「地域におけるこれからの企業経営」
はじめに
①現在の問題をどう解決していくのか。日本経済において中小企業は大きな役割を果たしているがしかし中小企業は残念ながら学校教育の社会科の教科書にも、中小企業の社会的役割についての言及はほとんど見られない。それどころか、社会を見渡せば「中小企業が増えると安い賃金の労働者が増える」という「二重構造論」に基づいた考え方もいまだに存在するのです。中小企業イコール弱者であり、「女工哀史」の世界というイメージが存在するのが現実です。
②一方で欧米における中小企業の評価が変わってきています。世界の常識は、革新は地方からおこり、産業は中小企業からであると報告、96年にはILO、97年にはOECDが「中小企業こそ一国の経済を支えていく大事な役割を果たしている、もっと中小企業の振興に意を払うべきだ」と勧告や決議文を出しています。この背景とは、85年のアメリカにおける日本研究において日本の製品に負けるのは、その部品を供給している中小企業が優秀だからとの結論を得ているからです。だから、アメリカは中小企業の育成を、起業、特に女性企業家育成策をとり、さらにアメリカの中小企業白書では、民間の技術革新について、開発費はほとんど大企業だが画期的発明は中小企業で大企業は改善が主であるという報告がおこなわれています。
③OECD勧告:EUの12ヶ国を調査して「一国の経済で中小企業の売り上げが大企業を上回ると翌年のその国は成長する。大企業が上回ると衰退する」という結果から、EUは2000年欧州小企業憲章を制定して「小企業はヨーロッパ経済の背骨である。小企業は雇用の主要な源泉でありビジネスアイデアを生み育てる大地である。小企業が最優先の政策課題に捉えられてはじめて“新しい経済”の到来を告げようとするヨーロッパの努力は実を結ぶであろう」と取り組んでいるのです。(このように意識を変えることが日本を救う道です)
<1>時代変化と地域の危機
(1)グローバル循環に傾斜する日本経済
①80 年代中頃までは日本経済は二つの循環でした。一つは国内循環(ナショナル循環)、仕事を日本の各地で地域間分業をしていました。国民経済の中で分業をして作ったものを輸出するという形でした。大企業は国内循環を基本にしていました。もうひとつは食・住を中心にした地方循環(ローカル循環)です、限定された地域の中で素材生産から加工、出荷まで行っていました。
②1985 年以降出てきたのが、企業内国際分業からはじめた国際循環(グローバル循環)です。日本のリーディングカンパニーが90 年代以降急速にグローバル循環にのめり込んでいく中で、機械系産業の中で大企業をサポートしていた中小企業は巻き込まれていきました。その結果、仕事がなくなる、あっても低価格など様々な圧力のため企業数が半減するような形で危機が現れました。もう一つは、本来ローカル循環であるべき分野でも、グローバル循環に巻き込まれてしまい、食・住の分野で逆輸入などで駆逐されてきました。
③日本のグローバル循環の最大の問題点は、日本の多国籍企業の場合、輸出の形は残ってはいますが、海外現地生産が基本であることです。85 年までは国内循環が中心で海外生産は例外的で、ここまでは大企業と中小企業の利害は一致していました。1990年代以降猛烈なグローバリゼーションが進む中「メイド・イン・ジャパン」の時代は終わり、生産の海外移転時代に。1985年の輸出金額は38兆8千億円、それに対し大企業の海外工場の売上高は8兆8千億円で繊維とかカラーテレビの組立工場が中心でした。ところが、円高がすすみ1996年には1ドル80円で2000 年の直前に海外生産が輸出を上回り逆転します。明治維新以降初めてです。アジアでの現地生産が増えています。つまりグローバル循環型の大企業を支援しても、国内での雇用はほとんど増えていかないということです。
④もう一つは、アメリカもドイツもイギリスも海外展開している企業はありますが、それらの国は双方向のグローバル化であり、対内投資残高(2012 年通商白書)を比較すると、対GDP比(2010 年実績)で見てイギリスの48.3%、ドイツの29.2%、アメリカの21%に対して、日本の場合は3.9%に過ぎず、圧倒的に外国資本による対日直接投資が少ないことがわかります。日本の場合のグローバル化というのは出ていく一方のグローバル化です。そのため他の国より、国内の雇用や所得の削減への影響が出てきやすい形になっています。
⑤経団連がいう貿易というのは、タイで作ってアメリカに輸出するのも貿易になっています。貿易保険がグローバル化が進んで海外工場から第三国への輸出にも適用されるようになりました。2013年4月からは、タイで作ってタイで売る場合も貿易保険が適用されるようになります。大企業にとっての貿易の主流は海外でグローバル展開して海外に輸出拠点を増やしていくことにあります。今のようなグローバル化を推し進めても国民と中小企業の発展にはつながりません。
⑥大企業が海外へ出て行くと、当然中小企業が減り労働者も減少し、さらに不安定雇用が増え、法人税も所得税も減ってくる、一方で高齢化が進むと入る金が少なくなる。利益が出ていようがいまいが、所得があろうとなかろうと取れる税金、間接税にシフトしていかざるを得なくなるという問題が拡大します。市場原理は、日本で生まれた限りは健康で文化的な最低限度の生活を営む権利がある、という国民の権利、逆に言うと国家の責務は空洞化していくのではないかという懸念があります。
⑦結局、日本が負け出したのは、「トレンドを発信できる国、ブランド力のある国というのは必ず民族固有の技能とか伝統文化を物に体現化しています」、日本の弱点はそれが抜けて、現地主義でもないので、どこで作っても構わないというモノづくりになってしまっていることです。
(2)デジタルで負け続ける日本の輸出型大企業
①日本経済は「メイド・イン・ジャパン」から「メイド・バイ・ジャパン」とグローバルに戦える事業へとスタンスが移ったのが20世紀末から21世紀始めにかけての日本経済の構造の質的転換のポイントです。1963年中小企業から大企業が主流になった輸出は1990年代に入るまでは自動車とテレビなどの完成品でした。ところが21世紀になって、海外で使う機械設備、向こうで作れない部品などの生産財が中心に変わりました。輸出先も日本の海外現地法人・工場に日本の製品として輸出されています。グローバルに戦える企業は世界最適地生産にシフトしていく。政策支援もここにばかりにカンフル注射をすると国内の雇用は益々落ちていくことになります。
②バブルに入るまでは「不足の時代」で「需要の量的な充足」が課題なので、消費者に対する提案型はいらなかったのです。少なくとも80年代までは品質、価格、納期でよかったのです。ところが、需要の量的充足は終わりました。日本のライフスタイルはアメリカと比べても遜色はなく追いついたのです。「質的充実」が求められる時代に変化し、オリジナリティで客に夢を与えるためには会社が夢を持ち、社員自身も夢を持つ、企業が本業を通じてお客の「QOL」を高めていくという転換点は今までとマーケットの量と質が変わっていくということです。サービス経済化の時代は規模を追求できない、効率化が難しい、つまり生産性を上げにくい低成長が必然になります。
③タイの洪水で、日本での代替生産のために、タイの技術者を日本に呼んだのが象徴的でしたが、誰でも作れる機械でのデジタル勝負になってしまえば、負け続ける結果になっています。日本の国民があこがれるものを作れば世界に売れるものになるのを放棄した結果です。唯一世界一だった中身がアナログのデジカメまで世界生産になれば、携帯電話のタブレット負けと同じ結果が見えています。
(3)日本のビジネスモデルの崩壊
①欧米の高品質を求める先進国が日本の輸出産業を支えていました。今低価格・低品質・低機能が世界の主役に変わっている時代に。
②国内市場の縮小、労働力人口の異常な高さが日本の高度成長の源でした。今労働力人口が減り続ける高齢化の社会で、稼ぐ人より福祉の利用者が増える国家の赤字の時代に。
③人口が減少する中で、売上シェアを1%伸ばしても業界全体の売り上げが2%落ちている時代、価格下落が当たり前で、売上の実額で落ちるのが全業種でおこる時代に。
④海外生産の増加と非正規の増加という時代に、新自由主義による格差拡大が経済の縮小へ、派遣や請負の増加などの労働者の変化から、賃金低下と貧困率の上昇で物を買えない若者が増加、日本の貧困率が16%にのぼり消費が細る時代に。貿易で食べる国でなく所得収支で食べている国に変化。
⑤原料高の製品安が世界中に。原料を輸入して加工して売る日本のビジネスモデルが成り立たない時代。デフレ時代、5 年前と、同じモノを同じ市場で同じやり方で売ったら、値段は絶対に下がります。コストカット以外のやり方も考えないといけませんが、それには、新しい商品を作るか、新しいマーケットをつくるか、新しい方と連携して新しいやり方で仕事をするかの三つしかありません。強みを分かっているもの同士が連携することが必要です。
(4)縮小する日本経済
①人間が減っています。「経済の原則は、人が消費することから成り立つのです、政治も原則は経世済民が基本です。」その大事な人間が減っています。ということは経済が縮小するということです。
②資源が減っています。「この100年間で1000年分の資源を食いつぶしてきました。特に日本はエネルギーも食料も輸入頼みであり、資源が無い中ではコンパクト経済に向かわなければならないのに相も変わらず輸出立国日本ではいずれ行き詰る、国内経済は縮小に向かっています。
③顧客がへっています。グローバル化という名のもとに、個人主義が蔓延し、自分がよければいい客が増加、作り手・ほんものを求める方向が違い、個人嗜好的な消費が主役で(TVコマーシャルからフェイスブックへ)、全店から顧客が減少に。
④お金が減っています。日本での企業のお金の流れが縮小しています。1988年の1京2000兆円から現在4000兆円の金の流れに縮小。
⑤日本だけ企業が減っています、特に10人以下企業が部品や加工技術だけでは大減少に。世界では中小企業は増加しています、働く場が日本ではどんどん無くなっています。
(5)地域の危機
①2030年までの人口のシミュレーション(経済産業省)では、全国269の都市圏で人口増加となるのは東京都市圏のみで他のすべての都市圏の人口が減少。県庁所在地の都市圏で14.3%減、10万人未満の都市圏では24.6%減と推計されています。人口減少の速度の不均衡は地域経済の姿を劇的に変貌させる地域の出現を予想されます。産業活動の縮小が進み、商店街の空き店舗の増殖や商店街そのものの崩壊、2012年には農業の平均年齢65.9歳となり耕作放棄農地の増加、さらに公共インフラの遊休化・荒廃が進み、「限界集落」「限界自治体」の増加など厳しい状況に直面する地域が多数あります。
②地域経済の悪循環、公共事業の削減で建設業労働者がほとんどの県で下がって、それで県民所得が減っているなど全国で雇用と所得が失われている状況です。地域内経済循環が崩壊し、企業数が減って、信用金庫の預貸率が減少し90年70%から50%ちょっとになっています。預金増加の一方15%近く地域で回るべき貸し出しのお金が減っています。地域でお金が回らない状況が生まれています。地域で中小企業が元気ないと、資金が外へでます。地域の問題を解決できないと住にくくなり人口が減る、それで地域経済悪循環になっていきます。今までは地域の産業政策の柱は「融資」と「誘致」でしたが、製造業の雇用創出力が低下しているとの見方が広がってきています。さらに、今回の世界金融危機において、愛知、栃木、群馬といった工場の立地が盛んであった地域ほど雇用の悪化が顕著であったことから、製造業誘致の地域雇用創出モデルは見直しを迫られているのです。
③さらに上場企業は、1980年代以降は資本の論理が優先され、株主の利益の最大追求が評価される存在になりました。数年前には誘致大手製造業の3社が撤退していったために雇用されていたブラジル人8000人が失業して地域問題にまで発展した山梨の事例や、最近では三重県の「世界の亀山モデル」とTV宣伝されていた亀山第1工場の設備はどこへいったのでしょうか、利益を求めて世界中へ移動するのが国際競争企業です、地域は儲けの道具に。
<2>物の豊かさから心の豊かさ追求の時代へ
(1)物から心の豊かさ求める時代変化
①量的な充足だと量産、量販、低価格でした。質的な差別化となるとオリジナリティがあれば少し高くても買うということになります。つまり「成長志向から成熟志向」「量産・量販から質産・質販」へと変わっていき質が問題になります。60年以降80年代までニューヨーク、パリなどの先進市場でのクリエイテイブでよりトレンドをつかむ能力があれば良かったのが、ライフスタイルが変わるとトレンドをつかむことではなく「トレンドをつくる」ということ、「物の豊かさ」を求める時代から「心の豊かさ」を求める時代に変わったということです。
②「心の豊かさ」の追求といいますが、感性の時代は求めているものが本人も分からないということになります。だから提案型企業づくりが必要と言うことです。感性は理性と違って、接触で物事を判断します、だから直接触れる地域と中小企業が重要になってくるのです。
③地域活性化の事例を高齢化での対応事例でみれば、熊本県黒川温泉では団体旅行から取り残され古びた旅館と自然しかないことになったのを逆手に取り、お金をもっている奥様方の個人旅行を受け入れ、入湯手形で3つの露天風呂に入られることを売りにして大人気、スーパーで1円値切る人が大金落をとしています。島根県温泉津(ゆのつ)では石見銀山を侵食する竹を資源に建築資材やタケノコ堀などで喜ばれるものに。徳島県上勝町の「彩」で有名な70歳平均で600万の年収生み出し葉っぱビジネスもおばあちゃんだから地域の山菜を良く知っているからできたことです。地域で町づくりの先進事例の小布施でも地域の特性だして、葛飾北斎を売りにしてヨーローパからお客がきています。地域の中を深く耕せば、お金と循環まわるものがでてくるのです。
④心の豊かさを求める感性の時代の「接触で物事を判断する」のにはエリアが見えている地域が一番分かりやすい取り組みになりますが、その時に「心の豊かさ」感性の時代ですので、企業だけが良くなる時代ではなく、企業が地域を支えていると思われなければ、人も客も来ないことになります。地域が暮らしやすい、しかも地域活性化を自立的に回す仕組みがないと、リターンが生まれないということになります。「今ある地域資源に付加価値を付け、知恵を使って商品にする」。<高知県㈱四万十ドラマ、湯船に浮かべるだけで桧の香りが漂う「四万十ひのき風呂」。製材所から出る端材に桧の油を染み込ませたもので、約50万枚販売1億円の売り上げ。「四万十川新聞バッグ」は古新聞を使った環境保全型の手提げ袋。ニューヨークの美術館で売られ、売上の一部は森林保全にも役立てています。地元住民と協力して開発したオリジナル商品は実に30品目を超えます。><北海道の地域の物産持ち帰れるなど特化したパチンコ屋さんの事例や、山形県山辺町の人口1万5千人の地域の電気屋さんは、店に客が来ないので、御用聞きで一軒一軒の家庭を15人で日に450軒ペースで毎日訪問して修理のついでに家電品を売るスタイルで4割の世帯シェアをもっています、また東京の太田区の湯本さんみたいに、半径1キロ圏を全社員で毎日あるいて修繕の仕事を採る中でリフォームや建て替えの仕事をつくっているのも同じです。大企業の一部でも地域特性生かした東京の自由が丘のイオンのリカーショップのワイン持ち込み事例などは存在>
⑤この心の豊かさへの対応ができている企業を見れば「社員が自立している提案型企業」と言えます。(広浜幹事長の企業を見れば、液体を扱う企業の為の新たな開発を最終使用者の便利なための開発を続けて支持を得ています、さらにいずれインドに出てくる企業のために、宿泊から食事の世話までする企業をインドの現地につくっています)(大阪の小西ボタン、世界のトップブランドの企画デザインを素早くキャッチして、それに合ったボタンなどの付属品を一目でイメージできるように、写真とサンプルを組み合わせた独自の付属品のみのサンプルカードを作成。量産を追う「メーカー」対応でなく、サンプルカードを武器にアパレルメーカーが欲しいと思うものをまず先に作って「デザイナー」に提案できるようになります。使わないと流行におくれるなどのファッション創造企業へと転進)
(2)物の豊かさの追究が、豊かさを追究できない原因を作り出している
①「維持可能な経済」が人類にとって最大の価値なのだ、という価値観をどう作り出すのか。現在日本人は大変な文化生活を営んでいますが、「文化生活」ではなく、維持できる経済社会を確立することに最大の価値があるという「生活文化」を作っていかなければならない、という意識改革が必要です。
②さて、それができるでしょうか。アインシュタインが、「問題を解決するには、問題の原因となっている考え方を打破しなければならない」と言っています。大企業の社長さんたちが集まっている環境問題での世界会議がありますが、そこででている基本的な考え方は何かといえば、それは新自由主義にもとづく考え方で、「環境問題は取り組まなければならない。しかし、より良い暮らしを求めるなら、その経済と調和することを考えなければならない」というものです。これではバケツの水はこぼれ続けます。
③一刻も猶予はならないところまで現実は来ているのに、日本ではいまだ経済の基本を新自由主義においています。一見、生産条件を追求することがもっともらしく見えますが、水俣病などの公害問題、地球温暖化の問題、原発問題にしても、生産条件を前提においた結果といえます。物の豊かさをつくりだす生産条件の追求をしている限り病根の根治はできませんし、生きることを否定される状況にまで追い込まれてしまうということになります。
④すでに自然所得を20%も超えて自然資本に食い込んでいるということは、豊かさを追究すること自体が、豊かさを追究できない原因を作っているということです。このことを世界中で理解を深めていくことが必要です。実際の働く社員の生活の保障と高い志気に繋がってくるように「生存条件の追求が前提」であるから、「人間らしく生きる」ことの追求になります。生存条件の追求を前提条件としていかなければなりません
(3)中小企業こそ病根を根治できる
①環境面からも世界は中小企業の時代になっているのです。フロー経済という戦後のストック不足を補う高度成長政策から大量生産・大量消費・大量廃棄の時代がつくられ、地球の資源を枯渇させ環境を悪化させた中で、環境許容限度を超えて生態系が維持出来ない時代になったのでした。大量生産は高度成長をつくりだしましたが、資源は一回しか利用されない資源生産性の低い経済でした。一方「必要なものしか作らない、必要なものしか消費しない、廃棄物は再資源化して使う」適正生産にすれば資源生産性は飛躍的に高まるのです。適正生産とは注文生産であり、もともと中小企業の少人数の多能工で行われる生産方式のことです。このことは、中小企業が未来の生産を担うものであることを示しているといえます。
②つまり、産業革命以降の工業化の進展と、それを大変な速度で悪化を加速させている新自由主義をぴしっと止める制度の確立がなんとしても必要だということです。そしてそれをやれるのは暮らしに密着した生存条件を追求している中小企業しかないのです。競争の当事者である多国籍企業は、当事者である以上、調停者や審判者になれるわけがないのです。そうした競争を抑えられるのは、その場に関与していない人間にしかできません。そして、「生きる」「くらしを守る」「人間らしく生きる」という営み自体を確かなことにすることに取り組む中小企業なら、その営みを確かなものにする土台をどう守るかという環境問題にも取り組むことが可能だということになるのです。
<3>歴史から学ぶ日本の力
(1)モノづくり日本のもと
①日本の商いの原点は、商人の発祥の地と言われる「近江商人」の家訓に「三方良し」という考え方「売り手よし、買い手よし、世間よし」です(理念的には「自助」「共助」「公助」「商助」です)。近江商人は天秤棒で荷を担いで近江の産物を売り歩くと同時に、行商先で商売のネタを見つけて仕入れをし、喜ばれるところへ「産物回し」と称する商いをしました。その時の理念が「三方良し」です。「買い手よし」は買い手が必要とするものを買い手が喜ぶ値段で売り、また商品や情報が乏しい山間僻地も商圏にしました。買い手の土地の人も商人を心待ちにしていた時代です。最後の「世間よし」が大事で、その商品をその地域で広めることが世のため、人のためになると商いをしました。(大阪中井産業㈱は「取引先のために」理念で大豆産地に貢献)
②「南蛮貿易」、16世紀にヨーロッパ人が日本に到着し、マルコポーロが金の寺や宮殿の説明をしたので、日本は黄金の国と考えられていました。火山地形による表層の鉱石の豊かさにより、大規模の鉱石発掘がされる前に日本はこの時代に銅と銀の主輸出国で工業の時代に突入していましたのでヨーロッパ諸国よりも人口は多く都市化されていました。さらにそれ以外は日本は資源が少ないから加工の力をつくりだしました、鉄鉱石に乏しいゆえ日本人はその限りある資源を職人の技術で有効利用することで有名となっていました。銅と鉄の品質は世界最高で、その武器は最も鋭く、紙の技術は世界一の水準だったのです。(日本がヨーロッパにあこがれあるのと同様に西洋にも日本へのあこがれがあるのです、イギリスのハローズ百貨店の一番人気がハロキティちゃんコーナーに変化しているのです)
(2)過去唯一経済成長がとまった江戸時代(享保の時代)に学べば
①弥生時代、縄文の乾田から湿田になり、そのための治水や高床倉庫もつくられその高い生産力を背景に各地に民族国家が生まれました。大和朝廷設立は帰化人の鉄器から鍬など農機具の進歩で飛躍的に進んだ生産力を独占し集権化が進んだ結果です。平安時代、荘園として各地で生産力向上、特に百姓と呼ばれる理由の100の仕事をつくりだしました。口分田制度から、8世紀新田開発で富豪農民も生まれだます。9世紀末からこの富豪が自分の田んぼを守るために作った武装集団が鎌倉幕府の武家社会の成立と商品経済の発達、鎌倉時代から荘園の年貢が貨幣で納入増え、為替の制度が生まれます。室町時代、京都は政治の中心で、武士が集住し多くの僧侶を擁していたため多くの商人や職人が住み商工業を発達させました。農村では牛馬が広く利用、二毛作は東北まで、畿内では三毛作まで行われ、農業生産の発展。さらに戦国時代の織田信長は、経済の自由化をすすめました。江戸時代にいよいよ新田の開発の余地がなくなり、エネルギー成約もあり人口3200万人で止まり、経済成長がとまることに。
②江戸時代、経済成長が日本で唯一止まった時期に、豊かさの内容である文化と各藩での名産品を作り出した歴史に学ぶ意義は大きい。日本は鎖国体制の中で、資源と人口のバランスということを世界で一番早く理解して対策を考えた国といえます。華やかな元禄文化から厳しい享保の改革に移行したのはこの問題に直面したからです。そこから生まれた江戸文化は、あまりお金のかからない市民生活の中でいかに多くの娯楽を育て、人々が楽しく暮らしていけるかを追求したものでした。質素倹約とのびのびした市民生活の両立をはかったのです。当時のお花見も、朝顔づくりや菊づくり、浮世絵、俳句や川柳も落語も気楽でお金かからないものでした。(神奈川のタイジ㈱は「おもてなしの心」の理念を世界に売っています。)
(3)日本人の力とは
①三方よしを引き継いだのが江戸時代の大坂の商人でした。儲け主義でなく、「近江商人の三方良し」の歴史を受け継ぎ、自分の為に儲けるのでなく、「後世のために」と「地域がよくなるため」にお金を使ったからです。そのもとになったのが教育であり、その一番の典型が寺子屋です。寺子屋が日本の識字率、数字に強くなった原因といわれていますが、さらに18世紀前半に私塾なのに夜学ででっちはただの教育をした懐得堂や適塾から多くの人材を輩出しました。また大阪の川の浚渫や橋の建設にお金を使ったことです。後世の為がよくわかるのが家訓です。これが経営理念になったのです。この教育に力を入れ、「五方良し」の経営理念をもつ企業づくりです。(教育の力は同じく90年代のバブル崩壊からの立て直しをはかった北欧のデンマーク・スエーデンなどの人間力を上げる取り組みと共通です。)
②日本のものづくりの崩壊は、渡辺京二氏の「逝きし世の面影」に描かれたように、江戸時代から明治にかけての外国人から見た日本は、「この箪笥とちゃぶ台しかないが、みんなが幸せそうに生活している日本人に西洋の物質文明を押し付けていいのだろうか」の声に代表される。その職分をもって「商店主の人格化」をおこなっていた様子を見事に描いていますが、酒屋・下駄屋・草履屋・ランプ屋・瀬戸物屋をはじめ驚くほど半端でない「雑多で充溢」な多様豊富な職業、事業、職分があった文明が滅びたことによるのです。もう一度モノづくり日本を再生するには職分の復活が新しく必要です。
<本当に地域を良くしたいという企業が生まれるには、同友会運動の積み重ねから到達した「地域や他社も良くしないと自社も良くならない」ということが学べる同友会だからです。歴史や文化も含めた地域づくりが全国の事例も含めて学べる同友会だからこそです>
<4>地域の未来を担うのは
(1)グローバル循環と地域循環の調和が求められる
①日本の大量生産・大量消費・大量廃棄の時代は終わりを告げています。これまでの経済構造が破綻し、経済構造を変えていく大きな転換点を迎えています。サービス経済化の時代は規模追求ができないので、ローカル循環を軸にして国内市場に生かしていく新たな循環をつくる、つまり地域資源を活用して地域でお金が回る地域循環をつくりだすとともに、地域・日本の魅力を生かして外からお金を稼いでくるグローバル循環の2つが必要になります。地域で生きることを支える地産地商の中小企業を多く生み出すと共に、心の豊かさに対応した海外の人があこがれる産物をつくりだす新たなグローバル企業を創り上げることが必要な時代となっています。
②現状の社会では「持続可能でない」ため、このままでは社会そのものが成立しえなくなってしまいます。現状の社会を成立させている社会システムを変更しなければなりません。社会システムを変更するのは、社会の構成者です。中小企業にとって地域は企業活動の中心であるばかりでなく、そこに住む人々とともに生活の一部となっています。地域を単に市場としてのみ見るのではなく、また雇用の源泉とだけ見るのではなく、人が生活する大地であり、生きる上での糧となる水であり、空気であり、食料を互いに供給しあう場とみなければなりません。従って、地域の政治、経済、産業、文化と永続的に関わり、貢献するのは当然のことであって、地域の諸問題についても解決する努力と行動をすることが中小企業に与えられた使命であり、地域循環をつくりだす力となるのです。
(2)地域に根ざした物づくりは中小企業に適した分野
①日本の大企業はロットが大きな価格競争力が中心です。ドイツと比較して輸出単価が違います。ドイツの場合はロットで勝負ではなく、高度な技能熟練を必要とするか、ステイタスシンボルになるようなものを作っています。ですから作った場所が問題になります。メルセデス・ベンツのS クラスを中国で作って半値で売っても誰も買いません。持続可能な国づくりという場合に、メイドインジャパンで勝負できるような開発、地域に根ざす、国に根ざす、ということです。逆に言うと、そういうものは中小企業や日常消費財の分野での方がやりやすい。対先進国の二国間貿易で見ると、フランス、イタリア相手の貿易では日本は赤字基調です。フランス、イタリアから何を買っているかというと、食料品や雑貨、ファッション製品などです。これらはロットは小さいですがかなり高価なものです。メイドインフランス、メイドインイタリアになっていますが、日本の場合、そういうフランスやイタリアが得意の分野が、コストの論理で輸入産業化してしまっています。
②本来ローカル循環で国内資源を生かすべき「食」と「住」の分野が再構築できるかどうか大事な課題です。これは震災復興とも関わっています。その分野を放棄してきたので、そこが復活すればかなりの雇用と所得が確保できるということです。そういう意味で21 世紀はグローバル循環とローカル循環の二本足体制をどう作っていくかが課題になってきます。地域の個性を活かした形で地域を重視していく、21 世紀の日本経済再生の道筋は、地域内循環力を高めていくことです。
(3)地域内循環型経済を担うのは、多くは中小企業です
人をつくる中小企業が、地域をつくる存在であった。
①現在の日本の現状を変えるのに必要なのは「人が生きていける、暮らしていける」地域をつくることです。このためには、地域を経営していくという観点が必要になってきています。葉っぱビジネスで70歳以上のおばあちゃんの年収が600万として有名な、徳島県の上勝町の「いろどり」では高齢者が生きていける組織づくりが地域づくりとなり現在若者が帰ってきています。北海道の帯広では「北の大地に人を残す運動」が取り組まれています、子どもたちの父母や教員、教育委員会等と手を携えて2000年に地域教育協議会を結成しました。父母や教員も地元企業にインターンシップをするのが何よりの特徴です。共通認識になっていることが「大きい農業でも働く場としては弱い、若い力を地域で残すこと=地域で子供の働く場をつくること」です。
②今、若者の生きづらさが目立っています。心に傷を負った精神に障害を持った若者が増えています。そこには家庭の崩壊や、学校不適応があります。かつて1965年には「勉強したい」という子どもは65%いたが、2005年には25%に減っています。その根底には、「自尊感情」を持てないでいる日本の子どもの姿があります。ここでいう「自尊感情」とは自分の能力に対する確信「自分にもいいところがあるんだという誇り」のことです。日本の生徒の学力が低下しているとPISA(OECD生徒の学習到達度調査)が持ち出されています。PISAで注目されているフィンランドの教育が成功した背景は一言で言えば、参加して学ぶこと。和歌山の「麦の郷」は障害者の居場所づくりから、クリーニング、コロッケづくり、コーヒーの焙煎から葬儀場まで幅広く地域の人が必要な仕事づくりに挑戦。
③何故、地域が大事であるのか、自立型企業は世界のどこでも通用する企業ですが、その自立を実行し、企業を支えているのは「人」。この人が生きていける、暮らしていける、人間らしく生きていけるのが地域です。(土地だけが地域ではない、商圏を含む関係する人間がいる所が地域です)。リーマン・ショックへの対応の教訓は、雇用を守ると宣言した経営者の姿勢(エイベックス加藤さんのように)が明暗をわけたことです。大震災で何もかも無くなったのに立ち上がったのは、社会的使命を認識した経営理念をもった経営者です。それができたのも協力して再建目指し地域のために働く社員がいたからです。自立型企業が連携して新しい仕事をつくり出して、地域に雇用を生み出し、雇用を守りきれる経営基盤が地域なのです。
④国内で生きていく人々にとって、国際的競争力を持つ大企業の存在価値が問われる時代です。資本主義の論理や成長至上主義では、生活者に苦痛をもたらすしかないのではないでしょうか。国内で生きていく、暮らしていくには、生活者の視点での地域重視の経済をつくり上げる必要があるのではないでしょうか。「暮らす・生きる・人間らしく生きる」には中小企業の存在しかないというのが結論です。
<心の豊かさを創りだせる企業を連携の力で広げて、初めて地域に産業が生まれるのです>
(4)文明型から文化型経済へ
物の豊かさの追求の「文明型」から心の豊かさを追求する「文化型」に変更していくことが今の問題点を解決する道です。この観点で、地域や企業に残っている文化を見直し、職分を生かした「使い捨てでないもの」「完成品でなく消費者が組み立てられる自由なもの」などをつくり、販売でも「見ていても使っても楽しい」、人間を幸せにするような新たな生活文化を起こす時代にきているのではないでしょうか。中小企業が未来の生産や時代を担う社会にしていかなければなりません。衣食住は民族文化を示すものです。企画開発と物づくりで機能の本質性を追求し、それに文化の味わいを載せていく、それが欧州ではフェラーリ、ベンツなのです。日本はここまで技術のレベルが高く、キリスト教文化圏とは違った全く違う発想を持つ連続性の文化を持っています。キャッチアップが終わった今、日本の発想、価値観、文化、ライフスタイルにもう一度自信をもつことが重要です。国民の文化度、消費のレベルを高めないとできません。使い捨てライフスタイルから使い尽くし型スタイルへの転換に向けて、企業も客を育てながらレベルを高めていくことが必要です。(山形の佐藤繊維さん地元の紅花使った紅花スカーフ20万円で現在販売に)
おわりに
1、人間の復興が地域の復興
①関東大震災での福田徳三の「人間の復興」論の言葉「私は復興事業の第一は、人間の復興でなければならぬと主張する。人間の復興とは、大災によって破壊せられた生存の機会の復興を意味する。今日の人間は、生存する為に、生活し、営業し労働しなければならぬ。即ち生存機会の復興は、生活、営業及労働機会(此を総称して営生の機会という)の復興を意味する。道路や建物は、この営生の機会を維持し擁護する道具立てに過ぎない。それらを復興しても、本体たり実質たる営生の機会が復興せられなければ何にもならないのである」。が今の日本に求められているのです。
②生存の機会の復興です、大震災の後の対応のあやまりを関東大震災の時に指摘されています。それが人間復興であり、すでに中越地震のときに山古志村の人が具体化しています。全村避難では2回仮説住宅を引っ越し、2回目は集落ごとに前の単位にあつめていく、阪神の教訓からの孤独死をなくす、だから地域単位であつめ集会所つくり、村に帰ろうという計画を作ったのです。さらに高齢者世帯はローンをくめないので、被災者の大工が公営住宅をつくっていく。生活と特産品づくりを仮設住宅でつくり、生産販売していく。雪下ろし隊を組織して、復興需要が地域で循環していく、このように生活の場と働く場の2つを作って3年後に7割の人が村にもどれたのです。
2、地域で仕事と雇用をつくれる企業が地域を担う
①仕事を地域に本当に作っているのは誰でしょう。大企業や大手のチェーン店は儲かる間は地域に雇用と物を提供しますが、人口減になると撤退します。地域に生きる場を提供しているのは今回の大震災の事例を見ればあきらかです。特に現在まだ人口が7割しか戻っていない南相馬市を見ればこのことは明白です。地域に生きること暮らすことを支えているのは中小企業なのです。<人口減少の今地域に企業があるだけで地域貢献の時代です。現在南相馬のフレスコキクチさん住民からの圧倒的信頼で住民7割なのに1割売上増になっています。>
②今「国際競争に勝つのが正しい戦略なのか」「経済を成長させるのが国の役割か」など、何が正しいのか根本から考えていくことが必要な時代です。企業でいえば「だれにとって良い会社であるのか」が問われなければならない。地域で新しい仕事と雇用を創り、社員やお客さま、地域社会にとって「あの企業があって良かった」と言われる良い会社をめざすことが求められています。この企業づくりを進めているのが同友会運動です。
③そして、それぞれの企業が新しい仕事づくりに取り組むにあたって、危機感をもって地域を見つめ直すことから始め、地域の強み弱みの分析から、強みを生かし・弱みを強みに変える工夫が企業の強みになり地域に新しい仕事と雇用を生み出すことに繋がります。自分の企業をよくする、強くして雇用すること(帯広の柳月さん毎年50人雇用)、それが地域をよくすることになります。経営環境を改善することがお客をつくることにつながります。だから同友会の三つの目的を総合実践するのが現在の同友会運動です。中小企業の力が地域活力の源です、中小企業憲章・中小企業振興条例運動は経営環境をよくすることだけでなく、三つの目的の企業づくりそのものとして全国で取り組んでいるのです。
<シンポジゥム「日本人は日本列島でどう生きるのか」2013年3月17日>