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右脳インタビュー 卜部敏直 前駐フィリピン特命全権大使

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片岡:  今月のインタビューは、前駐フィリピン特命全権大使の卜部敏直さんです。フィリピンは南シナ海の問題でも外国人労働力でも、日本の安全保障、経済において重要性を増しています。本日はこの二つのテーマについてお伺いしたいと思います。

卜部:  外交官が、まず考えなくてはいけないのは、国家の安全と繁栄をどのように確保していくかという命題です。日本は軍事的なオプションはないので経済の活力をどうやって確保していくのかということが問われます。経済の基本的要素は資本、技術、労働力です。しかし、今後、日本は、人口が減り、高齢化していくために世界の競争に勝てなくなっていく。だからこそ、外国人の労働者が必要です。安倍政権も外国人技能研修生の新しい枠組み作りや、家事代行者を入れようと色々な施策を進めつつあります。方向性は正しいが、スピード感がありません。団塊の世代が健康年齢を過ぎる2025年まであまり時間がありません。資本と技術で生産性を上げるといっても時間がありません。それにロボットは消費税や所得税を払わないので財政赤字への貢献は限られます。野党も与党も外国人労働力の活用が必要だということは頭ではわかっているのですが、選挙民にその是非を正面切って説明し、議論する気概が見られません。
さて、図は2050年までのASEAN諸国の生産年齢人口の見通しです。今後、世界で人口が増える国はアジアではフィリピン、インドネシア、インド、パキスタンです。他は中東やアフリカ地域で人口が増えます。我が国に近いASEANの生産年齢人口は図のように、インドネシアやタイ、ミャンマーも頭打ちでやがて減少に転じます。しかし、フィリピンは人口ピラミッドが完璧で、生産年齢人口が今後50年増え続けます。今後先進国は良質の労働力を取り合うわけですが、国民性や高い親日度なども考えると、日本にはフィリピンがベストの相手です。
人口動態

片岡:  フィリピンはキリスト教徒が多く、またフィリピン語とともに英語を公用語としています。米国などでは、多くのフィリピン人が働いていますが、日本にはあまり来ていませんね。

卜部:  日本は外国人の単純労働を受け入れていません。技能研修生という形では多少受け入れているのですが、技術移転という名目で入れる歪みがあるので不効率です。一方、フィリピンは世界各国へ出稼ぎを送り出している実績があります。世界全体に1000万人を超える出稼ぎ労働者を送り出し、彼らからの仕送りは同国のGDPの1割にも達しています。この過程で、フィリピン政府は出稼ぎ労働者の保護や、雇用主との費用分担などのシステムも作ってきました。コストが高くなりますが、いい加減な業者の介在を少なくして長期的安定的に労働力を供給するためには必要なことです。実際、日本の統計を見ると、フィリピン人の犯罪率はとても少ないようです。
さて、今の日本の労働市場には完全なミスマッチがあります。そのギャップ、つまり日本人がやりたがらない仕事を外国の人にやってもらわないと経済は回りません。国内的には移民に対する抵抗感が強いので5年くらいでお金を貯めて帰れるような仕組みが求められています。フィリピン人は家族との絆を大事にするのでそのようなローテーションは受け入れやすいと思います。他方、例えば、クリスマスなども2週間くらいの休暇を出して国に帰れるようにします。そうすると、異国の地で働く精神衛生上も、母国とのつながりを維持するうえで良いのでローテーションもうまく回っていくと思います。
さらに重要なことは入国前に実用的な日本語をきちんと教えることです。来日後、働きながら勉強できると言う人もいます。しかし、慣れない仕事場で朝から晩まで働くわけですから、とてもできるものではありません。仕事場だけではなく自由時間にどうするのですか。ミニマムの会話だけでも覚えてくればコミュニティーとの意思疎通もできますし、地域としても受け入れやすくなります。彼らも疎外感が薄まり、精神的にもいいので欲求不満から犯罪に走ることも少なくなります。入国前の日本語教育はコスト的にも安いし、彼らの適性も確認できます。完璧な語学力を求めると受け入れ企業も労働者もコストが高くなり経済的に見合わなくなります。覚えてもらうのも「ビールを下さい」ではなく、「ビールください」でいい。そして最低限のレベルを身につけたら受け入れることを法制化していく。
今、フィリピンには貧しい人たちが何千万人もいます。彼らに投資して、教室を作って、教師を提供し、衣食・雇用を保証して教育し、一生懸命勉強した人から企業が採用する。その際の学資はあえて無償ではなく民間からの融資という形にして、稼いだら返済してもらう…。世界経済はお金が余っています。投資先がなくて皆困っています。しかし、教育をはじめ世界には膨大な需要があります。マイクロ・ファイナンス的に利益は小さいけれど社会に発展に寄与する事業にビジネスとしてお金が回る仕組みを作る必要があります。勿論、フィリピン側でも規制緩和・改革が必要です。こうしたものができれば、フィリピン人の雇用が日本国内は勿論、現地でも生まれ、また日本にとっても良質の労働力の安定確保が進み新たな投資機会も生まれてくるでしょう。更に彼らは稼いだお金を本国に送り、また日本の製品を使用した経験を踏まえ日本製品の宣伝もしてくれますので、現地のマーケットも拡大して日本企業の製品も売れるようになっていく…。本来、そうやってマーケットは広がります。
しかし、そうなっていないのは、今のグローバリゼーションは目に見えるマーケットを奪い合っているからです。ビジネスは貧困階級とか、今までお金が回らなかったところに、お金を回し、マーケットを作っていかなくてはならないと思います。いわゆるソーシャルエンタープライズです。勿論、民間にすべてのリスクを負わせると事業が始まりません。一部、政府が出資するモデルを工夫して民間のリスクを減らし、ビジネス化しやすい仕組みを考えないといけないと思います。
本来、こうしたことを皆で議論することが必要なのです。しかし、今は、「外国人労働者、その話はやめよう」となってしまう。「原発の事故、その話はやめよう」というのと同じです。国家戦略として、労働力をどう確保し配分するかということをまじめに議論しようとしないのです。またフィリピンのことを知ろうとしないことです。実情を知って、どうすればいいかということを真剣に考えれば、色々な知恵が出てくるはずです。
これまで色々な方々に外国人労働者の活用について説明してきましたが、そうすると、皆、その通りだといいます。しかし日本は不思議な国で、問題があったら、その解決策を考えるより、解決策に問題があるということばかりを議論して、先に進まない。どんな問題を解決するにしても完璧な答えはない。そこは「決め」しかない。決めないと、物事は進まない。社会も動かない…。

片岡:  決めて、しかも、進め続けないといけない。いったん決めて舵を切っても、実行過程で骨抜きにしたり、初めからそうするつもりで決めたように見られることすらあります。

卜部:  日本人は足を掬うための議論ばかりしますからね…。民主主義の下では政治家が国民に事の良し悪しをきちんと説明しなければならないのですがリスクを恐れ受けの良いことしか言わない政治家が多すぎます。だから、労働市場を柔軟にするとか、安倍首相がやろうとしている色々な改革も進まない。それに、改革を実際に動かす場合、仕組みを考えるのは役人です。しかし、法治国家ですから立法機関を担う政治家の圧力や、例えば厚労省であれば連合等の圧力を受けるので、結局、民泊と同じように「仏を作って魂入れず」、のおかしな規制ができてしまう…。

片岡:  実態と離れた規制は弱者に歪みを必要以上に押し付けます。彼らはまともな権利も保証されずに、劣悪な環境、条件を受け入れるしかない…。また犯罪が起きると、社会としての受け入れ態勢をきちんと整備していないという面からはさっさと目をそらし、外国人は怖いとなってしまう…。

卜部:  そうした状況を放置しておくと、結果的に治安も悪化するでしょうし、裏社会の搾取も起きる。麻薬と同じです。必ず、そういうことが起きてきます。

片岡:  いずれにしても、外国人労働者は、もう現実に入ってきていますし、日本の人口問題も不可避です。そして日本が、世界中でモノを売り、企業を買収しながら、労働力の輸入はダメだと言い続けられるとも考えにくい。まさに解決策を考え、実行していくことが必要ですね。

卜部:  現実問題として、時間が限られている中で国家の安全と繁栄を将来的に確保するために、フィリピンに注力して欲しい。時間と資金が限られているわけですから選択と集中が必要です。特に、先ほど申しましたような、日本語を現地で教えてから受け入れるというシステムを作っていくことが必要だと思います。

片岡:  次に、南シナ海の問題について、お伺いしたいと思います。

卜部:  まず考えなければいけないのは、今は、パワーバランスの中で秩序が保たれていた米ソ冷戦時代や、ソ連崩壊後の圧倒的な力をアメリカが持っていた時代と異なり、今やどの国も圧倒的な力を持たず、どの国も拒否権を持つ状況になったと思います。そこでは、フィリピンのような国でも発言権を持てるのです。勿論、移行過程なので、当面は力を持つものが正義を主張するパワー・ポリティックスの世界も残っています。日本のような歴史、国力を持った国がどうやってこの新しいコンテクストの中で生き延び安全と繁栄を確保していくのか、中国、アメリカとどう付き合うのかを議論することが必要です。そうした視点では、今迄のところ、日本はうまく立ち回っています。日米安保が主軸としながら、中国との関係も対話の窓を常に開いていますし、ロシアとの関係でもそうです。ウクライナ情勢などもありアメリカは日本がロシアと対話することすら快く思っておりませんが、そこをなんとか進めているという意味で安倍政権は、戦略論としてしっかりしています。
ですから、「中国に勝手なことをさせるのは許せないから、日本は何かしなければいけない。日本はそういうちゃんとした国だ」というのは短絡的で視野の狭い議論です。気持ちは分かります。しかし、国家の安全と繁栄の確保を達成するために、どんな戦略、戦術があるのかを考えていくべきです。それを「中国の行動は不愉快だ」などと自分の「正義」が目的になってしまっている人があまりに多いのも事実です。

片岡:  まさに「空気」ですね。さて、南シナ海は、米中間のパワーバランス、例えば、潜水艦による核戦略などにもかかる問題です。どのようなシナリオがあるのでしょうか。

卜部:  中国が南シナ海全体にについて領有権なのか、管轄権なのかはっきりしない九段線を国際的な場で主張しだしたのは90年代に入ってからです。中国は1988年にはベトナムからジョンソン南礁やスビ礁等を、1994年にはミスチーフ礁をフィリピンから奪取しましたが、現在の状況からみるとわかりやすいのですが、当時はまだ九段線の管轄権は理論上のものと受け止められていました。しかし2012年以降、中国は理論を実践に移す方策・措置を加速させ、南沙、西沙の両諸島を含む領域に海南省に属する行政区画である「三沙市」の設置、また、人工島の造成、軍事拠点化を猛烈なスピードで進め、次々と既成事実を作っています。
一方、国際社会も、2012年4月にスカボロー礁事件が起きると「あれは何だ」、「九段線とはなんだ」と注目するようになってきました。2015年の春頃には、アメリカでも「やはりまずいのではないか」という意見が強くなり、2016年になると、欧州もアセアン諸国も「これはおかしい」というようになってきています。そういう中で、常設仲裁裁判所の判決が出て、また米国も中国の九段線を認めないと積極的に発言するようになりました。今では、中国自身も不利な状況を認識して政策を考え直しているところだと思います。しかし、中国は撤収することはないし、領有権の主張まではやらないかもしれませんが、南シナ海全体に関する管轄権の主張はやめないでしょう。
極めて重大なのは、軍事的な既成事実が作られたことです。例えば、飛行機は戦闘海域まで行く間に大量の燃料が消費します。燃料を沢山積むと、その分兵器が積めなくなり、攻撃能力が落ちます。あの人工島は不沈空母10隻を得たようなものです。制空権にも繋がります。またP-3C哨戒機のようなものを用いれば、空から潜水艦を見つけて攻撃できます。他方、中国の潜水艦は魚雷や燃料を容易に補給できる大きな意味があります。中国は今、制空・制海権を確立し、南シナ海をいつでも封鎖する体制を作りつつあります。当然、対米海洋核戦略体制にも大きな影響がありますし、海洋交通の要衝である同地域での権益、影響力も確保にも繋がります。そういう軍事的アドバンテージを中国が簡単に放棄することはありえませんし、政治的にも、放棄すれば今までの政策の間違いを認めることになるので、結局、あの基地は、そのまま残ってしまう。これが現実です。勿論、中国も、今は「リゾートだ」等といって軍事拠点ではないという建前ですが、いつでもスイッチ・オンできます。もし、これ以上の拡張、特にスカボロー礁の軍事施設化まで進むと、これまで海南島、ウッディ・アイランド、ファイアリー・クロス礁とまだ「線」だったものに、スカボロー礁が加わると「面」となり格段の違いが出てきます。

片岡:  米国は2015年頃から軍事機密としてきた南シナ海の衛星写真を積極的に配信、各国政府やメディアはこぞって取り上げ、その結果、世界中で議論が盛り上がっていったそうですね。米国は、より広い意味でも南シナ海を封じようとしているようですが、日本は今後、どういう対応が必要でしょうか。

卜部:  日本には、軍事的に破壊するというオプションはありえませんから、法的、政治的に圧力を続けるしかありません。まず、これ以上の拡張を阻止するために、スカボロー礁の軍事施設化は絶対「ダメだ」ということです。中国は「裁定の結果は国際法上の根拠がない」「中国は歴史的に…」「そもそも外国交渉でやらないといけないのにフィリピンが勝手に提訴した」など滔々と言っています。しかし明らかな環境破壊を大規模に行っていることは間違いありません。領有権はともかく、そこは法的にも道義的にも中国が反論できないところです。「こんなにひどい環境破壊が許されるのか」「そもそも領有権もないし、漁業権については中国の専管事項ではないはずだ。どうしてフィリピン人がスカボロー礁にいけないのか」といったことを中心に論点として挙げ、彼らの最も弱いところをついていくことが必要です。
中国は、7月の裁定が出る前に、王毅外相が北京にアセアンの外相を集めて会談を開き、またアセアン拡大外相会議(ASEAN・PMC)やASEAN地域フォーラム(ARF)、アジア欧州会合(ASEM)等でも神経質な動きを見せています。ですから中国も頬かむりできない状況だと思っていることは明らかです。今度の9月にG20があり、習近平国家主席もオバマ大統領も参加します。そこは大きな節目になるでしょう。中国は「7月の裁定には拘束されない」といって、引き続き既成事実作りを進めるかのような姿勢を維持してくると思いますが、スピード感は落とさざるを得ないと思います。問題は、どれくらい長い間、引き伸ばせるかです。2022年には習政権の交代という節目がありますが、残念ながらこの間の我々にとってのベストシナリオは膠着状態です。これ以上問題が先鋭化すると、レッドライン、つまり米国も日本も無視できないところまで来ます。そうなると経済的な打撃も覚悟のうえで、色々な措置をとっていくことになりますが、それは誰も利さない。中国も胆力と理性を持って行動すれば、そこまではいかないと思います。

片岡:  膠着状態が続いた場合、フィリピンにはどういう影響が出てくるのでしょうか。

卜部:  今回の裁定でフィリピンの排他的経済水域(EEZ)と認められたリード・バンクには推定埋蔵量20兆立方フィートともいわれる巨大なサンパギタ天然ガス田があります。フィリピンは電力の1/4を天然ガスで賄っており、その大半を担ってきたマランパヤ天然ガス田が2020年には枯渇するといわれています。当然、サンパギタ天然ガス田を開発したいのですが、開発権を得た企業が探査船を派遣しても中国の艦船に阻止されています。「共同開発」との話もでていますが、仮に共同開発を始めた場合、需要地は地理的に近いフィリピンになるとしても、利益の配分や経営方針で紛争が起きたときには、どちらの法律に則るのか、これは主権の問題と直にぶつかるので、簡単ではありません。今は、原油価格も下がり、経済的な合理性には若干疑問が出てきていますが、フィリピンとしては安全保障上は自分のコントロール下におきたい。しかし、中国がフィリピンに自由に開発させることは考えられません。であれば一番のリスクは偶発的な衝突となるのでしょう。ただ、フィリピンは周辺海域で何が起きているのか探知する能力をはじめ軍事的には中国と比べようもなく、まともな衝突は考えにくいところです。

片岡:  国民経済は如何でしょうか。

卜部:  フィリピンにとっては、日本がODAでも輸出先でも一番です。中国は輸入先で一番です。2012年のスカボロー礁事件の後、一時期、中国はバナナの輸入を制限しましたが、フィリピンの国民経済には影響がありませんでした。つまり中国が経済的な制裁を加えようとしても代替するだけの資本やマーケットがあります。またフィリピンでは華僑がビジネス界で大きな力を持っていますし、彼らが中国で不動産や小売業で投資をしています。中国が許認可権を使って嫌がらせをする可能性は排除されません。しかし、これまでの経緯を見ると中国がフィリピンに対して経済的に決定的な打撃を与える力はないと考えていいでしょう。ですから膠着状態であれば平和的に対話で解決策を模索しつつ、対中経済関係は維持することとなると想像します。
嘗て、ヘンリー・キッシンジャー博士は、リアル・ポリティクスは、独裁者がいても、①報道の自由らしきものがある。②議会制民主主義らしいものがあって、国民が意見を発することができる。③中産階級が伸びているところとは付き合うといっていました。理想と現実に大きな乖離がある中で外交官がそのバランスをどうやってとっていくかという上とても示唆に富む発言だと思って今でも覚えています。

片岡:  貴重なお話を有難うございました。

~完~
聞き手

片岡秀太郎
プラットフォーム株式会社 代表取締役

interview20160901のサムネイル

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