宇宙船から俯瞰した米国土の姿を最も簡潔に表現すれば、「二つの大陸と二つの海洋がクロスする『十字架』の中心に位置する国」と言えるのではないだろうか。十字架はキリストが磔刑に処されたときの刑具と伝えられ、主要なキリスト教の教派が、最も重要な宗教的象徴とするもの。縦方向(南北)に伸びる「北アメリカ大陸と南アメリカ大陸」が「十字架の『縦の棒』」に相当する。また、「横の棒」は、米国を中心としてアジアとヨーロッパに伸びる太平洋と大西洋の海原(シーレーン)である。即ち、米国は南・北アメリカ大陸の中枢を占め、太平洋と大西洋にアクセスできる位置に存在する。

  • 米国の地政学上の二つの特色

米国の地政学上の第一特色は、前述の「十字架の『横の棒』」に由来するもので、「広大無辺の太平洋と大西洋を隔てて、アジアとヨーロッパに対面すること」である。これにより、米国はアジア・ヨーロッパと往来・通商するためには太平洋と大西洋を越えなければならない。大西洋と太平洋は世界で最も広大な海洋で、例えばサンフランシスコから東京までの距離は8270km、また、ニューヨークとロンドンの距離は約5500kmもある。従って、米国が旧大陸諸国家と通商を行い、覇権を争うためには広大無辺の海洋を克服する必要がある。

米国の地政学上の第一の特色は、英国、ロシア、中国、などの地政学と対比すれば理解しやすい。

英国は、海洋国家として米国に似ている――モデルになる――が、アメリカが二つの大洋に面しているのに対し、英国はドーバー海峡を隔てて、ヨーロッパに対面する国である。米国に比べ、スケールが遥かに小さい。

ロシアは、黒海、バルト海、バレンツ海、オホーツク海、日本海ベーリング海などに面しているが、いずれも狭隘で、冬季には氷に閉ざされる海もある。従って、海に依存して通商を行うよりは、内陸上の道路・鉄道による通商が主体となる。

中国は、大陸側に半分を、黄海、東シナ海、南シナ海を経て太平洋側に半分を対面している。大陸正面はタクラマカン砂漠、ゴビ砂漠やヒマラヤ山脈などの地形障害により陸上経由の通商は著しく制限される。今日、東シナ海(尖閣諸島問題)や南シナ海(南沙諸島問題)などを突破して、太平洋に進出しようとしているが、それは13億人以上の人口を養うために、食料などの資源を手に入れ、工業製品などを輸出するためには不可欠の生存ルートを確保するためである。このような理由で、筆者は、中国は「海洋国家」と呼ぶのがふさわしいのではないかと思うところである。

米国の地政学上の第二特色は、「十字架の『縦の棒』」に由来するものである。即ち、米国は、「縦の棒」に相当する「南アメリカ大陸と北アメリカ大陸」により隔絶され、大西洋と太平洋との往来が極めて困難である。両大洋を往来するためには、北はベーリング海峡を、南はホーン岬を越えなければならない。しかも、ベーリング海峡は、7月から10月以外の間は結氷状態になる。両大洋を往来するためには、マハンの時代の蒸気船の速度では、膨大な時間を要した。1898年に米国とスペインの間で起きた戦争米西戦争当時、米国は太平洋艦隊所属の戦艦オレゴンを南米のホーン岬経由でカリブ海正面へ派遣した。オレゴンは、総航路約2万キロメートルを67日間かけ、フロリダの米海軍基地パームビーチに到着した。

  • 米国の地政学的な特色に由来する軍事・経済・通商上の課題

米国の地政学上の第一特色――「広大無辺の太平洋と大西洋を隔てて、アジアとヨーロッパに対面すること」――により、軍事上、経済・通商上克服しなければならない課題は以下のとおりである。

第一に、米国が旧大陸の諸国家と通商を行うためには、大量の商船が必要である。商船を運航するためには、造船業の振興と港湾の整備が必要となる。また、当然、通商を行う相手国内の港湾にアクセス権を持たなければならない。

第二に、商船を防護し、通商の相手国に睨みを利かせるためには、強大な海軍の建設が不可欠となる。米国の海軍は、アジアとの通商を維持・防護するためと、ヨーロッパ列強による大西洋を超えた侵攻に対する防護のために必要となった。

第三に、米国はアジアとヨーロッパに至る長大なシーレーン(通商航路)を確保する必要があった。なお、大西洋においては、米国が独立する頃には、既に、英国やスペインなどがシーレーンを確立していた。米国は新たにアジア向けのシーレーン――太平洋ハイウェー――の構築を急ぐ必要があった。このシーレーン上にはいわば高速道路にドライブインを設けるように、基地を設ける必要があった。基地は商船のみならず、むしろ海軍のためのものでもあり、石炭・弾薬などの補給や船舶修理などの機能が必要だった。このため、ハワイやグアム更にはフィリピンなどの基地の適地を支配下に置く必要が生じた。

米国の地政学上の第二特色――「『南アメリカ大陸と北アメリカ大陸』により隔絶され、大西洋と太平洋との往来が極めて困難で、両大洋を往来するためには、北はベーリング海峡を、南はホーン岬を越えなければならない」という制約により、軍事上、経済・通商上克服しなければならない課題は以下のとおりである。

すなわち、米海軍は太平洋と大西洋に分離されることになる。米国は、マハンの時代には、今日のような軍事力はなく、ヨーロッパの英国、スペイン、フランス、ドイツなどの脅威が大西洋を越えて存在していた。また、太平洋正面には、新たに明治維新後「富国強兵」を方針とする日本帝国の存在がクローズアップしつつあった。このため米国は、太平洋と大西洋の両正面に海軍を配備しなければならず、結果としてそれぞれの戦力は、二分されることになった。ワシントン海軍軍縮条約(1922年)で、米国及び英国と日本の保有艦の総排水量比率を「5対3」で合意した背景の一つは、米・英両海軍が太平洋と大西洋の二正面をカバーしなければならないのに対し、日本海軍は太平洋のみを守備領域にすればよかったからではないだろうか。

有事に米国は、二大洋のいずれかに戦力を集中するためには、南・北アメリカ大陸を横断する運河を建設する必要が生じた。その場所は、陸地が最も狭くなるパナマ地峡が最適。

マハンが「海上戦略史論」を構想・執筆する上で前提とした米国の地政学の大要は、上記の通りだったと思われる。

 

(おやばとより引用)

 

 

 

 

Previous post

東芝の新体制の矛盾 ~臨時株主総会での株主の議決権行使に注目~

Next post

ガバナンス・コードと取締役会の受託・説明責任