被用者保険における消費税問題
●租税法律主義
租税とは「国家や地方公共団体がその経費をまかなうために、法律に基づき国民から強制的にとりたてる金銭」(学研国語辞典)とされる。
歴史的に、租税は大きな争いの原因となってきた。封建領主や専制君主は戦費調達や自らの欲望のために、さまざまな租税を被支配者に課してきた。西欧を近代 に導いた清教徒革命、アメリカ独立、フランス革命などの市民革命は、いずれも租税をめぐる争いが発端だった。市民革命を契機に近代憲法が成立した。租税法 律主義が近代憲法の基本的内容の一つになっているのはこのためである。
日本は民主主義国家であり、国民が主権を有する。不適切な課税は、財産権の侵害にあたる。課税するためには、国民の代表による国会での立法が必要とされ る。課税要件、納税要件は法律で定められていなければならず、その要件は誤解の生じない明確なものでなければならない。当然ながら、これらの基本的な要件 を、政令、省令にゆだねることは許されない。租税法律主義の現代的意義は、行政の恣意的な課税を防ぐことにある。
しかし、現代の日本では、行政が複雑化しており、租税は専門知識を有する行政官の関与するところが大きい。租税法律主義を担うべき国会議員の力量が、しば しば、行政官に追いついていない。法律に則っていたとしても、適切性を欠く筋の悪い租税は生じうる。租税の筋の良さ、悪さを判断する指標として、租税を正 当なものにするための原則が、アダム・スミスなど何人かの学者によって提案されてきた。租税負担が公平であり、制度が明確で公正でなければ、租税制度の維 持、ひいては国家の統治が困難になる。
●消費税
2014年4月、日本では消費税率が8%に引き上げられた。サービスを含めた財を販売すると、販売業者は課税対象売上げの8%を消費税として国庫に納付し なければならない。販売業者は価格に消費税分を上乗せする。しかし、仕入れにも消費税がかかっている。仕入れ時の消費税は、国庫に納付する消費税から控除 される。消費税は最終消費者に転嫁されることになる。
医療には消費税は設定されていない。しかし、医療機関の仕入れや投資には、消費税が課されている。この消費税は控除されない。厚労省は、その分、診療報酬 を増やして対応している。厚労省は、消費税導入時に0.76%、3%から5%への引き上げ時に0.77%、5%から8%への引き上げ時に1.36%上乗せ したとしている。この数字が適切かどうかをめぐって、厚労省と医療側に意見の食い違いが生じている。これを解消しようにも、その後の診療報酬改定で、どの 部分が上乗せ分なのかあいまいになっており、議論の基礎となる正確な数字は存在しない。
●社会保険
社会保障制度は、疾病、老齢、障害、失業など、個人の努力で対応が困難なリスクに対して、国家が主体となって、国民の生活を保障する仕組みの総称である。社会福祉、公的扶助、社会保険などがある。
日本の社会保障制度の根幹は社会保険である。社会保険は民間保険と異なり、保険に加入することが強制される。被保険者から保険料を集めて財産を形成する。 この財産を中心に保険集団が形成される。被保険者に保険事故が生じたときに、この財産から保険給付が支払われる。医療保険は、大企業の被用者を対象とした 組合健保、健保組合を持たない中小企業の被用者を対象とした協会けんぽ、公務員が加入している共済組合、自営業者・前期高齢者などを対象とした国民健康保 険、後期高齢者医療制度などに分かれている。医療保険では、疾病が保険事故となる。被保険者が疾病に罹患した場合、保険者が医療費の一部を支払う。
●被用者保険
日本では、被用者の保険集団から高齢者の加入する保険集団に、巨額の財産が移転されている。例えば、2012年度、健保組合、協会けんぽから、後期高齢者 支援金、前期高齢者納付金、退職者給付拠出金として、それぞれ、3兆1300億円、3兆2800億円が支出された。それぞれ、総支出の42%、40%が被 保険者以外への支出だった。財産の保険集団外への移転が巨額になっているために、2012年度74%の健保組合が赤字だった。
移転された財産は保険集団外の高齢者の医療費として支払われる。医療費には、医療機関の控除対象外消費税が上乗せされている。厚労省によると、上乗せ分は 累計0.76+0.77+1.36=2.89%である。2012年の医療費のままで上乗せ分を2.89%とすると、組合健保、協会けんぽが支払う高齢者の 医療費の消費税分だけで、それぞれ880億円、920億円になる。生涯を全うするのに十分すぎる資産を有する高齢者は少なくない。こうした富裕高齢者が負 担すべき消費税を、被用者保険から支出することに対して異論がでるのは当然であろう。
●「社会保障制度に関する勧告」
日本で社会保障制度が本格的に整備されたのは第二次世界大戦後である。1950年に内閣総理大臣吉田茂宛てに提出された社会保障審議会(大内兵衛会長)の「社会保障制度に関する勧告」によって、社会保険制度が日本の社会保障制度の中心的役割を担うことが方向づけられた。
「社会保障の中心をなすものは自らをしてそれに必要な経費を醵出せしめるところの社会保険制度でなければならない。」
「保険制度のみをもってしては救済し得ない困窮者は不幸にして決して少くない。これらに対しても,国家は直接彼等を扶助しその最低限度の生活を保障しなけ ればならない。いうまでもなく,これは国民の生活を保障する最後の施策であるから,社会保険制度の拡充に従ってこの扶助制度は補完的制度としての機能を持 たしむべきである。」
●自助と扶助
「勧告」は、自助と扶助を峻別し、自助の共同化である社会保険が、扶助に優先されるべきだとした。自助と扶助を区別することには大きな理由がある。社会保 険は、公費による扶助と比べると、財政的に独立している。租税ではないので、政治や行政の支配が及びにくく、安定的に運用できる。医療保険や年金の分野に 政治や行政から独立した自治が生じる。保険集団は被保険者の利益を最大にするべく活動しなければならない。個々の保険者にも自治の領域が生じ、独自に制度 をよりよいものに、より効率的にするために、努力することが求められる。
医療では多額の金銭が動く。診療報酬制度を単一の立場に任せるととんでもないことが起こりかねない。どうしてもチェック・アンド・バランスが必要になる。 保険者は、厚労省、医療提供者と異なる立場から、診療報酬制度をより合理的なものにするために活動することが期待される。中医協に保険者の代表が入ってい るのはこのためである。
被用者の保険集団から、国民健康保険、後期高齢者医療制度という別の保険集団への財産の移転は、扶助の色彩が濃い。扶助なら租税として徴収すべきである。 租税として徴収すべき金銭を、保険料として徴収している。徴収しやすいからであって、正当性はない。自助のための財産を強制的にとりたてて、扶助に使うと すれば、国家による泥棒ではないか。
加えて、保険者自治の範囲外の支出が大きくなると、政治や行政の影響が大きくなり、保険者自治が損なわれる。被保険者のために使うという本来の目的が希薄になる。自治に任せるべき領域をせばめ、国家による統制を強めるのは、民主主義国家として望ましいことではない。
日本社会で貧富の格差が広がっている。社会保険料の税金化を許容する余裕が被用者保険側に失われつつある。政府の安易な姿勢は、統治の正当性をも揺るがしかねない。
2014年5月24日 MRIC by 医療ガバナンス学会