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海上自衛隊“水陸両用戦艦隊”への道

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昨秋、平成30年度計画3900トン型護衛艦(30FFM)2隻の起工式が三菱重工長崎造船所と三井E&S造船玉野艦船工場において相次いで行われた。工期は3年余りであり、いずれの艦も2022年春に就役予定だ。大きな構想変更がなければ、今後10年余りをかけて同型艦及び発展型が計22隻が就役する予定である。30FFMは30大綱別表で海上自衛隊基幹部隊として新規に示された「護衛艦・掃海艦艇部隊2個群(13個隊)」を構成する“多様な任務への対応能力を向上させた護衛艦”である。

現在の掃海隊群と新型護衛艦から編成される新たな部隊の主な活動場所は、我が国周辺の大陸棚から沿岸部に至る中浅深度の、島嶼部を含むEEZ海域が想定される。その活動は、平時からグレーゾーン事態においては警戒監視、大規模地震・津波災害対処、海賊対処、国連PKOや平和構築活動、海上警備行動、治安出動など法執行機関とともに行う防衛出動未満の中低強度の事態から、機雷の敷設および排除、陸自水陸機動団等とともに行う高烈度の水陸両用戦まで、幅広く多様な任務を担うことが想定される。対潜戦、弾道ミサイル防衛、米空母機動部隊との連携など、ブルー・ウオーターと呼ばれる外洋を主たる活動の場とする護衛艦隊に対比し、水深が浅く緑色に見える海域を活動の場とするため“グリーン・ウオーター・ネイビー”と呼ばれることもあるこの部隊は、海上自衛隊の水陸両用戦艦隊として誕生する。

名称や編成はいまだ明らかにされてないが、本稿ではそのルーツをたどりつつ、予想される新艦隊像について考察してみたい。

海上自衛隊の輸送・揚陸部隊の歴史そのものは長く、1955年に米軍から汎用輸送艇(LCU)及び機動輸送艇(LCM)の供与を受けた時にさかのぼる。1961年には大型の戦車揚陸艦(LST542級)3隻の供与を受け、「おおすみ型(初代)」として第1輸送隊が編成された。その後、国産初の輸送艦「あつみ型(45LST)」、「みうら型(47MST)」と続き、現有の「おおすみ型(05LST)」へと、その排水量と輸送能力を拡大しつつ整備されてきた。

元来専守防衛を国是とする我が国の防衛政策において、第2次世界大戦のノルマンジー上陸作戦や太平洋正面の島嶼戦のような“敵地侵攻”的イメージが強い「水陸両用戦」は専守防衛力の範囲なのかとの異論もあり、なかばタブーとされてきた。そのような環境下「両用戦」という名称は使われず、輸送艦部隊の任務は「海上作戦輸送」、すなわち我が国の領土に侵攻してきた敵の支配地やその近傍に陸自などの部隊を輸送することとされ、陸海自衛隊の統合作戦というよりも、海自による輸送支援のような位置づけであった。例えば冷戦中に主戦場として想定された北海道への陸自増援兵力の揚陸地は、敵勢力が眼前に及んでいない場所と考えられていた。

この時代の輸送隊が担った特筆すべき任務が2つある。そのひとつは、1971年に米国の統治から日本に返還された沖縄への日本円輸送である。占領下の沖縄で流通していた米ドルを、すべて日本円に入れ替える必用があった。そのための現金542億円の輸送を担ったのが初代「おおすみ型」の「おおすみ」と「しれとこ」であった。2つ目はカンボジアへの陸自PKO部隊輸送である。1992年、国連カンボジア暫定統治機構にPKOとして派遣される陸自部隊の輸送を、輸送艦「みうら」「おじか」等が担任した。

チヌークなど大型ヘリの運用、LCACや充実した医療能力を備え、飛躍的に能力を向上した多用途艦となった新「おおすみ型」就役以降は、トルコ北西部地震被災者救援のための仮設住宅輸送を皮切りに、東ティモールPKO、イラク特措法、テロ特措法等に基づく物資輸送、スマトラ沖地震後の国際緊急事態派遣法に基づく人道物資輸送、東日本大震災時の災害派遣など、いわゆるMOOTW(戦争以外の軍事活動)に目覚ましい活動を行ってきた。

新艦隊を構成する一方の兵力である掃海隊群の変遷を見てみよう。

日本の掃海部隊は、戦争末期に米軍のB29が日本周辺の港湾航路に敷設した感応機雷約12000個、及び日本海軍が敷設した係維機雷約5万個の戦後処理のため、海軍、復員省、運輸省、防衛庁とその所属が変わりつつも航路啓開隊として連綿として機雷の除去に当たって来た、帝国海軍の魂を受け継ぐ海上自衛隊のルーツである。朝鮮戦争時には国連軍の要請により極秘裏に朝鮮半島に派遣され、上陸作戦の先鋒となったことも知られている。戦後に78名に及ぶ“戦死者”を出した部隊であることも忘れてはならない。

自衛隊初の実任務での海外部隊派遣となった湾岸戦争後のペルシャ湾掃海でも高い作戦能力と術力を国内外に示した。上記「おおすみ」等トルコに派遣された国際緊急援助部隊を率いたのは、掃海母艦「ぶんご」を旗艦とする第1掃海隊群司令であった。

東日本大震災に際し、掃海母艦、掃海艦艇、EODチームなど掃海部隊をもって編成された海災第4部隊(指揮官は当時掃海隊群司令であった筆者)は、LCACを駆使して活動した輸送艦部隊とともに、瓦礫に阻まれ護衛艦等が近寄り難かった被災地において、湾奥深く進入し捜索救援活動を行いその能力を発揮した。

ここまで輸送艦部隊と掃海部隊の変遷を振り返ってきたが、これらの部隊が行ってきた多様かつ融通無碍な活動を強いてひとまとめに表現すれば、「海から陸への物資(兵力)投射」と、「それを可能とするための輸送及び障害の排除」と見ることができる。それはまさしく“Form the Sea”を標榜する米軍の水陸両用即応群(Amphibious Ready Group : ARG)の行う活動に等しい。

冷戦後、我が国周辺を巡る海洋の安全保障環境は急激に変化した。中国の飛躍的な経済発展に伴い、旧式の装備と外洋を航行する練度を持たず、それまで大陸沿岸でしか活動できなかった人民解放軍海軍及び海警(沿岸警備隊)が急速に近代化かつ著しい増勢と練度向上が図られ、空母やイージス艦、強襲揚陸艦、弾道ミサイル原子力潜水艦を有する全機能型のブルーウオーター・ネイビーへと驚くべき変貌を遂げた。特に我が国との関係においては、尖閣諸島のいわゆる国有化以降、中国の公船が同島周辺を遊弋し頻繁に領海侵入する回数が激増したほか、中国軍機に対する空自スクランブルが冷戦期の対ソ連機を上回る回数で常態化している。また我が国周辺にとどまらず、遠くソマリア沖・アデン湾における海賊対処活動や、ホルムズ海峡付近の日本関連船舶の安全など、インド・太平洋における自由で開かれた海洋秩序維持への役割など、海上自衛隊に課せられる任務が広範かつ複雑多岐にわたり、さらに増大している。新防衛大綱で示された6つの「防衛力が果たすべき役割」のうち、「①平時からグレーゾーンの事態への対応」、「②島嶼部を含む我が国に対する攻撃への対応」、「④大規模災害などへの対応」、「⑤日米同盟に基づく米国との共同」、「⑥安全保障協力の推進」(③の新領域を除くすべて)と、これらの役割をシームレスかつ複合的に果たせる防衛力を担うにあたり、水陸両用作戦部隊を保有する必要性が認められ、陸自においては水陸機動団が発足するに至った。

水陸両用戦は優れて陸海軍の統合作戦であり、米軍においては前述のARGは、海兵隊で構成されるLF(Landing Force : 上陸部隊)と海軍の水陸両用戦部隊で構成されるATF(Amphibious Task Force : 水陸両用戦任務部隊)で編成される。米インド・太平洋軍においては、それぞれ沖縄に司令部をおく海兵隊の第3海兵隊遠征軍(3MEF)と、海軍第7艦隊の第76水陸両用戦任務軍/第7遠征打撃軍 : Task Force 76 Amphibious Force / Expeditionary Strike Group 7)がそれにあたる。TF76は、佐世保の強襲揚陸艦部隊PHIBRON 11と掃海艦部隊MCMRON 7及び横須賀の揚陸指揮艦ブルーリッジで編成される。

新大綱別表で新たに登場した護衛艦と掃海艦艇等で編成される「護衛艦・掃海艦艇部隊2個群(13個隊)」に輸送艦部隊を加えた部隊が、概ねこのTF76に相当するものとなる。これにLFたる陸自水陸機動団を加えた統合部隊が日本版ARGである。

米海軍部隊には、それぞれの在籍港に近い海自部隊が姉妹部隊に指定され、緊密な連携が図られている。従前TF76(沖縄・勝連)の姉妹部隊は第2護衛隊群(佐世保)であり、この時点では海自における水陸両用戦担当も同じく第2護衛隊群とされていた。もとより対潜戦や防空戦等の機能部隊である護衛隊群との親和性は薄かった。このため自衛艦隊において水陸両用戦担当部隊の検討が行われ、第1輸送隊が所属(当時)する護衛艦隊担当とする案が有力となっていた。掃海隊群司令であった筆者は、河野自衛艦隊司令官に対し「水陸両用戦担当は掃海隊群とすべき」として、概略次のような意見具申を行った。

1 掃海部隊は海自発足当初から50年以上にわたり米掃海部隊と日米共同訓練を重ねてきた。その調整相手がTF76であり、日米機雷戦協議や機雷戦特別訓練を通じ両司令部間の連携はすでに行っている。

2 掃海隊群は元来大陸棚から沿岸部の中浅深度における作戦に長けており、東日本大震災において掃海隊群が行ったオペレーションは、まさに水陸両用戦の一機能であった。

3 太平洋戦争で米軍が採った対日飢餓作戦のような大量の機雷による日本侵攻が起きる蓋然性はゼロに等しく、海自の機雷戦部隊は更に縮小される趨勢にある。将来掃群のあるべき姿の答えは、東日本大震災の活動の中にある。TF76が揚陸部隊と機雷戦部隊により構成されるごとく、掃海部隊に輸送艦部隊を加えた編成により、日本版TF76として海自に必用とされる水陸両用戦部隊の根幹とすべきである。

その結果、掃海隊群が水陸両用戦の担当部隊とされ、その後司令部に両用戦を担当する幕僚が順次増員されるとともに、相浦の陸自西部方面普通科連隊(水陸機動団の元となった部隊)からの連絡幕僚が配置された。さらに2016年には第1輸送隊が護衛艦隊から編入され今日に至っている。

今後毎年2隻のペースで建造される新型護衛艦部隊と、現在は地方隊所属の全掃海部隊を編成替えして指揮下に入れ、30大綱完成時には第2の水上艦隊が誕生することになる。

具体的な編成や定繋港等の構想はいまだ明らかにされていない。訓練管理を容易にするため2つの群を掃海部隊と護衛艦部隊との機能別に分けるとの考えもあるが、護衛艦隊の4個群を均質な編成として練度管理を行うのと同じ考えに立てば、2つの群は護衛隊と掃海隊の混成の相似構成となる。新型護衛艦はクルー制により稼働率を向上させる方針も明らかにされている。掃海母艦の後継艦として、ブルーリッジタイプの指揮艦取得も考えられる。

見通しうる将来にわたって日米同盟が日本とこの地域平和と安定のための安全保障の基軸であることに疑いない。しかし他力本願でみずからの国を守る覚悟がない国を、同盟国だからというだけで命をかけて守る片思いのお人好しがどこにいるだろう。身を挺して自らを守る覚悟があってこそ、同盟関係は盤石となる。安全保障環境の変化に対応するため、海上自衛隊にも大きな変革が起こりつつある。

Jシップス2月号(イカロス出版)より

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