寄附講座中毒 浜通りの医療の置かれた状況1/3
寄附講座
寄附講座とは、本来、民間企業や行政組織などから大学や研究機関に寄付された資金で講座を設置し、研究活動を行うことであるが、医学部の寄附講座の主目的は研究ではなく、医師確保である。資金を出して寄附講座を設置し、そこから医師を派遣してもらう。全国に広まっているが、大半は自治体からの寄附である。いわき市による福島県立医大の産婦人科寄附講座は、派遣医師の給与込みで年間5000万円を支払っているが、少なくとも、常勤医師の磐城共立病院への派遣は1名だけである。東北大学への寄附講座では、派遣医師の給与は病院持ちで、それ以外に大学に寄附を入れているという。
いわき市の人口は福島市より大きい。福島市では他の医療機関も充実しており、福島県立医大の診療規模は必ずしも大きくない。磐城共立病院が3次救急病院として、地域の基幹病院の役割を全うするとすれば、望ましい診療規模は福島県立医大より大きくなる。大学の医局も医師不足である。近隣の特定大学に頼っても、必要な医師数は確保できない。全国規模で医師を集めるしかない。
佐賀県の古川康知事は、寄附講座を「喫緊の課題にスピーディーに対応できる効き目の早い薬のようなもの」(西日本新聞2010年3月30日)と表現しているが、薬に例えるとすれば覚せい剤ではないか。使用すると最初は元気になるが、やめられなくなる。長期に使用すると健康をむしばむ。
そもそも、寄附講座で医師数が増えるわけではない。A病院が医師を確保すれば、B病院から引き揚げられる。寄附講座中毒が蔓延し、通常の医師派遣が寄附講座に置き換わる。医師の確保に多額の費用がかかるようになり、病院経営の経済合理性が失われる。病院が特定大学の支配下にあると見なされると、他の大学出身者は差別されると考え、全国的な医師募集をしても応募者が集まらない。寄附講座に頼ると、中長期的には病院の勤務医師数が減少する可能性が高い。同時に、地域で頑張ろうとする医師の士気を低下させる。
寄附講座は、弱い事業者から金を取り上げ、さらに派遣した労働者からピンはねをするやくざのように見える。労働法上、許されることではない。これが全国に広まったのは、日本の医学部指導層の知的、倫理的退廃と個人としての弱さを示す。集団になれば、何のためらいもなく破滅的な行動をとってしまう。太平洋戦争当時の日本の指導者と同じである。
いわき市のシンポジウムでの講演録を読んでいただくにあたり、「寄附講座」を念頭に置いていただくと現実が見えやすくなる。
I 東日本大震災での亀田総合病院の浜通りとの関わり
亀田総合病院は東日本大震災で浜通りの被災者を支援した。透析患者45名+16名とその家族、病院職員を南房総に受け入れた。老健小名浜ときわ苑の丸ごと疎開作戦を立案し、利用者120名と職員50名をかんぽの宿鴨川に受け入れた。磐城共立病院の人工呼吸器装着患者8名を亀田総合病院に受け入れた。福島県社会福祉事業協会の知的障害者施設9施設の利用者約300名と職員100名を鴨川青年の家に受け入れた。南相馬市立総合病院に医師1名、リハビリ職員2名を派遣した。南相馬市での医師募集を立案・支援した。
私は、すべての作戦に深く関わった。福島県の医療介護提供者、政治家、行政とさまざまなやり取りがあった。いわき市のときわ会は透析患者と小名浜ときわ苑を送り出し側の主体だったので、接触が大きかった。ときわ会の責任感と行動力には感銘を受けた。しかし、浜通りと深くかかわるにつれて、地域の問題点も目に入った。不快にさせるかもしれないが、正直に認識を伝える。
II 震災以前の福島県の医師供給の状況
県立医大関係者との対話(わかりやすくするための変更あり)
県立医大関係者:従来から、福島県の医療人事は県立医大の一円支配とは程遠く、中通りの大病院は東北大学、会津は、新潟大学と東北大学、南は東京の諸大学から多くの医師が派遣されており、奥会津は自治医大の医師が医療を担ってきた経緯があります。それらの大学が医師派遣のパワーを失って、医師が引き上げられたために、県内が医療過疎になった側面があるのです。県内の主たる医療機関も多くは、県立医大の意向に関係なく、医師を雇用しているのが以前からの現実です。ただし、南相馬を含む限られた地域が、県立医大に人事面で依存してきた訳です。それらの地域は、言い換えると仙台、東京、新潟などから医師のリクルートが困難だった地域で、いくら努力しても医師の補充に失敗した原体験があるのだと思います。前者では、県立医大の一円支配などもともと笑止であるし、後者では県立医大と離れて医師補給が恒久的に可能なことが実感できないのだと思います。勿論、県外との協働は期待していますが、今まで成功体験がないので、疑心暗鬼なのです。一方、県立医大も、特に我々の医局などは、そのような病院を一円支配するメリットは何もないのです。
福島医大も、来年度の医師の補充は困難な上に、若い医師の中には立ち去りの兆候も見えている程で、体力を徐々に失っている(来る)と思います。したがって、福島医大は、余力が十分にあるにも拘わらず、浜通りの医療機関を支援しないという構図は正しいとは思えません。
筆者:おっしゃる状況は私も十分に承知しています。それをなぜ県内に説明しないのですか。余力とメリットがないので医師は派遣できない、支配するつもりはないと。このことは説明しないでも、分かってもらえるのが当然だというのは無理があります。逆に一部の医局は体力がないにもかかわらず、支配を維持しようとしています。
県立医大関係者:特定の病院に派遣しないのは、我々の力量と方針の問題であって、メリットで決めている訳ではありません。メリットがないから派遣しないという言い方は侮蔑的です。
筆者:メリット論は私のオリジナルではありません。先生からの以前のメールにあったことです。本音だろうと思いました。悪いことではありません。
県立医大関係者の以前のメール:県立医大ですから地域の医療を守るという使命は認めますが、エゴイスティックに言えば医局からそれでなくても少ない医師を無理に派遣するメリットが特にないのも事実で、震災前から頼まれて仕方なく派遣するという対応に慣れてしまっているのは事実です。医師不足ですから、医局員のアイルバイト先には困る訳でもありませんでしたから。
筆者:自分の利益を主張するのは、悪いことではありません。ルールとして極めて明確です。「医局の利益が行動原理。支配しない」とさまざまなところで伝えるともっとフェアな態度になります。個々の事例についてはその都度、派遣できるかできないか諸事情で決めればよいと思います。メリット、デメリットを比較検討すべきです。当然、断ることもあるでしょう。個々の事例で、断る理由、背景まで説明する必要もないと思います。ただし、他と交渉するのを阻止してはなりません。先に書いた循環器内科の問題、引き上げるが他から採用してはならないという事例が、地域の病院にのしかかっていることが問題です。これについて、いけないことだと説明して、それを行動で証明しないと同じことをするのではないかと思われても仕方がないと思います。後始末の必要な不祥事です。放置すると福島県立医大の将来に関わります。
医大関係者:福島医大の多くの人が知らない一医局の行為で、福島医大の構成員全体の責任だと言われても対処の仕方がありません。まず、全学的に問題になる(する)とすれば、知識や情報を共有することが前提です。
「医師参入障壁としての医局 医師を引き揚げるが、他から採用することは許さない」
上記対話の後、私は情報を共有してもらうために、「医師参入障壁としての医局 医師を引き揚げるが、他から採用することは許さない」(MRIC by 医療ガバナンス学会. メールマガジン; Vol.368, 2012年1月16日)を書いた。
震災の前、南相馬市立総合病院から、心臓カテーテルなどの技術を持った循環器内科の医師が、福島県立医大の医局に引き揚げられ、地域の急性心筋梗塞患者に対処できなくなった。困った院長(金澤院長)が、県外の病院に医師の派遣を依頼した(仙台厚生病院の目黒理事長)。仙台厚生病院で希望者を募ったところ、赴任してくれる医師が見つかり、話がまとまりかけた。ところが、福島県立医大の医局から横やりが入った。他から採用することはまかりならぬという。南相馬市立総合病院は泣く泣くこれに従った。しかし、私が文章を書いた2012年1月に至るまで、循環器内科医は欠員のままだった。
この参入障壁の文章に対して、福島県立医大から反論はなかった。内部で議論が生じた気配もなかった。議論相手も沈黙したままだった。福島県立医大は不祥事の後始末をしていない。当然ながら、未解決の不祥事として、ことあるたびに持ち出されることになる。
医局はやくざ組織に似ている
個々の医局は独立した医師人事システムである。全体として日本最大の医師人事システムである。日本の多くの病院は、医師の供給を大学の医局に求めてきた。医師の派遣主体は、大学ではなく、個々の医局である。医局は、自然発生の排他的運命共同体であり、法による追認を受けていない。やくざ組織に似ている。外部からのチェックが効きにくいため、何でもありの原始的な権力として行動する。派遣病院は縄張りとして、医局の支配下にあるものとみなされる。医局出身者以外、あるいは別の大学から院長を採用したり、他の医局の医師を採用したりするだけで、医師を一斉に引き揚げることがある。全国で、医師の供給を大学だけに求めてきた病院が苦境に陥っているのは、医局員の数がニーズに対し相対的に減少したことに加えて、医局が医局外の医師の参入障壁になっているためである。
2014年9月4日 MRIC by 医療ガバナンス学会