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『地域包括ケアの課題と未来』編集雑感 (13): 子規の最期の日々

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多くの日本人が死生観を表現してきた。日本人の死生観はさまざまである。必ずしも「死生観」と正面から題して記述されるわけではない。島薗進は死生観を生みだす様式として以下の5項目を挙げた(『死生観を読む』朝日新聞出版)。

1. 自らの死を予期してそれに備えること
2. 死を間近にした経験を支えとして生きる生き方
3. 死後の生についてまとまった考えをもつこと
4. 死者とともにあることを強く意識する生の形
5. 他者との死別の悲しみを重く受け止めて生きること

死生観に類する文章で、私が最も熱心に読んだのは正岡子規である。2011年の日本リハビリテーション医学会総会で、「日本人にとって最良の老後とは」をテーマとする特別講演を、同級生だった赤居正美会長から頼まれたのがきっかけである。趣味としてではなく、実務上の目的をもって、どのように使えるのか下心をもって読む方が理解は深くなる。当時、死生観として読んだのではない。死に向かう患者を楽にするのにどうすればよいのかを考えるために読んだ。

日本人はより高齢に、より孤独に、より貧しくなり続けている。2025年問題が声高に語られているが、2025年以後も高齢化は進み続ける。65歳以上、75歳以上の人口の絶対数がピークに達するのは、それぞれ2042年、2053年である。高齢者人口の増加スピードが遅くなっても、現役世代の減少は着実に進む。社会保障を支える人口が減少し続ける。財政赤字は膨らむばかりである。これまでの医療・介護サービスを継続するのは困難である。

金の使い方、サービス提供のあり方を考え直さざるを得ない。戦後、日本の医療はひたすら生命を延ばすことに努力を集中してきた。75歳以上の高齢者医療に文教科学予算の2.4倍もの金が使われている。一方で、こどもの貧困率は増え続けている。高齢者の生命を延ばそうと努力することが、必ずしも日本人を幸せにしてきたとは思えない。

講演では、大井玄と宮本太郎の文章も引用した。

大井玄は看取りの中での人間関係を重視する。「病院に気持ちよく『往生できる』サービス資源と機能がない。」「それは、死を納得する心理的過程だといってよいでしょう。看取る側が向ける愛の対象が、ローソクの炎のようにふっと消えてしまう。」「『健康』を失っても『人間関係』という他者とのつながりが保たれているならば、さらにいうと他者の『ため』になっているならば、人は『満足』していられる。」(『人間の往生』新潮新書)

宮本太郎は、生活の糧を確保することに加えて、社会的包摂に目を向ける(『生活保障』岩波新書)。「労働市場と家族が変容するなか、どれだけ広範な人々が就労できて、いかに継続的に生活の資源を得ることができるか、同時に、他の人々とつながり、承認される『生きる場』をどう確保していくのか」と問う。

子規は抽象的議論ではなく、写生に徹する。写生は豊穣である。子規の記述は島薗の様式1に似ているが、自らの死に備えるのではなく、死の床にある自分と生活を描写する。痛みの中で揺れ動く感情、辛さを忘れるひと時が描かれる。

「病勢はげしく苦痛つのるに従いわが思う通りにならぬために絶えず癇癪を起し人を叱(しっ)す。家人恐れて近づかず。一人として看病の真意を解する者なし。陸奥福堂(むつふくどう)高橋自恃(たかはしじじ)の如きも病勢つのりて後はしばしば妻君を叱りつけたりと。」(『仰臥漫録』)

「余の内へ来る人にて病気の介抱は鼠骨(そこつ)が一番上手なり。鼠骨と話し居れば不快のときも遂(つい)にうかされて一つ笑うようになること常なり。彼は話し上手にて談緒(だんしょ)多き上に調子の上に一種の滑稽(こっけい)あればつまらぬことも面白く聞かさるること多し。彼の観察は細微にしてかつ記臆力に富めり。」(『仰臥漫録』)

「病気の境涯に処しては、病気を楽しむといふことにならなければ生きて居ても何の面白味もない。」(『病牀六尺』)

看護についての記述は、地域包括ケアについての猪飼周平の意見を思わせる。猪飼によれば、地域包括ケアでは、健康を支える活動の場が、「生活の場に引き寄せられる。」活動が「人々の固有の価値、ニーズを理解するための情報収集に重きを置く活動へと変わっていく。」(『病院の世紀の理論』有斐閣)

「看護婦として病院で修業する事は医師の助手の如きものであつて、此処にいはゆる病気の介抱とは大変に違ふて居る。病人を介抱すると言ふのは畢竟(ひっきょう)病人を慰めるのにほかならんのであるから、教へることも出来ないやうな極めて些末(さまつ)なることに気が利くやうでなければならぬ。」「看護人は先ず第一に病人の心持を推し量つての上で、これを慰むるやうな手段をとらねばならぬのであるから、看護人は先ず第一に病人の性質とそのくせとを知る事が必要である。」(『病牀六尺』)

食事についての細かい記述が多い。死ぬ前にうまいものを食べようと考えたが、金がない。さまざま考えた挙句、高浜虚子から20円借りることになった。その金で、会席膳をとりよせ、母と妹をねぎらう。「二人前を取り寄せ家内三人にて食ふ」という表現に状況が凝縮される。

「明日は余の誕生日にあたるを今日に繰り上げ昼飯に岡野の料理二人前を取り寄せ家内三人にて食ふ。これは例の財布の中より出でたる者にていささか平生看護の労に酬いんとするなり。けだしまた余の誕生日の祝ひをさめなるべし。料理は会席膳五品。」「平生(へいぜい)台所の隅で香(こう)の物ばかり食ふて居る母や妹には更(さら)に珍しくもありさらにうまくもあるのだ。」(『仰臥漫録』)

宗教についての記述もあるが、あくまで、写生、観察の態度を崩さない。

「人の希望は初め漠然として大きく後漸(ようや)く小さく確実になるならひなり。我病牀(びょうしょう)における希望は初めより極めて小さく、遠く歩行(ある)き得ずともよし、庭の内だに歩行きえばといひしは四、五年前の事なり。」「希望の縮小はなほここに止まらず。坐る事はともあれせめて一時間なりとも苦痛なく安らかに臥(ふ)し得ば如何に嬉しからんとはきのふ今日の我希望なり。」「希望の零(ぜろ)となる時期、釈迦(しゃか)はこれを涅槃(ねはん)といひ耶蘇(やそ)はこれを救ひとやいふやらん。」(『墨汁一滴』)

「『如何にして日を暮らすべき』『誰かこの苦を救ふてくれる者はあるまいか。』此(ここ)に至つて宗教問題に到着(とうちゃく)したと宗教家はいふであらう。しかし宗教を信ぜぬ余には宗教も何の役にも立たない。基督(きりすと)教を信ぜぬ者には神の救ひの手は届かない。仏教を信ぜぬ者には南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)を繰り返して日を暮らすことも出来ない。」(『病牀六尺』)

現実は論理ではない。変化があり矛盾がある。子規にあって理想が写生と対比される。

「理想といふ事は人間の考を表はすのであるから、その人間が非常な奇才でない以上は、到底類似と陳腐を免れぬやうになるのは必然である。」「写生といふ事は、天然を写すのであるから、天然の趣味が変化して居るだけそれだけ、写生文写生画の趣味も変化し得るのである。」「理想といふやつは一呼吸に屋根の上に飛び上らうとしてかへつて池の中に落ち込むやうな事が多い。」(『病牀六尺』)

死の5日前の記述は鬼気迫る。死の床にあって、観察と描写に心血を注ぐ。

「足あり、仁王の足の如し。足あり、他人の足の如し。足あり、大盤石(だいばんじゃく)の如し。僅(わず)かに指頭を以てこの脚頭に触るれば天地震動、草木号叫。」(『病牀六尺』)

病床の子規の最大の楽しみは、新聞『日本』に連載していた『病牀六尺』の記事を眺めることだった。死の4日前の短い文章は私の最も好きな散文の一つである。子規は死の間際まで、様々なことを考えた。

「芭蕉が奥羽行脚の時に、尾花沢といふ出羽(でわ)の山奥に宿を乞ふて馬小屋の隣にやうやう一夜の夢を結んだことがあるさうだ。ころしも夏であったので、
蚤(のみ) 虱(しらみ) 馬のしとする枕許(まくらもと)
といふ一句を得て形見とした。しかし芭蕉はそれほど臭気に辟易(へきえき)しなかつたらうと覚える。
上野の動物園にいつて見ると(今はしらぬが)前には虎の檻(おり)の前などに来ると、もの珍しげに江戸児(えどっこ)のちやきちやきなどが立留(たちどま)って見て、鼻をつまみながら、くせえくせえなどと悪口をいって居る。その後を来た青毛布のぢいさんなどは一向(いっこう)匂ひなにかには平気な様子でただ虎のでけえのに驚いて居る。」(『病牀六尺』)

芭蕉、馬小屋の臭気、動物園の虎、ちゃきちゃきの江戸っ子、青毛布のぢいさんのイメージを思いついたとき、喜びがあったに違いない。死にゆく人の考えることについて、狭い料簡の中に押し込める必要はない。

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