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「花を見る会」は、「花を愛でる会」ではない所以  - マスコミの騒ぎは「引かれ者の小唄」か?

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 この数日「花を見る会」をめぐってマスコミは大騒ぎ。もはや記憶定かではないが、筆者はおそらく30年ほど以前(1980年代末期)頃からこの会に招かれ始めたから、言うまでもなく当時は昭和天皇の時代で、畏れながら独特なあの甲高いお言葉に生で接した記憶は、30年余の今日でも鮮明に記憶して忘れられずに頭の隅に残されて消えることがない。何回目の時か記憶がないが、柔道の山下8段が筆者の直ぐ近くで天皇陛下のお出ましを待ち受けていて、陛下が「柔道は骨がおれるでしょう」と声を御掛けになり、山下氏が「一度折れました」と生真面目に応えて、近くにいた我々が思わず爆笑したことが思い出される。

 筆者のような有名でも何でもない平民の貧乏学者が招待されたのは、筆者の理解では偶々役所の審議会等の長を務めていたことによるので、皇室関係者や「偉い」政治家とはあまりご縁がなく、もっぱら筆者より高齢で有名な学者先生と会話をかわしたり、大学時代に教えを受けた数多くの老先生方にご挨拶をしたことなどが記憶に残っている。今でも覚えているのは、刑法の大家の団藤重光先生が車椅子でおいでになったが、あまり話しかける人がなく、やや寂しげにしておられ、これと対照的に団藤先生より少しお若い園部逸雄、橋本四郎平最高裁判事などが近くで威勢良く談笑しておられた姿が今でも目に浮かぶようである。

 当時は、このような「お偉方」の先生方とお話をさせて頂いた比較的若造の部類の小生は、慶応大学の清家篤先生(後の学長)などほぼ同世代の優れた学界人ご夫妻等との邂逅を楽しむ年に一度の機会でもあった。この会の会場は現在も新宿御苑で変わらないとはいえ、今回マスコミが大騒ぎするような贅沢なご馳走が出たことは全く記憶になく、御猟場の鴨の焼き肉などをつまみながら日本酒を三方で頂き、その使用済みの三方を土産に持ち帰るという程度のもので、今回報じられるような御もてなしと比べれば格段に簡素なものであった。招待された人の顔ぶれも、運動選手、芸能人などを含む各界の有名人ばかりで、今回報じられたように政治家の一般選挙民のような方々が多数招聘されたということは到底考えられないというのが、筆者の「花を見る会」のイメージである。

 年に一度のこの会と筆者の繋がりは上記の如く今から40年近く以前から始まり、はっきりとした終了時期は記憶にも記録にもなく、推察するに恐らく筆者が満80歳になった2010年頃と推定される。推定の理由は、多分筆者のような学界の人間がこの会に呼ばれるようになったのは、恐らく各種官庁の審議会等の委員に学者が駆り出されるようになり、車代相当の低額報酬で役所の手伝いを依頼されるケースが増大したことによって、経費増大よりは安上がりの手段として、役所の手助けに対する「経費を伴はない報酬」の一つとして採用されたものと言えそうである。言うまでもなく、学者など専門家の役所への奉仕・国家への貢献に対する国からの報酬には、叙勲があるがこれは早くて70歳前後であり、使いものとして効率低下、場合により使い物にならなくなってからで、インセンティブとしての効果が上がらないから、この会への招待は使い物である間のインセンティブとしての機能としては効率的と首肯されることは否定し難いと思える。夫婦同伴での招待という点は、国家への貢献者の連れ合いは貢献者の働きを支えてきた功績への配慮として疑問なく受け入れられていたということであろう。

 ところで、「花を見る会」の筆者の記憶に基づく認識は以上のようなものであるが、本稿執筆中の2019年11月14日)の日経新聞の「日経コラム『春秋』」に「世の中は 地獄の上の花見かな」という一茶の句が紹介されているのを読み、筆者のもって生まれた苗字が偶々「花見」であり、「花見」という筆者の苗字に関する政治との関わりの逸話として、小泉総理大臣との一対一の対話を紹介して「さくらを見る会」についての小論を終わることにしよう。平成15年小泉総理大臣に呼び出され、公務員制度改革担当の内閣官房参与に任命されたされた時、大臣室に通されて一対一になった途端に、小泉氏は仕事の話はそこそこに「花見という名前は珍しいがどこの出身ですか」と聞かれてびっくりしたことである。筆者の答えは、父母は愛知県は三河村の貧乏百姓の出身、明治維新で姓をつけるに当たり多分田んぼの隅に桜の木が一本立っていたので「花見」を姓にしたという半分は作り話の説明をして、後は仕事の話は全くなく早々に退室、その後は担当大臣の石原伸晃氏と時々会合を持ったが、これまた何故か傘立に拳闘のグローブがぶら下がっている大臣室で、何回か審議会の進行について話し合いをした記憶があるが、実質的な仕事はすべて担当省庁の課長、課長補佐クラスとでやったことばかりであった。間もなく90歳を迎えようとする筆者の政治家との御つき合いは、この程度のもので、出席した「さくらを見る会」も昨今報じられているほどgorgeousでも、luxuriousでもなかったので「地獄の上」と一茶に言われる心配はなさそうである。

 なお、この数日のマスコミの話題は新しい天皇陛下、皇后陛下に関するもので持ちきりであるが、両陛下、特に雅子陛下とはお二人の御成人以前から若干の繋がりがあったので、折りを見て差支えない範囲で校を改めて記述しておこうかと考慮中である。

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