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終わりの始まり:EU難民問題の行方(19)

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Source:Greenwich Mean Time

もはや待ったなしの段階になったEUの難民問題について、3月17~18日の両日、ブラッセルでEU加盟国とトルコの首脳間で、危機的状況の打開策について協議がなされた。今やEUの命運を左右するまでになった難民問題だが、ここで合意された政策もEU史上、例を見ない内容となった。

戦略的見地からみたEU難民政策
新たな政策の骨格については、前回記した通り、会議開催前から輪郭が取りざたされてきた。今回は「EUの戦略」という観点から、この難民政策がいかなる意味を持ち、どの程度実効が期待しうるかという問題について、検討してみたい(内容の関係で、前回と記事内容が一部重複する)。

ヨーロッパ大陸の東側から、絶えることなく押し寄せる難民の流れに、EU諸国は適切に対応する術を失いつつあった。自国の対応能力を超える難民の流れに、バルカン諸国からオーストリアまで、連鎖反応のように国境閉鎖を迫られた。行き場を失った難民・移民は、いたるところで閉め出され、衝突し、人道的にも悲惨な状況に追い込まれていった。

ひとつの国の力ではもはやいかんともしがたい現実が生まれた。メルケル首相のドイツといえども、例外ではなく、首相の政治的生命までが問われる段階となった。当初は人道的で寛容な難民受け入れで、国際的にも評価の高かったメルケル首相だが、その後の過程で、与党内にも反対者が増加したため、新たな方向転換を迫られていた。今回の政策は、政治的絶望状態と実務的、法的、そして倫理的な問題の山積の中から生まれた取引きとまでいわれている。混迷の中心にあったドイツとトルコが描いた素案を、EU加盟国などが不承不承ながら同意した形で成立したと観測されている。

首脳会議直前には、およそ45,000人の難民・移民がギリシャとマケドニアの国境に集中し、人道的見地からも悲惨な状況が出現していた。3月9日には閉鎖された国境をなんとか越えようとする者まで現れた。こうした切迫した事態の展開に、EU各国首脳とトルコ外相は、会議の事前にも協議も重ね、なんとか合意に達した。

重要さを増したトルコだが
冷戦時代を通して、トルコはヨーロッパにおけるソヴィエト軍に対する拠点のひとつだった。それが、今では中東ユーラシアからヨーロッパを目指す難民に対する緩衝地帯になっている。一国ではいかんともしがたく、苦慮するヨーロッパの首脳たちと、自国の地政学上の位置を、EUに対する交渉力拡大に使いたいトルコ首脳の利害が、難民を介在して結びついた。その結果、EU、加盟国およびトルコが合意した内容は次のごとくである。

検討素案の基軸とされたのは、難民・移民を餌食とする密航斡旋業者 people smuggler に打撃を与え、壊滅に追い込むことだった。 今回の合意では、3月20日以降、トルコからギリシャへの密航者はすべていったんトルコへ送還され、トルコ国内に滞留している庇護申請者の最後尾に位置づけられ、資格審査が行われる。密航斡旋業者の撲滅を出発点としたことは、議論が複雑化することを回避する意味では、賢明であったかもしれない。

さらに、すでに5年にわたるシリア内戦の過程で、270万人に達したといわれる難民を国内に収容するトルコの負担を軽減するため、トルコへ送り返される密航者一人に対して、トルコで正式な庇護申請手続きを経たシリア難民一人(1対1)が、EUの正式の移住プランの下、EU各国で受け入れられる。

もしこの通り事態が進行すれば、難民・移民は密輸業者に多額の金銭を支払い、危険な海上の旅をすることなく、正式に定められた庇護申請の過程を選択するようになると推定されている。

トルコ側にもEUとの交渉を難しくしている要因がいくつかある。トルコのエルドアン大統領が今月に入り、政府に批判的な新聞を政府傘下に接収してしまった。トルコとEU加盟国キプロスの対立も挙げられる。トルコの軍事介入があって、1974年親トルコの北キプロスが独立を宣言し、国家分断の状態が存在する。トルコはキプロスを国家として承認していないので、キプロスもトルコのEU加盟に反対してきた。最近頻発しているアンカラ、イスタンブールなどでの自爆テロともみられる事件も、社会不安を煽る原因になりつつある。

こうした状況にありながら、トルコはメルケル首相との政治交渉で、かなり有利な条件を確保したとみられる。昨年10月に決まった33億ドルの支援の支払い繰り上げに加えて、今後3年間にトルコ国内の難民収容施設の改善などのために同額の積み上げを獲得した。懸案のトルコ国民のヨーロッパへのヴィザなし渡航の許可、トルコの将来のEU加入を図るための枠組み交渉の再開なども、トルコにとっては評価される点だろう。

かくして、今回のEUとトルコの協調的難民政策は、多数の問題を含みながらも、考え得るかなり思い切った内容になっている。もはや一国では国境を閉鎖する以外に対応能力がないEU加盟国が、EUという共同体の枠組みを維持しつつ、難民・移民の流れに対応するため、域外との障壁を再構築し、トルコという域外の国に緩衝地帯としての役割を期待する構想だ。

現在はEUの域外に位置するトルコに、ヨーロッパの門衛 gatekeeper の役割を果たすことを委託する。それによってEUとしては、制御されることなく流れ込んでくる人の流れを管理し、現在EU各国に起きている反移民・難民のポプピュリズムとそれに起因するEU統合を破壊する動きを抑えこむことを目指す。広範な地域と当事者を包括するシステムとして、さまざまに露呈する問題を体系化して解決したいという狙いだ。政策的にはひとつの体系を確保したといえる。しかし、実効性という点では、多くの問題が残る。

トルコへ送還されるか
昨年EUを目指した難民・移民120万人のほとんどは、トルコあるいはイタリア経由であった。しかし、EUで設定した16万人の受け入れ枠自体、ほとんど埋められていない。そして、大きく見過ごされている問題は、対象となる難民・移民の状態だ。自分たちの意思が反映しない段階で、あたかも「物品」のように集団移動、送還などが定められる。国際法、人道的見地などからすでに批判の対象になっている。実務上も、誰が海上の送還を担うかという難しい問題が残る。現在、エーゲ海域に派遣されているNATOの艦船を使用することは、適切ではないだろう。しかし、ギリシャ、トルコ双方の沿岸警備の連携はかなり難しいことがすでに指摘されてきた。

これまでEUの難民政策の先頭に立ってきたドイツのメルケル首相は、「後戻りできないような勢いを持った合意に達した」と、成果を強調した。しかし、国連、法律家などから、トルコを庇護申請者にとって”安全な”第3国とすることには、異論や疑問が提示されている。

トルコ國民にEU域内の自由な旅行を認めることにも、異論が出ている。トルコは生科学技術によるパスポートの開発・導入など、70件近い条件をクリアする必要がある。アンカラ、イスタンブールなどで頻発している「自爆テロ」の事件も、トルコを難民・移民のプールとすることに警戒心を生む材料になっている。しかし、問題は時間との勝負でもある。春になり、移動の環境が改善されれば、難民・移民は増加することが予想されている。新しい移民ルートも生まれかねない。EUにとって、とりうる選択肢は急速に少なくなっている。

Reference
”A messy but necessary deal”  March 12th The Economist

 

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