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コーポレートガバナンスの議論について思うこと  -わが国における翻訳文化の壁-

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相変わらず企業不祥事が絶えない。2015年に大規模な不正会計が発覚した東芝からは、子会社における数千億円規模の減損の可能性が2016年末に公表された。米国原子力事業を担う子会社ウエスチングハウス社が1年前に買収した企業の「のれん」の減損に関連するものであるが、東芝経営陣は12月中旬になって減損の可能性を知ったとのことで、企業集団の内部統制の不備が指摘されそうな事態となっている。
大規模企業不祥事が発生すると、第三者委員会等により原因究明が行われ、再発防止策が立案・実施される一方で、政府・監督当局・民間団体等により、新しい制度や仕組み、既存制度や仕組みの見直しの検討が行われる。それらの議論の中心は、ガバナンス(Governance)、リスク管理(Risk managementまたはRisk control)、内部統制(Internal control)、監査(Audit)などである。しかしながら、これらの議論には、本質から外れているものや違和感を感じる部分が少なくない。
わが国の法律や制度は、明治時代以降に欧米から取り入れられたものであり、2015年に適用となった日本版コーポレートガバナンス・コード(東証)に至るまで、下敷きになっているのは欧米の制度であり、違和感の原因はわが国の固有の「翻訳文化の壁」にあると筆者は考えている。以下にいくつかの例を挙げてみたい・・・・

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