滅亡の序曲“人口爆発”
フランス紙襲撃テロ事件
2015年1月7日、フランスの風刺週刊誌を発行している「シャルリー・エブド」本社に覆面をした複数の武装した犯人が押し入り職員を襲撃、警官二人、編集長、風刺漫画の担当記者ら合わせて、一二人が死亡した。襲撃後逃走した犯人二名は人質をとって印刷工場に立てこもり、続いて別の実行者によるモンルージュ警官襲撃事件、パリ郊外のユダヤ食品スーパー襲撃事件が起こり、多発的なテロ事件に発展したが、特殊部隊により計三名の犯人が射殺された。
この事件の背景には、宗教があることは間違いなかろう。テロの犯人達はイスラム教過激派と見られる。また、事件が起こったフランスでは約七〇%がカトリック教といわれる。今回のテロ事件で、パリ郊外のユダヤ食品スーパー襲撃事件が発生したのもユダヤ教とイスラム教の軋轢があるからではないだろうか。
ハンチントン教授が「文明の衝突」で指摘したように、今後の世界は、宗教対立が深刻化するだろう。
本稿は、新約聖書の「ヨハネの黙示録」をヒントに世界の行く末を占うものである。
「毒の血」――原罪
今年91歳でなお健筆を揮う佐藤愛子の代表作に「血脈」がある。父の佐藤洽六(紅緑)を始祖とする一族――妻・後妻・愛人・息子・娘・孫・曾孫――の悲喜劇を描いたものだ。佐藤洽六は、「少年小説」の分野で昭和初期に圧倒的な支持を受け、「少年小説の第一人者」として知られ、作詞家で詩人のサトウハチロー、作家の佐藤愛子の父だ。
晩年の紅緑は、読者の少年たちに理想を説く小説を書き続けたが、皮肉にも、長男ハチローをはじめとする四人の息子たちはすべて、怠け者、乱暴者、放蕩者、道楽者、詐欺師で、典型的な不良少年・青年となった。ハチローは詩人として成功したが、他の三人は、悪行・愚行を繰り返し、乱脈な生活を続けた生活無能力者で、破滅的な死に方をした。紅緑は生涯、彼らの借金の尻拭いをし続けた。佐藤愛子は「血脈」の中で、「佐藤洽六の血――『毒の血』――を引くものはみな、滅びるべくして滅んでいく宿命を背負っているらしい」と吐露している。
私は「血脈」読んで、旧約聖書の創世記と、新約聖書の「ヨハネの黙示録」を連想した。佐藤愛子が吐露した佐藤家の「毒の血」は、創世記に出てくるアダムとエバの「原罪」に由来するのではないかと思う。
「原罪」とは、アダムが善悪を知る知識の木の実を取って食べて神に反逆した罪、そしてその罪が全人類に与えた影響のことを指す。アダムとエバの子孫である人類は、生まれた時から「原罪」を背負っていることになる。それゆえ、神ならぬ身の人類は、「血脈」に出てくる佐藤家の人々と同様に、宿命的に「毒の血」を持っているではないか。そして、佐藤愛子が「血脈」の中で、「佐藤洽六の『毒の血』を引くものはみな、滅びるべくして滅んでいく宿命を背負っているらしい」と指摘したように、人類の未来は必ずしも明るいものではないのではなかろうか。
「黙示録」に描かれた世界の終末
「新約聖書」は二七の書で構成されるが、それらはイエス・キリストの生涯と言葉(福音と呼ばれる)、初代教会の歴史(「使徒言行録」)、初代教会の指導者たちによって書かれた書簡からなっており「ヨハネの黙示録」が最後におかれている。
「ヨハネの黙示録」は、一世紀の終わりごろ、エーゲ海の東南部にあるパトモスで、ヨハネという人物が神の啓示を受け、神に見せてもらった「未来の光景」を記録したものだという。著者のヨハネはイエスの十二使徒の一人と同名の別の人物と見られる。
「ヨハネの黙示録」は、その内容が福音書や使徒言行録に比べ、極めて異質な書だ。旧約聖書の神は「裁きの神」といわれる。一方、新約聖書の神は「許しの神」といわれ、新約聖書は全体を通じ人間に対する「神の慈しみ」が主題となっている。ところが、新約聖書の中で、「ヨハネの黙示録」だけは、「神が罪を犯す人間を罰する光景――禍が地上を襲う光景」に満ち溢れている。
ヨハネの見た「未来の光景」は、次のようなものだった。天の玉座に座る神の手には巻物があり、七つの封印で封じられていた(現代風に言えば「七つの映像がセットされたテレビ」)が、「七つの角と七つの目をもつ小羊」が一つずつ封印を解いていく。小羊が封印を一つ解くごとに次々に七通りのビデオ映像――「禍が地上を襲う光景」――が出現した。小羊が最後・第七の封印を解くと、世界が沈黙で包まれた後、ラッパを持った七人の天使が現れた。今度は、子羊が封印を解いたように、七人の天子が順次ラッパ吹くたびに次々に七通りのビデオ映像――「禍が地上を襲う光景」――が出現した。
「黙示録」をどう理解すべきか
「ヨハネの黙示録」をどう理解すべきだろうか。聖書学者でもない、ド素人の私が敢えて意見を述べてみたい。
前述の創世記によれば、神はアダムとイブを創造される前に、海の生き物、鳥、地上の獣、家畜も創造された、という。このことを私なりに考えれば、神は今日人間が上野動物園や多摩動物園に各種の動物や鳥類を飼育しているのと同様に、“地球という動物園”に人類、動物、鳥類、魚類、家畜などを“飼育”している、と見ることも出来るのではないだろうか。こんな考え方は、荒唐無稽なことだろうか。私は、そうは思わない。今日の科学――人間の浅知恵――では、地球ガイアが何故生まれたのか、人類を含む生命がどのように誕生し今日の姿になったのか、などについて未だに十分な説明はできないのが現状ではないか。全能の神の知恵や力に比べれば、人間の知恵は浅はかで、その力は無力といわざるを得ない、と私は思う。それなのに、人類は、自らの力量で発展させた科学の進歩に酔い、「人間は神に近い存在で、この地球を全て人類自身がコントロールできる」と錯覚・誤解し、思い上がっているのではないのか。
人間の力を超えた現実について思い知らされる例がある。星座・オリオン座に赤く輝く1等星、ベテルギウスが間もなく死を迎え、大爆発を起こすと予想されている。人類生命の源の太陽も、永遠のものでは無い。神が司る空間や時間を思えば、人類の営みなどはちっぽけな“地球動物園”の出来事に過ぎないのではないだろうか。
我々人間は、謙虚に地球上で繰り広げられる森羅万象の不可思議さを認めるべきだと思う。生命の不可思議さは、ダーウィンの進化論などでは説明不可能だと思う。地球・人類の今日の行き詰まり――環境汚染やテロなどの果てしなき争いなど――を見るとき、今後私達人類が平和的な生存を維持・確保するためには、謙虚に旧約聖書の創世記や新約聖書の「ヨハネの黙示録」に書かれた神の啓示に回帰する時期では無いか、と私は思う。
キリスト教宗教改革初期の指導者のジャン・カルヴァンは「全能の神は絶対主権を有し、あらかじめ世界のすべてのことを決めている」という説(思想)を唱えた。このような思想を「予定説」と呼ぶ。「予定説」という立場から見れば、「ヨハネの黙示録」が指し示す神の啓示は、「人間は神に創造され、パーフェクトに神に管理されている。人類の過去の歴史は、偶然ではなく必然であり、また、将来起こることも偶然ではなく必然なのだ」という見方・考え方・歴史観に繋がるのではなかろうか。「ヨハネの黙示録」は人類の将来に深い示唆を与えるものではないだろうか。
「ヨハネの黙示録」に暗示された人類への脅威の種類には、飢饉、異常気象(雷・稲妻、雹、日照不足〈昼はその光の三分の一を失う〉)、火山の噴火、大地震、疫病、イナゴの群れ(神の刻印の無い人間を五ヵ月間苦しめ、その苦痛はサソリに刺されたほど)、騎兵(口から吐く火と煙と硫黄で人間の三分の一を殺戮)、流星の落下(地球衝突)、太陽による炎熱(旱魃、温暖化)、悪性の腫れ物(癌のことか)などがある。
このような脅威によってもたらされる被害の程度は、次の例のように「三分の一」という数字が頻繁に見える。
☆第一の例:ユーフラテス川のほとりに繋がれていた四人の天使は、人間の三分の一を殺すために解き放たれた。
☆第二の例:血の混じった雹と火とが生じ、これにより、地上の三分の一が焼け、木々の三分の一が焼け、全ての青草が焼けてしまった。
全世界の人口の三分の一が殺されるというと、驚いてしまう。しかし、これは神の世界ではありうることだろう。先述の旧約聖書『創世記』によれば、神は地上に増えた人々が悪を行っているのを見て、これを「洪水で滅ぼす」、と“神と共に歩んだ正しい人”であったノア(当時五〇〇~六〇〇歳)に告げ、ノアに箱舟の建設を命じた。ノアは箱舟を完成させると、妻と、三人の息子とそれぞれの妻、そしてすべての動物のつがいを箱舟に乗せた。洪水は四〇日四〇夜続き、地上に生きていたものを滅ぼしつくした。これすなわち、神はノアの家族以外の人間をみな滅ぼしてしまったのだ。人間の罪を憎む神は、我々の想像を絶する厳しさで人間に罰を与えることはノアの話を見れば頷けるだろう。
神が人間に与える「次なる罰」――人類にとっての悲劇――は、何時、どのようにやってくるのだろうか。悲劇の序曲(ラッパの吹奏)は「ヨハネの黙示録」が示すように、複数あると思うが、今回は紙幅の関係で人口爆発に焦点を当てて述べてみたい。
人類悲劇の序曲か?――人口爆発
「ヨハネの黙示録」に出てくる最初のラッパが吹かれつつあるのかもしれない。その最初のラッパ吹奏は、人口爆発ではないだろうか。
国連は、2011年10月31日に世界の人口が70億人に達したとの推計を発表した。人類史上かってなかった超新記録だ。ちなみに、これまでの世界人口推移は、1802年 10億人、1927年20億人、1961年 30億人、1974年40億人、1987年50億人、1998年60億人となっている。50億人から60億人になるのに11年間、60億人から70億人になるのに13年間となっている。そして、将来の増加予測としては、2025年に約81億人、2050年に約96億人、2100年には約109億人に達すると見ている。一方で、世界人口は80億人で頭打ちになるという予測も存在する。このままでは、宇宙船「地球号」は定員オーバーになってしまうのではないだろうか。人口増加のリスクを分析してみよう。
① 人口爆発による第一のリスク――食料・資源の争奪戦の生起
今まで世界経済を牽引してきた裕福な「G7」と呼ばれる日米英などの先進国では、人口の増加はほとんど無い。一方、近年目覚ましい経済成長を遂げているBRICs(中国やロシアなど四ヵ国)は、G7の約四倍もの巨大な人口(約二九億人)を抱え、比較的高い増加傾向にあり、2050年には33.5億人に達する勢いだ。
BRICsに続いて新興国グループのVISTA(ベトナム、インドネシアなど五ヵ国)は経済の急成長局面に入り、さらにVISTAに続いてN11(バングラデシュ、エジプト、インドネシアなどの一一ヵ国) も経済発展が期待されるが、BRICs同様、VISTAでも、N11でも、急激な人口増加が予測されている。
これら経済成長を遂げる国々では、人口が増加するとともに富裕層も急増しつつある。下図(出典:平成二二年度版通商白書)は新興国の所得層別人口推移である。新興国における2010年時点の所得階層別人口構成比は、ここでとりあげる新興国全体(43.0億人)で、富裕層(35,000ドル以上)5.9%、上位中間層(15,000~35,000ドル未満)11.8%、下位中間層(5,000~15,000ドル未満)37.6%、低所得層(5,000ドル未満)44.6%と、半数近く(19.2 億人)が低所得層となっているところ、2020年には、富裕層14.7%、上位中間層24.6%、下位中間層40.7%、低所得層20.0%となることが予想されており、新興国人口全体(46.9億人)の約四割(18.4億人)が上位中間層、若しくは富裕層となることが見込まれる。
これまでの分析を総合すれば、「①世界の人口は史上類を見ない爆発的な増加が続き、②同時に開発途上国の著しい経済発展に伴い、富裕層が急増しつつある」と要約できる。
地球規模で増大する人口と富裕層(カネモチ)の増加は、人類・地球史上かつて経験しなかった莫大な食料・資源の需要を生み出す。
食料を例に取れば、分かりやすい。貧困層は穀物を主体に命を養っているが、「富裕層」になれば、豚肉や牛肉もふんだんに食べるようになる。鶏・豚・牛肉1㎏を得るにはそれぞれ2㎏・4㎏・7㎏の穀物が必要である。牛肉を食べる一人の富裕層は、7人分の穀物を食い尽くすことになる。このように、地球規模の富裕層人口の増加は、食料に限らず、化石燃料や鉱物資源などの需要を飛躍的に高め、いわば“地球食い潰し競争”の様な状態を招来するのではないだろうか。
つまり、人口増による第一のリスクはこうだ。今から200年以上も前に、マルサスは、その著「人口論」で、「人口は制限されなければ幾何級数的に増加するが生活資源は算術級数的にしか増加しない」、という命題を示した。今後、新興国の人口が爆発的に増え、経済発展が進み、富裕層人口の比率が増大すれば、需給バランスが崩れ、各国は、まるで狼が一片の肉を奪い合うように、国家次元のエゴむき出しで、力ずく(軍事力)で限られた食料・資源を奪い合う時代が来るのは必至と見るべきだろう。
13億の人口を有し、経済発展に伴い富裕層が急増する中国の資源需要が爆発的に増大している事実について否定する人はいないだろう。鄧小平以来、改革開放政策を採用した共産党政権はその統治下で政治腐敗や経済格差の拡大などが深刻化する中、今や、経済成長により人民の生活水準の向上をもたらすことこそが、「政権の政治的支配の正統性を維持する唯一の手段」となった感がある。
右肩上がりの経済発展を維持し、一定の満足を満たしつつ13億人を養うためには膨大な資源を獲得する必要がある。このことは、中国共産党が政権を維持するうえで、極めて重い課題である。尖閣列島周辺海域に石油資源の埋蔵が確認されるや、中国が、なりふり構わず、自国領土だと主張するのはこのような背景がある。今後、中国が共産党政権を維持し、右肩上がりの経済発展をするためには、資源獲得が至上命題であり、そのためには国際法を無視し、軍事力に訴えるなどの「粗暴な振る舞い」を敢えてする可能性が高い。
アメリカの人口増にも注目する必要がある。アメリカの人口は漸増し、2100年には約4億6000万人に達すると見られる。アメリカは中国と違い、消費大国である。国際エネルギー機関(IEA)の推定では、「2008年の原油消費量」は、人口3億人のアメリカは日量約2,050万バレル、人口13.3億人の中国は約780万バレルである。このデータから導いた一人当たりの原油消費量は年間で、アメリカが3966ℓ、中国は340ℓとなる。このデータから分かるように、一人当たりに換算すると、アメリカ人は中国人の一〇倍以上の原油を消費していることになる。
単純に考えれば、アメリカ人1億人の人口増は、中国人10億人の人口増に匹敵することになる。資源消費量からみれば、アメリカの人口増は無視できないファクターになるだろう。
② 人口爆発による第2のリスク――領土の争奪戦の生起
「生存圏 (ドイツ語のLebensraum)」という用語・概念がある。これは、地政学の用語で、国家が自給自足を行うために必要な、政治的支配が及ぶ領土を指す。分かりやすく言えば、虎や狼の“縄張り”のようなものだ。これを最初に用いたのは、地理学者フリードリヒ・ラッツェルで、1901年のことであった。
ドイツ陸軍将校で駐日ドイツ大使館駐在武官も務めた、カール・ハウスホーファーは、ラッツェルらの従来の大陸国家系地政学の研究を踏まえて、自給自足を重視する観点から「生存圏」の理論を再構築した。彼は、「国家は、その国力に応じたエネルギーを得るための領域、すなわち、『生存圏』を獲得しようとするものであり、また、それは国家の権利である」とした。
ハウスホーファーの地政学の熱烈な支持者であったアドルフ・ヒトラーは、著書「我が闘争」において、「ドイツ人の生存圏は東欧に見出しうるのであり、そこに居住しているロシア人をはじめとしたスラヴ系諸民族を排除(抹殺も含めて)し、新たにドイツ人の領土とするべきである」と主張した。ヒトラーはこの主張に基づき、ナチス・ドイツが政権獲得後は、オーストリア、チェコスロバキア、ポーランドをはじめウクライナ、ベラルーシ、ロシアなどへの東方侵攻政策・戦略を推進した。
風船の中に、空気が入れるとだんだん膨張しやがて弱いゴムの部分から爆発する。同様に人口も増大すると更なる「生存権」を求めて人口希薄乃至は防備の弱い国家・地域をめがけ爆発的に侵入する。これを正当化するのがハウスホーファーの「生存圏」理論なのだ。
今日、「生存圏」理論を最も歓迎するのは、2030年に14.5億人に達する(ピーク)と見られる中国だろう。「生存圏」という視点に立てば、中国共産党政権は、毛沢東による共産政権樹立以来、「中華帝国」の再興を目指し着々と布石を打っている。中国が掲げる具体的版図拡大目標は「清王朝時代の版図」である。清王朝一七世紀後半から一八世紀にかけて、康熙帝・雍正帝・乾隆帝の三代に最盛期を迎え、その版図は、中華帝国史上最大だった。中国共産党政権が目指している版図は、実はこの清最盛期時代の最大の版図である。当時の版図は、現在のカザフスタン、キルギス、タジキスタンの一部、パミール高原、ネパール、ミャンマー、ベトナム、ラオス、カンボジア、台湾、沖縄、朝鮮半島、ロシアのハバロフスク・沿海州一帯、樺太に及んでいた。また、この陸地に加え、黄海、東シナ海、南シナ海も「中国の海」だと考えている。
中国共産党政権は、中華思想のプライドに賭け、1840年のアヘン戦争を契機に米欧次いで日本によって奪われた領土・領海を取り返すこと――失地回復主義――を国家戦略に据えている。
昨年12月中旬、中国の軍艦2隻が、沖縄県・尖閣諸島沖で、通関などの行政手続きが沿岸国に認められる「接続水域」まで約27キロ、沿岸から約70キロに迫ったと報じられた。上述のような中国の戦略を考えれば、中国が台頭する限り、南西諸島に加えられる挑発・圧力は一層昂じることは、当然と思わなければならない。
中国の人口爆発による、「生存圏」の拡大について述べたが、このような現象・動きは全世界的に起こることが予想される。このように考えれば、原罪を背負った人類は、相対的に狭くなる地球をめぐり、世界規模で果てしない「陣取り合戦」を繰り広げ、殺戮しあう図式――「ヨハネの黙示録」の世界――が予見されるのではないだろうか。
なお、人口爆発に関しては、移民の問題もあるが、紙幅の関係で省略したい。
③人口爆発による第3のリスク――環境破壊・汚染
人口増による第二のリスク。それは、環境破壊・汚染だろう。膨大な化石エネルギー消費により生み出される二酸化炭素によって地球温暖化は一層促進され、それが異常気象――大洪水、巨大台風、竜巻、日照不足、砂漠化、大雪、雹など――を生み出し、農業などの食糧生産にダメージを与える可能性が高まる。また、水質汚染が進むとともに、水資源をめぐる争奪戦が熾烈になることだろう。
環境破壊により引き起こされる恐れのうち、最悪のシナリオは飢饉だろう。飢饉とは、農作物の凶作などから食物が極端に不足し,人々が飢え苦しむ現象である。飢饉について言えば、最近の例だけでも、1990年代半ばからこれまで、840万人程度が餓死し、今も世界では、600万人程度が飢餓の危険にさらされているといわれる。飢饉は、まさに“今そこにある危機”なのだ。「ヨハネの黙示録」は、現在進行形で進んでいる。
アジアに眼を向ければ、1990年代後半、北朝鮮民衆を襲った大飢饉は、朝鮮史上最悪の悲劇といわれ、飢えと寒さと病気で命を落とした人の数は 五年間で100万とも300万以上とも言われている。
飢饉の直接的な誘因としては、「長期的な干魃」「気温の異常低下による冷害」「長雨やその後の洪水」「ハリケーン,台風などの暴風雨」「火山の噴火に伴う火山灰堆積」「イナゴなどによる虫害」といった自然的原因があげられるが、これをみれば分かるとおり、大半の誘引は異常気象により引き起こされるものだ。
今後、人口爆発により、異常気象が促進されれば、農業の壊滅的な被害により世界規模の食糧不足が起こり、未曾有の飢饉と食をめぐる熾烈なバトルが人類を襲うかもしれない。
③ 人口爆発による第4のリスク――統治の困難化・各国内政の不安定化
これは筆者の仮説であるが「人口が急速に増加すると、国民がラジカルになる」と考える。人口が増えれば、生存競争が激化し、ぼんやりとしておれなくなり、ラジカルにならざるを得ないのだろう。この仮説は、「大雨が降れば、河川に奔流が走る現象」を想起すれば分かりやすい。日本でも戦後人口が急増した時期には国民はラジカルになった。日本では、終戦の一九四五年に約7000万人であった人口が戦後のベビーブームなどで急激に増加し、1975年には約1億1200万人に達した。わずか30年で4200万人、年平均で140万の人口増となった。この時期、国民は活性化し、大いに働き、右肩上がりに驚異的な経済復興を果たした一方で、労働組合や学生がラジカルになった。丁度この時期に、60年安保闘争と70年安保闘争が繰り広げられ、社会は不安定化した。このように、良かれ悪しかれ、戦後の人口増により沸き立った日本社会は、人口の停滞、次いで減少とともに、人心が沈滞・静穏化しつつあるように見える。日本の人口は、平成22年の約1億2806万人をピークに減少に転じ、今後100年間で半減する、と予測されている。日本の人口が停滞・減少するにつれ、若者は「草食系男子」と呼ばれるように、大人しくなった。
「人口が急速に増加すると、国民がラジカルになる」という私の仮説は、世界規模でも当てはまると思う。この仮説が正しければ、各国内政はもとより世界全体が不安定化し、統治が困難となるだろう。このような世界では、戦争や内戦・テロが起こりやすくなるのは、事実だろう。
人口増で、内政が脅かされる国家として、筆者が注目するのは中国とアメリカだ。紙幅の関係で、アメリカについてのみ述べる。
アメリカの人口は、2013年の3.16億から、今世紀末には約4.6億人に達すると予測されている。アメリカでは人口増と相俟って問題となるファクターは人種・民族であろう。アメリカは、「民族のオリンピック競技場」の感があり、今後長い歴史の中で、壮大な民族の競合・興亡が繰り広げられるに違いない。また、これまで予想もしなかった深刻な民族・宗教の対立問題が起こる可能性がある。
アメリカの「主人公」は当面は、ワスプであることに変わりはないだろう。が、今後一層ユダヤの影響が高まるだろう。アメリカのユダヤ人口は、約600万人と言われ、総人口の約3パーセントに過ぎないが、アメリカ社会において絶大な力を持っている。圧倒的に高い知的レベルと情報センスの良さにより、ユダヤ人は、学者・学界、法曹界、新聞・テレビなどのメディア業界――記者のみならず経営者も――、医学界、金融業界などの知的・情報集約分野の業界では特に支配的な影響力を持っていると言われている。ユダヤ人は国家という『有機体』の『頭脳・神経機構』を支配し、アメリカという超大国家を動かしているのではないだろうか。「票の力」がものを言う民主主義国家アメリカにおけるユダヤの泣き所は、人口が少ないことだ。
その点から見れば、次のホープは、ヒスパニックだろう。アメリカの民族の中で、ヒスパニックの出生率は圧倒的に高く、白人の二倍近い。これに加え、メキシコや南米諸国からの合法・非合法移民も多い。2010年の時点で、ヒスパニック系は5050万人に増加した。アメリカ国勢局は、2050年にはヒスパニック系の人口比率が30%に達すると予想している。このような趨勢が続けば、恐らく21世紀後半にはヒスパニックが「マイノリティーのトップ」の座から、「マジョリティー」になるかもしれない。
民族の強さの源泉は、そのアイデンティティの強さだろう。ユダヤ人はユダヤ教がアイデンティティの源になっている。ヒスパニックは言語・文化と歴史的誇りがアイデンティティの基盤ではないだろうか。ワスプは、プロテスタントという宗教とこれに結びついた民主主義、資本主義という文化・イデオロギーがアイデンティティだろう。黒人のアイデンティティが肌の色だけだから弱い。
アメリカで将来台頭するのはイスラムかもしれない。アメリカでは、イスラム諸国からの移民の増加と、出生率の上昇、イスラムへの新規入信者の増加により、イスラム教徒が2000年から2010年までの間に100万人増加した由。推定でおよそ700万人から800万人に達していると見られる。ワシントンポストによれば、アメリカの20の州で、イスラム教がキリスト教に次ぐ第2の宗教となっているという。
彼らがアメリカ社会で引き続き人口を増やし、冨を蓄え、全米にモスクを建立し勢力を拡大すればアメリカでワスプやニスパニックに比肩できる潜在力を持っているのではないだろうか。また、黒人とイスラム教の組み合わせは、アイデンティティとしては強力なものとなるだろう。今後、ブラック・ムスリムの動向が注目される。
アメリカは移民によって成り立ってきた。移民を「アメリカ人として再生する」ためには、旧故国の言葉や文化などを全て捨て「ひとつの国家、ひとつの言葉、ひとつの国旗」にならなければならい、とセオドア・ルーズベルトは確信し、実行した。今や、アメリカでは、そのシステムが崩壊し、移民を同化できないようになりつつあるのではないか。フロリダ州では、スペイン語が日常生活での優先言語となっている。
そんな事態がさらに進めば、アメリカは、民族のモザイク国家になり、民族同士の主張が対立して内戦状態になる可能性がある。究極のシナリオとしては、アメリカ政府・軍が割れて、アメリカ国内で核やミサイルを打ち合う事態――『東西戦争』――が起こるかもしれない。
むすび
私は、一人の信者として、旧・新約聖書の神は「許しの神」であり、「人間を慈しむ神」であると、固く信じている。よもや、「ヨハネの黙示録」に書かれたような禍が人類を襲うことはあるまい、と思う。一方、人類は、己の知恵と力を過信し、科学技術などでエンドレスの発展ができると、傲慢・独善的になりつつあるのではないだろうか。新約聖書の編者達が、聖書の最後に「ヨハネの黙示録」を採録した理由は、人間の愚かさを認めた上で、人間が己の知恵と力を過信し、傲慢・独善的になるのを戒めるためだったのではないだろうか。
今日、農業革命(18世紀)と産業革命(18世紀半ばから19世紀)から、高々400年足らずの間に遂げた人類社会の変貌――それを進歩というべきか――は、それまでの数千年の変化に比べ著しい。このような変貌が、将来は更に更に加速されることは疑いないだろう。神は、そのような変貌(進歩)も織り込み済みで、人間の行く末を見つめているのだろう。
人類は、原始の時代から、人間の力を超えた存在――神――と向き合ってきたが、文明の発達とともに、神との対話・信仰がおろそかになりがちではないだろうか。
現代の人類は、安全保障などという、国家次元の概念で平和や安全を考えがちだ。しかし、本稿でささやかながら述べたように、今や「神と人間」という次元から人類や地球の行く末を論じる時期に差し掛かっているのではなかろうか。
神の存在の重さを考えれば、近代に確立された「政教分離」も、「政教連携」の方向に変換すべきかも知れない。それと同じ考え方で、国際政治を司る国際連合と連携・連立する形で、世界宗教各派を調停・協調するための国際機関として「国際宗教連合」を組織・運営すべき時期に差し掛かっているのではないだろうか。
(雑誌「丸」掲載記事)