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中国に進出した日本企業の行く末

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チャイナプラスワンという言葉はJETROあたりで言いだしたものであろうが今や日本企業にとって合言葉のようになっている。欧米企業は中国でモノづくりをするメリットはないと判断すれば、直ちに次の拠点に移動するが、日本企業の場合は中国の大消費市場に次の焦点を当てるべきだ、中国内で折角作り上げたsupply chainをそのまま生かすべきだ。と言った外部の声に惑わされ(実際には外部というより現地及び企業内の中国ビジネスで食べている関係者の声)、他国に移転を決めかねているところも多い。但し実際には中国で市場を持てる商品は限られているし、大消費市場が簡単に出現するとは思われない。ところで実際には日本企業のアジア各地域への進出は予想以上に進んでいる。戦後、インドネシア、フィリピンなどに賠償として船舶などを提供し、結果的に日本の産業の再構築に成功したが同時に東アジア各地に日本人も進出し、その後も続々と現地に根を張りその影響で現在もアジア通の日本人も多い。今また得意のアジアでの展開が進行している。この点は中国本土進出とは全く別の形で進行している。

#大連のケース

中国沿岸の南部から東部にかけては香港・台湾企業がリードしながら経済が発展した。一方東北部では日本企業の進出もあり大連が大きく伸び渤海湾の工業地帯を形成するに至った。大連については巨大な工業団地が形成され日本企業は戦前の満州での経験もあり、日本から至近距離でもあるので香港・台湾企業を介さず直接現地に乗り込んだ。勿論現地政府の企業誘致のための優遇政策もあったがモノつくりのメリットが無くなった今では撤退しか選択肢がない。ところが撤退も簡単ではない。撤退費用と撤退に要する期間が極めて長く、企業に更なる負担を強いることとなっている。撤退の場合、従業員に対する補償金の他、市から得た補助金とか免税で得た利益に対しても返還を求められている。嘗ては土地使用料の無料化等優遇措置の恩典で企業誘致をしていたが、これらの返還を求められるようになった。一方大連市側も進出企業の経営悪化により撤退が続出することが目に見えており、何とか引き留めようと例えば年金相当の養老保険の会社負担を従業員給与の20%から16%に引き下げるなどの懐柔策を提示しているが進出企業側も経営悪化に歯止めがかからぬ以上撤退のほかないとしている。大連のみならず企業誘致に熱心であった地方ほど撤退は困難を極めている。

#中国からアセアン諸国に

JETROの調査では昨年上半期の日本企業の中国向け直接投資は、前年同期比18%減の4,701億円に対しASEAN向けは4倍の9,986億円となっており日本企業の投資は中国から離れASEANに向かっていることがはっきりしている。ASEANの中ではインドネシア向けの2,440億円、ベトナムの2,306億円、シンガポールの1,812億円、タイの1,777億円が主なものだが、ASEAN域内でのFTAも進み域内でのsupply chainの構築が容易になり自動車等チャイナプラスワンの流れが加速しているとみてよい。中国への投資の減少は人件費の高騰、日中関係の悪化、労働力確保の困難性などが挙げられるが生産拠点としての競争力はもはや無いとみてよいであろう。反対にASEANは豊富な労働力、安い人件費、市場拡大に対する期待など嘗ての中国と同じ事情がある。

#連携型分業体制に

日本・中国・ASEANのそれぞれの生産拠点で生産品目を分担しタイでは中高級品、ベトナムでは普及品、中国では中級品と普及品、日本で最高級品を生産し各地の生産拠点に部品を供給すると言う部品供給ハブ体制が構築されつつある。
日本企業には東南アジア通の人材が多いが、その流れに沿ってインドネシアへの進出が盛んだ。2億4,000万人の大人口国でもあり中長期的成長を見込んで製造拠点として今後も日本からの投資は続くであろう。ジャカルタ近郊の工業団地は自動車メーカーの大型投資が一服しても堅調に推移している。投資のけん引役は日本企業だがその中でも自動車部品メーカーが多い。国民一人あたりのGDPも3,000ドルを超え新車販売台数も100万台の大台を突破した。市場の大半を握る日系自動車メーカーも増産計画を進めており、付随して金型、部品メーカーもアジア域内、日本、欧州への輸出拠点を構築しつつある。将来的にはインドネシアの事業規模は中国を追い越すとの見方もある。いずれにしても現地の工員の技術水準が上がれば生産性の向上と共にマレーシア・タイ更にはインドなどでも販売可能となるであろう。嘗て日本を先頭に各国が雁の群れのように動いていたが、今はそれぞれの雁の群れの技術水準も上がり連携型分業体制が動きつつある。

#繊維メーカーも中国からインドネシアに

中国からベトナムへの転進も加速したが、ベトナムの場合はむしろ最終消費財の組み立て業が中心で以前は中国沿海部で組み立てが盛んであったが、徐々にベトナムなどに移転した。一方素材から製品に至る一貫生産ではインドネシアに強みがある。
3~40年前、インドネシアは日系繊維メーカーの主戦場であったが、中国への生産移転によりインドネシアでの生産は縮小した。一方、supply chainがある程度温存されているので数年前からシャツ・紳士服を中心に日本のアパレルメーカーが生産委託先をインドネシアに求めるようになった。日本の縫製業は中国からの移転先としてインドネシアを選んだところが多い(最近のベトナム・中国の紛争もあるので)。生産性などが向上すれば中国以上に期待できると見たのであろう。低賃金と若年労働者の層が厚いこと等有利な条件はあるが、何れは人件費の高騰、労働問題もでてくるであろうし、インフラの未整備など課題も多いが中国と違ってある程度話し合いで解決できる点はメリットだとみている日系企業も多い。更に長期的には消費市場として着実に伸びてゆくことが期待できるとみている。
繊維メーカー同様、海外進出の経験豊富な玩具メーカーの場合は既にアジア展開がかなり進んでおり、中国には自社工場を持たず協力工場に生産を委託している。従って、今後は中国では高級品を、タイ、フィリッピン、ネシア、ベトナムなどの自社、協力工場では中・低級品をと、人件費・手作業の割合などを勘案して各国で分業体制を構築している。今後は中国での協力工場も集約されるであろうが、ASEANでの生産拡大が期待されている。一方タイの場合洪水のあった11年末から日本の進出企業は自動車関連を始め25%も増え3924社との数字もある。金型加工分野でもタイの技術は中国に劣らないと言われ、今後タイに組み立て部門を移転する精密工業も数多くあるとのことだ。

#香港企業の動き

中国本土企業は当初香港、台湾企業の支援のもとに成長したが本土企業はアフリカへの投資を増やしている。2012年で25億2000万ドルと言われているが、香港企業もこの流れに乗ってアフリカ展開を行っている。製靴業界ではエチオピアが皮革資源もあり数年前から同地に進出、人件費の安さ、電気代などの安さの他に対米輸出は関税免除の特典もあり中国本土より生産コストが20%安いと言う。高級ニット生産でもマダカスカルに工場を移転したところが多い。安い人件費の他に対欧州輸出で関税が免除されるなどの特典もある。香港のアパレル産業は昔からアフリカその他世界各地に工場を張り巡らせてきたが、最近ではタンザニア、ケニアに工場を設置する動きが出ている。勿論、治安とか物流インフラの未整備などの問題も多いが、すでにナイジェリア、南アフリカ、タンザニア、ケニア、ガーナなどは香港企業の活躍分野となっている。

#東南アジアの工業団地での企業誘致

各地で工業団地の開発が盛んだが、日本企業を呼び込むための動きも加速している。中国などでも色々経験した為か、かなりきめ細かいサービスを売り物とするところが多い。労働争議での対処、採用、物流面の補助業務の他、団地内に郵便局、ショッピングセンター、病院、郵便局なども設置しすべての生活も団地内で完結すると言う。
日本企業の東南アジアでの展開も益々活発となるであろう。嘗ては日本バッシングの対象ともされたが、今後は過去の苦い経験を生かしてうまく進めて欲しい。一方香港企業も集団でミャンマーの工業団地に進出を計画している。香港の縫製企業は従来中国で衣類の製造を行っていたが、人件費の高騰などもあり、ファッション業界はミャンマー製品への注目が高まっている。香港の縫製企業12社がティラワ経済特区に専用団地を構え、2016年には生産を開始する。低賃金もさることながらミャンマー人の勤勉さを活用して研修制度を確立し労働生産性も高めようというものだ。香港紙South China Morning Postによると16年の稼働開始後は現地人3万人以上を雇用し賃金は月額100~120米ドルを想定し、現地従業員に対する研修制度を実施するとのこと。中国にくらべ人件費が大幅に低いこともあるが欧州・日本による特恵関税が適用されているミャンマーが得策と判断した模様だ。更にファション業界ではミャンマー製品に対する注目度が急速にたかまっているとのこと。
いずれにしても各国企業もアジア各国に注目している。但し、人件費の高騰等中国と似た問題も多く、これらについてはまた、稿を改めて記述したい。またアジアに安定なしとも言われるように政治的に不安定要素も多いのでこの点も注意深く見てゆく必要がある。
以上

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