Home»連 載»やたがらすの眼»朝鮮半島の地政学・第一則――大陸国家・中国への従属性

朝鮮半島の地政学・第一則――大陸国家・中国への従属性

10
Shares
Pinterest Google+

 中国大陸にくっ付いた“盲腸”の様な朝鮮半島
朝鮮半島は、ウサギの形に似ているといわれ、ウサギの形をした朝鮮半島は巨大な“雄鶏の形”をした中国大陸に“盲腸”のようにくっ付いている状態だ。因みに、2011年4月、中国のインターネット上で、地図で見た朝鮮半島が「人に首筋を捕えられたウサギ」に似ていると指摘するイラストが登場し、韓国で反発が高まったことがある。韓国メディアは「中国が朝鮮半島を図象化して韓国を侮辱した」と報じた。筆者は、最近、中国に摺り寄る朴槿惠大統領を見るにつけ、朝鮮半島はまるで中国に捕えられたウサギに見えて仕方がない。
今日、中国と南北朝鮮を比較すると、国土の面積は中国が約970万km2で、南北朝鮮(約22万km2)の約44倍、人口は中国が約13.57億人で南北朝鮮(7512万人)の約18倍となっている。いずれも圧倒的に中国の方が優位を占め、朝鮮半島の南北朝鮮は圧倒的に「格下」であることは否めない。

 第一則:大陸国家・中国への従属性
中国大陸にくっ付いた“盲腸”の様な朝鮮半島の地政学の第一則は、「中国への従属性」である。ここで言う「中国」とは、前漢以降の歴代中国王朝国家のことである。朝鮮では紀元前3世紀ごろ、前漢初期に衛氏朝鮮が冊封されて以来、1895年に日清戦争で日本が清を破り、下関条約によって朝鮮を独立国と認めさせるまで、ほぼ一貫して中国の冊封国であった。琉球など他の冊封国では国王が亡くなれば新たな国王がすぐに継ぎ、中国からの「事後承認」を得る形であったが、朝鮮だけは「事前承認」を得る形を取っており、「中国の許し」を重視していたといわれる。なお、「冊封」については、次号で説明する。

 朝鮮半島とイタリア半島の比較
朝鮮半島の中国への従属性の強さを理解するためには、イタリア半島と比較してみればよい。

☆ イタリア半島の場合
ローマ帝国は、紀元前8世紀ごろイタリア半島で誕生した。その後勢力を拡大し、西暦117年頃は、地中海周縁のアフリカ北部、欧州、中近東に広がる巨大な版図を勢力圏に納めた。ローマ帝国がこのように発展できた原因の一つは、地中海という海洋の安全保障上のバッファーゾーンがあったからではないだろうか。しかし、海洋というバッファーゾーンは、船舶の発展によって消失する。塩野七生先生が「ローマ亡き後の地中海・全4巻」(新潮文庫)でその様子を書いている。476年、西ローマ帝国が滅亡すると、サラセン人は「右手に剣、左手にコーラン」を掲げて、地中海沿岸のアフリカ大陸から出撃して、イタリア半島の都市国家を狙って海賊行為を繰り返した。イタリア半島は朝鮮半島と同様に海――地中海――正面には弱かった。
一方、イタリア半島は、大陸正面には強かった。なぜなら、イタリア半島北部にはアルプス山脈という地形的な大障害があり、自然に守られているからだ。例外的に、軍事的天才はアルプス山脈という大障害を越えた。それが、ハンニバルとナポレオンだ。さしものハンニバル軍もアルプスに向かった37頭の“戦象”を含む46000人の兵士のうち、イタリアに進出できたのは“戦象”3頭と兵士26000人であったという。
ハンニバルに続いて、アルプスのグラン・サン・ベルナール峠を越えたのはナポレオンである。1800年5月、ナポレオンはイタリア遠征のために4万のフランス軍を率いて峠を越えた。ナポレオンは兵士のために、付近の村からワイン21,724本、チーズ1.5トン、肉800キロなどを調達した。この際、峠のホスピスに40,000フランの借用証を置いていったという。だがフランス帝国政府が実際に支払った代金はその一部だけであった。残りは、1984年にようやく時のフランス共和国大統領フランソワ・ミッテランが清算した。

☆ 朝鮮半島の場合
三面を海に囲まれた朝鮮半島は、海洋正面に弱い。このことは、秀吉の二度にわたる朝鮮出兵――文禄の役(1592年)と慶長の役(1598年)――を見れば分かる。朝鮮半島はイタリア半島と異なり、大陸正面にも弱い。筑波大学の古田博司教授は、著書「醜いが、目そそらすな、隣国・韓国!」(ワック(株))で次のように書いている。
「朝鮮半島は、北の日本海側こそ峨々(がが)たる山が隆起しているが、黄海側は北から南に平地がつづき丘のような小山はあるものの、ほぼ平坦である。つまり半島西側は、全く無防備であり、祖国を守ることができない。遼の契丹族も、清の女真族も、数日で首都を抜いた。そのたびに、王は民を捨て輿に乗って逃げ出したのである。」
ついでながら、古田教授は上記に加え、次のように面白い指摘をしている。
「この国の地政学的な特徴が作り上げた心性(こころ、天性)は、無防備で楽天的な民衆と、無責任で他者転嫁型の支配層にわかれる。民衆は支配層に伝統的な不信感を抱き、その無念を『恨』(筆者注:感情的なしこりや、痛恨、悲哀、無常観)として歌い、支配層は無力で無責任であることを隠蔽するため、過度に威圧的、強権的かつ差別的である。知識層は支配層の一翼を担うが、ゼノフォビア(外国人嫌い)である一方、現実の弱者を自覚した時には度を越して事大的かつ卑屈になる」

(おやばと掲載記事)

Previous post

3.11から5年、教訓をどう生かすか 被災地は人口減少・高齢化で心のケアも

Next post

中小企業の未来と大学