終わりの始まり:EU難民問題の行方(22)
2016年5月28日
洞爺湖(2008年サミット開催地)の夕日
伊勢志摩は暁につながるか
道険し、戦争・難民絶滅への道
G7サミットが始まり、あっと言う間に終わる。いったいどんな成果があったと評価しうるのか。会場となる伊勢志摩地域はいうまでもなく、日本の大都市は警察官で埋まり、かなり異様な雰囲気だった。といっても、自爆を覚悟のテロリストにとっては格好の舞台となりかねないだけに、目立った反対はなかったようだ。それだけに裏方の苦労は、計り知れないものがある。
日本で開催された先進国首脳サミットの地は訪れたことがあるが、それぞれに日本の美しさを外国からの参加者に伝える素晴らしい場所が選ばれていた。伊勢志摩は各国首脳にどんな印象を残しただろうか。会議の合間に垣間見た日本の光景とはおよそ異なる大きな政治的重荷を、参加した各首脳はそれぞれに背負っているはずだ。
現実の議論のテーブルは、大きな問題を最初から含んでいる。G8からロシアが外れて、さらに世界第二の経済大国となった中国も参加しないで行われた(GDPでは世界の半数に充たない)先進国首脳たちの議論が、世界にとってどれだけバイアスがない公平なものといえるだろうか。当然、対ロシア、対中国の議論が一方的に行われる。中国がG20の正当性を主張するのも別の論理だ。差別観を極力減らし、公平性を保った判断を心がけるのはわれわれ国民の問題でもあるのだが、メディアの視点も多様であり、それほど容易なことではない。宣言の文言そのものが自国の利害を背負った各首脳間の考えを反映させるため妥協の表現となり、大変読みにくいのだ。時に微妙な表現に隠された意図を読み取る力量も必要となる。
核兵器廃絶に向けて:終わりの始まりとなりうるか
今回の伊勢志摩サミットが、今後多くの人々の記憶にとどまるとしたら、なんといってもサミット終了後、現職のアメリカ合衆国オバマ大統領が広島を訪問したことだろう。サミットの流れとは別の次元の問題ではある。ケネディ大統領暗殺当時から、日米の関係をひとりの観察者として見てきた者にとって、ここまでたどり着くに70余年という歳月が必要であったという事実に改めて言葉を失う。JFKの暗殺後、歴代大統領の考えに着目してきたが、広島(長崎)訪問の機運は生まれなかった。それが、今回はアメリカ側も周到に日米国民の距離を計り、オバマ大統領の広島訪問を実現した。「謝罪」の問題は、70年余という長い年月が経過したこともあって、大きな論議にまではいたらなかった。異論はあったがこれで良かったと思う。被爆の実態をかろうじて後世に伝えうる人たちが生きている間にという意味でも、ぎりぎりの訪問だった。戦争の加害者、被害者の判別議論は、中国の王外相が南京事件を直ちに口にしたように、政治化すると、思わざる火種を生みかねない。
ブログ・テーマとの関係で、今回のサミットの課題に戻ると、重要な検討課題のひとつであったテロリストおよび難民・移民問題は、ひとつ間違えばEUの崩壊につながりかねない危機的課題となってきた。日本はこの問題には従来一貫して距離を置き、世界で積極的役割を果たすことはなかった。今回は、日本で開催のサミットであるだけに、傍観者ではいられない。政府も急遽シリア難民を2017年から留学生として5年間で最大限150人受け入れると発表した。ヨーロッパや中東の国々の場合と比較すると、議論に入れてもらうための付け焼き刃のような感じもするが、この厳しい時代、少しでも積極面を評価したい。移民・難民問題は発生源側と受け入れ側双方の対応が必要なのだ。復興への資金拠出で解決するわけではない。日本では人手不足時代到来が反映して、急にアベノミクスのひとつの戦略として外国人受け入れ拡大が口にされるようになったが、経験の少ない国が急に窓口を拡大しても、背後にある社会との間で、大きな軋轢を生む可能性は高い。実際、日本の受け入れ制度は、かなり歪んでいて問題が多い。
ヨーロッパの命運を定める難民・移民問題
サミット首脳宣言では「難民の根本原因に対処。受け入れ国を支援」というきわめて当然ともいえる骨子であった。すでにドイツのメルケル首相、フランスのオランド大統領など、政治的にはかなり追い詰められている指導者もいる。サミットのスナップショットでもメルケル首相の表情には、なにかかげりのようなものが感じられた。ある世論調査では「64%がメルケル首相の再任を望んでいない」ともいわれる*。
* たとえば、最大数の難民、庇護申請者を受け入れているドイツでは、収容施設が限界に達している。ドイツ連邦共和国は難民としての受け入れが認められた外国人について、ドイツ語の学習などを義務付ける新法を制定したばかりだが、すでに対応に大きな支障が出てきている。たとえば、最大の難民収容施設数を持つベルリンでは住宅、教育などの面で厳しい制約が生まれている(2016年5月26日 SPIEGEL online)。メルケル首相としては、昨年今頃の高揚した気分が、次第に冷めて行くことを感じているのではないか。
EUとトルコの協定に基づき、EUに流入する難民・移民は昨年秋をピークに、数の上では減少したが、問題自体は混迷の度合いを強め、ほとんど先の見えない泥沼状態にある。G7に先駆けて、イスタンブールで開催された「世界人道サミット」では世界におよそ6300万人の難民が存在することが認識された。祖国を失い、安住の地がなく、世界をさまよう漂泊の民である。
トルコ国内だけでも、約270万人のシリア難民が収容されている。昨年の春の段階では、120万人くらいといわれていた。1年足らずで驚くべき増加である。他方、先の協定で合意が成立した、ギリシャなどから難民認定をされず、トルコへ送還される人は、300人程度ときわめて少ない。そして、トルコにいるシリア人の多くは、高齢者、女性、子供などで、夫や父親などの男性が幸いEUのどこかの国で働いていても、合流することはできず、トルコにとどまらざるを得ない。戦争で荒廃した祖国シリアへ戻る道はほとんど閉ざされている。ドイツ連邦共和国でも、昨年1年間で100万人以上の難民が流入しており、難民による犯罪なども増加し、難民に厳しい姿勢に転じている。最近では、モロッコ、アルジェリア、チュニジアの3カ国を「安全な出身国」と規定し、これらの国々からの難民については本国に送り返すことになった。
事態の変化はきわめて早い。EUートルコ協定が成立した段階で、トルコのダヴトグルー首相は退任してしまった。エルドアン大統領とそりが合わなかったようだ。大統領はますます専横的、傲慢になっているとEU側は感じている。そして、EU側はトルコ国民のシェンゲン域内への「ヴィザ無し渡航」(visa-free travel)について、それを認めるために72項目の条件を提示している。しかし、その充足状況はEU側からすれば、現時点では半分程度と厳しい評価だ。トルコは10年以上にわたり、この問題を交渉してきた。マレーシア、ペルー、メキシコ人などは、今日ヴィザ無しでEU域内を自由に旅行できるのに、なぜトルコは認められないのかというのが、トルコ側の不満だ。トルコは長年EU加盟を要望してきたが、キプロス問題などがあり、EUとしては難民とトルコのEU加盟を結びつけて議論することに強く反対してきた。本来、難民・移民問題とヴィザ問題は別の次元で扱われるべきものだ。しかし、難民流入に苦慮したEU側が、トルコとの取引条件としてテーブルに載せたのだ。
人権問題などをめぐってエルドアン体制へのEU側の不満は強い。しかし、シリアなどからの難民の収容にトルコが尽力することを条件に、トルコ国民のEU域内ヴィザ無し渡航、さらに60億ユーロの支援には同意してきた。しかし、協定成立後も難民への対応は遅々として進まず、EUは不本意ながら譲歩を余儀なくされてきた。ヴィザ問題は最短で進めば、5月4日が最近、最速の解決期限だった。しかし、到底妥協にはいたらず、EUとトルコは「互いにボールを蹴り出し合っている」*。難民・移民問題の解決には、遠く、長い険しい道が続く。
References
*’Clearing customs’ The Economist April 30th 2016
European Commission, Towards a sustainable and fair Common European Asulum System, Brussels, 4 May 2016
Europe’s murky deal with Turkey’ The Economist May 28th 2016
# PC不具合のため、脱落など、不十分であった点を加筆しました(2016/05/30 )。