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入るは易しく、出るは難しい中国進出

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中国経済については不動産バブル、地方政府及び企業の過剰な債務、過剰な生産設備など不安材料はいくつもある。但し、先般の全人代以降、中国経済に対する楽観的見方が中国政府から次々と発表されている(曰く、外貨準備は十分にある、資本流出は止め得る、元の大幅な下落はない等々)。おそらく秋の党大会まで党も政府も全力を挙げて現状維持を計るであろう。習近平政権は更なる権力基盤確立のため“核心”を歌い上げ、目下の所は核心=習近平を全員で歌い上げているが秋の共産党大会まではこのムードが続くであろう。(核心は中国側の宣伝ほど欧米では受けていない。米主要紙でも深掘りした解釈はあまり見られない。)今回は“入るは易しく,出るは難しい”日本企業の中国進出を考えてみたい。

 

#その他の指摘されている中国経済の問題点(香港紙から)

米財務省によると中国の米国債保有高は1兆1000億ドル程度で日本の米国債保有高が現在の所、1位となっている。日本の場合防衛を米国に依存しているので米国債を買って米経済を支援すると言う目的がある。中国の場合は米国債の利息収入を目的としている。現在米国債の30年ものの利息は3%台で利息収入は極めて大きい。

一方、中国の外貨準備は3兆ドル程度と言われているが対外債権(他国への貸付金、海外に保有する資産)も同じ規模と見られている。但し中国共産党の幹部が海外に流出させた金額が膨大なものであるとパナマ文書などで暴露されつつあるが、中国共産党が認めている金額では1兆ドル以上と見られている。このことから実際の外貨準備は2兆ドル程度と推定される。一方中国政府が力を入れている政府系ファンドの国富ファンドは3,000億ドルで始まり、現在では8,000億ドル程度まで伸びていると言われていたが昨年度の報告書では資金が大きく減少したことが明らかとなっている。更に問題は中国の海外資産だが、ベネズエラの石油開発に650億ドルの投資を行っていたが原油価格の大幅な下落でVenezuelaはdefaultの危機に直面しており。中国は最大の債権国でもあり,その痛手は大きい。

Nicaraguaの運河建設に投資していたが資金繰りがつかず工事は中断している。更にSilk Road(一帯一路計画の一部)開発とかインドネシアの高速鉄道(最近になって再び日本にもapproachしてきたが内閣の承認とか大統領承認に至るにはかなり時間がかかるので楽観はできない)、ミャンマーの水力発電ダムなど中国が手がけた事業が挫折している例は極めて多い。一方、人民元安の問題などもあるがこれらについては又、別稿で記述したい。

 

#中国からの撤退で苦労する日本企業

人件費の高騰,最早、輸出中心の経済ではなくなった中国、などの原因で撤退を目論む日本の企業は多い。大企業の場合でも広州市のSony がカメラの部品工場を中国企業に売却すべく発表したところ,約4千人の従業員がストを始め、大企業なので何れ多額の保証金が取れるであろうとの一種のゴネ得を狙ったストが起こった。詳細は昨年末の日経でも報じられているが、本件ではSony側に非は全くなく,日本の大企業という事で狙われた訳だ。

一般に日系企業は問題が起こると従来から多額の保証金を払って早期収拾を図る傾向にあった。更に、現地側としては突然の意味不明の税金なども日系企業は支払うとかすべて現地側の要求通りに応ずるので現地政府も日系は歓迎だし,従業員も日系企業に入れば安定した給与と緩い規則で大歓迎としていた。(台湾企業などは大量の人員を雇うが規則が厳重で自殺者が出るなど問題も多い)。現地政府は中央政府の意向は無視して現在に至るまで日本企業誘致のために日本で常時説明会を開くなど地道な努力をしている。一方、日系でも撤退は続いている。問題は進出の時と違って撤退は簡単ではない。―――本論とは関係ないがカルビーが台湾の康師傅(カンシーフー)との合弁会社(51%所有)の持ち株すべてを1元で譲渡すると報じられた。売り上げが伸びず3年で撤退を余儀なくされた。カンシーフーはインスタント・ラーメン・清涼飲料で一時は独走体制にあったが最近は日清ラーメンの反撃なども有りうまくいっていないようだ。最近の決算では最終利益が前期比31%減と伝えられている。撤退までには至らないが撤退か再建か決断を迫られている企業は多い。

最近の問題は中小企業を中心に撤退問題をつなぐ所謂日系コンサルタントの質の低下だ。

 

#頼りにならない日系コンサルタント

従来からコンサルタントの多くは本土/香港/台湾などを足場にして日本の中小企業のコンサルタントをしていたが日系企業の話を聞くとかなり怪しげなコンサルタントもいるようだ。自動車部品メーカーなどの場合、自動車メーカーが中国専門要員を多数抱えているので進出も撤退も問題ないが、その他の業界では進出の際には地方政府も日系企業には親切に対応する。この流れで地方政府の役人とは接待とかその他の便宜を計るなど密接な関係が構築されている。但し一旦撤収となると彼らは撤収しないよう現地で従来通り企業活動をするように動く。ところがコンサルタントは地方政府の役人としか接点がないので交渉は行き詰まる。コンサルタントは玉石混交だが実際に中国で実務を担当していた人はまだ良いが、何しろ急激に発達した中国経済でもあり一時はコンサルタント不足の時期もあった。そこで中国ビジネスを全く知らない単に右から左に繋ぐ(政府機関とか交易振興機関など)人物がコンサルタントとして介在することとなった。この連中は自ら企業に乗り込むとか、政府機関の紹介で乗り込むなどして、相手の要望を聞きそれを香港とか中国内の知り合いに流し、企業の担当者に現地視察を勧め(自らは日本にいて),深セン、東ガンなどを回り(現地では地方政府も含め丁重に扱うので)、現地進出が実現していた。要は全くの中継ぎで彼らが果たして進出企業の内容すら知らないのではと思われることも多い。何れにしても、中国経済の衰退とともに彼らに出番もなくなりこの種のコンサルタント(多くは定年後何か小遣い稼ぎをしたいと言う連中のようだが)がここに来て続々出てきたのは驚きだ。

 

#玉石混交のコンサルタント

優秀なコンサルタントは欧米での経験もあり如何なる事態にも冷静に対応するが、中国ビジネスの場合,改革開放政策から2~30年で急速に拡大したため人員の補強が間に合わなかった事は事実だ。言葉の問題もあり最初は寄せ集めであった。一般には英語または欧州系の言語に通じた人が第一線で働き、これのできない人は中国要員として閑職に追いやられていた。これに憤慨して中国語を選択した人もいるが,多くは閑職で甘んじていた人々が中国に投入された。大企業のトップはあちこち海外周りをしていた人がなったが、彼らから見ても中国以外で活用できる人材は皆無であった。盛んに指摘される事は中国現地と本社の意思疎通ができていないと言うことだが,中国現地に派遣された人材の質にもよる。何れにしても単なる中継ぎをやっていた質の悪いコンサルタントの退場は中国ビジネスの転換期ともいえる。

 

#香港の行政長官選挙

本論と関係ないが本稿を書いている時、香港政府の次期行政長官に林(ラム)女史が当選した。一般には曽(ツアン)氏が民主派の支持もあり行政長官として相応しいと見られていたが中国政府の強力な支持を得てラム女史がきまった。中国は1997年の香港返還時には香港人による1人1票の普通選挙の導入を約束していた。ところが3年前には実際には親中派しか出馬できない改革案が示された。そこで学生などが雨傘運動を起したわけだが香港政府としてこれに強く抵抗したのがラム女史だ。その後Causeway Bayの書店店主以下が中国政府に拉致されたり中国の富豪が香港で拉致されたりと一国二制は完全に無視された。中国側も香港独立に過度に神経をとがらせている。従来の本土の窓口としての自由な香港の機能は最早失われつつある。

 

 

 

 

 

 

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