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終わりの始まり(11):EU難民問題の行方

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アンゲラ・メルケル首相が雑誌 TIME の「今年の人」(Time’s Person of the Year)に選ばれた。きわめて妥当な選出だろう。女性としては、1986年以来とのことである。The Economist も表紙にとりあげたことは以前に記した。最近は、しっかりとした信念を持って世界をリードする政治家が少なくなった。世界的に政治家の知的資質が顕著に低下している。メルケル首相の10年間は、一見地味ではあるが、きわめて堅実であった。ドイツ連邦共和国の置かれた位置を正しく理解しての政治対応であったといえる。

彼女はしばしば逆流に抗して、自ら正しいと考えた方針を選択してきた。とりわけ、ヨーロッパを揺るがせたギリシャの国家的な負債危機に際しての断固とした決意、そして、EUに大挙押し寄せた難民の激流に対して、人道主義的見地から寛容な受け入れ姿勢を維持したことが評価された。今年に入ってのロシアのプーチン大統領によるウクライナの(密かな)奪取の動きにも、西側の主導者として対峙してきた。EUの盟主となったドイツだが、メルケル首相の果たした役割は大きかった。メルケル首相の政治思想あるいは哲学がいかなる背景の下に形成されてきたか、筆者は一通りのことしか知らない。いずれさまざまな評価が飛び交うことだろう。

政治家の人生は激動する。今年の9月までは順風に支えられていたかに見えた彼女の政治生活だったが、パリの同時多発テロ以降、激しい逆風にさらされている。ドイツの今年の移民・難民受け入れ数は100万人を越えると推定され、国内からも批判の嵐にさらされている。

難民対策に日夜を忘れていたであろう時に、パリの同時多発テロが発生したことは不運ではあったが、その中でもメルケル首相は、EUに残された選択肢を慎重に選んできた。少なくとも政治的には正しい選択をしてきたと考えられる。トルコをEUの東の域外における緩衝地帯として保持することで、今後のEUへの大量難民の流入をひとまず抑止することができそうだ。地政学的にも、トルコはシリアと国境を接し、それも反政府、クルド、IS(イスラミック・ステート)地域と接している。EUがトルコという緩衝地帯を持つことは、この点でもきわめて大きい。EUは、シリア出身者以外は即時退去を求めることになることになる。現代社会では次の瞬間になにが起きるか分からない。緩衝帯があるとないとでは大きな違いを生む。

不安定化したトルコ
パリの同時多発テロ事件ほど大規模にメディアでは報道されなかったが、トルコ軍によるロシア機撃墜事件で、ロシアとトルコの関係は急速に悪化した。プーチン、エルドアン大統領それぞれが、力で相手を威圧するタイプの政治家なので、こうした事態では双方が激突する。ロシアが先に発動したトルコ製品の禁輸、人的交流の停止などの措置は、当分の間続けられるだろう。簡単に取り下げるわけにはゆくまい。ロシア側もそうした対応が自国にもたらす不利益は予期してのことだ。ひとたび発動したからには、対立は短期には解消しない。

トルコはほとんどの国民が、トルコはヨーロッパ人から成り、西側に属すると思っている。その支柱と頼むのは、EUとNATO(北大西洋条約機構)である。トルコはアメリカが主導する有志連合に加わっており、シリアを本拠とするISISを攻撃している。ロシアは内戦が続くシリアの和平を探る協議で、アサド政権存続を主張しており、この事件をロシア側に有利に使いたいと考えている。トルコはシリアについては、反政府勢力を支持し、アサド大統領の即時退任を求めてきた。他方、経済面ではロシアが輸出する天然ガスの約5分の1をトルコが引き受けている。ロシア側は、一時エルドアン大統領の一族がISISから石油を買っていると揺さぶりをかけたが、エルドアン大統領はそうしたことは政治的生命をかけてありえないと応じ、駆け引きは微妙だ。

EU域外・域内国境の破綻・脆弱化
しかし、ロシア、トルコ共に今後軍事的領域まで踏み込む可能性は低いと思われる。両国が戦火を交えるようなことになると、中東、東欧は破滅的状況となり、世界は収拾がつかない新たな危機に陥る。とはいっても新たな火薬庫の可能性が生まれたことは否定できない。EUの東の最前線は、一段と不安定になった。しかし、EU移民問題で最重点課題である対域外国境線を堅固にするという方向は、かろうじて維持される。EUはこれまで活動していたFRONTEXという沿岸での対移民・難民対策の機関と併せて、2000人の人員を投入し、問題があればどこへでも出動する統一的な沿岸防備機構の設置に動き出すようだ。これも従来、イタリア、ギリシャなど特定の国にかかっていた負荷を軽減し、同一基準で移民・難民に対応するという意義を持つ。
他方、EU域内のシェンゲン協定地域の人的交流の自由を維持することは、しばらく棚上げになってしまった。中・東欧諸国などのエゴイズムと国力不足で、難民受け入れ能力がなく、分断状態となっている。12月15日に開催予定のEUヨーロッパ委員会では、こうした点の再確認も行われるだろう。シェンゲン協定は1985年に調印され、加盟国間の国境という障壁を除去してゆく上で、重要な役割を負ってきた。今回の出来事で、協定は歪曲され、破綻状態にある。EU域内の人の移動の自由を確保するという意味で、早急な復元が求められるが、その道はきわめて多難となった。

EUを構成する中心的国、ドイツ、フランス、イギリス、イタリアなどで移民・難民の受け入れに反対する勢力が急速に伸長してきた。フランスの国民戦線はその象徴的存在だ。こうした国々では、移民・難民への風当たりは一段と強まる。政治的対立も深刻化する。冬を目前にして、国境で閉め出され、行き場のない難民の状況は、今後もさまざまに問題となろう。現在の状況は、たとえてみればEUの外壁は穴だらけで崩れそうであり、ひとたび域内に入り込むと、その国の事情で城門(国境)の開け方に統一性がない。今回の難民への対応でも、ハンガリー、ポーランド、スエーデンなど、いくつかの国が、EUレヴェルでの協議を前に、独自に国境管理や受け入れ対応を変化させている。さらに城内は、利害が錯綜して全体が保守的になっている。かつてのEUの目指した理想は、薄れて感じられなくなっている。

アメリカ大統領選候補の選出過程でのイスラームをめぐるポピュリズム的議論の影響もあって、EUの難民・移民問題はイスラームという宗教にかかわるきわめて複雑で困難な次元へと移行する。これは、さらに一段と対応の難しい問題を提示する。

続く

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