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終わりの始まり: EU難民問題の行方(16)

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ヴィシェグラード・グループ諸国
(Source:Wikipedia photo)

イギリスのEU離脱問題(Brexit: Britain Exitk からの造語)が主要議題となった2月17日からのEU首脳会議は、なんとか妥協点に達したようだ。結果はかろうじてイギリスの離脱回避で合意が成立、EUの突然の分裂を防いだ形だが、6月23日のイギリスの国民選挙までのつなぎであり、波乱含みだ。すでにボリス・ジョンソン、ロンドン市長などが離脱に賛意を表明しており、選挙に向けて急速に議論が高まっている。

EU首脳会談についても、メディアの発達で、キャメロン首相の執拗なまでの折衝能力、この機会をEUの要求緩和に利用しようとする火事場泥棒的にもみえるギリシャの首相など、土壇場での慌ただしさが伝わってきた。しかし、そこにはEUが掲げてきた理想主義の色はもはやなく、なんとか分裂だけは回避したいという追い詰められた雰囲気しか伝わってこない。

大きく後退するEU
最大の焦点イギリスに関しては、EU域内からの移民について福祉給付制限をするなどのおなじみの議論が紛糾したが、最大の課題ともいうべき現在進行中のEU全域にわたる難民・移民問題は、政策上も目立った前進はなかったようだ。日本から距離を置いて眺めると、EUがかつての理想を失い、分裂寸前の末期的状況にあることがよく見えてくる。加盟国のいずれもが、自国の利益を守ることに忙殺され、もはや全体が見えなくなっている。

EUの分裂は実質的にもかなり進んでいる。いわゆるヴィシェグラード・グループ(Visegrad group, V4とも略称;ポーランド、チェコ共和国、ハンガリー、スロヴァキア)*は、すでにEUとメルケル首相が提示したEU加盟国が分担して割り当てられた難民を受け入れるという案に反対することで同調している。そして、ギリシャとトルコがEUとメルケル首相が提示する難民流入制限案を支援することが十分できないならば、バルカン・ルートの国境線をさらに強化すると宣言している。これに先立ち、ハンガリーのオルバン首相はドイツの難民への寛容な対応について、テロリズムと恐怖を拡大させると批判、反対している。ドイツ、フランス、スエーデンなど、難民・移民が目指す国々への道の入口に中東欧諸国という巨大な石が置かれたような状況が生まれている。中東からヨーロッパの中心地域へ向かう経路は著しく狭められた。

こうした中東欧諸国、V4グループの難民への閉鎖的な”Bプラン”(シェンゲン協定が破綻、特にギリシャが退出した事態への対案)をメルケル首相は、新たな障壁をEU域内に築くことになり、特にギリシャにとっては一層の危機的状況を作り出すと強く反対している。メルケル首相は難民受け入れをある程度許容する有志の国々が、なんとか少しでも受け入れてくれることを望んでいるようだが、その期待もきわめて厳しくなった。すでにスエーデン、フィンランドは、難民受け入れの限度に達したことを表明し、庇護申請の基準に合致しない者を送還するとしており、デンマークのように、移民から一定の財産などを徴収するとしいう国まで出てきている。

東部戦線」は混迷
冬の最中にもかかわらず、EUへ流れ込む難民・移民の数は顕著な減少を見せていない。移動が楽になる春以降、その数はさらに増加を見せるだろう。難民をめぐる状況は、このシリーズを書き始めた当時、ほぼ予想した方向で展開してきた。その後、不測の事態も加わり、格段に混迷の度を深めた。EUの「東部戦線」は、現実に戦場に近い状況になってしまった。

ロシア航空機の撃墜事件から、トルコとロシアの対立が深まった状況で、2月17日にはアンカラで大規模な自爆テロが発生し、一時期安定化の様相を見せていたトルコの政情は一挙に悪化した。加えて、シリア内戦の停戦への動きもアメリカとロシアにかかわる部分であり、ISなど過激組織や反政府グループとの関係は今後も不明のままに残されている。難民発生の根源を絶つには程遠い。

メルケル首相が望みを託してきたトルコに難民・移民の流れに対抗する東の砦の役を期待し、これ以上のEUへの流入をなんとか抑止したいとの構想は、今回の会議でも進捗がなかったようだ。

メルケル首相の考えは、EUのトルコ支援と引き替えに、トルコ政府がトルコからエーゲ海を渡ってEU圏内のギリシャへ入国することを極力抑止するという内容だ。しかし、その前提にはトルコからEUに直接入ってくる難民を加盟国が、それぞれの割り当て数を引き受ける責任を負うという問題がある。しかし、その考えはすでに実効性を失ってしまった。たとえば、オーストリアは2月17日から受け入れる難民庇護申請者の数を1日3,200人とするという制限を導入した。さらに、数週間のうちに国境を閉鎖するという措置に移行することをブラッセル(EU)とバルカン諸国に通知した。また、フランスもこれ以上の割り当てには応じられないとしている。EU加盟国の過半数がメルケル構想に反対している状況になった。

他方、EUを主導してきたメルケル首相はこの段階でも強気であり、「戦争、恐怖、迫害から逃れてくる人々に救いの手を差しのべることに90%のドイツ国民は、反対ではないはずだ」と述べてはいるが、現実との乖離はいかんともしがたい。政治家としての旬の時が過ぎたのかもしれない。メルケル引退説も聞かれるが、少なくも現在の難民問題には形をつけねばならないだろう。

トルコ、ギリシャへ期待するが
EU加盟国の多くが、難民割り当ての引き受けを拒否し、さらに国境封鎖を含む管理強化に動いたことで、メルケル首相やEUの流入抑止の重点はトルコの協力をとりつけることに移った。しかし、そのトルコが内政、外政共に混迷の度を深めている。

トルコと並んで注目されるのは、ギリシャの動向だ。もし、ギリシャがシェンゲン協定から除外され、人の自由な移動が認められないことにでもなると、きわめて深刻な問題が発生する。ギリシャはトルコとの海域をめぐり沿岸警備が十分実行できていない。EUはギリシャに3ヶ月の間に沿岸の警備体制を改善するよう指示している。

メルケル首相は、トルコにEUが資金を供与し、難民の収容施設などを設置、拡充し、トルコは代わりにエーゲ海をギリシャへと渡る難民の数の減少に努力するという構想を示してきた。

さらにシリア難民などが増加するような状況次第ではNATOがトルコ・ギリシャの沿岸警備などに参加し、トルコの沿岸警備隊と協力して、トルコからギリシャへの不法入国者などを取り締まり、トルコへ送還することも考えられている。トルコはNATOのメンバーでもある。しかし、トルコはすでに200万人近いシリアなどの中東難民を自国内に収容しており、内政も複雑化し波乱含みになってきた。

すでにEU各国に入っている難民・移民の審査だけでも数ヶ月を要するといわれ、難民・移民の流れが沈静化するには未だかなりの時間を必要とするだろう。これまで、難民、庇護申請者と移民の概念については、あえて深く立ち入らないできた。論じなければならない多くの問題が存在するのだが、シリア、アフガニスタンなどの中東あるいはアフリカからの難民の増加とともに、現実の審査の過程における実務的区分は、きわめて困難さを増したようだ*2。近年、浮上しつつある最大の問題は、テロリストの判別を別としても、難民(庇護申請者)の出身母国(およびその実態)よりも、受け入れ国の政治・経済上の判定基準が重みを増していることにある。

*このグループは、彼らの国々のEUへの統合度をさらに高めること、軍事、経済およびエネルギー面でも協力することを目的としている。Visegardの名は1335年ボヘミア(現在のチェコ共和国)、ポーランド、ハンガリーの領主たちが集まった小さな城砦都市に由来している。1991年にチェコスロヴァキア、ハンガリー、ポーランドの首脳が同じ町に集まり、新たに設置した。チェコスロヴァキアは1993年の分離後、それぞれ加入した。これらの4カ国は2004年にEUに加盟を認められた。これらの東欧4カ国はブルガリアとマケドニアが移民・難民の流れを迂回させるため、ギリシャとの国境管理を強化する動きを支援することを表明している。

*2
ドイツ連邦共和国のガブリエル副首相は、アルジェリア、モロッコ、チュニジアは、今日では庇護の対象となる可能性がきわめて少なくなったこともあり、今後は国情が「安全な国」 “safe countries of origin” とみなされるだろうと述べている。フィンランドのように、2015年は32,000人の庇護申請者があったが、そのうちおよそ65%は申請に対して否定的な回答を受けとることになろうと政府関係者が言明している。スエーデンの場合は、163,000の庇護申請の約半数は却下されるだろうとしている(The Guardian Februay 29, 2016)。

References
“European states deeply divided on refugee crisis before key summit” The Guardian 18 February 2016
“How to manage the migrant crisis and keep Europe from tearing itself apart” The Economist February 6th-12th 2016
ZDF

 

 

 

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