東千葉メディカルセンター問題における千葉県の責任(2)
●千葉県の責任
東千葉メディカルセンターの設置計画には千葉県の意向が強く反映されている。「心配する会」によると、千葉県は、毎年8億円程度の東金病院への赤字補填を嫌がっていた。設置計画は、この負担を逃れるためだったという。千葉県は、東千葉メディカルセンター実現のため、2008年、二次医療圏を組み替えた。2006年の千葉県保健医療計画では、山武郡市は、印旛・山武医療圏に所属していた。2008年には、夷隅・長生と一緒になり、山武・長生・夷隅医療圏になった。「心配する会」によると、この後、千葉県は「この医療圏にだけ三次救急病院がない」と言い出した。千葉県が二次医療圏を組み替えたのは、背景になる人口を増やして大義名分を大きくし、補助金を多く出せるようにするためだった。
東千葉メディカルセンターの評価委員会には、救急搬送のデータが毎回提出されている。2015年12月分のデータでは、東千葉メディカルセンターが受け入れた救急搬送は228件。山武郡市からの救急搬送が170件を占めた。これは山武郡市のすべての救急搬送715件の24%に過ぎない。長生郡市からの受け入れは32件しかなかった。夷隅郡市のいすみ市、勝浦市からの救急搬送はゼロだった。同年4月から12月までの9か月間でみても、いすみ市からは7件、勝浦市からの搬送は1件もなかった。この表には44もの基礎自治体からの救急搬送の受け入れデータが記載されている。このうち、29自治体は山武・長生・夷隅医療圏外である。一方、夷隅郡市に所属する大多喜町、御宿町は統計表に入れられていなかった。東千葉メディカルセンターが夷隅郡市を、自らの診療圏と考えていないことは、統計表からも明白だった。夷隅郡市の救急の大半は亀田総合病院に搬送されている。医療の実態は、安房・夷隅医療圏である。夷隅郡市は東千葉メディカルセンターに補助金をつぎ込むための名目に利用されただけだった。本来、「安房・夷隅医療圏」に配分されるはずの補助金が東千葉メディカルセンターに投入された。
●研究者、医療関係者の意見
この問題について複数の研究者、千葉県の医療関係者から話を聞いた。以下その意見をまとめる。
団塊の世代が後期高齢者となる2025年に向け、地域医療をそれに見合ったものにしようというのが地域医療構想である。高齢者が爆発的に増える今後の医療需要にあわせて、その地域での超急性期、急性期、回復期、慢性期病床をその地域の状況にあうように病床配分していこうという計画経済的な考え方に則っている。まず、その構想地域を決めなければならない。二次医療圏が基本だが、実情にあわせて今までの二次医療圏にこだわらず、まず、構想地域を決めることから始める。これが医療連携会議である。地域を決めてから、現時点での実情から2025年にあった構想を立てるというものが地域医療構想の基本で、医療圏ごとの計画策定となる。連携会議で地域を決めて、構想会議で医療計画を作ることになる。
山武・長生・夷隅医療圏は東千葉メディカルセンター設立のために、あえてつくられた不自然極まりない二次医療圏である。東千葉メディカルセンター設立のために莫大なお金がつぎ込まれたので、山武には恩恵があったかもしれない。しかし、今後の成り行きによっては、東金市と九十九里町にとって、財政破綻に向かう毒まんじゅうだったということになる。少なくとも、東千葉メディカルセンターから、夷隅はなんら恩恵を受けていない。新しくできた圏央道を使うとしても遠すぎる。夷隅の救急患者はほとんど亀田総合病院に運ばれている。救急でなくても患者の流れは夷隅から安房となっている。夷隅では2市2町の首長が連名で、夷隅は安房と同じ二次医療圏にして欲しいと千葉県知事に2015年8月の終わりに申し入れた。
地域医療構想は地域ごとに作成するということで、二次医療圏ごとに医療連携会議が開かれている。山武・長生・夷隅医療圏と安房医療圏の連携会議で、医療圏の組み替えが議題に上った。千葉県は、介護保険計画との整合性から2年間は医療圏を変えない方向であるとの説明し、会議は紛糾した。夷隅、安房からは強い変更希望が出された。安房と夷隅が同じ医療圏である方が二次医療圏の人口規模や患者の流れから自然である。慎重にじっくり議論しなければいけないと千葉県は反論したが、以前から十分に議論されてきたことである。千葉県は、意見は承ったとして、医療圏を決めるのは、千葉県医療審議会、その部会である保健医療部会であると主張した。保健医療部会は、東金市長と山武の前医師会長だった田畑千葉県医師会長が主導権を持つ。ここでは医療圏は変えないという結論は見えていた。地域の意見を聞いて医療計画を立てるという原則を千葉県が反故にした。さらに、形勢不利と見た千葉県は、山武、長生、夷隅、安房医師会にアンケートを取り、山武や長生医師会は医療圏変更に反対しているので、変更は出来ないと言い始めた。医療は住民のもの、患者のものであり、医師会のものではない。住民の代表である首長の主張より医師会のアンケートが重んじられた。
ここまで無理をする理由は、東千葉メディカルセンターに補助金を投入し続けるためである。失敗だったとなると、誰かが責任をとる必要が出てくる。決定に関わった職員はまだ現役で残っている。千葉県の役人の責任逃れのために、巨額の税金が投入され続けるだろうというのがこの問題に詳しい研究者の説明だった。先行きについて見通しがなく、結果に対して誰も責任をとらない。
●今後の問題
筆者は、2012年7月、九十九里医療センター(東千葉メディカルセンター)構想についての危惧をメールマガジンに発表した(1)。当時、多くの医師がこの構想を無謀だと認識していた。
三次救急は通常、人口100万人に1か所程度必要とされる。逆に、巨額の投資が必要なので、人口が少ないと維持できない。東千葉メディカルセンターから、20~30分で、千葉大病院、千葉県救急医療センターに到達できる。三次救急が経済的に成立しないところに、三次救急病院を創設しようとしたことに無理があった。
医師・看護師を集められたとしても、最終的な規模は、314床、23診療科(当初の22科に総合診療科が加わった)、医師数56人、看護師数276人である。常識的には、この医師数だと、三次救急は不可能である。三次救急は救急患者の最期の砦であるが、救急医が対応できる疾患は限られる。救急以外の診療で、すべての診療科が高い水準で運営されていないといけない。私の専門領域の泌尿器科は1人しか想定されていない。泌尿器科は手術を主な治療手段とする。数名のチームで診療するのが普通である。医師一人の泌尿器科は機能しない。ふだん機能していない泌尿器科は、腎外傷、骨盤外傷、悪性腫瘍からの大出血、外科処置の必要な重篤な尿路性器感染症などに対応できない。
2014年の医療介護総合確保推進法による地域医療構想は、都道府県に強大な権限を与えた。都道府県が地域ごとの実情を無視して突っ走っても、医療関係者は誰も止められない。言論だけが頼りになる。筆者は活発な言論活動で、厚労省、千葉県の無茶な政策を批判してきた。賛同者も多かった。厚労省の医系技官(千葉県への出向者を含む)にとって扱いにくい難敵だった。筆者が千葉県の違法行為を批判したことを契機に(2)、医系技官の井上肇は、筆者の批判を止めさせないと補助金を配分しないと、亀田総合病院の経営者を脅した。筆者は、千葉県、厚労省を批判したことを理由に亀田総合病院を懲戒解雇された(3)。井上肇が医療行政の要として千葉県に在職中、東千葉メディカルセンター構想が本格的に動き始めた。
亀田総合病院は、筆者を解雇することで、行政の嫌がる反撃手段を捨てた。行政は無理難題を押し付けやすくなった。結果としてリスクを高めた。東千葉メディカルセンター問題や亀田総合病院事件を、民主主義のルールに則ってきちんと解決しない限り、同様の事件が頻発する。結果として国民が不幸になる。多くの目で推移を注目していく必要がある。
1.小松秀樹:病床規制の問題1:千葉県の病床配分と医療危機. MRIC by 医療ガバナンス学会. メールマガジン; Vol.539, 2012年7月11日. http://medg.jp/mt/2012/07/vol5391
2.小松秀樹: 千葉県行政における虚偽の役割. MRIC by 医療ガバナンス学会. メールマガジン; Vol.117, 2015年6月15日. http://medg.jp/mt/?p=5898
3.小松秀樹:亀田総合病院事件を刑事事件として扱うべき理由.MRIC by 医療ガバナンス学会. メールマガジン; Vol.239, 2015年11月24日. http://medg.jp/mt/?p=6292
(2016年4月11日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp)