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『地域包括ケアの課題と未来』編集雑感 (2): 猪飼周平「地域包括ケアの歴史的必然性」を語る

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猪飼氏は、2010年に出版した『病院の世紀の理論』(有斐閣)で、イギリス、アメリカ、日本の医療システムを比較しつつ、独創性の高い議論を展開し、医療が医学モデルから生活モデルに大きく転換されようとしていることを説いた。

猪飼氏は、19世紀までの西洋医学は、「患者を治すという点でたいしたことはできず、その中で経験的に患者の苦痛を和らげる手段が用いられたり、食事や休息が与えられたりする、それが医療システムの基本的な姿」であり、「いわば福祉システムの一種」だったとする。20世紀に入り、一部の病気が治療可能になった。以後、多大な期待と共に、医療の目標が患者を医学的な意味での治癒に導くことに変化した(医学モデル)。

1990年代以降、福祉領域の後追いをする形で、ケアに対する社会の期待が、医学的な意味での治癒から、患者の生活の質を高めることに変化してきた。「医療システムは、患者の医学的治癒を目的とするシステムから、患者の生活の質を支えるシステム(生活モデル)へと変貌するように、社会的圧力」を受けている。

今後も、医学モデルはケアの一つの選択肢として残るが、全体に占める割合が小さくなる。

『病院の世紀の理論』の記述の多くは、基本的に過去についてのものであるが、大胆にも近未来も予測している。すなわち、病院の世紀の終焉の後に生じる事態について、以下の6項目を挙げている。

1. 「健康」の概念が「病気と認められないこと」から「心身の状態に応じて生活の質が最大限に確保された状態」に変わる。医学モデルでは、病気の明確な定義が、診断や治療の背景にあった。ところが、生活の質は人それぞれに違っている。本人を含めて、何が良いのか厳密に知っているものはいない。新しい健康概念とは、多様性と不可知性を含み込んだ概念にならざるをえない。健康の明確な定義はもはや存在しないということになる。

2. 予防を含めて、保健サービスの役割が大きくなる。時代の中心となる生活習慣病が基本的には完治しないため、治療の期待を引き下げ、治療以外のアプローチの相対的な位置を引き上げる。予防によって、病気に罹らずに健やかにすごせる期間(いわゆる「健康寿命」)と寿命のギャップを短くすることができれば、高齢者の生活基盤の充実に資することになるといえる。

3. 保健(予防)・医療・高齢者福祉が、一つの目標の下に包括的ケアとして統合される。

4. 健康を支える活動の場が、生活の場に近くなり、医療が人々の固有の価値・ニーズを理解するための情報収集に重きを置く活動へと変わっていく。

5. ケアの中心が、病院から地域に移行していく。生活を構成する要素が、圧倒的に多岐にわたるため、病院だけではサービスを供給できない。

6. ケアの担い手が医師を頂点とする階層システムから、多様な職種や地域住民とのネットワークに移行する。

筆者は上記6項目のほとんどに賛成するが、医師としての実感として、生活習慣病の予防のための保健サービスに、効果が期待できるとは思えない。さらに、予防によって「健康寿命」と寿命とのギャップを短くすることができるとは思えない。ギャップを短くすることが可能だとすれば、予防を含む保健活動ではなく、適切な条件が満たされた場合に、以後の治療やケアを控えることぐらいだろうと想像する。実際、北欧で寝たきりが少ないのは、自分で食事を摂取できなくなった時は、死に時だと多くの人が考えており、食事介助が一般的に行われていないからだと聞いた。

もう一つ、『病院の世紀の理論』には、病院の世紀以前の日本の病床について、注目すべき記述があった。全病床の統計が初めて出そろった1913年、「伝染病床」や「娼妓病床」など「特殊病床」が治療目的の一般病床よりはるかに多かったことである。伝染病床だけで、全病床の72%も占めていた。「特殊病床」には他に「結核病床」「癩病床」があった。これらの病床は社会防衛が目的であって、「収容された者にとっては、むしろ生命の危険が増大した。」入院は「本人の希望によって行われたのではなく、日本の場合、特に警察権力を背景とする強制力によって行われたのである。」

現在の日本国憲法では、個人の権利は、公共の福祉に反しない限り、最大限尊重されなければならない。人権の制限はギリギリの利益衡量の中で行われる。

国連は、公益目的で人権を制限する場合の詳細な原則(シラクサ原則)を定めている[1]。WHOは、薬剤耐性結核の対策で人権を制限するには、シラクサ原則に含まれる5つの基準全てを満たす必要があるとしている[2]。

1. 人権制限は、法に基づいて行使される。

2. 人権制限は、多くの人たちが関心を寄せる正当な目的の達成に役立つ。

3. 人権制限は、民主主義社会においては、目的達成にどうしても必要な場合に限られる。

4. 目的を達成するのに、強要や人権制限が、必要最小限にとどまるような方法を採らなければならない。

5. 人権制限は、科学的根拠に基づくべきである。独断で決めてはならない。つまり、合理性を欠いたり、差別的だったりしてはならない。

日本の医療行政は歴史的に管理色が強く、安易に人権侵害に手を染めてきた。ハンセン病患者の生涯隔離政策は、医学的正当性を失った後も50年近く継続した。2009年の新型インフルエンザ騒動では、WHOが反対声明を出す中、科学的根拠のない検疫と停留措置を行った。戦前、警察、医療・保健行政に区別がなく、内務省に所属していたことが影響しているのではないか。

2012年のインフルエンザ特措法が、内閣府の警察官僚主導で制定されたのも、こうした歴史的経緯に由来するのだろう。同年10月12日に開催された日本感染症学会の緊急討論会で、法案の制定で日本感染症学会には相談がなかったこと、日本感染症学会所属の専門家の多くは、インフルエンザ特措法に問題があると考えていたことが明らかになった。

歴史的に、医系技官とくに感染症に関係した官僚たちは、上意下達のピラミッド構造を望み、他の分野でもそれを進めようとしがちである。

地域包括ケアの推進には現場のニーズを、現場に近いところで、多様な職種が直接認識するネットワーク構造が適していることを強調したい。

文献
1. United Nations, Economic and Social Council, U.N. Sub-Commission on Prevention of Discrimination and Protection of Minorities: Siracusa Principles on the Limitation and Derogation of Provisions in the International Covenant on Civil and Political Rights, Annex, UN Doc E/CN.4/1984/4, 1984. https://www1.umn.edu/humanrts/instree/siracusaprinciples.html (2015.10.10).
2. WHO Guidance on human rights and involuntary detention for xdr-tb control. http://www.who.int/tb/features_archive/involuntary_treatment/en/index.html (2015.10.10).

(Socinnov掲載記事)

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