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NEO 非戦闘員(邦人)退避作戦余話

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  • 喫緊のNEO問題――迫るX-day

「クリスマス前後に、トランプは米軍による北朝鮮に対する先制攻撃をするのではないか」という、噂が流れている。「クリスマス」を表す略表記の「Xmas」――「X」は「キリスト」を表すギリシャ語の頭文字で、「mas」は「祭」「祝祭日」という意味の英語――に引っ掛けて米軍による先制攻撃の日をX-dayと呼ぶ向きもあるようだ。

チキンゲームを挑む北朝鮮に対して、超大国の米国はいつ鉄槌を振り下ろしても不思議ではない。それも、ある突然奇襲をするシナリオだ。

我が国にとってそれは、耐えられないほどの様々な災禍をもたらす可能性がある。その災禍の一つが朝鮮半島に取り残される邦人の問題だ。イラク戦争に行って人質となった高遠菜穂子という人物がいたが、日本人は、身の安全について驚くほど「ノー天気」である。X-dayにも、在韓邦人と観光客が数万人いると見積もられる。これら邦人をどう救出するのかが、喫緊の課題の一つだ。

筆者は、1990年6月から防衛駐在官として3年間勤務した。この間、本邦初めてのNEO計画の策定を策定した。その経緯は次の通り。なお、これについては拙著『防衛駐在官という任務 ―38度線の軍事インテリジェンス― (ワニブックスPLUS新書) 2012/6/8』が詳しい。

  • 在韓国大使館におけるNEO計画の策定の経緯

1985年のイラン・イラク戦争当時、在イラン邦人の救出が問題となった。実は私の同期生がイランの防衛駐在官で赴任していたが、運が良かったのか、悪かったのか、彼は戦争勃発当時日本に一時帰国中であった。邦人がイランから出国できない訳だから、逆に国外からイランに入ることもできず、その同期生のせっかくの活躍――邦人保護など――の機会を生かせず相当苦しんでいる様子を察し、気の毒に思ったものだ。

私が韓国に赴任した1990年当時は、冷戦構造崩壊直後で、北朝鮮の孤立化が進み、いつ内部崩壊してもおかしくない状況だった。内部崩壊した場合には、難民が韓国に大挙して押し寄せ大混乱が起こるとか、北朝鮮国民の不満を外に向けるために、暴発して韓国を攻撃するかもしれない、という恐れが高まりつつあった。

韓国に赴任するに際し、イランの邦人救出問題が鮮明に私の脳裏に焼き付いており、着任後直ちに大使館の邦人救出計画・態勢を調べてみた。驚いたことに、ほとんど何も計画・準備らしいものは無かった。朝鮮半島では、危機が慢性化しているせいで、リスクを感じなくなっていたのか、あるいは自衛隊などによる救援の打つ手(オプション)がほとんど無く、計画の立て様も無かったのかもしれない。

危機管理についていえば、防衛駐在官着任直後に、私は驚いたことがある。ほかの大使館の幹部職員には配られていた緊急時警報用のポケベルが、なぜか防衛駐在官には渡されていなかった(当時は勿論携帯電話はそれほど普及していなかった)。理由は分らなかったが、北朝鮮の崩壊や韓国への侵攻時に、職責上ポケベルを使うべき立場にあるはずの防衛駐在官にポケベルが配布されていないのはおかしい、と思った。大使も出席されたある館内会議で、思い切って大使にお願いした。

「我々2人の防衛駐在官にはポケベルが配分されていませんが、緊急時は、お役に立てると思いますので、追加配分いただけないでしょうか」

「それは知らなかった、何かあった時一番働いてもらうのは2人の防衛駐在官だ。担当の者は、直ちに処置をしなさい」

大使の素早い指示に、心から感謝した。

着任して間もなく、7月4日のアメリカの独立記念日を迎えた。私のマンションのすぐそばに、在韓米軍司令部などがある龍山(ヨンサン)基地があった。その日は日曜日で、私はたまたまゴルフか何かで疲れて、夕方うたた寝をしていた。突然の爆発音に夢の中から叩き起こされた。寝惚けて「北朝鮮が攻撃して来たのか!」と本当に思った。それは、アメリカの独立記念日を祝う花火だったのだが。深層心理の中で、北朝鮮の攻撃の可能性を予感している私には一瞬、戦争勃発と早合点したのだった。この時に限らず、夜中に凄い雷鳴に目を覚ました時には、砲弾が落下したのかと思うことがしばしばあった。私の防衛駐在官としての潜在意識が引き起こす心理現象だったと思う。

こんな状況の中で、邦人保護計画の未整備を知った私は、自分が防衛駐在官の時代になんとか一案を作ってやろうと思うようになった。政治部長の小野参事官に申し上げたら、「ぜひやろう」、と賛成してくれた。政治部長から大使に説明してもらい、了解を得、私が主務者となってやることになった。私が自分一人で作成してもあまり意味がない。大使館の関係職員をはじめ各省庁の出向者、在留邦人の主だった方々などにも参加してもらい、大勢で作ることに意義があると思った。所謂キャリアでもない防衛駐在官の私が、主務者となって、外務省はもとより各省庁から出向してきているキャリア公務員達に指示しながら計画を作ることに、初めのうちは抵抗もあったが、大使のご意向を政治部長から良く説明してもらって、何とか足並みを揃えることができるようになった。私が本文を書き、出向者などに「輸送計画」「通信計画」「邦人の掌握・編成計画」「物資・装備等計画」および「渉外計画」などの別紙の作成を担当してもらうことになった。例えば、運輸省からの出向者には、航空便、船便などの輸送計画を書いてもらった。そして、私が書いた本文の内容をベースとして、輸送計画や通信・連絡計画などの別紙の内容と整合を図った。保護の対象は、在留邦人と旅行者に大別された。在留邦人は当時3500名ほどいたと思う。旅行者は、毎日少なくとも数万はいると見積もられた。

旅行者に対しては、情勢の悪化により、渡航を自粛・制限する匙加減で対処することとした。ただし、渡航の自粛・制限を勧告することは、韓国経済・外交などに大きなダメージを与える可能性があるので、北朝鮮の動向を見ながら、その立場に配慮しなければならず、極めて困難な判断になることが予想された。このために、私は参考までに、一応の状況判断の基準(ラダー)を作成した。この場合も、防衛駐在官の危機管理のための情報収集・分析・評価が判断の重要な一要素になると自負する半面、大きな責任を感じた。

約3500の在留邦人に対しては、危機発生以前に退避させることが基本であった。しかし、これも韓国側に配慮すれば、タイムリーにできるかどうかは疑わしかった。このように、実際に計画に着手して、さまざまなシナリオを研究してみると、色々な問題があることが分った。

米国の邦人保護要領について調べてみた。米国は、一ヶ月に一度、邦人も旅行者も含め、韓国からの脱出訓練を実施していた。アメリカ人は、有事は、着のみ着のままで、近傍の米軍基地に逃げ込めば良い。その基地からヘリコプターなどで、水源(スウォン)の米空軍基地などに移送し、同基地から大型輸送機で、日本の横田基地に運ぶ手はずになっていた。軍を含む政府関係者は、それぞれの世帯の財産目録を事前に提出しておけば、緊急時に持ち出さなくても、後で政府が保証するような制度まで完備していた。アメリカ大使館付駐在武官のマッケニー米陸軍大佐に対し「日本は貴国と同盟国だから、緊急時、余裕があれば、日本の邦人をアメリカ人と一緒に横田基地に運んでくれないか」と頼んだら、「私のレベルでは、何ともいえない。日本の外務省から米国務省に申し入れたら」との返答だった。もちろんその手順で、外交ルートを通じ交渉した結果は、「不可能」という回答であった。日米は同盟関係であるとはいえ、日米安保条約には、「邦人救出」についての記述はない。国内であれ、国外であれ、「自国民の安全はその政府が責任を負う」というのが、国際的に大原則である。韓国の在留邦人の救出を米国に依存するのは筋違いなのである。

とはいえ、当時私は、「『日米同盟』といわれる間柄でありながら、邦人の緊急避難輸送さえもできないのか」、と恨めしく思ったものだ。しかしよく考えてみると、米国の言い分にも一理ある、と納得した。即ち、もし日本人を米軍基地に受け入れ、横田基地に輸送することを容認すれば、韓国人避難民が基地に押し寄せ、日本への脱出を要請するのを拒めなくなる――という問題をはらむ可能性がある。日米同盟に基づき邦人の緊急避難輸送をやることになれば、米韓同盟があるにも拘らず韓国人の緊急輸送は拒否するという理屈が成り立たなくなるのではないか。もし、韓国人の国外脱出を米軍が実施することになれば、米軍基地は、韓国の避難民であふれかえり、軍事作戦が著しく阻害される恐れも出てくる。

かくして、在留邦人の脱出を米軍に頼めないとなれば、自力でやることを考えざるを得ない。もちろん、情勢が緊迫すれば段階的かつ隠密に子弟や家族から順次帰国してもらう、と考えるのは当然だった。ただし、事態が予測できず、突発的に戦争などが勃発した際、あるいは一部の邦人が逃げ遅れた場合など、最悪の事態についても方策を考えておく必要があった。その方策の骨子は以下の通り。

 

① 在留邦人一人一人を日ごろから完全に把握し連絡体制を確立しておく。在留邦人を居住区毎に組織化し、責任者などの役割を決めておき通信・連絡手段を整備する。

② いざという場合の、避難・集合場所、脱出ルートを複数提示する(最悪の場合釜山まで)。この際、最初の脱出目標にソウル市を分断する漢江の南にある日本人学校とし、これを日本人収容のための最大拠点とする。そのために、食料、水、医薬品などを備蓄する。さらに、釜山の方向に南下するためには、ルート沿いの日本系企業施設を活用する。

 

このように、邦人保護計画作成で苦心惨憺せざるを得なかったのは、自衛隊が邦人保護のために軽易に海外に展開する法的根拠がなかったからだ。我が国・世論は、第二次世界大戦敗戦の後遺症で、自衛隊が国外に出ることを全て「海外派兵」と捉える傾向が強かった。社会党などの「自衛隊の海外派兵反対!」という主張で、海外で生命の危機にさらされる邦人に救いの手を差し伸べることが困難な時代だった。海外の日本人が安危に係る厳しい環境に置かれているにもかかわらず、諸外国のように、比較的軽易に軍を投入して邦人を救出するといういわば国際的な一般常識が通用しない時代だった。

私達は、自衛隊による邦人救出を望めないという条件のなかで、1991年初めごろ(約6ヶ月を費やし)やっとのことで一応の計画を作り上げた。その後8年ほど経過して、ようやく政府は、緊急事態における邦人の救出態勢強化に動いた。即ち、防衛庁・自衛隊は、外国での災害、騒乱その他の緊急事態に際して、1999年の自衛隊法第100条の8の規定の改正により、生命や身体の保護を必要とする在外邦人などの輸送手段としてそれまでの政府専用機や航空自衛隊の輸送機で輸送することのほかに、自衛隊の船舶とその船舶に搭載されたヘリコプター(主として海上自衛隊)が追加されたほか、隊員と邦人などの生命や身体を防護するため必要最小限の武器の使用ができることとなり、輸送のための態勢が強化された。これにより、不十分ながらも「邦人救出作戦」が実施できる、一定の枠組みができることとなった。

これは、韓国大使館で我々が作成した邦人保護計画が、政府による邦人救出態勢強化に一定の作用をしたものと思っている。

我々が作った計画は、1991年度の外務省の予算取りに力を発揮したものとみえ、緊急事態のための装備・物の面で大いに前進があった。大使館と日本人学校に非常食、水、燃料、医薬品等が備蓄された。また、邦人の通信・連絡用に日本から隠密に無線機を相当数搬入した。ただし、韓国では電波法上、普段の訓練(電波発信)はできなかった。これにより、邦人相互の通信・連絡手段が強化された。私が着任するまでは、ポケベルさえもなかった防衛駐在官にも、携帯電話を支給してくれたほか、非常時にしか使わない電話(電話番号非公開)を自宅に設置してくれた。

大使館の、担当職員が私の意見を聞いてきた。

「備蓄食料は何が良いでしょうか」

「日本で製造している、インスタント食品や缶詰だけではなく、米軍が使用している、乾燥・軽量タイプのレーションも検討対象にしたらいかがですか。また水は、泥水を浄化するタブレットも市販されていいます」

「古くなったらどうしましょうか」

「当然、期限が来たら廃棄すべきです。ただし、期限直前に、あらかじめ希望者を募っておいて、欲しい人には差し上げたらどうですか。日本人館員のみならず、韓国人職員にも希望を聞いたほうが良いですね」

北朝鮮情勢の不安定化に伴い、従来、防衛駐在官には余り関心を示さなかった日本企業の幹部が、この邦人保護計画作成作業を契機に頻繁に私と接触を求めるようになった。私にとっても望むところだった。とくに商社は、私の関心のある軍事関連情報を入手できる可能性があり、密接な連携を持つメリットは大きかった。

彼らの、関心も当然軍事情勢であり、韓国を離脱すべきタイムリーな時期を知りたがっていた。「福山さん、まず家族を帰国させるタイミングを教えてください」とよく頼まれたものだった。いずれにせよ、邦人の方々が北朝鮮の内部崩壊事態や、いちかばちかの南進攻撃を心配するような情勢になりつつあったことは確かだ。

私が防衛駐在官の任務を終えた後のことだが、1999年の自衛隊法第100条の8の規定の改正などにより、おそらく、韓国の日本大使館における法人保護・救出計画は一定のレベルアップが図られたに違いない。

その後、韓国からの邦人救出問題に関して言えば、日米政府は1997年の日米防衛協力の指針(ガイドライン)に、有事の際の在韓邦人救出計画の協議を明記した。日米間では非戦闘員退避に関する具体的な計画作りが進んでいるが、多くの問題点が残っている。最大の問題は、韓国側の受け止め方だ。自衛隊が韓国国内で活動することには、強い反発が予想される。

2010年11月23日、北朝鮮が黄海の南北境界水域に近い韓国の延坪島を砲撃するという事件が発生した。菅首相は、北朝鮮による本事件直後の2010年12月11日、朝鮮半島有事の際、在韓邦人救出のために自衛隊を現地に派遣できるよう、韓国政府と協議に入る考えを表明した。しかし、前述のように韓国国民の強い反発が予想される中で、実際には、何の進展も見ていない。

  • 安倍内閣のNEO対策――産経新聞報道

12月17日付の産経新聞は、「在韓邦人退避に陸自ヘリ 釜山-対馬ピストン輸送 北朝鮮有事を想定した政府計画」と題して、次のように報じている。www.sankei.com/politics/news/171217/plt1712170005-n1.html

 

政府が北朝鮮有事を想定し、陸上自衛隊のCH47大型ヘリコプターを投入して長崎県・対馬と韓国・釜山の間で在韓邦人の退避を行う計画を作成していたことが16日、分かった。空自と海自の航空機と艦船も投入する計画で、陸海空3自衛隊による統合任務として非戦闘員退避活動(NEO)を実施する。複数の政府関係者が明らかにした。

 

対馬と釜山の距離は約50キロ。CH47の航続距離は約1千キロで、給油なしで邦人らをピストン輸送することが可能だ。1機あたり約50人を運ぶことができる。防衛省関係者によると、陸自が保有する57機のうち、30機程度を邦人退避に投入する計画という。このほか、UH60中型ヘリの活用も検討している。

政府は自衛隊に邦人退避の任務を付与する際、空自の航空支援集団司令官をトップとする統合任務部隊(JTF)を編成する方針だ。陸海空のヘリや航空機、艦艇を一元的に指揮することを想定している。

NEOに関し、政府は1994年の朝鮮半島危機を受けて計画作成に着手した。韓国国内の港湾施設5カ所や空港・空軍基地から輸送する計画だ。

それによると、朝鮮半島の緊張が高まった段階で渡航自粛や民間機での退避を促す。有事が発生すれば韓国国内のシェルターに一時避難した上で、米軍などがあらかじめ指定している場所に集まる。そこから空港・空軍基地や港湾施設に移動し、陸自のCH47のほか空自のC130輸送機、海自の「おおすみ」型輸送艦などで日本へ移送することを想定している。

在韓邦人は、観光客も含めると約5万7千人いる。自衛隊内では「海空自衛隊の輸送能力を超えている」(空自幹部)との声もあり、陸自ヘリの活用も必要だと判断した。

ただ、自衛隊による邦人保護活動は、受け入れ国の同意や、活動現場で安全が確保されていることが条件だ。韓国政府は日本政府との事前協議に応じず、かたくなな姿勢を取っている。政府内には「情勢が緊迫化すれば韓国も認めざるを得ない」(高官)との見方もあるが、見通しは不透明で、カナダや豪州など有志連合で韓国政府と協議することも検討している。

一方で、政府内には「韓国政府が認めなくても、自衛隊を派遣しなければならない事態はあり得る」(高官)との声もある。邦人保護のため、安倍晋三首相が決断を迫られる場面も出てきかねないとの見方だ。

  • 若干のコメント

「泥棒をとらえて縄を綯う」の例えではないが、事態が緊迫の度を加え、政府も本腰を上げた感がある。この産経新聞の記事の通り、最大のネックは、韓国政府の対応だ。「反日」をウリにして、政権基盤強化を図る文在寅はX-dayまで、「世論の反対」を理由に自衛隊によるNEOを拒否することだろう。

一方で、日本は韓国防衛のために国を挙げて米軍の対北朝鮮作戦を全面支援することになる。何とアンバランス・理不尽なことだろう。また、日本が許可しようとしまいと、韓国からは夥しい避難民が対馬海峡を越えて押し寄せるのは間違いない。

そこで、韓国との交渉においては「韓国からの避難民に対して可能な限り救済する」という条件とバーターでNEO任務の自衛隊の受け入れを迫るのが良いのでは。ただしその際、「戦闘には一切踏み込まない」という条件付きです。

産経新聞報道の通り、「カナダや豪州など有志連合で韓国政府と協議」という策も、良いと思う。これらいずれの国も、脱出ルートの最初の避難先は「日本」なので、スクラムを組むのは好都合だと思う。

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