欧州ソブリン危機と金融機関の対応
2010年1月のギリシアの巨額財政赤字表面化に端を発した欧州ソブリン危機は、ユーロシステムの構造的欠陥に加え、ユーロ圏諸国の対応の遅れもあって深刻さを増している。こうした欧州の経済大混乱に関する米国金融機関および規制当局の対応を探るべく、ボストン郊外で開催された日米官民金融・資本市場シンポジウム(Symposium on Building the Financial System of the 21st Century: An Agenda for Japan and the United States, Harvard Law Schoolと国際文化会館共催)参加の機会に、銀行・証券・投資ファンド等の米国金融機関およびニューヨーク連邦準備銀行を訪ね、旧知の人達と意見交換を行って来た。
私の関心事項は、欧州ソブリン危機が米国金融システムおよび同経済にどのようなインパクトを与えているか、またこれを受けて米国規制当局は如何なる政策を取ろうとしているのかの2点である。
意見交換の結果を予め要約すると、①米国金融機関は、資産規模を縮小し(Shrinkage)、流動性管理(Liquidity Management)に一段と意を用いており、②規制当局はリーマン危機後の規制強化立法の施行に向けて粛々と手を打っている(Severe Regulation)、③米国の経済社会全般としては、財政赤字削減策の最終的帰趨不明および金融規制の詳細不透明から、先行きに関する不確実性(Uncertainty)が強まっており、生産・投資の両面で悪影響が出ているとのことである。
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欧州ソブリン危機の影響
米国で最も長い歴史を持つ総合金融機関では、「欧州ソブリン危機の影響は、南欧諸国へのエクスポージャーが、自己資本と対比で小さいため、限定的である。もっとも、イタリアまで危機が拡大した場合には、話は別」との判断を示している。さらに、ニューヨーク連銀のExecutive Vice Presidentの一人は、「グロスベースのBIS統計でみると、米国大手銀行の対欧州エクスポージャーは相当の規模に達しているが、債権・債務両建てとなっているか、CDS市場でリスクヘッジしているため、ネットベースでみると、大きくはなく、影響は限定的。もっとも、CDS市場およびローン市場等の金融市場が機能不全に陥ると、グロスベースのエクスポージャーの大きさが表面化し、事態は一挙に深刻化する」との認識を披歴。 -
資産縮小の動き
世界最大級のプライベート・エクイティー・ファンドの最高幹部は、「当社は、金融・資本市場の先行きに警戒の念を強く持っており、資金調達に齟齬が生じることを惧れ、本年7月以降、一部の資源開発案件を除き、新規投資を一切停止している」と言明していたし、規模・パフォーマンスの両面でトップクラスの資産運用会社のエグゼクティブも、「欧州の金融機関が、資産売却に走るのは当然ではあるが、米国の金融機関も、厳格かつ膨大な金融規制法(Dodd-Frank法)[注1]の施行を先取りして、資産圧縮に努めており、Shrinkageが仲間内での合言葉になっている」と言い切っていた。この両社は、投資をすることが、本業であるはずにも拘らず、それを手控えると明言していた点が強く印象に残った。
[注1]リーマンブラザーズ破綻を契機として生じた金融危機の再発防止の観点から導入された金融規制立法。2010年7月成立。
この間、本邦メガ銀行ニューヨーク支店トップも「欧州ソブリン危機の影響は当行には及んでいないが、万が一、市場からのドル資金調達が困難化することを警戒して、資産拡充には、慎重な姿勢を持している。資産圧縮を迫られている欧州の一流銀行からは、航空機リース、プロジェクトファイナンス等の優良資産の購入依頼が殺到しており、資産積上げの絶好機とは思いつつも、じっと我慢している。当行の長期戦略に合致するアジア諸国優良企業向けの短期貸出のオファーがあれば積極的に買っていく」と発言。
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流動性管理への関心の高まり
上述のプライベート・エクイティー・ファンドの経営者は、「欧州ソブリン危機の影響でMF Globalという証券会社が破綻したが、その原因として、南欧国債への集中投資に加え、金融市場での資金調達難が挙げられており、市場参加者は、流動性リスクの怖さを再認識した」と指摘している。また、ニューヨーク連銀幹部によれば、「米国金融機関は、運用資産面での信用リスクよりも、調達面での流動性リスク管理に高い関心を払うようになっている」とのこと。 -
金融規制強化の動き
SECの前委員(Commissioner)の一人は、「Dodd-Frank法は、条文数2000余、849ページから成る膨大な法律で、35万語が費やされている(因みに聖書は18万語)。内容的にも、銀行・証券・保険・ファンド・格付会社等広範な金融主体を対象として、デリバティブ取引の集中決済、銀行による金融商品自己勘定取引の禁止等多種多様に及んでいる。施行に当っては、67の実態調査を行い、243の施行規則を制定することになっているが、施行後1年3か月が経過した本年10月末においても、実態調査が終わり施行規則が制定されたものは、105に止まっている。こうした施行の遅れに加えて、立法過程における議事混乱を映じ、法律の規定文言自体に不明確な個所が多いため、デリバティブおよびVolcker Rule[注2]関連を中心に、規則の段階でも明確に規定し切れていない条項も多く、不確実性は却って増大している」と規制立法の問題点を鋭く指摘している。
[注2] 預金保険で保護された預金を受け入れる銀行に対し、金融商品の自己勘定取引およびヘッジファンドへの関与を禁止
資産運用会社の上級幹部を務めている規制当局出身者は、「当局は、資本の積み増し、流動性管理の強化、ガバナンスの充実を強く要求するのみで、金融機関収益へのインパクトおよび金融産業の発展については全く考慮していない。この点が、従来の金融規制とは大きく異なる。」と批判的。
また、別の規制当局OBで、国際的に著名な法律事務所の幹部は、「FRB、SEC等の規制当局は、サブプライムローンおよびリーマンブラザーズの処理を誤り、金融危機を引き起こした責任を回避するため、議会での厳格な規制立法に便乗して規制強化に励んでいる」とこの間の事情を説明するとともに、「Dodd-Frank法は、重要部分が未だ施行されていないが、法律が制定されただけで、規制懸念から金融活動にマイナスのインパクトを与えている。ヘッジファンドおよびプライベート・エクイティー・ファンドは、銀行からの借入れが困難になっており、活動に制約が生じている」と厳しく批判している。
SECとの折衝を専門とする法律事務所の弁護士も、「SECは、議会から大幅な予算制約を受けているなかで、Dodd-Frank法の施行規則作成に追われており、長期的な展望の下で資本市場の発展を構想する余裕はない。議会からの突き上げも激しいため、証券業界に対しても、厳しい姿勢で臨んでいる。さらに、シャピロSEC議長は、資本市場についての信念・哲学はなく、問題対応型の人物である」と、SECの置かれている状況に同情を示しつつも、規制強化の先行きに悲観的。
加えて、規制対象である大手米銀幹部は、「欧州ソブリン危機が米国における規制強化の動きに拍車をかける惧れが強い。主要国の規制当局の間では規制逃れを封じるため、各国間で、規制のレベルを合わせる動きが強まっている。このため、米国での規制強化の動きは、やがて日本にも跳ね返ってくる」と指摘したうえで、「今後、MF Globalの破綻を契機に、利益相反の動きを封じる見地から資産運用業務(Asset Management)と資産管理業務(Custody Service)を分離しろとの規制が導入されることを懸念している」として資産業務が、相当な収益源になっていることから、分離に伴う悪影響を懸念。
さらに、トップクラスの投資銀行の幹部も、「Dodd-Frank法では、リスクが高いとされる商品・株式関連のスワップ取引を、本体から切り離すことが求められており、スワップハウスとしての機能低下とコスト負担増が生じる」と不満を強めている。
これに対し、規制強化の一端を担うニューヨーク連銀では、「Dodd-Frank法は、膨大な規制立法だけに、施行規則の作成負担は極めて大きいが、粛々と行うだけ」としているものの、「新法においても、銀行に比べて規制の緩いヘッジファンド、プライベート・エクイティー・ファンド等の“シャドーバンク”業態の健全性が気になる」と規制の有効性に関して疑念を呈している。
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経済全体に不確実性懸念が蔓延
プライベート・エクイティー・ファンドの経営者は、「Dodd-Frank法の実施内容が不透明であることに加え、財政赤字削減を巡って連邦議会において民主・共和両党の対立が激化していることから、企業家に不確実性懸念が強まっており、投資意欲は、大幅に減退している」と米国経済の先行きを憂慮。
また、ニューヨーク連銀・財務省の上級幹部を歴任し、現在は世界有数の資産運用会社で経営の任に当っている人物は、「米国経済は、住宅バブル破綻からの回復過程にあり、個人消費、住宅投資、企業投資のすべてにおいて低調。立ち直りは、企業の設備投資が更新投資を切っ掛けに回復していくことしかない」と、長期に亘る不冴え局面を予想している。
本邦証券在米拠点の責任者は、「規制の強化および政治体制の動揺から、投資家は極めて慎重となっており、資本市場全体の拡大は見込めないので、当社は、米国でのビジネスを、外国為替、不動産投資信託、米国財務省証券および資源開発関連株式引受等に重点を絞って抑制的に運営していく」との経営方針を持している由。
日銀ニューヨーク事務所でも、「財政赤字の削減に関しては、共和党は増税反対、むしろ、減税による成長促進を主張している一方で、民主党は、金持ち増税に踏み切るべしとしており、両党対立の根は深い。これが、不確実性への懸念を呼び起こし、経済に大きなマイナスインパクトを与えている」と分析。
さらに、国際的に活動している大手法律事務所で、長老役を務めている元ニューヨーク連銀幹部は、「Occupy Wall Street運動は職のない若者主体に展開されており、社会的には注目されているが、政治的な力はない。むしろ、減税・財政支出カットを主張するTea Partyの方が、共和党内に同調者も多く、政治的には無視できない。オバマ大統領を社会主義者とみる人は、米国内に多く、再選は難しいかも知れない」として、先行きの政治不安定を予想している。
同じ時期に開催された日米官民金融資本市場シンポジウムでは、公的債務累増と金融規制強化を中心テーマに、日米両国の金融関係者、法律家、企業会計専門家および政策当局者が、2泊3日の合宿形式で熱のこもった議論を展開した。
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公的債務累増と資本市場へのインパクト
米国からの参加者の眼には、日本における“銀行セクターへの国債保有の集中”が奇異に写るようで、その原因、今後の見通しに質問が集中した。さらに、同一カテゴリーに国債保有が集中していることが、将来、市況暴落を招く惧れがあるのではないかとの懸念を表明する向きが多かった。また、日米両国における財政再建案に関しても、様々な角度から議論した。
その主な論点は次の通り。-
長期的な財政再建路線を堅持しつつ、目先の財政による景気回復支援を如何に運営していくか。
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不況期に財政再建を強行すると、景気回復を妨げ長期的にもマイナスの影響が大きくなる。
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財政支出と減税はどちらが景気支援策として有効か。
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中長期的な成長促進のためには、重点的なインフラ整備および構造改革が有効ではないか。
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金融規制強化は、金融システムの安定性に有効か
本テーマについては、バーゼルⅢで提起されている自己資本の充実・流動性管理に関しても、意見交換が行われたが、議論は、Dodd-Frank法で規定されているVolcker RuleおよびLiving Wills(生前遺言のこと、金融システム上重要な金融機関は、破綻の危機に予め備えておくため、回復・破綻処理計画[Recovery and Resolution Plan]の策定が義務付けられている)の妥当性・有効性に集中して展開された。
Volcker Ruleに関しては、①銀行救済のための公的資金の投入を本当に回避できるのか、②そもそも自己勘定取引は、銀行が行うべき取引ではないと言い切れるのか、③禁止の対象となる自己勘定取引の定義が大変難しいし、分別管理するコスト負担も無視できない、④金融機関のタイプ毎に取るべきリスクの種類を区分することが適切と言えるのか、等々の数多くの批判が提起された。
また、Living Willsについても、①金融機関が破綻した場合に実際に役に立つのか、②その策定に要するコストに比べて、便益は少ないのではないか、③普段から破綻計画を練っておくことは、経営の効率化に有効という議論があるが、本当か、等その効果を疑問視する意見が多数表明された。これに対して、規制機関からの出席者は、対象金融機関に余分な負担を掛けないようにするので、本規制導入に協力すべきであると要請するのみで、同規制を積極的にサポートする見解は聞かれなかった。
Dodd-Frank法全般に関しては、これが連邦準備制度(FRB)の“最後の貸手機能”を阻害することになるのではないかと懸念する声も聞かれた。
最後に、欧州ソブリン危機および規制強化の動きの我国金融機関に対するインプリケーションを整理すると、次の通り。
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欧州ソブリン危機の我国金融機関に与える直接の悪影響は、米国金融機関と比較して、更に小さい。
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欧米の金融機関は、資産圧縮・リスク回避に努めていることから、我国金融機関にとってはROE較差縮小など、競争上相対的に優位な地位に立てるのではないか。
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今後は、彼我の競争の場は金融革新を追求することではなく、伝統的貸出業務における収益稼得に移る可能性が大で、邦銀がどこまで優位性を発揮できるか要注目。もっとも、我国規制当局に対しては、日本の銀行が競争上有利になることを避けるため、海外から同様に厳しい規制をすべきとの圧力が強まる惧れがある点には留意する必要があろう。
以上