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法匪が操る法痴国「日本」

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はじめに 日本という国は約70年前に、民主主義の国だとされていた英米との戦争に敗れて全面降伏し、悔い改めて「民主主義の国」となり、英米など西欧の民主主義国と同様に人権を尊重し、国民の自由・権利、「法の支配」を尊重する「法治国」になったとされている。

従って、我が国の政治を動かしている政治家が結成している政党も、余程奇妙な弱小会派を除けば、政治思想の違いに関係なく、この意味での「民主主義」を表立って否定するものは居ないといっても過言ではなさそうである。

我が国がこの意味で、「法治国」とされている以上、この国の国民にとって法律というものは極めて重要に違いなく、従ってこの重要な筈の「法律」の専門家である筈の「法律家」の役割は大変重要だということになる筈である。

ところで「法律家」と言われる人々は、具体的には裁判官、弁護士、法学者(に加えて、司法書士、社労士)等であるが、本稿では主として裁判官、弁護士、法学者を中心とする「法律の専門家」という前提で、彼らが実際に果している役割を検討して見ることにしょう。 

 少数の法匪と大多数の法痴が日本を支配する

筆者は、1958年に大学を卒業して以来今日まで法の研究と教育に携わり、役所の審議会や研究会など様々の仕事にも参加し、2002年以降は弁護士の仕事にも携わって来たが、この60年余に亘る観察の結果、我が国の法律家の大多数は、我が日本国は前記の意味で「法治国」であると無邪気に信じ込んでおり、これを前提として一生懸命「正義である法」の実現に邁進しているように思える。これら大多数の法律家は、法(それも、彼らが「不磨の大典」と崇める日本国憲法を初めとする現行法は、彼らにとって都合がいいと考えられるものに限って)は正義を体現しているものと無邪気に信じこみ、都合が悪いものは、「悪法」としてこれと闘っている、まことに無邪気な人々であり、この人々の実態を知れば、むしろ「法痴」と呼ぶのが相応しい人種かも知れない。

これに対し、多数の法律家の中ではエリート中のエリートと目される、多くは一流大学の法学部やロースクールの教授、最高裁裁判官を頂点としてその予備軍を構成するエリート裁判官、検事総長以下の(多くは特捜部所属などの)エリート検事達、弁護士会の会長を初め、これまたその予備軍たる役職を務めるエリート弁護士等々、多くの場合知能程度が多くの「法痴」達より優れており、彼らほど単純には法=正義とは信じていない程度の知能は持ちながらも、このような認識を表に出すことなく、法匪予備軍としてこれを信じている振りをしている人々で、これらの人々は意識的あるいは無意識のうちに法=正義の建前を表看板にして、国を動かしている人々であり、筆者はこのような人々を「法匪」と呼ぶことにする。

このような意味で「法痴」、「法匪」のいずれに属するにせよ、大多数の法律家は、以下に詳述するように、法律というものを大学の法学部で教わり、法学部の教員が書いたものをひたすら頭に詰め込んだ挙句、この涙ぐましい努力の結果「天下の難関」とされる司法試験を初めとする各種の資格試験に合格し、「法は正義」と無邪気に思い込んだまま、人々に法律を守らせて社会に正義を実現するのが、法律家の使命と単純に思い込んで仕事に邁進するという意味で、まことに単細胞、筆者から見るとまことに幸福な人々と思える方々である・・・

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