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安倍政治と日本の行方

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―  目  次  ―

はじめに:米誌‘TIME’の懸念
1.THE PATRIOT, SHINZO ABE
2.日米首脳会談と対中関係
3.集団的自衛権の行使容認問題
おわりに:安倍寛と岸信介、そして高橋是清

はじめに:米誌,TIME の懸念

この4月、2週間ほどフランスを旅したのですが、4月21日、パリへの帰路、乗り継ぎのために寄ったマルセイユ空港のロビーで目に入ったのが、キオスクに並ぶ安倍首相の顔写真を表紙に満載した米雑誌、TIME(4月28日付)でした。そのタイトルが` The Patriot’(愛国者)そして、その表紙には‘強力な日本を夢見る安倍晋三’。だが、‘なぜかそれが多くの人々をuncomfortable(不安)に落とし入れている’と、言葉が並ぶものでした。筆者も同様にuncomfortableな感じを抱く一人で、早速手にした次第です。
まさにオバマ大統領と安倍首相との日米首脳会談(4月24日)を控えた、そのタイミングでこの雑誌が店頭に並んだと言うものでしたが、言うなれば日米関係の可能性を見ていく上で安倍首相の行動様式をよく見極めるべし、と示唆するものと思うものでした。

では外国メデイアは安倍首相をどう見ているのか、興味の募る処、そこで、今回は、少々長くなりますが、その特集記事(概要)をまず紹介することし、そのタイム誌が照射する日本の政治環境の下、先に行われた日米首脳会談で確認された新たな日米の安全保障環境と問題点を把握し、そしてその延長線上に置かれる‘集団的自衛権の行使容認’問題について、これらを日本の転換点を映すものとして捉え、安倍政治の行方について考察して行きたいと思います。

1. THE PATRIOT , SHINZO ABE  (Time April 28, 記事概要)

 安倍首相の‘日本再興’: 安倍首相は首相就任の直後の2012年12月26日、靖国神社を参拝した。彼の靖国参拝には同盟国の米国までもdisappointed、‘失望’したと強く安倍批判を行なったが、彼はそれを意に返す様子もなく、「再び戦争を起こさぬ事を誓い、戦争で失われた世界の再興を果たす事を祈願した」と同誌とのインタービューに応えている。

日本と言う国が帝国主義侵略者から世界第2位の経済大国、平和主義国家へと変貌していった事実は20世紀最大の贖罪行為として高く評価される処だったが、戦後70年、その復興への馬力が鈍ってきたようだ。2011年には日本は世界第2位の地位を中国に明け渡すと同時に、中国の台頭は日本やアジア周辺国との領有権問題を惹起する処と成っている。一方、2011年に起きた東日本大震災で、日本は瞬時さ迷える国家、との印象すら与えた。

こうした環境の中、安倍晋三、59歳、― 戦時中の大臣の孫で、修正主義者グループに属する戦後最年少の日本の首相 ― は自らをnational savior 国家救済者と位置付け、変化する国際経済に伍していく為にはこれまでの失われた日本を取り戻す必要があると、2012年の選挙では‘Restore Japan ‘ (日本再興)をスローガンに掲げ、大勝した。更に翌年春の参院選挙でも勝利したことで、2016年までの任期が担保され、その分、中長期的視点からの政策運営が可能となり、まさに日本改革の請負人となった。

Restore Japan の具体的方向は二つ。一つはイノベーションの促進、女性の労働市場参入促進、等、経済構造の改革を進め経済の活性を図ることで、それはアベノミクスに集約される処。もう一つは、日本再興の為には、日本として自主防衛力を高め、国民が自信と自尊心を持てるようにすることが不可欠であり、その為には戦後GHQの下で策定された現行憲法は今日的環境には適応できず、自主憲法への見直しが不可欠と言う。

・ 安倍政治の行動様式を形作っている内外の要因: 安倍首相の政治行動の背景にあるのは、前政権の民主党政権は左寄りの政治姿勢を語るだけで、政策的には何も成果を挙げる事もなく、しかも政権内の政策混乱もあって政治の停滞を招いた、そうした事に対するアンチ・テーゼであり、三つの矢からなるアベノミクスは、その具体的行動というもの。従って、安倍の成功の如何は経済の再生の如何にかかる処、実際、2本の矢、金融と財政政策で市場は復活した感があるも、肝心の第3の矢、成長のための構造改革はとん挫気味にある。
もう一つは、中国の台頭が齎している脅威への反応という。中国による尖閣諸島の領有権問題に加えて、昨年のAIDZ(防空識別圏)導入問題、等、これら中国の動きに触発される形で安倍首相は、国家安全保障、外交において一層右寄りの姿勢を強めている。

これまで選挙の度ごと、選挙民は政治家に幻滅させられてきた結果が、安倍の人気に弾みをつける処ともなっている。確かに中国の攻勢には国民の多くは危惧を持っている。しかし、だからと言って軍事行動を支持することにはなっていない。自民党内からも懸念は高まる処、例えば、安倍が進めんとしている集団的自衛権行使の容認には些かの疑問を隠さない。因みに、自民党の元幹事長の古賀誠氏などは、安倍がいま外交、安全保障に関してright-wing policy、右寄りの政策を進めようとしている事に、極めて強い懸念を示している。

・ Shinto(神道)と安倍政治: 更に安倍政治を特徴づける背景事情としてあるのが「シントウ」‘神道’問題だ。2600年前、天照大神の後裔として神武天皇が日本という国を治め、皇室を築いたことになっているが、その結果、日本の皇室は神と一体化されたものとされてきた。先の大戦での「カミカゼ」は天皇の名において行われた自爆行為だが、これが天皇に対する忠君の証しとされるものだった。しかし、敗戦の翌年、46年に、天皇は現人神から人間天皇を宣言、米国はそれまでの国家信仰としての神道の位置づけの剥奪を行った。

安倍首相が日本国再興と言うとき、それは経済の回復を意味するのだが、安倍の思いの中には日本政治における‘renaissance of Shinto’ (神道復興)があると言われている。因みに、安倍晋三は現在、国会議員神道連合会の事務総長の任にある。会員は現在268名、閣僚19名中16名がその会員だ。勿論、民主党政権ではそれはゼロだった。つまり安倍が戦後レジームからの脱皮、日本国再興をというとき、その発想はそうした文脈で理解する必要がある。では、この文脈で安倍晋三はどこまで進もうと言うものか。古賀元幹事長は、この安倍の行動様式に極めて懸念を持っており、安倍に対して、戦後レジームからの脱皮というが、それは日本の戦後の平和外交が間違いであって、いま戦前のようなmasculine country, つまり軍事力を持った近代国家に日本を作り変えたいという事なのか、と問いたいと言う。

確かに、国内における安倍の人気は非常に高い。それは、これまでの指導力のない政治家の姿を見てきた国民にとって、彼は中国に立ち向かわんとする気骨ある仁として映っているからだ。そして今、世界は彼の発言に耳を傾ける存在となっていることも一つの要因となっている。問題は、Abe’s active sense of patriotism、つまり安倍の愛国主義然とした行動が、Japanese sentiment, 日本国民の思いを映しているものか、という事だ。安倍自身‘いつも、とかくの批判をうけているが、常に、自分が正しいと思う事をやり遂げるだけ’と言うのだが。`Penitent bows just aren’t the style of Japan’s chief patriot’ 、日本のトップにある愛国主義者、安倍晋三には‘悔悟’する事など、お呼びではないようだ。(Full stop)

タイム誌がみる安倍晋三像は以上ですが、国家救済、自主防衛力、現行憲法改正、集団的自衛権、神道、等、これらキーワードが並ぶとき、いやがうえにも戦前の日本国家像のイメージが浮かび上がってくると言うもので、彼らが抱く安倍首相の姿勢に対する些かの危惧の念が伝わってくる処です。そして、日本と言う国は、アジア諸国の理解、連携なくしてはやっていけなくなるのに、これでいいのか、なにも言わない今の国民に、いらだちを感じる、そういった様子が伝わってくるというものです。

2. 日米首脳会談と、対中関係

さて、戦後70年、日本という‘国の経営’のバックボーンの一つとしてあるのが日米関係であることは云うまでもありません。その日米関係が、歴史問題に対する安倍首相の姿勢が原因となって、いま非常に不安定なものとなっています。かつて内閣官房長官であった河野洋平氏は、雑誌「世界」(5月号)で、その状況を次のように語っています。

「靖国問題に対するアメリカ政府の姿勢は、ある面では中国や韓国よりセンシテイブなものがあります。アジア諸国は、日本政府の要職にある政治家の靖国参拝を、軍国主義への反省という観点から重く見ていますが、アメリカは戦後の国際秩序に対する日本の姿勢という観点からも見ています。アメリカは安倍首相の言動をかなり深刻にとらえています。
昨年10月、来日したケリー国務長官とヘーゲル国防長官の二人が千鳥ヶ淵を訪れて献花しました。これはきわめて明確なアメリカ政府のメッセージです、・・・・・アジア諸国に加えて、アメリカとの関係を悪化させてしまう事で、日本の孤立化が進んでいます。その孤立した状況を異常と思わなくなってきている現在の政治の状況を危惧しています。」

冒頭のタイム誌特集の示唆と併せ、みるとき、安倍首相の国家主義的政治手法が対内的、対外的に展開されてきたことで、いま日本は極めて重大な転換点にあるものと、思えてなりません。

さて、かかる環境にあって、オバマ米大統領は4月23~25日の日程で、1996年4月のクリントン元大統領以来の国賓として来日、24日には安倍首相との首脳会談を行っています。ではその会談はどうであったのか、以下レビューしたいと思います

(日米共同声明が映すこと)

会談結果は、日米共同声明に集約される処ですが、その内容は、「日米同盟」を始めとする以下の10項目、「北朝鮮情勢」、「ウクライナ情勢」、「航行の自由」、「安全保障」、「尖閣諸島」、「在日米軍」、「環太平洋経済連携協定(TPP)」、「エネルギー」、「グローバルな課題」、「東南アジア諸国連合(ASEAN)」、について現状認識と両国の対応についての確認を行うものでした。 そして、日米の同盟関係の堅持、強化が確認されたとして安倍政権にとって大成功とされる処で、言うなれば楽観ムードにあるやに思料される処です。
しかし、この共同声明を深読みしていくと、日米間の安全保障政策にかかる対応姿勢のズレ、その他、今後の日米関係の在り方をも規定していく問題が浮き彫りされてくるのです。

(日米同盟関係の不安)

問題は、「日米同盟」に関する内容です。つまり、‘日米同盟は地域の平和と安全の礎であること’、併せて、‘日本の「積極的平和主義」、米国の「アジア太平洋地域へのリバランス政策」が、地域での日米同盟の主導的役割に寄与すること’が確認され、その同盟強化を示唆するものとして、次の2点が明記されているのです。

その一つは「日米安保(の対象)は尖閣諸島を含め日本の施政下にあるすべての領土に及ぶ」としたこと、そして更に「米国は尖閣諸島への日本の施政を損なおうとするいかなる一方的な行動にも反対する」という事、もう一つは「日本の集団的自衛権の行使に関する日本側の検討を歓迎する」という事、ですが、極めて問題含みと言うものです。

まず、第一の点ですが、これは、米国を後ろ盾として近時、領有権を巡って対日攻勢を強める中国をけん制したい日本の要請に応えたものと見られるのですが、日本政府としては、米政府が初めて‘安保適用’を確認してくれたと、当該成果として挙げる処です。
しかし、尖閣に向けた日米安保適用発言と同時に、オバマ大統領は、安倍首相に対して、日本には日中対話を始めるように、迫ったと伝えられています。その趣旨は、米国は日本が期待するテーマ(安保の適用)について対応するが、その代わりに日本には米国にとって不都合となるような事はやめてもらいたい、とのメッセージがあると言うものです。
つまり、台頭する中国とは新たな大国関係の構築を目指すオバマ米国にとって、いつまでも日本と中国が対峙し合う事は不都合だと言うもので、日中関係の早急な改善を迫ったというものです。

勿論、日中関係の改善は米側から言われるまでもなく、日本として不可避とされるテーマです。しかし、これが米政府から指摘されたと言うことの意味はやはり重く、日本は米国との同盟国とはいえ、いまや‘日本の前に中国を’との発想が米政府にあることを示唆するものと思料されるのです。つまり、オバマ大統領のこうした意向は今回の首脳会談が日本にもたらすobligationとされる処です。

もう一つの‘集団的自衛権の行使に関する検討作業を歓迎する’とされた点ですが、目下、安倍首相の主導で動き出している自衛隊の海外派兵に繋がる集団的自衛権行使容認問題検討について、一見、米国がお墨付きを与えたかに映ると言うものです。(注)

(注)米国では5月8日の米下院軍事委員会で2015年度の国防予算の大枠を定める国防権限法案の可決の際、日本の集団的自衛権行使の内容を念頭に「日本が地球規模の平和と安定の為にさらに重要な役割を担おうとする動きを歓迎する」と明記された由です。(日経新聞5月9日、夕刊)

 この米国の支持を受け、安倍首相周辺では、「解釈改憲」で集団的自衛権の行使容認に向かわんとギアを入れたようです。しかし、この事案は‘国の根幹’を問い、‘国のかたち’を問う、ことになるという重大な問題だけに、拙速で動ける話ではありません。そこで、集団的自衛権の行使容認問題については別項目(第3項)として論じる事としたいと思います。 が、問題は、なぜ今、米国は、日本の集団的自衛権行使の検討を歓迎すると、言うようになったのか、という事情です。

結論的に申せば、これまで米国は日米安全保障条約に沿い、日本の安全を保障してきてくれています。しかし昨今の財政事情の悪化、加えてグローバルな地政学的環境変化も加わり、従来の様にはうまく回らなくなってきた事情があるのです。そこで、この際は日本には出来得る範囲で自律的な安全保障政策を進めて欲しいと迫ることになってきたと理解されると言うものです。となれば、これまでの日米安全保障条約の基本コンセプトが崩れることとなり、従って日米間での安保政策の見直し、同時に、日本の安全保障政策が改めて問われていく事になると言うものです。つまり、彼らが日本の集団的自衛権行使容認問題の検討を‘歓迎する’という事の背後にある問題の本質をしっかり把握し、その上で然るべき取り組みを図ることが不可欠となる点、しっかりと自覚して行くべき処、現実は極めて不安と言うものです。

尚、今回、最大の案件の一つとなっていたTPP問題は、結論として締結合意を見ることなく継続交渉という事で手を打っています。両者の議論の推移からは国内外の圧力に対応してその場限りの議論に終始した感はぬぐいきれませんが、アベノミクスの戦略‘グローバル経済で勝つ’にも照らすとき、日本にとってイニシアテイブの取れる格好の環境であっただけに惜しまれるのですが、改めて日本の将来像を踏まえ小異を捨てて大同につく、ことし、早期、合意が期されることを願う次第です。

(日米関係の核心は中国問題)

今回の日米会談を通じて常に意識されたのが、上述事情からも分かる通り、「中国」の存在でした。そして共同声明(日米同盟)に於いては「・・課題に対処するにあたり、中国は重要な役割を果たし得ることを認識し、中国との間で生産的かつ建設的な関係を築くことへの関心を再確認する。」と記しています。これでひとまず日米共通の対中戦略の土俵ができたと映るのですが、しかし、今回の首脳会談を通じて鮮明となったのが「中国を巡る」日米の対応姿勢の違いでした。

つまり、日本は日米同盟の強化を対中戦略の柱に位置付けんとしてきています。言うなれば、安保優先と言うものです。しかし、米国のそれは、今回、尖閣を日米安保条約の適用対象とはしながらも、中国とは緊密な関係を保持せんとしており、言うなれば外交・安保と経済を統合して捉え、一方では中国の海洋進出を警戒しつつ、超大国になりつつある中国との相互依存を重視するという、極めてリアリステイックな行動様式にあると言うものです。(注)

(注)The Economist, May 3,2014,‘Pivotal – America in Asia’で次のように指摘し
ています。― Everywhere he went, Mr. Obama trod carefully in his public remarks about China. He appeared anxious to avoid causing greater instability in the region by making America out to be China’s enemy.
(オバマ大統領は中国を刺激して地域の不安を起こさせることの無いよう各所での発言には極めて注意深くふるまった、と。)

 さて、かかる文脈において日中関係を考えるとき、やはりその姿は異常と映るばかりです。周知の通り、未だ中国の習近平主席と日本の安倍首相との会談が一度も持たれた経緯はありません。グローバル経済で見ても日本だけが対中経済関係が冷え込んでいるのですが、安倍政権は、この事態を打開しようとはしていません。また、打撃を受けているはずの経済界も安倍政権の強い姿勢に遠慮してか沈黙したままにありますが、日中間には協力できる事案、具体的には環境問題や中国が参加している東アジア地域包括的経済連携(RCEP)の具体化等、多々ある処です。安倍政権の対中戦略は肝心のこの経済を二の次にしてしまっているというものです。これはアベノミクスの成長戦略と大きく矛盾する処とも言え、世界の成長センターの中核にある中国との経済関係を発展させない限り成長戦略の土台は崩れることにもなると言うものです。従って、何よりも経済重視への戦略転換を進めること、そして偏狭なナショナリズムを抑え、これら要素を生かしながら日中関係の修復を図ることとし、そうしたことがない限り東アジアに平和も繁栄もあり得ないというものです。国際的ジャーナリストとして重鎮であった松本重治は、かつて‘日米関係の核心は中国問題’だと言ったと言われていますが、その文脈はともかく、いままさに、‘その言’がリアルに受け止められるというものです。

3.集団的自衛権の行使容認問題

さて、安倍政治が国家主義的色彩を強め、国家安全保障体制の整備、拡充に走り出していることについて、前号の弊論考でも指摘した処です。

昨年、12月17日には国家安全保障会議(日本版NSC)と閣議において、新たな防衛計画の大綱と中期防衛力整備計画(2014~18年度)が決定され、同時に、中期的な安全保障政策の指針となる「国家安全保障戦略」も決定されました。また、今年4月1日には、これまでの武器輸出3原則に代わる「防衛装備移転3原則」を閣議決定し、武器の輸出を原則禁止してきた従来の方針を大きく転換させています。これも中国の海洋進出など安全保障環境の変化を踏まえた措置とされ、装備輸出や共同開発を通じて米国ほか友好国との安保協力を進めんとする狙いがあるともいうのです。

(動き出した集団的自衛権行使容認への検討)

そして今、安倍政権はこうした安保体制強化の総集編とも言うべき憲法第9条によって不可とされてきた集団的自衛権の行使を、解釈改憲を以って容認しようと動きだしています。
5月15日、提出された安倍首相の諮問機関である安保に関する有識者会議「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」の報告では、現在の行使を禁じる憲法解釈は「適当でない」とし、憲法が認める「必要最小限」において自衛権行使の容認を求める、としています。今後、この報告書をベースに具体的作業が進められ、いずれ閣議決定を経て集団的自衛権の行使容認が決定される由ですが、これは極めて危険な動きと言わざるを得ません。

そもそも、集団的自衛権の行使とは他国のために戦うという事です。しかし、‘その行使ができない’ということは、憲法9条と自衛隊の関係や、我が国の平和主義を巡り、これまで政治家が専門家をも含め広く真剣に議論を繰り返す中で定着した憲法解釈であり、70年近く続いた日本の戦後を支えてきた基本的な考え方です。これを変えるという事は国の在り方を変えることに繋がる極めて重大な意味を持つことなのです。

つまり、集団的自衛権の行使を認めるということは、現在の憲法が拠って立ってきた平和への国民の決意を、武器を取って戦争するという決意に変えるという事を意味するのです。
これまで‘戦争をしない国’、これをBRANDに戴く国として日本の存在があったのです。このBRANDを放棄して‘戦争をする国’に衣替えしようというものです。これほどに重要な問題であるにもかかわらず、たった19人の閣僚だけで決めていい事なのか、国民投票という作業まで視野に入れて考えるべき事柄であり、それくらい重大な問題だと、前出、「世界」(5月号)で河野洋平氏は、安倍首相は、その重大性を理解しているのか、疑問だと激しく批判し、危機感を露としているのです。戦後、日本は「国民主権」、「平和主義(憲法9条)」、「基本的人権尊重」を国家運営の礎として今日に至っているのですが、現状は、これら基本要素、一個々が右方向に塗り変えられていく様相にあると言うものです。

(検討プロセスに異議あり)

安倍首相は、同日、この報告書の取り扱いについて急遽、記者会見を行い、権利行使の必要について、事例を以って説明したのですが、その事例などは非現実的であり、到底理解のできるものではありません。そもそも、新たな事態が発生し、これに対応したいと言うことで、憲法を改正して臨む事であればともかく、憲法で禁じている行為を、当該憲法の解釈を変更して、それも時の政府だけでの解釈変更で、対応することなど、その手法、プロセスは、全く憲政の常道を逸脱した異常な事と言うものです。

仮に、集団的自衛権を巡る議論を具体的にしていく過程においては、その対象国を明確に設定し、この場合は中国と想定される処ですが、どのような脅威があるのか触れざるを得なくなるでしょうが、このような議論自体が国際関係にどのような影響を与えるのかという点も問題となっていく処です。

筆者は憲法学者でも、何でもありません。しかし、現状の集団的自衛権の行使容認問題を巡る議論が、手続き的な問題と日本の掲げてきた平和主義との関係という問題、の二つを混在一体としたままに進んでいる事、そして国民の声の届かない閣議だけで決定されようとしているその姿に、国民として危機感を強くするというものです。なぜにそれほどまでに結論を急ぐのか。直近の集団的自衛権の行使容認についてのアンケート調査結果でも、大半が容認にはネガティブとなっているのです。平和国家と言う進み方を変えてしまっていいのかと、政策の本質を巡る議論を広く国民と共に行うべきと思料するものです。

と同時に、国の防衛強化となると、即、軍事力の強化に走ってしまうのですが、前回論稿でも指摘したように、グローバル化が深化した今日的環境にあっては、こうした発想はもはや旧態然としたものであり、例えば、日本が単独で中国と対峙するのではなく、中国の勢力を抑えたいという共通の目的を持った世界の国々と幅広く協力していく事、つまり日本としては、環境変化を俯瞰しながら戦略的、効果的に外交政策を展開していく、というよりソフトパワーを生かした安保体制の構築が考えられてしかるべきと思料するのです。

前号の弊論稿に対して筆者の友人からは以下のようなコメントが届きました。

「・・集団的自衛権の議論は、戦後69年、戦闘行為で一兵たりとも死なせていない日本に、憲法九条の歯止めをはずし、国際紛争の武力解決志向につながる論理を持ち込まんとするものだが、日本のイイトシの大人が、あるいは若者が、どれだけの覚悟をもって議論しているのか、はなはだ疑問です。年寄りは、動員されない、政治家は動員されないとでも高をくくっているのか。終戦直前に大本営は『一億総玉砕』を呼号し、1945年6月には『義勇兵役法』を公布して15-60歳の男性、17-40歳の女性を義勇兵として動員することきめていますが、そうした方向に日本が走り始めるのではないかとさえ危惧されます。小生も、もう65歳以上で、この義勇兵の対象外となるのですが、現代の戦争は無人機による無差別攻撃であり、原発が爆撃対象になれば日本は簡単に絶滅してしまう意味において、原発が人質に取られているとも言える訳で、一旦緩急あれば、全ての国民が現代の戦争の惨禍に巻き込まれる。この惨禍を二度と繰り返さないと固く誓ったのが、敗戦時の我が国であり戦後踏襲されてきた我が国の基本政策であるにもかかわらず、その基本が霞んでいるのはどうしたことか。いまの日本の指導者の平和維持への努力が如何にも脆弱であることに、大きな不安を感じる次第です・・」

日経コラムに触発され、書架の奥で埃をかぶっていた「中曽根康弘・宮沢喜一 対論:改憲・護憲」(朝腑新聞、1997)を取りだし、読み直してみました。その中の「九条と集団的自衛権」の章で、宮沢喜一は、こう語っています。「憲法9条は外国で武力行使をしてはいけないと、それだけが禁じられていることで、それ以外には何も禁じられていない」と。護憲派の代表格であった宮沢喜一のこの発言は極めて含蓄のある処です。

おわりに:安倍寛と岸信介、そして高橋是清

冒頭紹介したタイム誌の安倍特集は、晋三の父方祖父、安倍寛(1894~1946)について紹介していました。安倍寛については、あまり知られてはいませんが、その彼をタイム誌はハト派の政治家として取り上げていたのは興味を呼ぶところです。彼も、母方の祖父、岸信介同様、山口出身の政治家で衆院議員を2期務め、1942年の翼賛選挙では東条英樹らの軍閥主義を批判するなど、今言う処のハト派として知られた政治家だったと言う由です。しかし戦後第1回総選挙直前に心臓マヒで急死しています。52歳の若さでした。従って、安倍晋三首相は孫として安倍寛と出会う事はなかったわけです。序でながら、岸信介の長女、洋子と、安倍寛の長男、晋太郎(元外務大臣)との結婚について、岸は、大津聖人(山口県大津郡:現 長門市)と呼ばれた安倍寛の息子だからいいだろう、と言って認めたとの逸話が残っています。

一方、彼の母方の祖父である岸信介(1896~1987)は昭和の妖怪とも称せられる大物政治家であり、1960年の日米安保条約改定を取り仕切った首相としてよく知られる仁で、‘右の人’と言うレッテルが張られている政治家であることは周知の処です。
しかし、その彼が、首相になった1957年のその年、当時の社会党、加藤シズエ議員の質疑に応える形で、日本が占領し又、侵略の脅威を与えたとするアジア9か国を、謝罪歴訪し、更に翌、‘58年、第2回バギオ会議(先住民会議)に集まったアジア諸国に向けて「謙虚な心のステーツマンシップが必要」とのメッセージを送っているのです。

実はこの話、この2月5日の参院予算委員会で質問に立った民主党の前田武志参院議員から披露され、安倍首相に「それを肝に銘じて欲しい」と訴えと言うものでした。(参議院会議録情報、186回 国会予算委員会第2号、より)感動です。さて、安倍首相からの返答は議事録にはありませんが、彼はどのように受け止めたと言うものでしょうか。
一方、安倍首相が師と仰ぐ高橋是清は軍国主義、高まる環境にあって、軍備拡張は国民生活に資するにあらずと、軍縮をめざすと同時に、国民を中心に置く政治を常に目指す政治家であり続けたのです。

さて、ハト派と言われ、聖人と言われた安倍寛、アジアに対し、日本の戦争責任を公にし、謝罪歴訪を果たしたという岸信介、この二人を祖父として身内に戴き、歴史のなかでは高橋是清を師と仰ぐという安倍晋三ですが、その彼には今、‘国民のための政治とは何か’、彼らと向き合い、じっくり考えてみること、が問われていると思料するばかりです。

以上

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