海外戦没者の慰霊・追悼に関する現状と課題! (副題:慰霊・追悼に係る国民的合意形成こそ喫緊の課題だ!)
1 始めに
今年も終戦の日恒例の政府主催の「先の大戦(*注1)による戦没者310万人を追悼するための全国戦没者追悼式」が、今上陛下同皇后陛下御臨席のもとに、日本武道館で挙行された。平成最後となる天皇陛下のお言葉に関心が集まった。その一方で、ご遺族の世代交代が益々進みつつあり、戦没者の慰霊・追悼を如何に継承するかとの論評も見られた。(海外)戦没者の慰霊・追悼の継承は、ご遺族等の高齢化が進み、遺骨収集も慰霊碑の維持管理や慰霊巡拝も正に問題だらけで、正に喫緊の課題であると云えよう。
本稿では、海外戦没者の慰霊・追悼の状況を管見し、課題を考察したい。
注1:先の大戦とは、昭和12年の支那事変から昭和20年8月の終戦までの戦争を云う。
2 戦没者の慰霊・追悼について
大東亜戦争の戦局悪化以降、「英霊ハ必ス還ルヘク」とされたにも関わらず、現実的には「空(から)の遺骨箱」をご遺族に伝達せざるを得なかった。戦後、GHQの示唆により海外戦没者処理システムを構築した。そこでは、御遺体・御遺骨の完全な内地送還を方針としたが、進展しなかった。サンフランシスコ平和条約の調印後、遺骨収容を求める声の高まりを受け、種々検討され、日米交渉の結果、収容された一部の遺骨をその戦域全体の戦没者の「象徴遺骨」と見做す方式を採用した。勿論、現地慰霊をも重視された。然しながら、慰霊の重要な柱である慰霊碑の建立は現地感情もあり思うに任せなかった。この過渡的な措置が今日の海外戦没者の慰霊・追悼に大きな影響を及ぼしているとおもわれる。
また、戦後の日本においては、先の戦争を如何に評価・解釈するかによって、戦没者の慰霊・追悼についての考え方が見事に分裂してしまう。我が国には、敗戦国なるが故の戦没者の慰霊・追悼の複雑さがあるようだ。先の戦争の正当性に疑義が抱く者が居る場合には、戦没者の顕彰に対しても議論が巻き起こる。更には、敗戦により、日本では軍事的なものと向き合わないという残念な傾向が顕著となってきているのも、戦没者慰霊の無関心さの増大につながっている。
日本政府は、過去の戦争の評価等を棚上げし、専ら戦後補償に焦点を当てた施策をしてきた。戦没者ご遺族の援護をメインとされたので、戦没者の慰霊・追悼に係る所管をも厚労省とされた。何れにしても、日本が正面から先の大戦を評価して来なかったことに起因している。
今日の我が国の平和と繁栄が、戦陣に散り戦禍に倒れた210万に及ぶ将兵等のご加護の上にあることを忘却し、更には日本が直面した国難、戦争があった事すら忘れて、繁栄を謳歌しているが、これが果たして正しい姿か疑念を抱かずにはおれない。先の大戦で、我が国のため、愛する家族や郷土を守るために散華された戦没将兵等に敬意と感謝を捧げ、その霊をお慰めすることは斉しく国民の義務であり、国家の責務でもある。
3 先の大戦における戦没者の状況について
本稿に言う戦没者とは、1937年(昭和12年)の支那事変から1945年の終戦までの間に亡くなられた軍人、軍属、準軍属だけでなく国内の空襲等戦災死没者をも含んでいる。
因みに『支那事変(巷間、これ以降を日中戦争と呼称しているが…)も含めて「大東亜戦争」』とすると、1941年(昭和16年)12月12日に東條内閣が閣議決定しているのであって、先の大戦とは、即ち「大東亜戦争」のことである。毎年8月15日に行われる「全国戦没者追悼式」は先の大戦における戦没者を追悼する式典であるにも拘らず、政府は、敢えて「大東亜戦争」との文言への言及を避けているが、先の大戦は、即ち大東亜戦争と呼称されるのは当然であり、そろそろ、GHQによるWGIPの呪縛から脱するべきだろう…