Home»連 載»終わりの始まり»終わりの始まり(9):EU難民問題の行方

終わりの始まり(9):EU難民問題の行方

2
Shares
Pinterest Google+

短かった夏の盛り
夏はどうしてこれほどはやく過ぎてしまったのか。できることなら時計の針を止めたい。ドイツのアンゲラ・メルケル首相の心中を推し量る。世界は激流に翻弄されている。主要国の首脳は傍目にも忙しくなっているようだ。前回とりあげたメルケル首相の表情にも疲労の影がうかがえる。ハノーヴァーでのドイツ・オランダ代表のサッカー親善試合は中止になり、首相が緩やかな時を楽しむ機会も奪われた。中止についての説明が不十分だとの批判も相次いだ。息つく暇を与えない変化である。

首相の座について10年目を迎えるメルケル首相は、先進主要国首脳としては抜群の長さである。しかし、難民問題の激変に、国際政治の舞台での発言も目に見えて少なくなった。国際世論を刺激しないようにとの配慮か、発言を意識的に抑えているかにみえる。難民問題がクローズアップされた9月の段階では、風は首相にとって追い風であった。しかし、いまや激しい逆風にさらされている。

今年の夏、シリアなどの難民への対応が世界的課題となった時、メルケル首相の言動は自信に満ちていた。EUに大挙押し寄せる難民に、人道主義的寛容さをもってドイツが主軸となりEU諸国で分担して受け入れるという強い信念の表明は、世界的にも歓迎されたように見えた。この考えは、戦後のドイツが醸成してきたwillkommenskultur (訪れる人に好意的・歓迎的な風土・文化)として知られてき概念と重なるものもある。今年の9月の段階で、メルケル首相はその旗手として象徴的存在に見えた。どこかロシアのプーチン首相と重なるところがあると批評されたメルケル首相には、東独時代からの冷徹な計算もあったのだろうか。

あのシリア難民の幼い子供が、波打ち際に顔を伏せて溺死していた一枚の写真が、多くの人の感情を揺り動かした。EUの難民政策に人道主義ともいうべき一条の光が射し込んだかに見えた瞬間だった。しかし、夏の日は短かった。

舞台は暗転する
途切れなく続く難民・移民の流れに、国境を閉じる国が相次いだ。これまでドイツと並んで多数の難民、移民を受け入れてきたスエーデンも、これ以上の難民受け入れはできないと表明する。EUが割り当てた移民受け入れ枠を承諾した国は、ほとんどなくなった。フランスを経由してイギリスを目指す道も閉ざされている。

そして、決定的事件が起きる。11月13日金曜日、パリに無差別な殺戮を行う同時テロが発生した。多くの犠牲者が生まれた。判明したかぎりでは、9.11同時多発テロ以降、流行語となった homegrown terrorism (国内で生まれ育ったテロリズム)であった。首謀者はシリア、ベルギー、フランスなどを、チェックされることなく往復していたらしい。

そして、18日のサンドニでのテロリストとフランス警察との間で、互いに容赦ない殺戮へとつながった。5000発の弾丸が使われたと聞いて、言葉を失う。メディアによると、ISは19日にも、モンマルトルでのテロも計画していたといわれる。フランスは国家非常事態を3ヶ月間に延長した。首謀者も射殺されたテロリストの中に含まれていたと発表されたが、逃亡中の実行犯もいるとされ、緊張度は異様なまでに高まっている。

ロシア航空機の墜落もISの引き起こしたものであることが判明した。ニューヨーク、ワシントンでの新たなテロ活動の可能性も明らかにされた。アメリカも急遽、入国審査の強化に動き出した。オバマ大統領が目指す「包括的移民政策」も、前途が厳しくなっている。日本も標的のひとつであることが報じられている。対岸の火事どころではない。ISが世界を敵にした狂気の集団であることが明らかになった以上、標的とされている国の国民は潜在的恐怖に対する心構えが求められている。

ドイツも変わるが……
フランスのオランド大統領に次いで、当面、最も厳しい立場におかれているのが、メルケル首相であることは改めて言うまでもない。急速に高まったメルケル批判に、ドイツのとりうる選択肢も少なくなった。考え得るのは他のEU諸国あるいは世界の主要国と同様な方向への静かな転換ではないか。それをいかに行うかは、政治家としての評価につながる。逆風が吹き始めた時から、ドイツは実務レヴェルで難民の入国審査を厳しく実施し、大多数は入国を認めない政策に移行している。

難民とテロリズムを重ねることは、いうまでもなく誤りであり、それ自体危険である。しかし、難民の流れにテロリストが身を潜める可能性はかなり高いことも、すでに明らかになっている。EUの各国が国境管理を厳しくするに伴い、行き場を失った難民の鬱積した不満や怒りは、どこに向かうか。シリア難民のおよそ3人に1人は、正規のパスポートを所持しないといわれる。庇護申請者の審査に格段の時間とコストがかかることは避けがたい。

短かったとはいえ、難民受け入れに寛容であったメルケル首相の立場は、他のEU諸国とは異なるものがある。戦後のドイツには移民・難民に開かれた国であることを提示し、実現することをもって、ヨーロッパ、世界での存在意義を確立することを目指してきた。その方向をいかに守り抜くか。注目したい。

「城砦国家」化する世界
不安が支配する不条理な時代がどれだけ続くかは、誰も語ることはできない。しかし、かなり明らかなことは、世界が「城砦の時代」に逆戻りしていることではないか。各国が国境管理をきびしくすることで、国境という城壁は急速に強化され、高くなっている。EU加盟国が「バルカン化」することは避けがたい。ヒトの域内移動は著しく制限されることになる。それがEUの理想にどれだけ反することになるか。一段と見えがたくなった近未来を見通す努力は続けねばならない。ヒトの移動についてみるかぎり、世界は「城砦国家」ともいうべき高い障壁と狭い城門から出入りする17世紀的状況に逆行するかのようだ。

References

REUITERS Nov.15, 2015
US House GOP Refugee Bill

続く

Previous post

『地域包括ケアの課題と未来』編集雑感 (5): 小松俊平「官民役割分担の原則」を語る

Next post

パリ同時多発テロを考える