地方の雇用創出
●成熟債権国
1990年から2010年の間に、主要先進国の経済は大きく成長した。G7の中で日本経済の停滞が際立っている。こうした中で、2011年、日本の貿易収 支は赤字になった。長年にわたる生産の海外移転の結果であり、東日本大震災はきっかけにすぎない。海外投資が大きいため、所得収支は黒字である。結果とし て、経常収支は短期的に赤字化することはあっても、概ね黒字を保っている。日本は、国際収支発展段階説で言うところの未成熟債権国から成熟債権国に移行し た。今後、貿易収支が黒字になることは考えにくい。特許料など高度知的分野でのサービス収支を黒字にすること、金融、直接投資で高収益を上げること、様々 な分野の規格化や認証の商品化が課題とされる。
アベノミクスは円安誘導に成功し、順調な滑り出しを見せた。しかし、アベノミクスで日本経済が立ち直ったとしても、その恩恵に日本全体があずかれるわけで はない。日本で貧富の格差が広がっている。安倍総理の要請に応じて経営者が賃金を引き上げても、低所得層はこうした会社に雇用されているわけではない。
安倍政権が提唱している雇用流動化政策は、同一労働同一賃金に向かう政策である。解雇を容易にするが、結果的には雇用を増やすと期待される。しかし、正規 労働者の既得権益、すなわち、安定雇用と高賃金を脅かす。正規労働者側は、雇用流動化政策に対し、結果としてすべての労動者が非正規労働者と同様の低賃金 に苦しむことになるとして反対する。非正規労働者側は、組合が経営者以上に非正規労働者を搾取していると反発する。非正規労働者を擁護する声はあるもの の、組織化が進まず、大きな動きにはなっていない。
●地方の貧困化
日本では、加入している医療保険の種類で国民の所得に差が見られる。共済組合、健保組合などの被用者保険加入者に比べて、国民健康保険(国保)被保険者の 収入は低い。国保実態調査によると、2011年度の市町村国保加入世帯(被保険者数3560 万人)の前年の平均所得は141万6千円。平均保険料は14万3145円だった。この所得と保険料では、滞納世帯が発生するのは避けられない。社会保障推 進千葉県協議会が行った市町村への国保アンケートによれば、2010年の館山市の総世帯に占める市町村国保加入世帯は45.3%、国保加入世帯に占める前 年度滞納世帯の割合は30.5%だった。こうした背景があり、亀田グループが経営する館山市の安房地域医療センターでは、医療費の自己負担分が支払えない 低所得者層を対象に、2012年、無料・低額診療を開始した。
バブル崩壊後、日本で所得格差は拡大し続けた。1993年度の国保世帯の前年の平均所得は239万円、一人当たりの所得は109万円だった。これが18年 後、それぞれ141万6千円、82万6千円まで低下した。1992年と2010年の日本の名目GDP、人口はほとんど同じだったので、この間に格差が拡大 したことになる。
2008年4月、後期高齢者医療制度の施行によって、75歳以上の高齢者が市町村国保から外れた。75歳未満だけでみれば、国保被保険者の所得の減少幅はもっと大きいはずである。
館山市の状況は日本の地方に共通している。製造業の海外移転が進んだため、日本では技能職より、技術職、新規ビジネス開発者、管理的事務職の役割が相対的に大きくなった。一方で、国内でのサービスの提供は、非正規労働者によって担われることになった。
館山市では2012年、二つの大きな半導体工場(旭化成エレクトロニクス:従業員200人、UMCJ:従業員600人)の閉鎖が決まった。製造業が日本に 残るには、付加価値の高い製品を作るか、あるいは、徹底した機械化で人員を削減しなければならない。大きな利益を生んでいるのはヘッドクォーターと開発部 門であり、大都市に集中している。大企業全体として利益が積み上がっているが、給与を支払うべき労働者は多くない。工場閉鎖により、地方から雇用が失わ れ、過疎化が進行している。
成熟債権国としての世界との高度な競争に、日本の一般的労働者、少なくとも市町村国保の被保険者3560万人は参入できない。株式会社は、株主に配当すべ き利益の最大化を目指す。極めて合理的なシステムであり、人類に多大な恩恵をもたらした。しかし、これだけでは、地方の住民に雇用を提供できなくなった。
●災害復興需要
筆者は、2013年夏から秋にかけて、高齢化が進んでいる地域を訪れた。群馬県の南牧村、神流町は、国立社会保障・人口問題研究所の2013年3月推計 で、2040年の高齢化率がそれぞれ全国1位、2位になると推計された。福島県金山町、昭和村は震災のため福島県の他の市町村と共に2013年3月推計か ら除かれたが、2008年12月推計では、2020年の高齢化率がそれぞれ全国1位、4位になると推計された。南相馬市は、原発事故後、子どもとその親が 避難したため、高齢化率が一気に上昇した。
南牧村、神流町は、日本の他の過疎地と同様、中心部に人の住んでいない朽ちた建物が目立った。人影が無く、閑散としていた。工事用車両や建設重機が視野に 入ることはほとんどなかった。農業を含めて、活発な経済活動は観察されなかった。金山町、昭和村も建物の外観は南牧村と同様だったが、金山町では、 2011年夏の只見川水害の復旧工事が行われており、トラックが頻繁に往来していた。地元の土建業者はすでに倒産していたため県外の土建業者が仕事をして いること、地域の民宿が工事関係者でいっぱいになっており、観光客が宿泊できないこと、職がないため、若者が高校卒業後地元に留まれないことなど隣接する 只見町で聞いた。
南相馬市は福島原発に最も近い住民が住む市である。震災後、支援活動で何度も訪問したが、訪問するたびに経済活動が活発になっている。2013年秋の訪問 では、南相馬市全体が沸き立っている印象だった。原発の安定化には時間がかかる。活発な経済活動が少なくとも40年以上継続するはずである。単位視野あた りの建設重機の数は、亀田総合病院のある安房地域の100倍を超すと思われた。
訪問した過疎地では、経済活動を支える最大の要因が災害復旧事業だった。これは、2013年春に訪れた長野県大鹿村でも同じだった。大鹿村は、1961年 に大西山が大雨で大崩壊し、死者42名を出した。その治山工事が半世紀経過した今も継続している。大崩壊でむき出しになった巨大な崖は、この工事が終了す るはずがないことを示している。大崩壊地の下に広がる公園で催し物を担当していた大鹿村の職員は、国土交通省の出張所が大鹿村に置かれていることに感謝し ていた※。
過疎地の雇用が災害に依存しているのは喜ばしいことではない。それ以外にも、地方で雇用を創出する方法を探る必要がある。群馬県神流町、南牧村の訪問に先 立って、同日、長野県川上村を訪問した。川上村では、広大なレタス畑、巨大な農業用車両、それを格納する大きな倉庫が目立った。川上村は、国が推進したリ ゾート開発に乗ることなく、独自の視点と判断で、高原野菜の栽培に地道に取り組み、大きな収益を得ている。高齢化率も、南牧村や神流町に比べてはるかに低 い。
※注:大鹿村に国土交通省の小渋川砂防出張所はあるが、大西山の治山工事は林野庁が担当している。
●地方の産業
高度成長期に過疎地を含めた日本全国で、多くの道路、橋、トンネルが建設された。公共事業が、工場での生産と共に地方の経済を潤した。現在、道路や橋は老 朽化が進み、改修、更新が必要なものが多くなっているが、財政赤字と過疎化の現状からみて、すべてを改修、更新できるとは思えない。道路や橋の選択的廃棄 と地方自治体の整理、集約化は不可避である。地方では、製造業、公共事業のいずれにおいても、今後、雇用が大きく増えるとは考えにくい。
観光はどうか。観光庁の旅行・観光消費動向調査によると国民一人当たりの国内宿泊観光旅行の回数、および宿泊数は2005年から2010年にかけて減少し 続けた。5年間で旅行回数が25%、宿泊数が27%減少した。今後、日本の人口が減少するので、観光消費を大きくするためには、外国人観光客を増やすしか ない。しかし、世界観光機関の調査によると、2012年外国人訪問者の絶対数で、日本は世界33位と低迷している。サウジアラビア、マカオ、クロアチア、 アラブ首長国連邦より少ない。国の大きさから見ると、極端に少ないとしてよい。
日本の観光資源は、日本人が考えるほど優れたものではない。ヨーロッパには歴史を伝える壮麗な建造物が多数ある。町全体が世界遺産に指定されたところも少 なくない。アメリカのリゾート地で感じるのは、人々の趣味の豊富さと楽しもうという意欲の強さである。風景の保全や施設の整備のみならず、多様なアクティ ヴィティ(川下りなどの参加型エンターテインメント)が用意されている。参加者は皆一緒になって楽しむことを盛り上げる。
日本には、観光資源だけでなく指導層に智恵がなかった。バブル期に国主導でリゾート開発が進められ、各地に画一的な施設が作られたが、多くは惨憺たる結果 に終わった。現在も地方の観光地は画一的で貧相である。使われないまま放置されたホテルが、日本の観光地のわびしさを高めている。つぶれた土産物屋の隣に 同じような土産物屋が残っている。どこの自治体も温泉を掘り、日本中に日帰り温泉があふれている。こうした施設で外国人を見ることはない。
ヨーロッパやアメリカのマニアックな日本ファンが、浅草の河童橋道具街や東北の被災地を訪問することはあっても、外国の普通の富裕層が日本の地方の観光地 に関心を持つとは思えない。日本政府観光局のホームページを見る限り、日本を訪れる外国人観光客の異様な少なさを深刻に受け止めている気配が感じられな い。
日本にも国内需要がないわけではない。国立社会保障・人口問題研究所の推計によると、75歳以上の高齢者の絶対数は、2010年の1419万人から、 2053年には2408万人まで増加する。膨大な要介護者が発生し、ここに雇用が生まれる。しかし現時点では、介護保険の報酬が低く設定されていること、 介護保険が保険外サービスの参入障壁になっていることから、介護業界は若者にとって魅力的な就職先とみなされていない。北欧のような高負担・高福祉へ国の 方向を抜本的に切り替えるのが不可能だとすれば、保険外のサービスを豊かにする必要がある。
●若者とNPOへの期待
地方で新たに産業を興し、雇用を生むのは難しい。明治以後、地方から人材が都会に流出し続けた。地方に決定的に不足しているのは、新しい産業を考えたり、 収益の発生個所を大胆に変更したりして、結果として雇用を生み出す人材である。地方に文化を興し、世界に発信する人材である。
社会問題解決の最も知られた手段は、法システムとしての立法、行政である。法に基づく権力で社会全体を変えようとする。権力の暴走を防ぐため、様々な法律上の制約が課されている。しかし、国民の利害が一致しないため、合意形成は容易ではない。
民による公益活動は、社会全体ではなく、目の前の小さな部分だけを変えようとする。行政に比べて小規模であるが、迅速かつ柔軟である。権力による強制では なく、共感と自由意思による参加で、可能なことから問題を解決しようとする。行政は無謬を原則にしており、不都合があってもめったなことで方針を変更しな い。民による活動は無理を押しとおすことはできない。
アメリカは、新自由主義のおひざ元であるが、資本主義経済に乗らない公益活動が大規模に行われている。奉仕、寄付、非営利活動は、全体として巨大な経済活 動となっている。NPO (not-for profit organization) は、利益を投資家に分配しない法人と定義される。
日本で誤解されがちだが、労働への対価として、能力に応じた給与が支払われる。NPOの収入は政府予算の40%にも達し、全雇用の10%強を担っている。NPOに対する寄付税制、NPOの収益事業に対する税制が、その活動を過度に抑圧しないよう配慮されている。
ティーチ・フォー・アメリカというNPOは、一流大学の卒業生を、アメリカの教育困難地域の公立学校に常勤講師として2年間赴任させている。2010年、アメリカの就職先人気ランキングで、グーグルやアップルを抑えて堂々の1位だったという。
日本社会は、若き日のスティーブ・ジョブズ(アップル)、ラリー・ペイジとサーゲイ・ ブリン(グーグル)のような斬新な活動を許容してこなかった。潰すことはないにしても、身動きをとれなくした。最近、日本でも多くの知的で活動的な若者 が、従来の企業活動に飽き足らず、非営利活動に参入しはじめた。こうした若者は、とんでもないアイデアに躊躇することなくチャレンジし、ときに成功させ る。
近年、株主の利益最大化の圧力が強くなりすぎたため、営利会社が長期的戦略を保持しにくくなった。このため、営利会社が戦略を維持するためにNPOを設立するようになったと知人から聞いた。
従来、新しい活動に対する抑圧は、都市より地方で強かった。指導層の因習への惑溺、理解力不足、判断と行動の遅さのため、変化が抑制された。地方は意欲的 な若者が活動できる場ではなかった。だが、閉塞状況が強まった地方の一部に変革の機運が生じている。東日本大震災を機に相馬、南相馬に多くの若者が入っ て、これまでにない活動をしている。福島県いわき市のときわ会は、震災で透析患者や老人保健施設の大規模な避難を敢行した。この経験以後、活動が積極的に なり、医師が集まり始めた。地元で英才教育、幼児教育に乗り出した。地方は野心的な若者が突破口を見出す場所になりうる。逆に、若者の能力を活用できなけ れば、地方が生き残れるとは思えない。自治体には、新しいことに挑戦できるほどの財源も能力もないのだから。
筆者は、利益を分配しない法人による収益事業(無償の活動ではない)が、事態を打開するのではないかと期待している。参入している若者の能力の高さと、 NPOが本来持つ自由度の大きさが、期待の根拠である。活動を拡大し、継続して雇用を生むためには、中核に収益事業を持つ必要がある。
日本のNPO法が成立して15年が経過したが、いまだにNPO法人の活動は低調である。その原因として、NPOで働く人たちに自己犠牲と清貧を求めすぎる こと、NPOが収益事業に本気で取り組んでいないこと、組織の維持発展のための資金投入が受け入れられにくいこと、規制が強すぎることなどがあげられる。 地方の雇用を増やすために、NPOに対する法律に則った規制、法律にないさまざまな規制の見直しが必要である。見直しの基準は、優秀な若者の参入を増やす のに役立つかどうかである。
本稿は1月24日発行の『厚生福祉』第6047号から転載しました。