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『我が国の歴史を振り返る』(2)日本及び日本人の4つの特色

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▼はじめに(「水と安全はタダ!」)  

本シリーズは我が国と西欧列国や周辺国との歴史的な関わりを焦点としていますが、その前にどうしても理解しておきたい我が国の地理的特性や日本人の資質などを整理しておこうと思います。

1970年代になりますが、イザヤ・ベンダサン(山本七平氏のペンネームと言われています)の『日本人とユダヤ人』に出てくる「日本人は水と安全はタダと思っている」との言葉が巷で話題になりました。今では、水道代を払い、ミネラルウォーターを購入する人も多いことから、水をタダと考える人は少なくなったと思いますが、本シリーズの焦点は、この「水」でなく「安全」の方です。日本人の多くは今なお「安全はタダ」と思っているのではないでしょうか。

最近は、時々奇妙な事件が起こり、我が国の「安全神話」が崩れたとの見方もありますが、私は、日本人のDNAに“「安全」、その延長で「平和」とか「独立」はタダ”との因子が刷り込まれているような気がしてなりません。これらは一朝一夕に出来上がったものではなく、我が国の地理的要因や環境などを背景に長い歴史の中で出来上がったものと思います。まず、それら、いわゆる「我が国の特色」を簡単にレビューしておきましょう。

▼「四面環海」の「単一民族」

我が国の特色の第1は「四面環海」、我が国が“島国”であることです。 現在では、海を渡ることはそんなに難しいことではありませんが、長い間、人類にとって海を渡ることは“越えがたい障壁”でしたので、海の存在は“外敵から国を守る”ための大きなメリットでした。

ただ「四面環海」とは言え、我が国は大海の孤島ではなく、ユーラシア大陸の東端に位置し、大陸と日本列島を隔てる対馬海峡はわずかに200㎞ほどの幅しかありません。その先に朝鮮半島が横たわっており、古来より様々な文化や技術が中国から朝鮮半島、そして対馬海峡を経由して我が国に伝わってきました。
しかし、わずかに200㎞といっても大陸と「海を隔てている」ことは、国防上、重要な価値を持っておりました。事実、我が国が対馬海峡経由で侵略を受けたのは、鎌倉時代、2度にわたる「元寇」のみでした。この際も、鉄砲の語源になった「てつはう」という火薬を用いた武器を駆使する元軍に対して当時の武士の戦いは全く歯が立たなかったのですが、洋上にあった元軍船団を台風が襲うなどの幸運もあってこれを退けたのでした(「神風」説まで流布されました)。

当然ながら、日本側から朝鮮半島に渡るのも大きな制限を受けました。歴史上は、7世紀の「白村江(はくすきのえ)の戦い」や16世紀末期の豊臣秀吉の「朝鮮出兵」がありますが、我が国の祖先達は、長い間、日本列島の中にとどまっていたのでした。明治時代以降の大陸進出については、本シリーズの主要テーマでもありますので、のちほど詳しく触れましょう。

また最近、北朝鮮の弾道ミサイルや核戦力が話題になっていますように、科学技術の発展、なかでも軍事技術の大きな進歩によって、「四面環海」の意味が変わりつつあるのは事実です。それでも、数年前の中東から欧州各国へ向かって行列を作って歩いて行く難民の群れの映像などを観るにつけ、改めて島国の価値を認識することができると思います。

特色の第2は「単一民族」であることです。我が国は、古来「単一民族」で「一国家」を形成し、「単一民族」として文化や価値観を共有してきました。島国だからそれが可能だったとも言えるでしょう(先住民族もおりましたが、長い歴史の中ですでに同化していると考えます)。

世界には大小約800の民族が存在すると言われていますが、現在、国家の数は200足らずですので、計算上は、全体の4分の1の民族しか自前の国家を保有していないことになります。逆に、お隣の中国には漢族の他に56の少数民族が存在しますし、朝鮮半島は1つの民族が2つの国家に分断されております。我が国のように、長く「一民族一国家」を維持できたのは極めて希で、幸運と言えると思います。

ついでに、後々のために“日本民族が「黄色人種」である”こともつけ加えておきましょう。歴史の中の(白人を主とする)欧米列国との関係、そして同じ「黄色人種」でありながら、どうしても共通の価値観を持てない“中国や朝鮮半島が近傍に所在している”ことも覚えておきたいものです。

▼「農耕民族」で「多神教」

特色の第3は、日本人は「農耕民族」であるということです。縄文時代はさておき、日本人は、生活の主体が稲作など農業活動により形成されている「農耕民族」に分類されます。様々な議論があるようですが、生きるために命を懸けて争っても獲物を獲得しようとする「狩猟民族」と違い、天の恵みに感謝し、お互いに助け合って仕事をしないと収穫できないとの本質を有する「農耕民族」は、基本的には争いを好みません。

他方、今や日本人の専売特許になっている「物づくり」技術は、その源流をたどると、農業を効率的に実施するための農機具に行き着くといわれます。農機具や刀剣類などの製造技術は大和朝廷の時代から育まれてきたようですが、外国から渡ってきた技術をもとに改善を加え、我が国独特の専門技術として発達してきました。

また、「災害大国」と言われる我が国は、地震や台風など厳しい自然環境との戦いの歴史でもありましたが、「物づくり」技術は、こうした厳しい環境の中で生き残るために発達してきたと分析する人もいます。日本人は、長い歴史の中で厳しい自然さえも“成長の糧”にして来たのです。

特色の第4は、宗教が「多神教」であることです。現在の日本人には無神論者(無宗教の人)もいますが、我が国は、古来より八百万の神々が共生する「神道」を基本としてきました。よって、様々な仏が共存共栄している「仏教」の導入には何ら違和感を持たなかったのでした。しかし、“一神教”の「キリスト教」や「イスラム教」はまったく別で、ごく一部の人々を除き、これらが広く普及することはありませんでした。我が国と欧米列国の関係は、「宗教」を抜きには語れません。細部については、その都度、振り返りましょう。

▼育まれた日本人の“資質”と“DNA”

我が国は、長い歴史の中で、国内の統治をめぐる争いについては、確かに戦国時代のような領地の争奪戦や明治時代以降の再三の戦争も経験しましたが、周辺国や欧米列国などと比較すれば“争いの経験”は極めて少なかったと言えると思います。

その中で、万世一系の天皇家を王朝として護持してきました。現王朝は、記録の確かな6世紀以降、少なくとも1500年間は王朝交代の証拠はなく存続しております。これは他に類がありません。

このような特色を背景にして、東日本大震災などにおいて世界中から賞賛されたような、礼儀正しさ、勤勉さ、賢さ、寛容さ、争いを好まず平和を尊ぶ精神などが日本人の“資質”として育まれてきました。他方、見方・考え方が狭隘になりがちな“島国根性のような資質”も出来上がりました。

その延長で、日本人には「安全はタダ!」との“DNA”培養され、安全や防衛に関する意識や気概については、日本人共通の“資質”として十分発達して来なかったのではないでしょうか。

明治以降から昭和にかけては、必要性に駆られてこれらの意識や気概が覚醒しましたが、結果として国運を狂わす「敗戦」につながりました。国の行く末を左右する「戦争」に至る道には様々な要因があります。それらの要因の探求、そしてその教訓や課題を見つけることこそが「歴史から学ぶ」主対象であり、本シリーズのテーマそのものであります。追い追い振り返ってみましょう。

▼「FAR EAST」

最後に、西欧列国との関わり合いで言えば、我が国は地理的位置にも恵まれました。つまり「FAR EAST」(極東)です。

「地球球体説」は古代ギリシア時代から説かれておりましたが、それを実証したのは「大航海時代」、有名なマゼランの世界一周(1522年)でした。我が国は「FAR EAST」、ユーラシア大陸西側の欧州列国から地球のちょうど反対側、最も離れています。また、アメリカ大陸経由の西廻りでも広い太平洋を渡る必要があります。

15世紀中頃から17世紀中頃まで、ポルトガルやスペインによる「大航海時代」と言われる大規模な航海が行なわれ、欧州以外の地域がその餌食になりました。我が国は、地理的位置などが功を奏して致命的な影響を回避できましたが、その後の欧米列国による植民地拡大の歴史においても、もし我が国がインド洋とかカリブ海あたりに位置していたらまったく違った歴史になっていたことは容易に想像でき、ぞっとします。

次号から、“西欧列国と関わり合いが始まった”「大航海時代」にさかのぼり、「我が国の歴史」を振り返ってみたいと思います。

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