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日本医学会と立憲主義~Series 「改憲」(第5回)

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●行政による科学の抑圧
東日本大震災では行政が科学を抑圧し、被害の拡大を招いた(1)。例えば、文部科学省は、SPEEDIによる放射性物質の拡散の試算を、米軍に提供してい たにもかかわらず、公表しなかった。このため、原発から北西方向の高度汚染地域に住民が避難した。SPEEDIには科学者が関わっていたはずだが、科学者 の声は表面に一切出なかった。
日本気象学会は、3月18日、「学会関係者が不確実性を伴う情報を提供することは、いたずらに国の防災対策に関する情報を混乱させる」「防災対策の基本 は、信頼できる単一の情報に基づいて行動すること」とする新野宏理事長の声明を発表した。2011年4月2日の朝日新聞は、山形俊男東京大学理学部長の言 葉を紹介した。「学問は自由なもの。文書を見たときは、少し怖い感じがした。」
医療が国家の暴走に加担するとその性質上、被害は大きくなる。第二次世界大戦中、ドイツでは大量殺人や非人道的な人体実験に医師が関与した。アメリカ合衆 国によるニュルンベルグ継続裁判で、医師23人中、16人が有罪になり、7人が処刑された。これは、日本にとっても他人事ではない。日本人医師によって旧 満州で行われた人体実験で多くの犠牲者が出た。
第二次大戦後、医療倫理についてさまざまな議論が積み重ねられ、医療における正しさを、国家が決めるべきでないという合意が世界に広まった。国家に脅迫さ れても患者を害するなというのが、ニュルンベルグ綱領やジュネーブ宣言の命ずるところである。医師は独立した判断能力を備えていなければならない。医師と しての行動の責任を医師個人に求めなければ、悲劇の再発は防げない。ドイツでは、医療を管理する権限が法律で州医師会に与えられた。統一した医師会ではな く、各州の医師会がそれぞれ権限を持ったのは、全体が暴走するのを防ぐためであろう。

●日本医学会
日本医学会は医学の個別分野に関する学会を会員とする組織であり、日本の医学を束ねる立場にある。2013年6月現在、118の学会が加盟している。「医 学に関する科学および技術の研究促進を図り、医学および医療の水準の向上に寄与する」(日本医学会ホームページ)ことが目的とされる。
水準向上のために、日本医学会に期待される役割は、自律性を高めることに尽きる。しかし、加盟している学会数が多く、議論を迅速に行うことは難しい。この ため、日本医学会会長の言動が日本医学会を代表するものとみなされる。現在の高久史麿会長は、1931年2月生まれの82歳。平成16年4月1日以後、9 年の長きにわたって会長職にある。以下、髙久会長の行動をいくつか紹介する。

1.イレッサ訴訟
イレッサ訴訟で2011年1月7日東京ならびに大阪地裁で和解勧告があった。同年1月24日、高久会長は、「肺がん治療薬イレッサの訴訟にかかる和解勧告 に対する見解」で、和解勧告に対する懸念を表明した。その後、同趣旨の下書きを厚労省が事前に高久会長に渡していたことが明らかになった。同年2月24日 のキャリアブレインは以下のように報じた。
高久会長は、「厚労省側が面会を申し入れてきて、『これで見解を出してくれないか』と文書を持ってきた」といい、見解を発表したのは厚労省からの依頼が あったためだと説明。「それまで出すつもりはなかったが、長い付き合いもあり、もともと関心のある問題でもあったので」見解を出すことにしたという。依頼 の意図について、厚労省側から特に説明はなかったというが、「和解勧告が厳しい内容だったので、和らげてほしかったのではないかと思う」と述べた。
厚労省は検証チームを作って調査し、同年5月24日、間杉純医薬食品局長と医薬担当の平山佳伸審議官、担当室長の3人を訓告、担当課長を厳重注意の処分とした。
厚労省の対応に問題があったことは厚労省が認めるところである。しかし、高久会長が、行政の意図通り行動することの方が問題ははるかに大きい。

2.医療事故調問題
2013年3月7日、メディファックスは以下の内容を伝えた。日本医療安全調査機構の高久史麿代表理事は、同機構の運営委員会で、医療事故を調査する「第 三者機関」について、同機構が担うことを大きな目的として活動すべきであり、さらに、「医療事故情報収集等事業」などを運営している日本医療機能評価機構 との連携も検討していくべきと発言した。
この報道には背景がある。
2007年以後、厚労省は医療事故調査委員会を設立しようとして粘り強い努力を進めてきた。 同年4月に開始された「診療行為に関連した死因究明等の在り 方に関する検討会」では第二次試案、第三次試案、大綱案が提案された。いずれも医療の正しさを中央集権で決めようとするものだった。医療側の反対が強く、 一旦、議論が立ち消え状態になった。しかし、厚労省は4年の間隔をおいて、2012年2月、「医療事故に係る調査の仕組み等のあり方に関する検討部会」で 医療事故調設立に向けて議論を再開した。2013年5月29日の会議で異論を抑えつける形で、強引に意見がまとめられた。
医療事故調について、病院団体(2013年1月の四病院団体協議会合意、同年2月の日本病院団体協議会合意)、全国医学部長病院長会議(同年5月の見 解)、日本医師会(同年6月の答申)はそれぞれWHOドラフトガイドラインに沿った類似性の高い案を提示し、医療界と厚労省が対峙する構図になった。特 に、6月の日本医師会答申はそれまでの委員の内、厚労省に一貫して協力してきた4人を委員から外した上での結論だった。
問題になっている日本医療安全調査機構は、2005年に開始された「診療行為に関連した死亡の調査分析モデル事業」を継承したものである。モデル事業は、 当初年間200件程度を予定していたが、実際には20~30件程度に留まった。調査報告書ができるまでに平均10.4カ月。1例当たり94.7万円の費用 がかかったとしている。実際には、このモデル事業に、毎年1億7千万円ほどの補助金が投入されたので、1件あたり、数百万円かかっていることになる。
井上清成はモデル事業を否定的に評価した(2)。
1)解剖で死因が特定される事例は少ない。
2)評価は地域や評価委員会ごとに差があり、臨床行為の是非と再発防止が混同された。
3)臨床評価委員の日程調整が困難を極めた。
4)第三者機関単独では再発防止に限界がある。
5)訴訟によらない問題解決を目ざすモデル事業にしては調停失敗が多すぎる。
高久会長の発言は、医療諸団体が反対している中央統制の医療事故調を創設しようとする厚労省の意向に沿ったものであり、医学の自律とは正反対のものだった。

3.インフルエンザ特措法
2012年4月10日、高久会長は、インフルエンザ特措法について、慎重な審議を求める文書を発表した。様々な問題があり、日弁連や日本ペンクラブなどか ら反対があったからである。しかし、同時に高久会長は、キャリアブレインの取材に対し、「法案に反対する科学的根拠はない」と答えた。厚労省の担当者から 説明を受け、医師が従わなかったとしても、罰則規定や強制力がないことが分かったためだという。
2012年10月12日、「日本感染症学会緊急討論 ”新型”インフルエンザからいかに国民をまもるか~新型特措法の問題を含めて」が開催された(3)。司会者による緊急討論開催までの経緯の説明を引用する。

この法律が整備されるまで日本感染症学会や関係するその他の学会へは案内や相談、依頼などの接触は全くなく、ごく一部の専門家の意見のみを反映して作成された法律であることが考えられます。

不十分な企画であったことの一つとして、この法律に賛成のお考えの方にご参加賜ることが出来なかったことが挙げられます。この法律に賛成の方は少数ながら おられても、討論会での発言には躊躇される方ばかりであり、結局、反対のお考えの方やそれに近い方しかご発言を頂けませんでした。しかし、司会者としては それが現状であるとも考え、ご発言いただいた方々へは各自の考えに微妙な違いはあっても率直に述べることをお願い申し上げてご発言を賜ったことを併せてご 報告申し上げます。

高久会長と異なり、日本感染症学会所属の専門家の多くは、インフルエンザ特措法に科学上の問題があると考えていた。

4.日本大学医学部附属練馬光が丘病院閉鎖問題(ウィキペディア2013年6月)
この問題は、日大光が丘病院開設時に、「日大が支払った保証金50億円を練馬区が会計上使い込み、返済しない方針を示したことに日本大学が反発、同院の運 営の終了が決定したことに由来する」(ウィキペディア)。地域医療振興協会が同院を引き継いで経営することになったが、当初表明していた医療スタッフが確 保できなかった。
この問題では小児救急医療が焦点になった、同院は年間1000名以上の小児救急搬送を引き受けてきた。同院より規模の大きい順天堂練馬病院は、練馬区からの財政支援を受けていたにも関わらず、小児救急を積極的に担ってこなかった。

練馬区・地域医療振興協会は2011年9月には日本大学の15~16名と同程度の常勤医を用意するとしていたが、2012年1月には8名でそのうち6名は 地域医療振興協会の他の病院から異動させるとした。3月の日本大学との引き継ぎにおいて、実際の常勤は2名で、異動するとした6名は、2週間から半年の ローテーションで一時的に勤務させることがわかった(ウィキペディア)。

日大光が丘病院問題が浮上していた当時、高久会長は、自治医科大学学長、地域医療振興協会会長だった。同時に日大光が丘病院問題を審議した練馬区地域医療 計画策定検討委員会の委員長を兼務していた。地域医療振興協会に対する利益誘導があったと疑われても仕方がない状況だった。2011年9月28日の第3回 練馬区地域医療計画策定検討委員会で、委員から、委員長として全体の指揮とることは好ましくないとの指摘を受けた。2012年1月25日の第4回練馬区地 域医療計画策定委員会で委員長を辞したが、委員の職には留まった。この時点で、すでに地域医療振興協会が引き継ぐことは決まっていた。

●行政と科学の考え方の違い
ルーマンによると、「学問がその理論の仮説的性格と真理の暫定的な非誤謬性によって安んじて研究に携われるようになるまで、学問研究の真理性は宗教的に規 範化されていた」(4)。地動説を唱えたガリレオに対する宗教裁判は、学問研究の真理性の宗教的規範化の最も知られた例である。通常の医学論文は、仮説に 矛盾がないかどうかの検証である。医学論文における正しさは、仮説的であり対象と方法に規定される。このために、正しさが固定されず、議論が継続する。
現代の世界社会は多くの社会システムから成り立っている。ルーマンは社会システムを大きく二つに分類した。規範的予期類型(法、政治、メディア)は物事が うまく運ばないとき、自ら学習せず、規範や制裁を振りかざして相手を変えようとする(4)。これに対し認知的予期類型(科学、テクノロジー、医療など)は 物事がうまく運ばないとき、自ら学習して、自らを変えようとする。認識を深め、知識・技術を進歩させる。
行政は法システムであり、規範に依存する。規範的予期類型は適応性に乏しく、しかも暴力を背景にした強制力を持つ。規範が科学の正しさを決めると自由な議論を抑制する。

●近代立憲主義に内在する問題
近代立憲主義は、憲法によって国家権力を制限し、個人の自由を守ることを国家の基本とした。ブレーキを動力の上位に置いたのである。歴史的には、近代憲法 は、アメリカ独立戦争やフランス革命など、特殊な時期の特殊な状況に対応するための方法を、プログラム化したものという側面がある。このため、現代の高度 な医療、科学、経済を想定していない。
医療を含めて、経済、学術、テクノロジーなどの専門分野は、社会システムとして、それぞれ世界的に発展して部分社会を形成し、その内部で独自の正しさを体 系として提示し、それを日々更新している。例えば、医療の共通言語は統計学と英語である。頻繁に国際会議が開かれているが、これらは、医療における正しさ や合理性を形成するためのものである。今日の世界社会は、このようなさまざまな部分社会の集合として成り立っている。
トイブナーは、グローバル化が進んだ現在、新たな憲法問題が生じているという(5)。例えば、「多国籍企業が人権を侵害した。WTOはグローバルな自由貿 易の推進という大義名分の下に、環境と人類の健康を脅かす決定をした。インターネットにおける私的事業者が言論の自由を危険に晒した。グローバルな資本市 場によって、カタストロフィーのリスクが解き放たれた」(5)。こうした危機に対し、個々の社会システム内部で、あるいは社会システムが衝突した局面で、 自律的な立憲化、すなわち、それぞれの社会システムの無制限な拡大を制限する機能が観察される(5)。
近代立憲主義に内在する認知的予期類型との矛盾は、最近まで顕在化していなかった。「20世紀の全体主義的政治システムは、—-社会生活のあらゆる領 域を国家の権威に従属させることによって、自立した社会構造の創出という問題を隠蔽してしまったのである。同様に、20世紀後半の福祉国家は、自律的な社 会の部分構造を公的に承認することは決してなかったが、しかし同時に、政治構造の原理を社会的諸領域に漸次拡大させる国家中心的な立憲主義と、国家が社会 的部分構造の存在を事実上尊重する立憲的多元主義との間で、独自のバランスを取っていたのであった」(5)。

●ささやかな改憲の提案
憲法の多元主義の今日的意義は、異なる規範、例えば異なる宗教的信念を両立させることより、むしろ認知的予期類型の言語論理体系を尊重することにある。世 界規模で活動している医療、科学、経済を、一国の政府の都合で不用意に抑圧すると、自律性を奪い、致命的な弱体化を招く。世界からかけ離れた特殊な国家に なり、国民に多大な不利益をもたらしかねない。憲法に認知的予期類型を取り込むことは、憲法の本格的な見直しを要求するものであり、可能かどうかを含め て、慎重な検討を要する。
2012年秋の叙勲で高久会長は瑞宝大綬章を受賞した。受章者は省庁ごとに推薦される。叙勲は行政が学問を支配する効果的なツールになっている。稿を終えるにあたり、ささやかな改憲を提案したい。
変更前
第14条3  栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。
変更後
第14条3 栄誉、勲章その他の栄典の授与は、これを行ってはならない。

<文献>
1.小松秀樹:行政から科学を守る. MRIC by 医療ガバナンス学会. メールマガジン; Vol.408, 2012年2月20日. http://medg.jp/mt/2012/02/vol408.html
2.井上清成:失敗か?成功か?診療関連死モデル事業運営委員会報告を読む. MRIC by 医療ガバナンス学会 メールマガジン vol.157, 2010年3月13日. /http://medg.jp/mt/2010/05/vol-157.html
3.日本感染症学会:緊急討論「”新型”インフルエンザからいかに国民を守るか~新型特措法の問題を含めて~」2012年11月21日./http://www.kansensho.or.jp/influenza/1211touron_sochihou.html
4 ニクラス・ルーマン: 世界社会 Soziologische Aufklärung 2, Opladen, 1975. (村上淳一訳・桐蔭横浜大学法科大学院平成16年度教材
5.グンター・トイブナー:二値編成複合性の立憲化-国民国家を超えた社会的立憲主義について-. 瀬川信久編「グンター・トイブナー システム複合時代の法」 信山社, 2012年11月21日.

(2013年7月18日 MRIC by 医療ガバナンス学会)

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