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終わりの始まり:EU難民問題の行方(14)

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突然の逆風:アンゲラ・メルケル首相は耐えうるか
新年を迎えたばかりの1月22日、エーゲ海でまた難民・移民を乗せたボート3隻が転覆、子供を含む45人が溺死した(追記:1月30日にも、子供5人を含む30人の難民がボート転覆で死亡)。この他にも数十人の行方が不明と伝えられている。スエーデン、オーストリアなど、これまで難民、移民に寛容といわれてきた国々の対応が厳しくなった。しかし、ヨーロッパを目指す人々の流れが減少する兆しは見えない。新年に入って、ヨーロッパ全体ではすでに3万人を越えた。

難民受け入れに主導的役割を果たしてきたメルケル首相は、2015年大晦日から新年にかけて、恒例の年頭演説で、昨年およそ110万人の難民申請者がドイツにやってきたことを指摘した。さらに、彼ら難民はドイツの経済と社会に利益をもたらす「明日につなぐチャンス」であると強調した。メルケル首相は、難民は戦後ドイツが掲げる人道的立場と成果に期待していると述べて、英語とアラビア語で文書配布も行った。

メルケル首相は、依然として「難民の受け入れ人数には上限を設けない」としている。他方、ドイツのガウク大統領は、難民政策の再検討を進めていることを明らかにした。今回に限らず、難局に出会うと、メルケル首相は決まって、wir schaffen das ”なんとかします”という常套句とタフな対応で解決してきた。しかし、今回は、予想外の出来事に翻弄され、政策対応も遅れ、政治的にもかつてなく追い込まれている。実はメルケル首相だけが問題を背負い込むことはないはずなのだが、フランスなどの主要加盟国、そしてブラッセルのEUがあまりに非力なのだ。

予想を上回った難民数
問題を悪化させた要因の一つは、その数の多さであった。これだけ多数の難民が流出したことについては、シリアなどの破滅的環境悪化が最大の要因だが、メルケル首相のやや非現実的な寛容さが流出を加速したことも事実だ。事態の急変を認識したメルケル首相は、受け入れの上限設定は否定しながらも、具体的には現実ベース realpolitik で対応しようとしている。

彼女がもっとも期待をしているのは、EUによるトルコへの資金支援などを通して、EUへの難民流入をなんとか減少させる仕組みをつくることだ。しかし、トルコの政治環境の不安定化もあって、思うようには進行していない。この間にEU加盟国は、国益重視で個別に難民対策を導入してきた。たとえば、現時点では各国ごとに次のような措置が導入されつつある。

ハンガリーは、セルビアなどの国境にフェンスを設置。
ドイツ、オーストリア、スエーデンは国境審査を復活。最長2年まで延長できるように準備中。ドイツは連立与党は制限的な保護の下にある入国者の本国からの家族呼び寄せを認めないとの合意。モロッコ、アルジェリア、チュニジアからの庇護申請者は難民と認めないことで合意した。
スエーデンは受け入れ数に上限を設定、国境審査を導入。難民と認定できない約16万人を創刊本国へ送還予定だが、今年はそのうち8万人送還する予定。
オーストリアは難民受け入れに上限設定。
デンマークは難民の資産(一定限度以上)の没収。およそ2000ポンド(17万円)を上回る現金、貴金属。家族の呼び寄せ3年間禁止。

域内移動の自由を認める「シェンゲン協定」(1985年に署名)加盟国は、治安など深刻な脅威が存在する場合にかぎり、原則6カ月まで国境審査を一時的に復活できる。現在、この国境審査を最長2年まで継続できるよう準備中である。EUのトゥスク大統領は3月中旬に開催されるEU首脳会議までに有効な枠組みが導入できなければ、EUの理念は揺らぎ、分裂・壊滅につながると見ているようだ。

難民受け入れに決定的打撃を与えたケルン集団女性暴行事件
メルケル首相が新年の演説で、難民受け入れの必要を強調していたのと同じ頃、彼女の立場にさらに大きな一撃を与えるような事件が展開していた。大晦日から新年にかけて、ドイツのケルン中央駅と有名な大聖堂の間の広場で、千人近いアラブ系、北アフリカ系の移民・難民によるドイツ人女性に対する集団的性的暴行・強盗事件が行われた。報道された事実から推定するかぎり、事件に関与した暴徒は、シリアなどからの難民が中心ではなく、北アフリカからの難民・移民が多かったようだ。彼らは半ば暴徒化し、群衆に花火やボトルなどを投げ込んだ。こうした乱暴、暴行の実態について、ドイツ側当局はしばらく正確な実態を発表せず、公共放送ZDFも速やかな報道を行わなかった。

こうした難民をめぐる議論は、被害対象になった女性には屈辱的で許しがたい内容を含んでいるのだが、全般にメディアは大きくとりあげることをしなかった。この段階で、移民・難民への立場を明確にすると、難民受け入れについての賛成派、反対派の双方から激しい攻撃を受けることが多いことを恐れて報道を差し控えたのだろう。ドイツ政府はこの事件を受けて、犯罪行為に加担した移民・難民を送還すする法律の整備に入った。外国人が犯罪にかかわった場合、強制送還することができるよう罰則強化の検討に入った。

危ういアンゲラ・メルケル首相の政治基盤
一時はEUの主要国から強い支持を得ていたかに見えたアンゲラ・メルケル首相の立場は、昨年後半から急速に低下してきた。とりわけ、上述の女性への集団暴行事件についての判断と政府など関係者の対応の硬直さも影響して、ある世論調査ではメルケル首相の支持率は2015年12月の54%から37%まで急激に低下した。

ドイツ国内では地方都市を中心に急速に難民の受け入れについての反対がたかまっている。難民としての認定が済むまで国内に平均的に受け入れられるのではなく、人口比などで中央政府から割り当てられる。突然町にやってきた多数の見慣れない外国人に、地域住民は当惑し、受け入れ施設の整備、教育、医療、財政などの面で、負担増に戸惑い、クレームをつけている。政党も急速にメルケル首相への反対を強めていて、極右政党「ドイツのための選択肢(AfD)は支持率を大きく増加した。

メルケル首相の与党「キリスト教民主同盟」(CDU)、連立与党の「キリスト教社会同盟」(CSU)内部からも、批判が高まっている。とりわけ、難民と日々接することになる地方州議会レベルでCDUの支持率が低下しつつある。メルケル首相にとっては、自らの政治生命にかかわる問題である。

保守化するEU諸国
メルケル首相に向けて向かい風は国内ばかりでなく、EU諸国の間にも急速に広がった。全体として、各国の国内における国民の難民受け入れへの不安感を巧みに取り込んだ極右政党が急速に支持率を上げている。その口火を切ったのは、東欧ハンガリーですでに最初の段階から難民・移民に対して厳しい立場をとり、国境の封鎖などを行ってきた。

さらに、ドイツの隣国ポーランドでも極右政党「法と正義」が勢力を拡大している。昨年10月から政権についたシドゥウォ新首相は、政策として、大幅減税、最低賃金引き上げ、年金制度拡大などの政策を掲げるとともに、同党(党首ヤロスワフ・カチンスキ-)の半ば独裁路線に沿った政治へと移行しつつある。憲法裁判所の判事の選任などの点でも、EUの掲げる路線から離反するとみられている。ただ、ポーランドがとってきた反ロシアという体制が、今後どれだけEUと協調してゆけるかを定めることになりそうだ。

メルケル首相は多数の難民を国外流出しているシリアの内戦を収束させることに加えて、ヨーロッパへの難民流出をできるかぎり抑止するため、昨年来トルコとの関係を強めている。トルコ国内の難民収容施設などへEUが支援を行い、ヨーロッパ側への流出を早急に減少させたいとの政策だ。EU加盟を期待してきたトルコにとっても、絶好の機会と見られている。しかし、トルコも内外に問題を抱え、空転状態になっている。ブラッセルのEU官僚はプランは描けても、政治的実行力に欠けるため、結局メルケル首相のような実力を備えた政治家の力に頼ることになる。

EUが創設当時描いた理念に沿った道に早期に戻りうるとは考えがたい。移民・難民の問題で、成否の鍵を握るのは彼らを受け入れる地域、そして国民の判断次第といえる。地域住民と新たに加わる難民・移民が相互に理解し合い、共存する状況が形成されるには長い年月を要する。ひとたび崩れかけたこの関係を復元し、平穏な市民環境を形成することは容易ではない。「信頼の壁」は壊れやすく、築きがたい。

Reference
‘Cologne’s aftershocks’ The Economist January 16th 2016.
‘An ill wind,’ The Economist January 23rd, 2016
ZDF daily report

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