イスラム国が引き起こす悪夢のシナリオ
○ イスラム国をめぐる戦いは宗教戦争
内戦が続くシリアのアレッポで、2名の日本人がイスラム国により拘束された。後に身代金およびイスラム国に関係のある女死刑囚の釈放を要求する犯行声明が出された。その後紆余曲折を経て、2名とも斬首により殺害されるというショッキングな結末を迎えた。
余談だが、今回の人質事件は、日本の世論、中でも左翼陣営の平和のロジックに大きな矛盾を突きつけたのではないだろうか。すなわち、今回の人質事件で左翼は「日本政府は責任を持って二人の人質解放を達成すべきだ」と攻め立てるが、護憲を叫ぶ左翼の“護符”――日本国憲法(9条)――体制下では、日本政府には身代金を払う以外に選択肢の無いことを内外に浮き彫りにした。また、イスラム国が日本人人質2人を斬首し、ヨルダン人パイロットのモアズ・カサスベ中尉を焼殺したとする動画を公開する暴挙を見れば、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とする憲法前文がいかに空虚な独りよがりの願望に過ぎないか、を思い知らされた感がある。日本から直線距離で約9000キロ離れたイスラム国から、邦人人質斬首の映像を瞬時に送り付け、約1億2700万人の日本人を脅迫する事態が来ようとは、憲法を下賜した当時のマッカーサーも予期できなかったのは当然だ。
イスラム国は現在、イラク政府軍とシリア軍と戦闘している他、有志連合12か国(米国、英国、豪州、フランス、ヨルダン、サウジアラビアなど)から空爆を受けている。スンニ派のイスラム国が戦う理由には様々な“切り口”があるが、主要な“切り口”は宗教であろう。欧米との戦いは「キリスト教対イスラム教」、イラク(シーア派政権)やシリア(シーア派(アラウィ派)政権)との戦いはイスラム教宗派の「スンニ派対シーア派」という構図になっている。
ちなみに、サウジアラビアとヨルダンはいずれもスンニ派だが、イラクとシリアで勢力を広げるイスラム教スンニ派過激派組織のイスラム国の台頭を放置すれば、自国の安定を脅かしかねないと判断し、空爆に参加したものと思われる。
○ 宗教紛争の特性
世界的に注目されているイスラム国をめぐる戦いが、宗教戦争という性格が強いことに鑑み、ここで宗教戦争の特性について考えてみたい。
慈悲や愛、救いや平和を教える宗教は、本来、戦争とは無縁のように思われる。しかも、イスラム国との戦いに関係する国家・勢力はいずれも「同一の神」を信じるものである。欧米などのキリスト教、イスラム国はもとより、サウジアラビアやヨルダンなどの中東諸国のイスラム教(スンニ派、シーア派ともに)及びイスラエルのユダヤ教は、いずれも「同一の神」を信仰している。その「同一の神」は、キリスト教では「ゴッド」、イスラム教では「アッラー」、そしてユダヤ教では「ヤーウェ」と呼ばれる。
このように、同一神であっても、宗教・宗派が違えば、その信者・国家は己の神の絶対性を信じるがゆえに、自己の宗教の優位性を主張し、排他的となり、妥協を拒み、非難応酬し、果ては戦争へとエスカレートする。宗教戦争においては、殉教――神に自己の命を捧げること――は最も尊いこととされ、信徒は死さえも恐れない。このような理由で、宗教戦争は時として残虐性を帯び、妥協を拒むために、長期にわたり消耗戦となる傾向がある。
宗教は、戦争の大義としても絶大な力を与えてくれる。キリスト教徒イスラム教の宗教戦争は、十字軍戦争がある。この戦争はヨーロッパ・キリスト教連合軍が、聖地エルサレムの奪還をめざした第1回十字軍(1096年)から、第7回十字軍(1270年)が失敗するまでの一連の戦争である。十字軍により触発されたイスラム教徒のキリスト教徒への怨念は、今日も信徒達の潜在意識として相当に残っているものと思う。
宗教戦争とはいうが、内実はそんな高貴な側面だけではない。十字軍を例に取れば、戦争の大義は「聖地エルサレムの奪還」であったが、参加勢力(国王、諸侯、騎士など)の本音は、領土の拡張、戦利品の獲得など、いわば「花より団子」であった。イスラム国をめぐる戦いに参加する国々も、戦争の大義として、有志連合などは「対テロ戦争」を掲げるが、本心は覇権の維持、自己政権の維持、石油利権など人間の欲望に根ざすものであろう。宗教戦争とは、このように、人間の猥雑な欲望が聖なる宗教とリンクして(利用して)いると見るのが正しいのではなかろうか。
スンニ派とシーア派――イスラム教内の宗派――の争いの先例は、キリスト教内のカトリックとプロテスタントの間の戦争である。これには、フランスのユグノー戦争(1562~1598)、オランダ独立戦争(1568~1609)、ドイツ三十年戦争(1618~1648)がある。これらの戦争の大義は、「信教の自由」だったが、実態は、十字軍でも述べたとおり人間の欲望に根ざすもので、それぞれの支持グループ間の政治的利害の対立であった。矢張り人間は「花より団子」なのであろう。
欧州におけるカトリックとプロテスタントの妥協は三十年戦争の終結まで待たねばならなかった。この戦争で欧州の人口の4分の1が犠牲となり、国土は荒廃し、人々はヘトヘトに疲弊し、戦闘継続の限界に達した。こうして、プロテスタントとカトリックは5年に及ぶ交渉の末、ウェストファリアで講和条約を締結し、国教の尊重や内政不干渉などが確立された。翻って今日行われているスンニ派とシーア派の戦争を思えば、イスラム教の進歩は(変革というべきか)は350年余も遅れているといわざるをえない。
軍事戦略と外交政策の世界的な権威といわれるエドワード・ルトワックは、その著「戦略――戦争と平和の理論」の中で、「戦争は平和をもたらす方法であり、戦争は戦争に必要な資源を焼き尽くすことによって平和な状態を生み出す」とし「より重要な事は、戦争は物質的なものだけでなく、戦争を行おうとする人間の心や精神、つまり希望、野心、期待を打ち砕くことだ」と述べている。ルトワックの説に従って、宗教戦争を見れば、宗教戦争が長期化する理由は、「己の神の絶対性を信じる信仰心の強さ」によるのではないだろうか。「強い信仰心」は、簡単に「打ち砕く」ことができない。だから長期化するのだ。
イスラム国をめぐる戦いは、同国とシリア・イラクの宗教戦争(スンニ派対シーア派)に米国をはじめとする有志連合が介入する構図となっている。米国は、己の戦力でこの宗教戦争を解決できると思っているのだろうか。そうではないはずだ。サダム・フセイン亡き後のイラクの国家再建では、シーア派とスンニ派の泥沼の戦いに巻き込まれて、途中で尻尾を巻いて逃げ出したはずではないか。オバマ政権が、イスラム国問題介入に腰が引けているのは、自らの限界をよく承知しているからだろう。
○ イスラム国問題の背景――21世紀初頭の世界の動き
イスラム国問題を理解するうえで、その背景となる21世紀初頭の世界の動向について簡潔に述べる。
☆ 冷戦構造の崩壊に伴う宗教の顕在化
宗教学者の島田裕巳氏はその著「オウム-なぜ宗教はテロリズムを生んだのか」の中で、「宗教ブームは、冷戦構造の崩壊とともに活性化した、宗教原理主義の台頭という世界史的な出来事の一環だったのである」と述べている。私も、この考え方に同意する。
言うまでもないが、冷戦は、第二次世界大戦後の世界を二分した、米国を盟主とする資本主義・自由主義陣営と、ソ連を盟主とする共産主義・社会主義陣営との対立構造である。両陣営を宗教の面から見れば、米国陣営は主としてキリスト教の陣営で、ソ連陣営は無神論だった。従って、冷戦はキリスト教徒と共産主義者(無心論者)の対決の構図と見ることもできる。
共産主義・マルキシズムの基本理念は唯物論である。唯物論と無神論との関係について日本大百科全書(小学館)では、「唯物論に立てば、存在するもののすべてが物質的であるとき、神とか精霊とかの非物質的存在は認められえない。しかも、世界の事象が物質的法則性によって決定されているとき、世界の変化をつかさどり、それに目的を与える神的なものは、説明の便法としても排除される。こうして、唯物論はつねに無神論のための強力な論拠となってきた。唯物論者はいずれも無神論者であり、思想史上両者を区別することはほとんどできない」と記されている。マルクス自身も「宗教は阿片である」と述べている。
井沢元彦氏が「世界の宗教と戦争講座」(徳間文庫)で「神を信じてその教えを説くものにとって、無心論者というのは許すべからざる最大の敵なのです。無神論者というのは神を信じる心もない恐ろしい人間、一言でいうと人でないであり悪魔である、そういうふうに見えるわけです」述べ、冷戦時代の米欧がソ連を憎悪する深層心理を分析している。
冷戦時代の「キリスト教対共産主義(無神論)」が終焉すると、その後には今まで息を潜めていた他の宗教が頭をもたげてきたわけである。それが、イスラム教だったのであろう。冷戦崩壊後は、神の支配が強まり宗教対立が激化するのは、自然な流れであろう。
国家・勢力が対立・抗争する際には相手との違いを際立たせるアイデンティティが重要な要素となる。このアイデンティティとしては、宗教(イデオロギー)、民族・肌の色、言語、文化、などがある。わかりやすい例えで言えば、特定の国家や勢力に属する「人間達」に特別の「色の付いたユニホーム」を着せることが、アイデンティティ確立の始まりだと思う。そして、同じ色のユニホームを着た「人間達」が徒党を組んで、違う色のユニホームを着た「人間達」と争いを始める――こう考えれば、ハンチントンの文明の衝突、という理屈がわかりやすいのでは。
冷戦時代は、色付きのシャツの違いが、ソ連筆頭の「赤シャツ」とアメリカ筆頭の「青シャツ」だった。宗教の違いを示すシャツの色は、その「赤・青シャツ」下・内側に着ていたので目立たなかった。しかし、冷戦構造が崩壊し、共産主義イデオロギーの「赤シャツ」民主主義・資本主義の「青シャツ」が脱ぎ捨てられると、その下に着こんでいた、「宗教のシャツ」が表面に出てきた。冷戦構造の崩壊とともに宗教ブームが活性化した理由を、こんな風に説明できないだろうか。
☆ アラブの春による中東の液状化
チュニジアを震源地とする「アラブの春」が発生し、その余震がエジプト、リビア、イエメン、シリアへと拡散している。敢えて言えば「アラブの春」により中東全体が「液状化」しつつあるといえるだろう。このような現象は中東全般に及び、米国との関係が良い湾岸協力機構(UAE、サウジアラビア、クウェート、オマーン、カタール、バーレーン)やヨルダンなどにも波及する可能性がある。液状化現象が進行すれば、これらの国々の支配力が衰え、「統治されない空間」が広がればイスラム国と連携を取る勢力が台頭するチャンスが生まれる。また、現在のイスラム教とは乖離した独裁体制は、液状化が進めば崩壊し、イスラム国の分離国家が誕生するかもしれない。
☆ 米国の凋落
「笑止千万」というべきだろう。誕生間もない“半国家”とでも言うべきイスラム国を相手に、米国が右往左往し、及び腰で苦戦を強いられている様は。オバマ政権は、2月6日に発表した「国家安全保障戦略」で「米軍の力は『人類史上で類例のないもの』」とそのパワーを自讃した。2016会計年度(15年10月~16年9月)の国防予算案は約5853億ドル(約69兆円)に上る。こんなモンスターのような米国が英国やフランスなどの有志連合を結成しても、直地上戦力投入に踏み切る勇気を持たない。地上軍の投入は、ベトナム戦争やイラク戦争で泥沼にはまり込んだ苦い経験があるからだ。イスラム国との地上戦で失敗すれば、米国の凋落は加速し、もはや再起不能の状態に陥るかもしれないという不安があるものと思われる。米国はすでに「世界の警察官」の役割を辞退した。米国は、経済力・軍事力のみならず世界覇権の「意思」までもが、凋落しつつあると見るべきだろう。
第二次世界大戦後、米国は世界紛争のあらゆる局面に介入した。失敗・成功は別にして。しかし、米国が覇権国の座から退けば、一体誰が警察官の役割をできるというのか。スタート時点では、輝きに満ちたオバマ政権も、早々とレームダック状態になりつつある。米国は、イスラム国の生殺を左右する重要な時期に、強力なリーダーが不在になるという不運の(?)巡り会わせとなる。世界は、なすがまま――“Let It Be”――に、底の見えないカオスの世界に落ち込んでしまう恐れがある。
○ イスラム国は生き残れるか――毛沢東の「遊撃戦論」に活路
筆者は、イスラム国の生き残り戦略として毛沢東の「遊撃戦論」が好適な参考になると考えている。日中戦争から国共内戦期の毛沢東・中国共産党とイスラム国を取り巻く戦略環境は幾つかの類似点がある。筆者は、イスラム国カリフのバグダディが毛沢東の遊撃戦論に提示された戦略(以下「遊撃戦略」と呼ぶ)を応用すれば、生き残る道が開けるかもしれないと考える。
☆ 毛沢東の「遊撃戦論」とは
『遊撃戦論』とは1938年に毛沢東によって執筆されたゲリラ戦略の古典的著作である。正確には『抗日遊撃戦争の戦略問題』と呼ばれ、ベトナム戦争など多くのゲリラ戦争の指導者に参考とされた。遊撃戦(テロ・ゲリラ戦)の基本命題は「いかにすれば弱者が強者
に勝つことができるか」である。『遊撃戦論』は、軍人でもない毛沢東が戦塵の中でこの命題に取り組み、その方策を思考・確立し、本(文書)として書き上げ、それを巨大なスケールで実践し、成功して革命を成し遂げ、今日の中国を建国した指南書である。
本書はまず、「なぜ遊撃戦争の戦略問題を提起するのか」(第1章)に始まり、戦争の基本原則について述べ(第2章)、さらに戦略における六つの原則を提示し(第3章)、第4章から第7章でその原則について詳述するという構成となっている。
☆ イスラム国生き残りについての分析
毛沢東は「遊撃戦論」第1章のポイント「中国の強さと敵(日本)の弱さを再認識する」ことの重要性を指摘している。本稿は、本来、「遊撃戦論」全体に照らしイスラム国の生き残りに戦略について論じるべきであるが、紙幅の都合で、「イスラム国の強さと米国の弱点を再認識する」ということにスポットを当てて論じてみたい。
① イスラム国の強さ
イスラム国の強さとは何だろう。思いつくままに挙げて見よう。第一に、イラク戦争に引き続く戦乱の中で、鍛えられていることだ。イスラム国の兵士の中核には、サダム・フセイン政権時代のイラク軍の旧将校たちがいるといわれている。彼らは、対米戦争とそれに引き続くゲリラ戦を戦った歴戦の有志である。
イスラム国の強みの第2は兵士が死をも恐れないことだ。これは、アッラーの力によるものだ。米国などの異教徒やシーア派勢力の異端派と戦う事は聖戦であり、死ねば殉教者となる。かつて、毛沢東の八露軍兵士達が政治工作教育により、革命という明るい未来を信じて、命を惜しまない高い士気を有していたのと同じだ。ちなみに、蒋介石の国民党軍兵士は、略奪と暴行にしか関心がなかったといわれる。
米兵はどうだろう。一定の士気・規律は有しているものの、イスラム国兵士ほどには勇猛ではないだろう。また、米国にとって、米兵の命はイスラム兵士の何万倍も重い。米国民はほんの少しの米兵の死傷により、オバマ大統領を窮地に追い込み、反戦・厭戦ムードが高まりやすい。ベトナム戦争においては、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師を中心にした黒人による人種差別撤廃闘争と大学生の反戦運動が結びつき全米で広汎な反戦運動が展開された。これにより、米兵の士気は低下し、米政府は戦争を継続する上で苦境に追い込まれた。
第3の強みは、中東各国の国民はイスラム教が主体であり、それに加え欧州や米国にもイスラム教徒がかなりの数存在することである。カリフ国家を名乗るイスラム国は、未だ認知はされていないもののいわば総本山――イスラム世界のバチカン――になり得る可能性がある。日中戦争時、毛沢東は民族主義を掲げ人民の反日感情を利用して抗日民族統一戦線を構築した。イスラム国も、カリフ制を掲げるとともに、反米・反イスラエルを主動することにより、中東と世界のイスラム教徒を結集し、抗米欧民族統一戦線(対十字軍統一戦線)の構築を目指すことができる。
イスラム教徒の大多数の人々は、宗派対立や貧困の中で、困苦欠乏に耐えうる忍耐力が養われているのみならず、強い生活と一体化した信仰心を有しており、欧米やイスラエルよりも長期戦に耐えうる資質を持っている。時間はイスラム国の味方となるだろう。
② 米欧・中東諸国の弱点
米欧・中東諸国の第1の弱点は市民、各種インフラなどその国内にある。イスラム国が生き残るための究極の戦い方は孫子の中に見出すことができる。孫子の「虚実篇」の中に、「戦闘は敵の強いところを避けて隙(すき)を衝(つ)くのがよい。」と教えている。
毛沢東は「遊撃戦論」の中で孫子を継承・発展させている。正規戦では日本軍に勝てないことを自覚していた毛は、迅速な兵力の集中・分散によって敵の弱点に奇襲攻撃をかけ、速やかに撤退するような遊撃戦こそが日本への対抗手段になると論じた。毛沢東は戦争を、敵を外側から求心的に包囲する「外線作戦」――日本軍側――と、外側から包囲する敵に内側から対抗する「内戦作戦」――抗日戦線側――の二つに分類した。その上で、有利な立場の日本軍側(「外線作戦」)と不利な立場の抗日戦線側(「内戦作戦」)という構図を、日本軍の背後から遊撃戦を仕掛けることにより、その立場を逆転させることができると説いた。
これを、イスラム国の生き残り戦略に適応すれば次のようになる。欧米や中東主要国の有志連合は「外線作戦」の立場にある。一方、イスラム国は「内戦作戦」を強いられている。このような立場を逆転させるためには、欧米や中東主要国をテロ・ゲリラの標的とし、戦場とすることである。イスラム国が欧米はサウジ、イラン、トルコ、エジプトなど中東各国の戦闘意思を挫くための戦いは、中東全体及び欧米各国の弱点となるその領土内で行うのが定石であろう。
欧米の第2の弱点は国民の戦闘意思の弱さ、忍耐力の欠如にある。現在戦場となっているイラク・シリアの背後の中東全体及び欧米各国内で行うイスラム国の戦い方は、ハード路線とソフト路線があろう。ハード路線とは、現行のようにテロにより欧米の市民を攻撃するやり方だ。一方ソフト路線とは、メディアなどを駆使して、欧米政府の中東における非道さやイスラムの大義などを訴え、反米・反戦機運を盛り上げるやり方のこと。これは、かつて、ベトナム戦争のときに、国際反戦運動が欧米を席巻した例がある。イスラム国は、当面はハード路線でテロを繰り返すと同時に、イスラム国市民に対する無差別空爆の犠牲者(子女)の悲惨さを各種メディアで訴えるソフト路線で臨むことだろう。
欧米はイスラムテロを根絶させる事はできないだろう。なぜなら、それぞれの国は、差こそあれ、多くのイスラム移民を受け入れ、今日では無視できない勢力になっている。そして、イスラム移民の多くは、欧米市民との間でイスラム教に根ざす社会生活上の摩擦が生じ、差別を受け、ストレスが鬱積している。イスラム国の宣伝の同調・感化され、テロを生み出す土壌としては十分に熟成されている。
勿論米国も例外では無い。米国には既に数百万人のイスラム教徒がいる。この中には、ブラック・モスレムも存在する。米国では、黒人に対する人種差別は依然深刻で、暴動まで起きている。黒人の中のモスレムの怒りが、人種差別を引き金として爆発し、これが全モスレムに拡散すれば、米国社会の混乱は欧州以上に激化する可能性がある。
ベトナム戦争当時、米本土で反戦運動が激化し、厭戦機運が高まった。このようなベトナム戦争における反米・反戦運動は、イスラム国にとっても有益な教訓となろう。それどころか、イスラム教という宗教に根ざす米国内における闘争は、黒人の人種差別をはるかに上回るマグニチュードの激震を引き起こすに違いない。
米欧の第3の弱点は本国と中東の距離が遠いことだ。特に米国は、1万キロ以上も離れた中東で大作戦を継続するには、莫大な戦費が必要である。イスラム国と本格的に戦闘を行えば、ただでさえ凋落しつつある米国の国力は一挙に加速されるだろう。そして、米国は二度と立ち上がれないほどの打撃を蒙る可能性がある。オバマ大統領が地上兵力の投入に慎重なのはそのことの証左だ。
米欧の第4の弱点はイスラエルである。ユダヤ人は、欧米はもとより世界経済に対する絶大な影響力を有する。また、米国ではユダヤロビーが強力で、その中東政策に大きな力を持っている。欧州各国も、アウシュビッツの贖罪意識から、イスラエルの主張には耳を傾けざるを得ない。
一方のイスラエルは、「ポチ」と揶揄される日本と違い、小国ながら強硬に自説を押し通そうとする。特に、イスラエルの生存に影響与える問題には絶対に妥協しない。今日、特にイラクの核問題はイスラエルにとっては、死活問題である。イラクの核開発施設に対する空爆などの機会を虎視眈々と狙っていることだろう。
米国が主導する有志連合による対イスラム国攻撃にとって、イスラエルによるイラクの核開発施設への攻撃は絶対に許せない。しかし、イスラエルとしては、米国による解決期待できなくなれば、独断でイランの核開発施設に対する空爆などに踏み切る可能性がある。そうなれば、一瞬にして、米国主導の有志連合は空中分解するだろう。また、中東は、スンニ派もシーア派も大同団結し、反欧米・イスラエルとなり、イスラム国の生き残りと成長にとっては最高の土壌が醸成されよう。
米欧の第5の弱点は戦略上絶対に避けるべき多正面作戦を強いられることだ。“落ち目”の米国に対して、神は辛らつだ。イスラム国に加え、中国の台頭、ウクライナをめぐるプーチンとの葛藤、イランの各開発問題など、多くの懸案を同時に抱え込まざるを得ない立場に追い込まれている。中国もロシアも北朝鮮もイラクも米国が中東にフルに介入し、その国力を削ぎ落とし、凋落してくれれば良いと思っているに違いない。これら米国の凋落を願う国々は、密かにイスラム国と連携し、“合作”を模索している可能性が高い。
○ 中東大波乱のシナリオ(21世紀の黙示録)
イスラム国の今後のシナリオとしては、次の三つのケースが考えられる。
・CASE1:イスラム国が米国主導の有志連合の攻撃(空爆、地上戦)により殲滅される。
・CASE2:イスラム国が生き残り、現状のような混乱(イスラム国親派の全中東での台頭、欧米の介入、欧米親派の協力など)が持続ないしは加速する。
・CASE3:CASE2を経て、中東に強力なイスラム・アラブ統合国家(これを「統合イスラム国」と呼ぶ)が出現する。
イスラム国はいずれ殲滅される(CASE1)というのが、大方の見方だろう。本稿では、新約聖書の末章にあるヨハネの黙示録に擬え、人類・世界に大きなダメージをもたらすCASE3――中東に強力な「統合イスラム国」が出現する――シナリオについて、その様子を黙示してみたい。
――世界は、神の戦いとなった。本来は同一のはずの神が、キリスト教世界(約20億人)では「ゴッド」を全能の神と仰ぎ、イスラム世界(約12億人)では「アッラー」のもとに結集し、この同一の神を「ヤーウェ」と呼んで民族として契約を交わしたユダヤ・イスラエルの民(約1400万人)は、数の上では少数だが世界の経済に絶大な力を発揮し、それぞれの神を押し立てて、自己の利益と正論を強力に主張する。
新たに出現した「統合イスラム国」は、カリフ制国家で、その国土はかねてから主張していた通りサイクス・ピコ協定体制を破壊して構築した中東全域(トルコ、イラン、イラク、サウジ、エジプトなどを含む)に及ぶ巨大国家となった。フランスの政治学者ドミニク・モイジがアラブ世界のイスラム世界は「屈辱の文化」だ、と言ったが、「統合イスラム国」の出現により、「誇りと希望の文化」に変わった。
「統合イスラム国」の誕生により、世界はキリスト教・イスラム教・ユダヤ教の対決の構図となろう。そしてこの対決は、宗教戦争の特性を顕示し、極めて残忍・深刻で長期に及ぶものとなろう。特に、この三つの宗教が聖地を置く中東地域ではエンドレスの血なまぐさい戦闘が生起する可能性がある。
イスラム国は、世界のイスラム教徒と連携し、米国、欧州、中国、インド内政にさえもその影響力を行使できる。また、世界の石油・天然ガス資源の多くを占め、世界海運ルートの要のスエズ運河を押さえ、世界経済の死命を制する立場にある。
「統合イスラム国」出現により、世界のパワーバランスは激変した。イスラム国と世界に展開するイスラム教徒はその神アッラーの教えに忠実である。どんな些細なことにも、キリスト教徒やユダヤ教徒とは妥協しない。シャルリ・エブド紙が預言者ムハンマドの風刺画を描いた時には、テロしか対抗手段が無かったが、いまや多様な対抗手段がある。核ミサイルについては、既にイランが開発したものを引き継いでいる。イスラム国を怒らせれば怖い。スエズ運河が封鎖され、石油を禁輸されるからだ。中東で緊張が高まりスエズ運河が“心筋梗塞”の発作が起こせば、世界経済は“第二の世界大恐慌”を迎えるかもしれない。
「統合イスラム国」が出現する中で、イスラエルがどうなっているのか。アラブから地中海に追い落とされて、消えて無くなっているのか。あるいは、しぶとく生き残って強面同がガチンコ状態で睨み合っているのか、興味深い所である。
また、もう一つ忘れてはならない米国のことだが、「統合イスラム国」が誕生する過程で、米国は中東の戦争に巻き込まれ、完全に消耗・衰退してしまった。
キリスト教世界では、政教分離がなされているが、イスラム国ではシャリーア(イスラム法)が全てで、妥協の余地は無い。イスラム教の宗教改革がなされ、キリスト教との共存が出来るようになるまでは、イスラム国とキリスト教国の軋轢が止むときは無い。地球は、長期にわたる皆既日食時のように、暗い影に覆われることになるだろう。
人間は、科学の分野では素晴らしい進歩を遂げつつあるように見えるが、その運命は実は永劫に神の手に握られているのだ。人類は、今こそ神の前で謙虚に自らの将来を見つめなおすべき時なのではないだろうか。
○ 日本にとってのイスラム国問題
日本は米国に付き従って、中東問題に突っ込み過ぎてはいけない。ただ、中国の脅威を思えば、日米同盟との関係で米国を一定満足させる必要がある。しかし、最悪の場合でも、米国の提灯持ちで、中東・イスラムを敵に回すことは絶対にすべきではない。日本にとって中東は①石油の供給源、②スエズ経由の物流のチョークポイント、という点で戦略的要衝である。中東の安定構築には、最大限国際・対米協力が必要。ただし、現状においては、中東安定化のシナリオが見えていない。否、解決の方程式は存在しないのではないだろうか。そんな中で、日本は鵺のようにしたたかに振舞うことが求められる。
折しも、日本は、戦後70年を越えてようやく憲法改正、とそれに伴う戦後レジームの抜本的解消に向けて本格的に動き始めた。その移行期間は、日本の内政は揺れ続けるだろう。こんな状態で、国際的な荒波――中国の台頭、イスラム国問題、ウクライナ危機など――を乗り切れるのだろうか、心細い。我々日本人は、こんな国際的・国家的な危機を深刻に認識し、国策の確立と国論の統一に努力すべきではなかろうか。
(雑誌「丸」掲載記事)