≪戦後70年を振り返る≫ 三流官庁と揶揄されてきた防衛省/「憲法の落とし子」としての自衛隊 それぞれに残された今日的課題
2015年4月1日
○ 防衛省・自衛隊発足から60年余の歴史 今年は、終戦から70年の節目の年である。防衛省(庁)・自衛隊は、昭和29(195 4)年の発足から昨年60周年を迎え、今年は61年目、昭和25(1950)の警察予 備隊創設から数えれば65年目に当たる。 第2次安倍内閣が発足し、一昨年末には、国家安全保障会議が創設され、「国防の基本方 針(昭和32年国防会議及び閣議決定)」に代えて、わが国として初めての「国家安全保障 戦略」が決定された。これに引き続き、昨年7月には、国の存立を全うし、国民を守るた めの切れ目のない安全保障法制の整備のための基本方針が閣議決定され、本年は、その法 整備と「日米防衛協力のための指針」(ガイドライン)の見直しが大きな政治課題となって おり、戦後最大の転期を迎えている。 顧みれば、敗戦占領(昭和20年~27年)下、マッカーサー連合国軍最高司令官率い る占領軍によって押し付けられた現行憲法は、日本を<非武装(非軍事)化・弱体化>す るための国家改造を狙ったものであった。その第9条「戦争の放棄および陸海空軍の戦力 の不保持並びに交戦権の否認」の規定の通り、憲法には「あれはダメ、これもダメ」の否 定や禁止条項はあるが、国を守ることについての明確で主体的な記述は一切存在しない。 この<国防なき憲法>(『「国防なき憲法」への警告』、内外出版、日本郷友連盟・偕行社共 同プロジェクト)が、戦後わが国の国家的自立を妨げてきた安全保障・防衛問題の宿罪で ある。 第2次世界大戦の終了とともに、国際政治の場では米ソを両極とする東西冷戦が表面化 した。昭和25(1950)年にはその代理戦争ともいうべき朝鮮戦争(~1953年) が勃発し、わが国では占領米軍の朝鮮半島への転用にともなって軍事的空白が生じた。マ ッカーサーは、憲法第9条によって戦力(軍隊)の保持を禁じたことから、治安維持任務 の警察力を補うとして、ポツダム政令を発し、急きょわが国に警察予備隊(Police Reserve) の創設を命じた。その警察予備隊を前身とし、昭和27(1952)年に保安庁・保安隊、 次いで、防衛庁とアームド・フォース(Armed Forces)としての自衛隊が創られた。 その後、平成10(1998)年、平成18(2006)年に連続発生した北朝鮮によ る弾道ミサイル発射などの重大事態を受け、難産だった防衛庁の省昇格は、「戦後レジーム からの脱却」を最重要の政策課題として登場した安倍晋三首相の強力なリーダーシップに よって、平成19(2007)年1月、ようやく達成された。しかし、<憲法の落とし子 >の宿命を負った防衛省・自衛隊の出自は争えず、今日に至るまで、わが国の防衛政策や ≪戦後70年を振り返る≫ 三流官庁と揶揄されてきた防衛省/「憲法の落とし子」としての自衛隊 それぞれに残された今日的課題 2 軍事機構としてのあり方を大きく狂わせてきた…