終わりの始まり: EU難民問題の行方(18)
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非力なEUに翻弄される難民・移民
ヨーロッパ大陸を東から西へ、ひたすら歩み続ける人々。大人も子供もほとんどリュクサック程度しか持っていない。誰もが絶望にうちひしがれ、疲れ切った顔だ。延々と切れ目なくつながる人々の流れは、TVなどの映像でも幾度となく放映された(難民問題に関心の薄い日本人にも、その苛酷さはかなり伝わったようだ)。その流れに決定的ともいえる大きな変化が起きた。ギリシャから隣国マケドニアに入国する国境が突然閉鎖されたのだ。最後に残された陸路だった「バルカン・ルート」と呼ばれるその道は、ギリシャからドイツやイギリスへ向かう難民・移民にとって残されていた唯一の経路だった。ヨーロッパの中央に大きな石が置かれたかのように、東から西への陸路は断ち切れてしまった。強引に国境突破を図る人々と国境警備官の間で紛争が起きている。難民もEUも、時間的に追い込まれている。
難民問題にこれまでほとんどなにひとつ実効が挙げられなかったEUは、3月7日、EU加盟国とトルコとの首脳会談をブラッセルで急遽開催した。12時間あまりの協議の結果、最終的協定にはいたらなかったが、EUを代表して、ドナルド・テュルクフジ氏は、「不法移民が続く日々は終わった」とだけかろうじて話すことができた(しかし、現実には終わっていないのだ)。シリアなどからトルコを経由してギリシャへ入国してくる難民、移民を審査の上、経由地のトルコへ送り返す案で大筋合意が成立した。命をかけても海を渡り、憧れの地へたどり着きたいと山野を歩いてきた人たちの多くを、トルコまで送り戻すという構想だ。
「絶望的な時、絶望的な対策」(The Economist March 12th 2016)と評される合意だった。その合意を支える考えは次の通りだった。あの多くの人々の命を奪ったトルコからギリシャの島々へ、エーゲ海を渡った人たちの短いが危険な旅路を思い起こす。今年だけでもすでに320人近くが溺死したといわれる。それでもかろうじてギリシャにたどり着いた人たちをトルコへ送り戻すという提案だ。EUの考えの根底には、トルコからギリシャへ危険な渡航をさせ、多額の金銭を奪う業者 human traffckers のシステムに打撃を与えるということもあるようだ。それによって、ギリシャを経てEUの中心部を目指す難民・移民の流れを大幅に減少させたいという考えである。
しかし、その合法性、具体化について各国からたちまち異論、疑問が頻出した。EUは3月17日からの首脳会議で改めて正式合意を目指しているが紛糾は必至だろう。
3月7日の段階では、トルコがギリシャから送り返されたすべての(要件を満たしていないとされた)難民、移民を受け入れる代わりに、EUもシリア難民を同数受け入れる。そして、以前からの要求でもあったトルコ国民のEU加盟国へのビザなし渡航の自由化を6月末に前倒しする、さらにこれも懸案であるトルコのEU加盟の枠組みの検討などが盛り込まれた。
トルコに送り返された難民・移民の中にシリア国民が含まれる場合、ギリシャ国内に残されている同じ人数のシリア難民を、EU加盟国が「見返り」の形で受け入れるとしている。まるで人間のバーター協定である。
EUを主導し、強い意志で交渉の前線に立ってきたドイツのアンゲラ・メルケル首相も、自国の重要な諸州での選挙、そして彼女自身が主導してきた難民政策への国内での批判の高まりに対処しなければならない。政治的にも、今の政権体制を守り切れるかの瀬戸際にある。
激動のトルコ
他方、トルコも予想もしなかった出来事に国が大きく揺れ動いている。3月4日には、政府側は国内最大の新聞社 Zaman を国家管理の下に置くという暴挙に出た。エルドアン大統領の反対勢力を抑えこむ目的である。これに対する国際的批判が高まっている。
こうした状況下、EUのトルコへの対案は驚くほど寛容なものだ。昨年10月に約した33億ドルの支援を繰り上げるとともに、その額もほぼ倍増することに同意した。今後3年にわたり、トルコ国内の劣悪化した難民キャンプの改善などに当てる目的とされている。 EU自体が分裂の危機にある段階で、文字通り綱渡りの交渉である。この交渉の内容は、改めて3月17日からの首脳会議で議論され、正式合意を取り付ける必要があるが、すでに多くの批判が高まっている。トルコはEUの苦渋につけ込んだ感があったが、実情は果たして難民の秩序ある管理などの実行能力があるか、はなはだ疑問だ。国内の正常不安は拡大しており、トルコは新たな騒乱の場となりかねない。
密航した難民を一律に送り返すこと自体の適法性についての懸念が首脳会議などでも提起された。ザイド国連人権高等弁務官も9日、「集団的かつ独断的な追放」は国際法上、違法の可能性があると指摘した。トルコが「安全な第3国」であるかについても、法律家を中心に異論が続出している。
「右往左往」のEUと流浪の民
EUそして加盟国の首脳は、昨年来問題解決のために、「東奔西走」の働きをしているかにみえるが、ほとんどは「右往左往」の状態で期待する効果はあげられないでいる。それ以上に、人道的に最も気の毒なのはヨーロッパ各地で流浪の旅を続けている難民たちだろう。EUにとどまることを認める権限は誰が保持するのか。そして、審査で難民と認定されない場合は、遠路トルコへ送り戻される。その輸送手段についても多くの問題がある。この難民問題がクローズアップされた契機として、ギリシャの海岸に溺死体として打ち寄せられたシリア難民の子供の姿がEUの多くの人の涙を誘ったシーンにあった。しかし、今やEUがシリア難民を波打ち際で蹴飛ばしている風刺画が出るほどだ(The Independent紙)。
EU・トルコ間の首脳会談が終わってから日も浅い3月13日に、トルコの首都アンカラで大きな爆発があり、37人が死亡するという事件が発生した。半年で3回という。トルコはエルドアン大統領、ダウトオール首相などが、テロリストの壊滅を図るなどの声明を出したが、今後のトルコの役割と実効性に大きな暗雲を投げかけることになった。トルコ政府などからの弾圧対象となりうるクルド系住民のEUへの脱出への対処など、新たな問題が生まれるかねない。
「パンドラの箱」を開けてしまったEU
これまで、難民でEUが分裂すると考えていた人は、識者と言われる人も含めてきわめて少なかった。金融・財政、国際競争力などに関わるシステム、運営能力の欠点や劣化が、危機を生む要因と考えられてきた。歴史、国民性などが異なる国々が「人の移動」の障壁まで取り払うというEUの理想の実現途上で、こうした事態に陥るとは考えなかったのいうのが、指導者の思いでもあったのではないか。加盟国の拡大を急ぎすぎたという批判もあった。
しかし、大きな混迷は域外からの難民流入という予想もしなかった外的要因でもたらされた。しかも、分裂、混迷は驚くほど短期間に進んだ。問題は政治、経済、社会などあらゆる面に波及した。外国人との共存など、これまで耐えて、克服しようとしてた問題が一挙に噴出した。まさに「パンドラの箱」を開けてしまったのだ。
まもなく開催されるEU首脳会議はかなりの激論が予想されるが、そこで同意が得られたとしても、ほとんど実質的に分裂したEUの再生につながるとは到底思えない。最初の段階で提示された国別の難民受け入れ割り当ての問題すら未解決のままである。解決の主要な立役者であったドイツ、そしてアンゲラ・メルケル首相、交渉相手となるトルコとエルドアン大統領の立つ基盤、そして政治環境はこの1年くらいの間で著しく変化し揺らいでいる。暗転ともいえるほどだ。EU設立の原点に戻り、新しい時代への構想を作り直す必要があろう。しかし、その過程の先は見えがたい。
最も悲惨なのは、ギリシャ経由トルコへ送還される、シリア、アフガニスタンなどからの難民認定をされない人たちの今後だろう。シリアの内戦停止の兆しはロシア軍の撤退などで、かすかに見えるほどだが、国土に明るさがみえるまでには長い年月を必要としそうだ。焦土と化した祖国へどれだけの人々が安住の地を求めるだろうか。ひとたび開かれてしまった「パンドラの箱」が閉じられることはない。
★今回の難民・移民問題の深刻さに、多くの検討会議やシンポジウムの企画・設定が世界中で行われている。筆者のところまで余波が押し寄せてくるほどだ。しかし、それらの検討結果がある程度の収斂を見るまでには長い時間を要するだろう。国境の存在を日常あまり意識していない日本だが、北朝鮮などの状況次第では、難民の津波が発生しないとは断定しえない。
References
“Desperate times, desperate measures” The Economist March 12th 2016
“EU and Turkey reach migrant deal-but delay final decision until nexy summit” The Independent digital.
Der Spiegel, various issues
BBC
ZDF heute