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寄附講座中毒 浜通りの医療の置かれた状況2/3 

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III 震災後の浜通りの医療
福島県立医大は南相馬から医師を一斉に引き上げたのか
南相馬市では、原発事故後、医師、看護師など医療従事者の半数が離職した。あるメーリングリストで、福島県立医大が医師を引き揚げたと伝わってきた。私は、事情を良く知るこの地域の複数の医師に確認した上で、原発事故後、福島県立医大は一斉に医師を引き揚げたと書いた。この後、福島県立医大の医師から「引き揚げた例は知る限り1例もない」と抗議された。そこで具体例を調査した。医局が引き揚げたように見える状況、すなわち、県立医大の医局から派遣された医師が、相双地区の病院を離職し、県立医大、あるいは、他の地域の関連病院に異動した例がいくつか確認できたが、真相の確定は困難だった。原発事故後、入院診療が認められず、資金が枯渇して給与が一時的に大幅カットになった病院もあった。引き揚げた形になっていたとしても、資金不足で、医師を雇用し続けるのが難しかったことが影響していた可能性がある。病院に残ったベテラン医師の認識と違って、実は、事務サイドが経営上の理由で、派遣を断った可能性のある事例もあった。医局と病院が、それぞれの事情と認識を口にしないまま、異動が決まったものが多々見られた。子供を抱えた医師の妻が、原発事故後の混乱期に、夫の南相馬市での勤務を嫌がる状況があれば、医局が無理させずに、他の病院に配置換えすることもあっただろうと想像する。逆に、妻の意向が表向きの理由で、事故の前からの懸案の人事を実行したのかもしれない。

認識は立場によって異なる
確実なことは、南相馬市の病院関係者の間に、県立医大に医師を引き揚げられたという認識が、根深く存在することである。依存度が高いほど、病院側が弱いほど、引き揚げられたという苦い思いが強くなるのは容易に想像できる。状況をどのように見るのかは立場によって異なる。例えば人種差別では、差別する側とされる側で差別についての認識が同じということはありえない。

トインビーの『歴史の研究』では、旧訳聖書の記述が、史実としてではなく、実在した一群の認識として大きく扱われている。県立医大に対する苦い思いは実在する。歴史とは、書き手を介した過去の一時代の写像である。書き手によって歴史は違った様相を示す。医師の離職原因を調べていて、認識は認識主体によって異なるという当たり前のことを痛感した。

福島県立医大最大勢力の整形外科医局の変化
数年前、福島県立医大整形外科医局の忘年会旅行の余興の問題映像が外部に流出して大騒ぎになった。この事件当時の整形外科教授が現在の菊地臣一学長だった。破廉恥な余興を若い医師に強いる背景には、絶対服従の人事権があったと想像する。強力な人事権が、地域の病院への医師の派遣を支えてきた。ところが、震災後、複数の医局員が、南相馬市の病院を辞めただけでなく、医局を辞めて他県で就職した。医局は医局員の心の中にある仮想現実である。ないと思った瞬間に消滅する。「医局の命令」では危機に立ち向かう利他的行動は生まれない。

菊地臣一コラム「学長からの手紙 医師としてのマナー」
福島医大ホームページに学長が担当するコラムがある。菊地臣一学長は、このコラムで何度か医局旅行に言及している。
「先日の医局旅行で、出欠表になかなか記載をしないスタッフ達がいました。私はこの時、彼等に苦言を呈しました。医局旅行は、医局の行事として恒例のものです。やる以上は、その目的の達成にスタッフは努力すべきです。スタッフが努力せずに、誰に旅行の成否を賭けるのでしょうか。」
達成すべき医局旅行の目的とは何なのか。複数の知人と、学長が学内に訴えかける文章として、合理的解釈が可能か考えてみたが、不可能だった。文面からは、医局旅行を嫌がる医局員、それでもやれと命ずる上司という構図が透けて見える。非合理を押し付ける蛮性が大学の統治に関連するとすれば問題が大きい。

傲慢と卑屈は表裏一体
破廉恥医局旅行は、医局がある種の醜さを秘密裏に共有する支配‐被支配関係で成り立っていることを、医局員に刷りこむための儀式に見える。福島県立医大は、2011年5月26日、学長名で、「国からの通知並びに県の意向を踏まえ、被災者を対象とする個別の調査・研究については差し控えられるよう、貴所属職員に対して周知徹底をお願いします」とする文書を学長名で各所属長に出した。当時、学問の自由ならびに行政に対する批判を抑圧する不適切な文書として有名になった。破廉恥医局旅行は、福島県立医大が国と福島県の理不尽な命令に従っていること、立場の弱い関連病院に対し、医師を引き揚げるが、他から採用するのは許さないという理不尽な要求を押し付けたこと、自立した個人が見えないこと、自由な議論がないことのすべてを結び付ける。全体として学問の発展を阻害する。そもそも、旅行とは個人的趣味と教養の世界であり、ゲーテの『イタリア紀行』を理想形とする。個人的営為であり、医師の仕事と重なることはない。

「権力の偏重」
明治の初めに福沢諭吉が「権力の偏重」として苦言を呈したことが、いまだに福島県立医大に色濃く残っているように思える。
「地方の下役等が村の名主共を呼出して事を談ずるときは、其の傲慢、厭う可きが如くなれども、此の下役が長官に接する有様を見れば、亦慇笑(びんしょう)に堪へたり。名主が下役に逢うて無理に叱らる丶模様は気の毒なれども、村に帰りて小前の者を無理に叱る有様を見れば、亦悪(にく)む可し。甲は乙に圧せられ乙は丙に制せられ、強圧抑制の循環、窮極あることなし。亦奇観と云ふ可し。」(『文明論之概略』)
統治者と非統治者の関係だけでなく、人間のあらゆる関係で権力、権威、価値が一方に偏重している。長官と下役、下役と名主、名主と小前のもの、男女、親子、兄弟、師弟、貧富貴賤、新参故参、本家末家。これが個人の自立と批判精神を奪い、学問を阻害する。

亀田総合病院の南相馬市支援は自立を促すため(亀田総合病院院内向け文書より)
「2011年8月段階で、常勤医師の57%、常勤看護師の55%、その他の職員の42%が離職した。南相馬市立総合病院は、常勤医師が震災前の12名から4名まで減少した。医療提供体制の充実が地域の復興の喫緊の課題になっている。2011年9月23日、南相馬市立総合病院で、亀田信介院長、小松副院長が、桜井南相馬市長、金澤院長、及川副院長から、医師とリハビリ職員の派遣を強く要請された。2011年11月より、医師、リハビリ職員の希望者を南相馬市立総合病院に出向させる。今後、全国からの医師募集の手助けをする。南相馬市の医療が自立できるよう支援していく。」

『攻めの医師募集』
南相馬市立総合病院と市内民間病院の医師を募集した。市立病院は30名を募集した。入院患者100人当たりの常勤医師数を6.7名から、20名にしたいと思っていることを、応募者にも分かってもらうようにするためである。3名より30名が集めやすい。私は、呼びかけ人に徹し、交渉は病院と応募者に任せて一切関わらなかった。私自身、応募者の情報には一切アクセスできないようにした。募集の文書では、ミッションを明確にした。医師に生きがいと価値を提示した。キャリア相談役として影響力のある医師12名を列挙した。市役所から金澤院長への人事権委譲を桜井市長に約束してもらった。しかし、後に看護師採用に関して約束が反故にされた。
震災時、一部の病院は、職員に病院に残るよう強引に要求した。引き留めを振り切って退職した看護師は元の病院に戻るのを嫌がっていた。一方で、南相馬市立総合病院の金澤院長は、逃げたい職員をその意思に任せて、無理に引き止めなかった。両者とも、大勢の看護師が退職し、地域では看護師数が大幅に減少した。市立病院が看護師を募集したところ、市役所は、看護師が大幅に不足しているにもかかわらず、応募者の多くを、市職員としての一般知識に欠ける(看護師としての知識技術ではない)として採用しなかった。私は桜井市長に抗議したが、合理的な説明は得られなかった。地域の有力者が市長に採用しないよう要求したという解釈以外に、合理的解釈を思いつかなかった。この地域では自他の区別があいまいで、他者への不適切な影響力行使がまかり通っている、すなわち近代合理主義と民主主義が根付いていないのではないかという思いを強くした。

臨床研修病院
日本で高く評価されている病院は、医師の教育制度を充実させ、自前で医師を育成している。地方の中規模病院でも、診療水準が高い病院は、自前で医師を育てている。フル装備の基幹病院を支えるには、50万人から100万人の人口が必要である。相馬市や南相馬市の人口では、中規模の病院すら保持できない。単独で臨床研修病院は持てない。私は、公立相馬病院と南相馬市立総合病院を統合させて臨床研修病院にすることを提案した。相馬市、南相馬市が共同で病院を持つとしても、臨床研修病院としては最小クラスにしかならない。魅力的な臨床研修病院を作れなければ、この地域の医療サービスはさらに縮小する。

南相馬市立総合病院のその後
一部の関係者は病院を統合しようと努力したようだが失敗した。それでも亀田総合病院が研修の足りない部分を補完するという条件で、南相馬市立総合病院は臨床研修病院に指定された。指定が受けられるよう東京大学医科学研究所の上昌広教授が厚労省に強く働きかけた。研修医は2年連続で2名ずつフルマッチになった。金澤院長、及川副院長が元気になり、積極的に発信するようになった。坪倉医師が内部被ばくについて発信し続けている。亀田総合病院から出向した原澤医師が仮設住宅で診療を開始した。根本医師が在宅診療科を創設した。東大の国際保健学チームが震災関連の情報を学術的に分析し、世界の学術雑誌に発信した。常勤医師数は震災前の2倍を超えた。「生きがいと価値の提示」が「医局の命令」より有効だった。

2014年9月4日 MRIC by 医療ガバナンス学会

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