終わりの始まり(4):EU難民問題の行方
EUの移民・難民にかかわる次の記事を書き始めている時に、TVニュースが、10月10日、トルコの首都アンカラの中央駅近くで大きな爆発があり、多数の死傷者が出たことを報じていた。訪日の旅から戻ったばかりのエルドアン大統領は、国内の民族的対立をあおるテロリストの行為であるとして、強く非難した。
不思議な因縁だが、前回の記事で、多くのシリア難民が、トルコからドイツなどへ、苦難の旅を続けていることを書いた。実はトルコは、このEU難民問題において、戦略的ともいうべききわめて重要な意味を持つ。
ヨーロッパを目指す二つの道
今日、ヨーロッパへやってくる移民・難民のたどる経路は様々だが、大別するとリビアなどアフリカ北部から老朽化した船などに溢れるばかりに乗り込んで、イタリアなどを目指す道と、シリアやアフガニスタンの難民のように、トルコの海岸から船で最も近いギリシャの島に渡り、バルカン半島を抜け、マケドニア、セルビア、ハンガリー、オーストリアなどを経由して、ドイツやイギリスを目指す道がある。
前者の道を経由する移民・難民のボートが転覆したりして、多数の犠牲者を生み、しかもイタリアなどの特定の国に多大な負担をもたらしてきたことは、これまでブログでも何度か記した。これに対して、バルカン半島を経由する道は陸路が多いが、ヨーロッパの中心部にたどり着くまでには、多数の国々を通らなければなく、これも多くの複雑な問題があった。
シリアからドイツへ
最近この経路をたどってドイツに入国したあるシリア難民の記事を目にした✴1。このシリア人バセルは24歳。ギリシャの海岸から小さな舟でトルコへ入り、バルカン半島を抜けて、オーストリアを経由してドイツに入国し、今は南東部バイエルン地方の静かな町フライウンクの難民施設に落ち着いている。ドイツの大都市の難民施設はすでに満員で、地方の町でもこうした受け入れ施設が必要になっている。難民施設の運営には、専門職員の数が足りなく、ヴォランティアの手助けが欠かせない。
今年8月31日の記者会見で、ドイツのメルケル首相は、同国への難民申請が2015年には、最大で80万人に達するかもしれないと述べた。しかし、その後の変化をみると、実際にはこの数を大幅に上回る模様だ。メルケル首相もかなり衝撃を受けた様子で、EU加盟国が公平に受け入れる必要があると強調し、それができなければ、EU域内の自由な人の移動を認めている「シェンゲン協定」の見直しも必要になると述べている。「シェンゲン協定」の再検討次第では、ひとたび廃止した国境管理が復活することにもなり、EU域内の人の自由な移動を目指したEUの理想が大きく後退することになる。難民の受け入れ能力がないとして国境管理を強めたり、事実上閉鎖するような国が多数出てくれば、EUにとっては事実上の分裂ともいうべき事態になりかねない。その可能性は決して低くない。
EUの死命を制する東部国境フロンティア
シリア難民などの数がとめどなく増加し、ヨーロッパの中心部へと移動している事態にどう対処するか。最も重要な政策はいうまでもなく、難民の発生する源を断つことにある。しかし、シリアの現実は、ロシアとアメリカの2大国が、国内のアサド政権と反体制派にそれぞれ加担し、あたかも2大国の戦争ゲームのような状況を呈している。ロシア、アメリカ双方がイスラム過激派(IS)の制圧を旗印にしてはいるが、戦況は錯綜して、アメリカの誤爆問題のような悲劇を生んでいる。
イスラム過激派を制圧して、シリア国内に平静を取り戻すことを目指すことは共通していても。ロシアとアメリカの思惑は対立し、国内政治の安定を取り戻すには長い時間を要するとみられる。そうなると、EUにとっては、とめどなくやってくる難民をいかに抑止し、EUを中心に各国が真の難民だけを、平等に受け入れることを考えねばならない。きわめて難しい課題である。たとえば、本来は、難民が最初の到着する国が責任をもって難民申請の処理に対応することになっているが、現実は十分ではないとの不満がドイツなどに広がっている。
あたかも奔流のように流入してくる難民・移民の動きに対応するため、ドイツ、フランス、イギリスは、ヨーロッパにおける難民、移民の最初の到着国になることが多いイタリアとトルコにEU主導による大規模な難民センターを年内に設置するよう求めている。
トルコなどにEUの主導で難民審査センターを設置し、真の難民か、難民にまぎれてEU諸国に入国しようとする者かを短期間に判別し、不法移民は本国送還するというのが、その狙いのようだ。しかし、前回のガウク大統領の感想のように、資金を注ぎ込んで、そうした難民センターなどを設置しても、必ずしもうまく機能しないことも分かってきたようだ。
難民を生み出す根源の地域が、ロシアとアメリカの対立の場と化していて、幸い戦火が途絶えた後でも荒廃した母国へは戻れない、あるいは戻りたくない人たちが急増している。さらに、近年の内戦や紛争はほとんどが民族的問題が介在している。たとえば、今回のテロリストによる爆発事件に先立つ今年7月、トルコでは政府軍がクルド人武装組織に対して大規模な軍事作戦を展開して、各地でテロや衝突事件が頻発していた。
国境が分断した民族
クルド人問題*2に明らかなように、彼らは第一次世界大戦後に引かれた国境によって、トルコ、シリア、イラク、イラン、アルメニアなどの国に分断された民族であり、トルコや他の居住地政府からの分離独立を目指して長年武力闘争を続けてきた。
多くの日本人にとっては、移民・難民の問題は、関心度がかなり低い部類に入るのではないか。「外国人労働者」という限定されたイメージは、1980年代からかなり浸透したが、日本への定住・永住を前提とした移民・難民の受け入れという問題は、国民的レベルで議論されることはほとんどない。そして、この問題の背景にはしばしば民族・人種問題が存在することも、あまり注目されない。EUの難民問題も記事の量は増えたが、多くは「対岸の火事」に近い受け取り方である。現在進行しているシリア難民あるいはクルド人などへの対応いかんが、ヨーロッパの基盤を大きく揺るがし、歴史の歯車を逆転させるような動きにつながりかねない危険を秘めていることまで考える人は少ない。
難民・移民問題は、わかりやすいようにみえて、実際はきわめて複雑で奥深い。このたびのEUの難民問題を考えているうちに、少し前に読んだことのある一冊の本(概略は下に掲載)のことを思い出した。バルカン半島などの地理的、政治的状況を十分理解していなかったこともあって、地図を傍らに置いて読んだ。イスラム教徒といっても、多くの宗派があり、その差異を理解することはかなり難しい。ましてや、イスラムあるいはキリスト教徒の側から、異なった神を信じる人たちのことを理解するには多大な時間と努力を要することが分かる。ヨーロッパの将来はイスラムとの共存なしには想定できない。
Behzad Yaghmaian, EMBRACING THE INFIDEL, Stories of Muslim Migrants on the Journey West, New York, Delacorte Press, 2004. 『異教徒を抱きしめて:モスリム移民の西欧への旅路」
やや時代をさかのぼるが、イラン系アメリカ人の著者が、イスタンブールからパリ、ロンドン、そしてニューヨークにいたるまで、イスラム移民としての波瀾万丈の旅を綴った希有なドキュメンタリーである。
✴1 “The kindest and the angriest, Germany”, Newsweek, 26 September 2015.
✴2
1923年 ローザンヌ条約でクルド人の民族国家構想は否定され、居住地域はトルコ共和国および当時の英仏委任統治下にあったイラク、シリアに分断された。分断された状態では各国ごとの国民統合の過程で少数派になるが、民族そのものはイラクの総人口を上回った規模になる。クルド人問題の根本といえる。