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医療事故調問題の本質5:日本産科婦人科学会とギルド

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●プロフェッショナル・オートノミー
2012年7月22日、NPO法人医療制度研究会主催の産科医療補償制度に関する討論会で、岡井崇医師(昭和大学産婦人科主任教授)は、原因分析委員会の 役割を日本産科婦人科学会による「プロフェッショナル・オートノミー」であると強調した。プロフェッショナル・オートノミーは、現在の日本では美しい言葉 とされているが、単純なものではない。表向きは、職能集団が公益のために自らの水準を高める誇り高き営為であるが、集団の利益を守るための自律という意味 合いが大きい。いわばギルドの自律である。職能集団の内部に正しい作業手順や規律を作り、構成員に遵守することを強制する。
ギルドは、特権を獲得し維持するための同業者の組織である。以下、トクヴィルのギルドについての見解(1)を紹介する。「ギルド(同業者組合)は9世紀に 始まり、14世紀の飛躍的発展を経過しつつ、旧体制末まで存続した。ギルドには宣誓ギルドと自由ギルドがあった。前者は、メンバーによる厳しい規約が設け られ、加入に際しその遵守の誓約が義務付けられていた。一方後者は、規制は緩やかだったが、組合としての自律性に欠けていた。」「16世紀以後自由ギルド は次第に稀になっていった。」アンリ3世は王令によって全王国にギルド制を強制した。「コルベールは厳格な統制主義の立場からギルドを増やし、自律性を 奪ったうえで国家の統制下に置いた。」自律性が奪われると、支配-被支配関係の柔軟性が失われる。「国家の統制下に入ったギルドでは、親方と職人の間に争 いが多発し、ストライキと暴力事件が相次いだ。」ギルドが少数支配になってしまうと、ギルドの行動は少数の支配者の利害に大きく影響されてしまう。
ギルドと共に自治都市の統治も変容していった(1)。中世のヨーロッパでは、都市役人を都市の全住民の総会である第二会議が選んでいた。18世紀になると 「どこでも総会は名士たちによって構成され、自己の特権によって総会に出席する者もいた。ある者はギルドや団体の指名によって総会に出席した。」「総会は ブルジョアだけからなり、もはや職人に参加の余地はない。市民は一般に想像されているほど容易に、空虚なうわべだけの自由にだまされていたわけではな い。」「彼らは、どこでも自治都市の公務への関心を失い、自分自身の殻のなかに閉じこもって門外漢のような生活をしていた。」「自由選挙のイメージだけは 何としても守らねばならない―そう行政官たちが信じていた都市では、市民に是非とも投票に行くよう促している。ところが民衆は、頑として棄権してしまうの である。」「自由を圧殺したほとんどすべての君主の最初の仕事は、自由の形式を維持することである。」
日本の臨床医学の学会は、実質的には大学の主任教授を構成員とするギルドである。理事選挙の投票用紙を医局で回収してまとめて投票しているという話をよく 聞くが、問題とされたことがない。衰えたとはいえ、大学の医局は主任教授の専制下にある。専制が医学部の教授を蝕んでいる。彼らが行政に対して卑屈になる のは、部下や一般の学会員に対し傲慢になることと同根である。批判をすることにも、批判を正当に受けとめることにも慣れていない。しばしば、身勝手な利益 誘導をためらわない。

●学会が指針を作ってよいのか
出生前診断を巡って2012年8月31日、いくつかの報道がなされた。
「胎児に遺伝子の異常があるかを調べる出生前診断を受けた後、医師の説明が不十分だったとして別の専門の知識を持つ医師に相談に訪れた妊婦が、今年3月までの1年間に少なくとも36人いたことが、日本産科婦人科学会の31日までの調査で分かった。」(共同通信)
「妊婦の血液で胎児のDNAからダウン症か調べる新型の出生前診断の臨床研究が9月以降に始まることに関連して、小宮山洋子厚生労働相は31日の閣議後会 見で『日本産科婦人科学会がなるべく早く自主規制を示して欲しい』と述べ、国よりも学会によるルール作りが必要との考えを示した。さらに、小宮山厚労相は 『医療が高度化する中で、生命倫理に関わる部分は法整備が遅れている。命の選別にならないよう、懸念は強く持っている』との認識を示した。」(朝日新聞)
「検査は米国の検査会社『シーケノム』が昨秋、米国で始めた。国内では9月から、国立成育医療研究センター(東京)と昭和大学病院(同)が、臨床研究として実施を予定している。」(毎日新聞)

さらに9月1日の朝日新聞は。日本産科婦人科学会が、「研究以外の一般的な検査として安易に実施するのは『厳に慎むべきだ』とする声明を発表した」と伝えた。
出生前診断を受けた患者がセカンド・オピニオンのために、他の医療機関を受診したことを捻じ曲げているように思える。大学病院で診断を受けても、他に相談 に行くのではないか。世界に広まりつつある診療技術の実施の許可を与えたり、止めたりする権限が学会にあるとは思えない。学会幹部が自らの利益のために、 厚労省の統制医療を下支えし、学問と医療の進歩を阻害しているとしか思えない。そもそも、患者への説明不足が目立つのは大学病院ではないか。
2012年11月13日、日本産科婦人科学会は東京都内で出生前診断について、公開シンポジウムを開いた。12月中に日本産科婦人科学会が出生前診断の指 針を策定するという。そもそも、学会は、適切な議論を活発に行い、新たな知識を生みだす場である。学会が提唱すべき価値は、論文の内容の信憑性や議論の ルールに関するものに限定すべきである。そうしないと、学会すなわち学会の権力者と会員が論争することになり、結果として権力者が学問における正しさを決 めることになる。そうなれば学会の正当性は失われ、学会としての存在意義を失う。

この検査は極めて個人的な事柄である。その重さを受け止めるのは個人である。この検査を受ける立場の多様な個人が、個人として議論すべき事柄である。
日本産科婦人科学会は、医療の統制を望む厚労省の了解の下、出生前診断について倫理規定を設けて、担い手を大学病院に限定しようとしている。すでにアメリ カで実用化されており、研究開発の段階は終了している。研究名目の独占であり、露骨な利益誘導である。岡井崇医師が所属する昭和大学も実施機関に含まれて いる。
日本産科婦人科学会は、新しい医療技術に対し、極めて統制的かつ抑圧的態度で臨んできた。例えば、着床前診断を重い遺伝病の患者に限定している。不妊治療に大きな成果を上げた大谷徹郎医師を名指しで批判した。以下、2012年7月11日の読売新聞を引用する。
「97組の中で、受精卵が順調に育ち、子宮に移植できたのは53組。そのうち39人が妊娠し、16人が出産。3人は流産したものの、20人が妊娠中だ。」
「受精卵を子宮に移植できた人の妊娠率は74%で、通常の体外受精の妊娠率(39歳の平均で25%)と比べると、3倍近く高かった。」
大谷医師の一問一答。
「不妊に悩む人は多い。高齢での結婚が増え、卵子の染色体異常が増える現実がある。日本の体外受精は数多く行われているが、その割に着床率は低く、がっか りする人は多い。そうした人を救うのは産婦人科医の責務だ。」「染色体異常のある受精卵は着床せず、着床しても流産に終わるのが現実だ。実際に流産となっ た胎児の染色体を調べると、66%に染色体の異常がある。それが40歳代になると80%を超える。育つことのできない受精卵を避け、育つことのできる受精 卵を子宮に戻すことで、妊娠の確率を高めることができる。」
着床前診断ネットワークが、「着床前診断を受けることが個人の生命、自由及び幸福追求の基本的人権であることを確認し、国政上これを最大限尊重する施策を講ずることを求める」として署名活動をしているのは当然であろう。

●広汎子宮全摘術後のリンパ浮腫
多様性の抑圧は、学問の進歩を阻害し、結果として、不特定多数の不利益を招くことになりかねない。

1980年前後、私は、膀胱全摘術を執刀し始めた。当時、周囲で行われていた手術は出血量が多い上に、長期成績が悪く、満足すべきものではなかった。これ を改善すべく個人的努力を重ねた。当時、日本国内ではあまり普及していなかった骨盤内リンパ節郭清をとりいれた。癌は病巣近くのリンパ節に転移しやすい。 リンパ節郭清とは、手術成績を改善するために、転移を来しやすいリンパ節を、原発巣と共に摘除することである。すでに実施していた医師の手術を見学して 回ったが、感心できるものではなかった。解剖学、アメリカの手術書、産婦人科領域の論文を参考に改善を重ねた。子宮頚癌、膀胱癌、前立腺癌の郭清範囲はほ ぼ同じと思われた。産婦人科領域では、岡林秀一医師(京都大学)が広汎子宮全摘術を解剖学的に詳細に記載し、これが本邦の標準術式とされていた。びっくり したことに、岡林医師は第二次大戦前の医師だった。
リンパ節郭清は血管を丁寧に扱うことにつながる。出血量が減少し、結果として手術時間も大幅に短縮できた。しかし、大きな問題が生じた。丁寧に郭清をする と下肢にリンパ浮腫が発生した。これは下肢からのリンパ管を結紮して、その流れを止めてしまうからである。リンパ浮腫に対し、いくつかの方法で治療を試み たが、すべて無効だった。

手術方法を変えるしかないと考えた。教科書の記載(2)を参考に、郭清範囲を縮小した。最終的に、外腸骨動脈の周囲を郭清せずに、膀胱により近い外腸骨静 脈-閉鎖神経周囲のリンパ節を一塊にして摘除する方法に落ち着いた。以後、リンパ浮腫は一切発生しなくなった。2009年、第97回日本泌尿器科学会総会 で、私が部長を務めていた虎の門病院の成績を発表した。リンパ節郭清を実施した95例中、摘出標本の病理検査で22例にリンパ節転移を認めた。これら22 例の5年癌死生存率は28%だった。多くの施設でリンパ転移陽性例の長期生存例はまれである。この成績は日本のトップクラスだと考えている。
手術は個人的要素が大きい。大きな手術では操作の数が多いため、同じ名称の手術でも、術者によって内容が大きく異なる。出血量や手術時間も大きく異なる。 手術は、多施設共同研究が不可能な領域である。膀胱全摘術後のリンパ浮腫については、日本の泌尿器科領域では、学会で大きな議論になる前に、個々の泌尿器 科医の創意工夫によって解決したように思えた。
十年以上前、知人の産婦人科医と話したことがある。

「外腸骨動脈の周囲にまでリンパ節転移があれば、手術で根治できるはずがない、下肢のリンパ浮腫が生じるようなことはやめるべきではないか。」
「できればそうしたいが、実施できる雰囲気ではない。」

この産婦人科医の意見が実態を反映しているかどうか分からないが、手術方法ついて、個人の創意工夫が許されていないという発言に驚いた。実際、産婦人科医 の手術を見学して参考になることはほとんどない。消化器外科や血管外科の領域では、しばしば、独自の工夫を体系化している手術の名人を目撃するが、産婦人 科ではほとんど見かけたことがない。個人の創意工夫を抑圧する風土が産婦人科領域にあるのかもしれない。
最近、看護研究の計画書で、現場の看護師が、広汎子宮全摘術後のリンパ浮腫に対し、術後の対応で防げないか検討しているのを知った。
術後の対応でこの問題が解決するとは思えない。広汎子宮全摘術で下肢のリンパ浮腫がいまだに問題となっているとすれば、消化器外科や泌尿器科領域まで視野を拡げること、多様性と個人の創意工夫を許すことが必要ではないか。

文献
1.アレクシス・ド・トクヴィル: 旧体制と大革命. ちくま学芸文庫, 1998.
2. Lieskovsky G: Technique of Radical Retropubic Prostatectomy (Campbell’s Procedure) with Limited Pelvic Lymph Node Disssection. In DG Skinner, G Lieskovsky (eds), Genitourinary Cancer. Philadelphia, WB Saunders. 1988.

(月刊「集中」1月号から転載)

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