HSBCは香港を見限ったのか

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英国最大手のHSBC Holdingsは2月14日本社を引き続きロンドンに置くと発表した。この問題は昨年から本社をロンドンとするか移転して香港とするか注目されていた。本件については後述するとして香港に近い広東省の最近の様子を調べてみよう。

#撤退でも苦労する日系企業
昨年だけでもパナソニックが山東省のテレビ生産から撤退、シチズンが広州の部品工場から撤退などが報じられているが(広東省では東芝、松下なども撤退している)大手だけでなく中小メーカーの撤退は続いている。(日系だけでなく、マイクロソフト、ノキア、ネスレなども一部工場の撤退を行っている)但し撤退は簡単ではない、シチズンの場合昨年2月頃広州市の時計部品工場を解散したとの発表があったが、その後従業員1,000人との雇用契約停止の手続きと会社清算手続きが長引いていた。この工場では時計の文字盤を造り日本ほか海外に輸出していた。同社の場合も人件費の急騰によるコストの上昇で生産体制の見直しを進め、解散後タイの既存工場に移転を計画していた。従業員の解雇に対する補償金額で揉めて最終的に補償金を上積みすることで解決したが、その後地方政府の動きも消極的で解決にはかなりの時間がかかった。各地でいろいろな紛争が生じている。地方政府としては雇用の喪失は大問題であり、日系企業の場合、地方政府からみれば新規の税金とかいろいろな名目でカネの調達には便利であったが撤退となると雇用と財源問題もありgo signを出さないという傾向にある。さて別の角度から最近の中国情勢を見ると評論家はいろいろな解説をするが目下の状態は習政権が実に微妙な綱渡りをしているように見える。今までは北京政府の管理のもと投資で経済を引っ張っていたが、消費主導の経済に移行するとなると問題は山積だ。更に金融市場の自由化に走りつつあり(地方政府、企業、個人の債務は巨額で)バブルからのhard landingの前に環境問題、格差問題、水不足など手付かずの問題を抱えすでに中所得国の罠に完全に陥っているように見える。一般に中国を食い扶持にしている人(日本の各企業とも中国ビジネスへの参入は欧米系に比べかなり遅く、ある時期までは大手日本企業は正式に中国政府から許可をとれなかったので、非友好企業とされdummy企業を造り活動せざるを得なかった)を中心に自然と中国のみに特化した人材が生まれた。彼らは中国以外での仕事はありえないので中国経済を語る場合中国政府の見解に同調するケースが多い。一方中国以外でも活動できる人材は中国経済の現状をかなり悲観的にみている。広東省ではスマホメーカーが乱立しているが、受託生産の最大手メーカーの話では深センでは毎年の急激な賃金上昇で従来の大量生産方式が不可能となり、同業他社が次々と倒産しているという。今までは更に広東省の田舎に工場を移転していたが、田舎でも賃金上昇で次はインドかインドネシアあたりに工場移転を考えているとの事。一般に日本など海外から広東省に入った人々は現在の状況は完全にバブルだと感じている。深センと同じような話は東ガンでも同様で特に自動車部品工場ではすでに自動車は過剰生産とみている。撤退ではないがホンダは武漢市での新工場の建設を見送った。車ではないがダイキンは家庭用エアコンの中国での生産量を2割減らし日本国内での生産に振り替えるという。人件費の値上がりによる戦略の見直しだ。

#習政権におもねる?
中国の最低賃金は各省と中央政府が協議して(実際には中央政府の意向に沿ったものとなる)引き上げ額などを決めているが中央政府は賃上げによって出稼ぎ労働者の不満を抑えてきた。ところが広東省など昨年まで全国域内GDP 1位で世界の工場として脚光を浴びたが、東ガン市などでは2000年初頭に最低賃金は400元程度であったものが昨年度は4倍となってコスト競争力は低下し撤退とか企業破産が続発している。そこで広東省は全人代に合わせ他省に先駆け最低賃金の凍結を決定した。更に中央政府に合わせ供給過剰の国営企業など2333社を整理すると発表した。香港紙などでは実現の可能性は低いとして広東省トップの習政権に対する追従ではないかと皮肉っている。また、東ガン市も北京で2020 planなるものを発表し、現在の1,300万人の人口を1,800万人まで増やし深セン、香港、マカオを結び巨大経済圏を造るとしている。これの背景にあるのは香港―珠海―マカオを結ぶ橋と広州―深セン―香港を結ぶ高速鉄道の建設だ。全人代の時期でもあり各地方政府もそれぞれ勝手な将来構想を掲げている。南部9省による香港、マカオを含めた一体構想なるものが出た。広西チワン族自治区、福建省、江西省、湖南省、広東省,海南、四川省、貴州省、雲南省の9省と香港、マカオの一体化構想だ。全中国の1/3の人口、1/3のGDPとなるとしているが1国2制は無視しているようだ。
国際格付け機関ムーディーズは3月12日香港の格付けを「安定的」から「ネガテイブ」に引き下げた。中国の経済・金融の不安定が香港の見通しを暗くしている。マカオは中央の節約令によって更に深刻となっている。

#HSBC
さて本題に戻って昨年来HSBCが本社機能を香港に移すのではないかと騒がれていたが、2月に従来通りロンドンに本拠を置くと発表があった。
2月16日の香港紙South China Morning Postによると本社機能とともに前回の本稿で解説したシンジェンダ の買収についてHSBCがadvisorとなり欧州とアジアのborder transactionの仲介役となると発表している。HSBCは1865年3月香港に設立され、4月に上海でも開設された。一方1997年の香港返還前1992年に英国のMidland Bankを買収する形で香港を脱出しロンドンに本社を移転した。ところが英政府の金融規制強化を嫌気し同社のダグラス・フリント会長はロンドンから海外への移転を2015年中に決めると表明していた。更に昨年7月頃からデリバティブ取引の業務拠点をロンドンから香港に移し始めた。深セン市前海金融ホールディングスと投資銀行業務で提携と中国重視のような政策をとり始めた。このころから対中政策で揺れ始めたのか12年から続けていた中国PMI(購買担当者景気指数)調査から7月に撤退した。HSBCの毎月のPMI調査は多くの人に支持され、調査対象が小企業を含む各地域に広がっていたため、そのあとに発表される中国国家統計局のPMIよりも中国以外では信頼されていた。PMIについては英調査会社マークイット(英国の総合金融情報サービス企業、ナスダックに上場している)と中国の財新(財新伝媒、金融・ビジネス情報を提供する中国メデイア)が引き継ぐこととなったがHSBCが中国本土に持っている支店以外の現地企業とのコンタクトの網は中国の大国営銀行の網より細かく、対外的にも信用を持たれていた。一方中国メデイアは共産党の指導に従うべく特に習政権になってから締め付けが厳しくなり、財新も中央政府の意向を忖度せざるを得ないのではないかとみられている。HSBCもこの点を危惧してPMI速報から手を引いたのではないかと思はれる。

#HSBCロンドン残留の真意は?
HSBCの香港移転説が流れた時は欧米当局が銀行に対する規制を強めた時期でリーマンショックのあとギリシャをはじめ欧州の金融機関は債務問題で大揺れに揺れたが、HSBCの場合はアジアに強く新興国で稼ぐパターンで利益面でも群を抜いていた。(HSBCの2015年決算で見ると税引き前利益=188億7千万ドルに占めるアジア部門の割合は83.5%と前年を上回っているが中国の成長鈍化、商品価格の急落もありアナリスト予想を下回った。一方英国は度重なる米・欧銀の不祥事に対し(HSBCもスイス部門が預金者に脱税の指南をしたとか、Private Banking部門が犯罪に関係した秘密口座を長年保有したなどが指摘されていた)ロンドンの優位性を守るため規制強化を行ってきた。これらの規制強化に対抗してロンドン以外に本社機能をという流れで説明する人もいるが、実態は中国経済の先行き不安から香港に本社機能を置く意味がないと判断したものと思う。
欧米銀行間の不透明な取引が指摘されていたが半導体大手の米クアルコムが中国高官の親族を雇用しこれが米国の贈賄防止法に違反するとして米証券取引委員会(SEC)に750万ドルの罰金が科せられた。この余波が大きくJPMorgan ChaseとHSBCも調査対象となった。HSBCとしては当局の規制から逃れようとの考えはあるものの利益源の中国ビジネスの将来に自信が持てなくなったことが根本にあると思う。

#1国2制度の激変
香港の旺角(モンコック)における暴動事件とか行政長官選挙に対する民主派のデモなどがあるとしても最近の習政権の香港に対する締め付けは1国2制を無視したものが多い。もちろん本土でもメデイアに対する締め付けとか大学での授業にまで共産党が指導するといったかなり過剰な演出がまかり通っている。(外交面でも南シナ海問題などで近隣国の憂慮を顧みずに勝手な発言をしている)
一国二制度(基本法)に対する北京政府のおかしな動きは下記の2例によって香港側を不安にさせている。
毎年末、行政長官は北京に行き国家指導者に対し過去1年の職務報告を行うのが恒例になっている。これまで香港行政長官は中国国家主席と並んで着席(各国国家元首と同じ待遇)していたものが今年は長いテーブルの先端に習主席が一人で座り、C. Y. Leung長官は習主席の斜め前に他の随行者・同席者と並んで座らされる形式となった。この方式は香港を国内の1地域とみているようなもので香港に対する優遇を疑問視する中国本土の世論への対応と見るべきかもしれない。要するに1国2制度について基本法のできた1980~90年代には中国側はone countryを声高く叫び、香港側はtwo systemsを声高に叫んでいた頃に戻った感じがする。香港側からみればデモや集会で中央政府に抗議することも基本法が保証する言論の自由であり中国政府が基本法に従わないとしばしば言うのは不可解なことだ。要するに北京政府は「一国」を強調し自治を尊重しないことを香港側は問題にしている。更に昨年末から起きた「Causeway Bay書店」関係者の失踪事件は北京政府の基本法に反する行為とみられている。中国の公安関係者が香港から拉致したとすれば重大な基本法違反でありこの事件の真相解明が待たれる。

#HSBCの判断
余談だがHSBCは日本との関係も深い。明治維新前1866年に横浜、69年神戸、72年大阪,76年長崎と支店網を広げ、明治新政府の貨幣の鋳造にもいろいろadviceをうけた。これらの判断は歴代のHSBCのトップの考えによるものだ。1997年の香港返還をまたいでSir William PurvesとSir John BondがChairmanとして活躍したが特にJ. Bondについては逸話が多い。英国では2/30年前まで大学出が銀行員とか一般の会社員になることは珍しく、BondもHSBCに45年いたが大学は出ていない。彼の経歴については色々書かれているが父親が船乗りで一緒にアジア各国を回り香港に落ち着いたとする推測記事を見たことがある。確かに英国では海外を回ることによって一階級上がった人も多い。おそらく彼の場合もアジア各地で研鑽しニューヨークのHSBCのトップに抜擢されたのではと推測する。
香港でトップとなってからも毎日退行するとき部下に部屋の電気を消して帰るように注意するとか庶民的な言動で人気があったようだ。いずれにしても半生をbankerとして最後には会長として活躍した人だけに筆者も何度も会っているが先を見る目は優れていたと思う。現会長も香港の将来について現状ではむしろ悲観的に見たものと思う。4月18日のSouth China Morning Postに“Beijing will send in troops if Hong Kong declare independence”という衝撃的な見出しの記事が載った。香港の大学の主催で香港の自立を目指す会派と北京に同調する会派の論争で独立を出張すれば本土は水も食料も供給を停止し軍を出動するというものだ。今のところ北京政府の高官は香港の利用価値を最大限利用している。これらの動きの中でHSBC幹部も香港の将来を洞察したのであろう。

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